CD写真

 

 

「オブライエン・エセル/ケ・クム

レイ・レコードLEIR-0045

HIKINO HNR-0001 Ke Kumu

O'Brian Eselu

 



【 解 説 】

新人発掘の名人ケニスがバックアップしたアルバム このオブライエン・エセルのデビューCDは、パンダナス・クラブのリーダー、作曲家として有名なだけでなく、数多くの新人を発掘してはCD作成をバックアップしてきたケニス・マクアカネのプロデュースによって完成しました。

このCDではオブライエンの素晴らしいボーカルが楽しめるのはもちろんですが、バック・コーラスを担当したパンダナス・クラブの美しいハーモニーも聴きのがせません。特に12曲めのLove You With My Lifeでのオブライエンとパンダナス・クラブによるア・カペラ(無伴奏コーラス)は絶品と言えましょう。

このアルバムの原タイトルKe Kumu(=the teacher)で表わされたように、オブライエンは自分のフラ・ハラウ(教室)を持つクム・フラ(フラの指導者)ですので、このアルバムにもフラ・ソングを収録しているのはもちろんですが、それにとどまらず、彼のルーツであるアメリカン・サモアの音楽からポップスまでと極めて広範囲のレパートリーをご披露しています。

オブライエンの両親はサモア出身 彼はアメリカン・サモアからハワイに移住してきた両親が設けた6人の子供の第4子として1950年代初期に誕生しました。彼は音楽と踊りに対する才能を小さいときから発揮し、中学生のときに両親の故郷であるサモア音楽を母と一緒に作曲したほどです。そしてその曲は今回のデビュー・アルバムの第5曲として収録されたことで、作曲後30年近く経って日の目を見ることとなりました。

サモアはハワイからはるか南方、赤道の反対側に位置する群島で、伝説ではハワイからやってきた船乗りたちが彼等の子孫をここに残したそうで、オブライエンの両親も子孫だったと思われます。そして動機は分かりませんがハワイへ移住したことがオブライエンという人物を伝統あるフラ・ハラウの継承者に、そして素晴らしいエンターテイナーにと育てあげることに貢献したことになります。 偶然と彼の才能が彼をハラウ継承者に 彼が20歳ちょっと上になった1976年に友人のタデュース・ウイルスンおよび晩年のダレル・ルペヌイと組んでメン・オブ・ワイマプナというフラ・グループの中心的存在の コメディー・フラ・トリオを結成したのがフラとの関わりのスタートでした。彼の才能を見抜いたタデュースの母方の祖母ケオホ・オダはハワイの伝統に則った形式でフラの指導者になるべく彼を慎重に育てあげました。

外部の者には理解できないでしょうが、ケオホは彼をハワイ風にそして本当の孫のように扱いました。例えば教えるのはあくまでも空が青く澄んでいるときに限られ、それ以外のときは近づくことすら許されませんでした。 ケオホは伝統あるハラウのナー・ワイ・エハー・オ・プナを長い間守ってきました。ハラウの名前の表面上の意味は「ハワイ島プナ地区オピヒカオにある四つの川」を指すのですが、本当の意味はプナに住む人達だけに語り伝えられてきた伝説に基づいているため、弟子のオブライエンにすらすぐには教えて貰えなかったそうです。やがてオブライエンはこの伝統あるハラウの血筋がケオホで途絶えることを知り、ケオホに代わってその伝統を受け継ぐ決心をし、現在に至っております。 彼がダデュースに出会った偶然がこの結果となり、サモアにルーツを持つ人物がハワイアン・フラの指導者となるきっかけとなったというのは大変興味深いことと言えましょう。


【 曲目概要 】

1.オ・ウア・アオ : アルバムはフラの正式なオープニング形式にもとづいてオブライエンのオリ(詠唱)から始まります。先年亡くなったハワイ語の権威プクイ女史作になるコオラウ山脈の夜明けを詠ったものです。  

2.プア・オ・カ・マーカーハラ : 荘重なコーラスにリードされてフラ・ソングの登場です。作者はニナ・ケアリイワハマナの母親で、ハワイ・コールズ初期に歌手、作曲家として活躍したヴィッキイ・イイ。プアは花のこと。マーカーハラは花をレイの材料に使うトマト科の低木の名前です。  

