CD写真

  

「イズラエル/イズ・ライブ」

レイ・レコード LEIR-0040

BIG BOY BBCD5904 Iz in Concert

The Man and His Music



【 解 説 】

イズの追悼アルバム

 1997年6月26日、まだ38歳の若さでハワイの歌手イズ(イズラエル・カマカヴィヴォオレ)が亡くなりました。彼のソロ・アルバム第4作 n Dis Life(レイ・レコードから日本に紹介されたタイトルは「ヨ・コ・ヅ・ナ」)がナ・ホク・ハノハノ・アウォード(ハワイのレコード大賞)でベスト・アルバム賞や男声歌手賞など五つの大賞を受賞したのはその僅か一ヵ月前のことでした。このとき彼はクイーンズ・メディカル・センターの病床にあったため、栄えあるセレモニーに出席できず、親戚筋のモー・キアレたちが代わりに壇上からイズの快癒を祈ったのですが残念ながらそのアルバムがそのままイズの遺作となってしまいました。 イズがオリジナル・グループのマカハ・サンズ・オブ・ニイハウから独立して以来、彼のサポートをしてきたマウンテン・アップル・レコードのオーナーであるジョン・デ・メロが、1993年から1997年にかけて「米本土からミロリイ(ハワイ島の南岸のちいさな漁村)まで」の各地で行ったイズのコンサートの実況録音をピックアップしたアルバムをつくりました。今回のCDがそれで、イズの代表的な曲目がほとんど網羅されていますので、イズの歴史を回顧するためには極めて貴重なアルバムと言えます。

イズとマカハ・サンズ

 イズを語るには彼の原点であるマカハ・サンズ・オブ・ニイハウとの関係に触れない訳にはいかないでしょう。 オアフ島のマカハに住む若者たちのグループが毎晩のように楽器を持ち寄っては裏庭で音楽を楽しんでいました。それはどこででも見かけられる音楽好きのアマチュア・グループの一つだったのですが、1976年のある日彼らに「仕事」の話が舞い込んでからは、グループ名をマカハ・サンズ・オブ・ニイハウと名付け、プロ・ミュージシャンとしての活動を開始したのです。スキッピイとイズラエルのカマカヴィヴォオレ兄弟、そして後年彼らの義兄弟となるムーン・カウアカヒの3人を中心に、ジェローム・ココとサム・グレイを加えた5人編成で発足し、ジェロームとサムが抜けた2年後には従兄弟のメル・ アミナを含めた4人編成の本当のファミリー・バンドになりました。グループ名の由来は、イズたち兄弟の両親がニイハウ島に深いつながりがあるところに因っています。 1982年に、このグループは深刻な危機をむかえました。リーダーであったスキッピイが急死し、それにショックをうけたのか従兄弟のメルが失踪してしまったのです。ムーンとイズの二人で従来のサウンドを維持することは不可能なため、創立時のメンバーでその後弟のジョン・ココとココ・ブラザースというデュオを組んでいたジェロームをジョンともども迎え入れ、新生マカハ・サンズ・オブ・ニイハウとして再発足、このメンバーはその後1993年にイズが独立するまで続きました。    

