道修町にある少彦名神社(通称神農さん)には、 江戸時代からの「古文書」が保存されていまし た。古文書は、現在の薬業関係者のルーツであ る道修町薬種中買仲間(幕府からくすりの専売 を許可された業者の団体)によって書かれたも の。くすりの商いに関する記録、古くから業界 と密接に関わりのあった少彦名神社や信仰に関 連する記録、そして道修町の記録などなど。こ の古文書を後世に伝承しようと,神社の崇敬者 団体である薬祖講が母体となって「道修町文書 保存会」(現在は「道修町資料保存会」に改称)が 結成され、こうした資料に非常に造詣の深い専 門の先生方によって、平成3年(1991年)3月か ら、古文書の調査・整理が始まったのです。 調査が始まってまず先生方を驚かせたのは、 300年以上もの間、古文書が虫食いや変色などが ほとんど見られなかったこと。不思議なくらい 資料の保存状態が良かったのです。これもくす り屋が関係していたからでしようか? 古文書の数は、最終的に3万点を越える膨大 なものとなりました。これらは道修町文書目録 として編集され、刊行されています。 |
![]() |
古文書の年代は最も古いもので明暦4年(1658年)、 今から300年以上も前のもの。 古文書の多くは、「享保の改革」で有名な 八代将軍徳川吉宗の時代(1720年頃)に始まり、 その後、株仲間が解散される明治5年、 さらには明治以降の近代化の過程でそれまでの 薬種関係者が医薬品エ業へと発展を遂げてゆく 記録が年代がとぎれることなく残っています。 大塩平八郎の乱で有名な天保8年(1837年)に 起こった「大塩焼け」などの大火災、明治維新 の混乱期、さらに大阪大空襲があったにもかか わらず、焼失したり散逸することもなく、これ だけ長期にわたる記録類が一括して残っている という例はこれまでありません。まさにタイム カプセルを開いたようです。 ![]() |
10月7日、大阪道修町にくすりの道修町資料館が誕生 しました。(平成9年) 道修町にある少彦名神社(神農さん)には、およそ340年 前からの、薬種中買仲間(くすり商人の団体)の「道修町 文書が保存されてきました。道修町文書からは、道修 町をはじめ大阪の経済史にも通じるいろいろなことがわ かってきました。この非常に貴重な歴史的資料を広く一 般に公開しよう、活用してもらおう、そんな思いが当資 料館設立のきっかけになりました。 くすりの道修町資料館は、道修町文書や道修町に関わ る様々な資料・パネルを展示し道修町が"人々の生命 と健康を育む町”として、「そこに行けば道修町の営みと あゆみ、そして将来への展望がわかる」ことはもちろん、 くすりや道修町とも切り離せない神農さんなどを紹介し ています。 また資料・ビデオ・図書の閲覧室や道修町文書の収蔵 庫も併設しています。 どうして道修町はくすりの町なの?へぇ一、道修町"っ てそうなんだ。そんなところがわかってもらえる資料館 です。ぜひご覧ください。 |