3.ハーラヴァ : すでにポピュラーになっているオブライエンの自作フラ・ソングを彼自身の演奏でお聴きください。ハーラヴァとは海岸の湾曲している様子のことです。  

4.ラブ・ウイル・キープ・アス・アライブ/ファー・トゥー・ワイド : 一転してお馴染みのポピュラー曲が登場しました。でも歌詞はハワイ語になっていて逆に新鮮な感じもいたします。考えて見れば私たちだって英語のポップスを日本語の歌詞で歌っているわけですから、何の不思議もありません。  

5.サウ・サウ・イア・・・スイーティ・マイ・ダーリン : 彼が中学生時代に書いたサモア音楽です。この曲だけの為に、スペシャル・ゲストとしてサモア音楽の専門家ジュニア・ファイタウとロア・ファイメアレレイに共演を依頼しています。  

6.ネヴァー・レット・ミー・ゴー : 今度は熱烈なラブ・ソングが登場しました。夜もふけたので帰らなければいけないのだが、私を帰さないでくれないか?(帰りたくない)という内容です。  

7.ピーカケ : ふたたびオブライエンの自作になるミディアム・テンポの曲。ピーカケもその花をレイに使う低木または蔓植物でアラビア・ジャスミンとも呼ばれます。カイウラニ王女がこの花と孔雀を愛したので、花の名前が孔雀(ハワイ語でピーカケ)となりました。  

8.ラ・イア(ミーンズ・アイ・ラブ・ユー): ウイリアム・ハートとトム・ベルが作った曲。ハワイ語でアロハ・イア・オエ(アイ・ラブ・ユー)が何度も何度も繰り返して歌われます。  

9.ケアヒ・アーラパ・ククル・ウラ・イ・カラニ : ハワイ島のクム・フラであるナラニ・カナカオレが作ったチャント。第1曲が伴奏楽器を伴わない詠唱であったのに対して、こちらはイプ(瓢箪で作った打楽器)をバックに火の女神ペレへの祈りを詠います。

10.ハノハノ・オリンダ : マウイ島の高地にある村オリンダの美しさをオブライエンが伸び伸びと歌います。オリンダというハワイ語らしくない地名は、そこの住んでいたサミュエル・アレキサンダーがスペインの地名から名づけたとのことです。

11.フォールン: ローレン・ウッド作になるポップス。オブライエンはこういった曲を好んで歌っているようですね。

12.ラブ・ユー・ウイズ・マイ・ライフ: ア・カペラで歌うオブライエンとパンダナス・クラブの醸し出す美しい雰囲気はネフィ・ブラウンのアレンジの功績によるところ大と言えます。

13.アイ・ウオント・トゥー・ゲット・ネクスト・トゥー・ユー: これもブライアン・ダンカン作のポップスですが、スペシャル・ゲストであるカアウ・クレイター・ボーイズのトロイ・フェルナンデスによる「いつものトロイらしくない」ウクレレ・ソロをふんだんに聴くことができますので、ウクレレ愛好家にも好まれ  るでしょう。

14.ドゥー・イット : オブライエンとランス・アーティストの合作になる曲です。オブライエンは電気ピアノとサックスをバックに完全なポップスとして歌っています。

15.マーカハ : このアルバムも終わりに近づいたので、ふたたびフラ・ソングになりました。曲はオブライエンの自作自演でマーカハ。マーカハはハワイの地名です。

16.プア・アヒヒ : 第1曲の作者メアリー・プクイが作ったフラ・ソングの名作。アヒヒというのは低潅木で、昔はオアフ島のヌウアヌ地域で多生していたそうです。

17.アクア・プウ・オ・ハラーリイ : エンディングは古式に則ってチャントの演奏です。ニイハウ島の昔の首長ハラーリイに捧げるチャントをイプをバックに詠い上げます。 以上のとおり、大変もりだくさんな内容でしたが、オブライエンの全てが紹介されたといっても過言ではないでしょう。

マット・コバヤシ 


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