■ 分裂と歴史的和解

 イズの独立にはいろいろな原因があると言われていますが、いずれにせよ彼と他のメンバーとの間がうまく行かなかったことはたしかでしょう。イズの独立後、残ったトリオはマカハ・サンズというグループ名になり、いまやハワイアン音楽界最高のグループとして認められているのはご承知の通りです。一方独立してソロ歌手となったイズも1997年度の「最も好かれたエンタテイナー賞」を受賞するほどの人気者となっていました。この間、マカハの側からは「いつでも戻ってくれば歓迎する!」という投げかけをしていたのですが、ファミリーであっただけにイズとしては答えにくかったかも知れません。そして私も参席した1996年のナ・ホク・ハノハノ・アウォードの式典に於いてあの有名な「歴史的和解」がありました。ソロ歌手として出演したイズは、たった一曲ときめられている歌として彼の義兄ムーンの作ったカレオハノを歌いはじめたところ、マカハ・サンズの3人が舞台にのぼってきて、イズを囲むようにして一緒に歌うというハプニングが起こったのです。会場は総立ちとなり、歌い終わって抱き合う彼らに惜しみない拍手が続きました。 残念なことに、イズの死によりマカハとの再演は実現しませんでしたが、「向こう側」へ行ったイズはスキッピイと一緒になり、マカハ・サンズの活躍に拍手をおくっているかも知れません。 IZと書く彼の愛称「イズ」は現在を表す動詞のISと発音が同じため、「彼はいつまでも過去(WAS)の人ではなく現在の人であり続ける」というフレーズが新聞や雑誌の記事によく登場していたようです。


【 曲目の概要 】

 以下、ご紹介する曲の大半は彼の4枚のソロ・アルバムにも収録されていますが、それらがスタジオでの録音であるのに対し、このCDはすべてライブ録音です。そして収録された16曲は、会場の違いや録音時期の違いが聴き取れないほどの巧みな編集がされているため、あたかもひとつのコンサートから のライブのようにきこえます。イズは生前、若者たちの不良化防止やハワイ人としての主権回復に力を注いでいたため、曲目にそのような主張が織り込まれていたり、コンサートでの「語り」でこれらの主張を熱く説いていました。このCDでは歌自体を楽しんでいただくのは当然として、彼のハワイ訛りの英語での「語り」も注目に値します。

最初のソロ・アルバムからの曲

 イズはマカハ・サンズ・オブ・ニイハウ在籍中の1990年に最初のソロ、アルバム「カ・アノイ」をリリースしました。今回のCDにはこのアルバムの曲からは (5) の「マルガリータ」のみが収録されています。タヒチのマルガリータという娘を唄った陽気な曲で、プロデューサーのジョン・デ・メロのお気に入りの曲とのことです。

2枚目のソロ・アルバムからの曲

 1993年のアルバム「フェイシング・フューチヤー」の曲目からは4曲が選ばれています。貴方と私が何処で何をした!と次々に歌う (9) の「ヘネ・ヘネ・コウ・アカ」は彼のコミックな歌が楽しめます。歌もさることながらイズの電子メールについての「語り」が面白い (11) の「ホワイト・サンディー・ビーチ」はウクレレ一本でしっかり聴かせます。そしてこれまた楽しい (14) の「マウイ・ハワイアン・スッパマン」とコンサートの終章につながる (15) の「ハワイ78」の劇的な盛り上がりに注目してください。

3枚目のソロ・アルバムからの曲

 1995年のアルバム「エ・アラ・エー」(レイ・レコードのタイトルは「天国から雷」)に収録された曲からは、若者に「立ち上がろう!」と呼びかける (8) の「エ・アラ・エー」とイズの愛唱歌で美しい曲 (3) の「カマラニ」、そしてあの「歴史的和解」の際に歌われた (4) の「カレオハノ」の3曲が入っています。

最後のソロ・アルバムからの曲

 1996年の遺作アルバム「n Dis Life」(レイ・レコードの日本語タイトル「ヨ・コ・ヅ・ナ」)からはイズ自身の生涯を振り返っている歌 (13) の「ン・ディス・ライフ」、親友のゲイロード・ホロマリアの作った (10) の「ラバー・オブ・マイン」そしてウナギに食べられそうになった海老の妹をオピヒ貝が助けるという (12) の「オパエ・エ」の3曲が選ばれています。

 上記以外にも (2) の「エクウ・モーニング・デュー」や (1) の「アヒ・ヴェラ」そして (16) の「ハワイ・アロハ」等おなじみの曲も楽しめますので、いつまでもこのCDをご愛聴ください。 

マット・コバヤシ 


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