白鷺が一羽 一輪の白菊のように
汚れた河のほとりで 空き缶に埋もれ
静かに水を みつめてる

かくれんぼを知らない子供が増えたって 誰かが話してた
ひとり暮らしの老人達が増えたって 誰かがつぶやいた
僕がこんな風におまえを抱きしめている時に
何処かで誰かが お腹を空かせて死んでゆく
ああ いつだって 彼等を追いつめているのは僕だった
そう そのくせに 手を差しのべるふりをするのも僕だった
それが時代の正体だと嘘を承知で
笑える程に 大人を演じ
ふと気がつけば 僕は卑怯な顔になっていた

世論調査では国民の九割が 中位満足してるって
何かとひきかえにこの国も
一流の服を手に入れた 僕がこんな風にお前を抱きしめている時に
どこかで誰かが ピストルに射たれて死んでゆく
ああいつだって 失いたくないものたちが多すぎて
そうそのくせに 失くしたあとで気付くものばかり
それが幸福の証だと嘘を承知で
悲しみながら 迷いながら
それでも精一杯に 誰もが現在を生きている

2016年の夏に子供が 今の僕の歳になる
その時代は彼に自由に唄を唄わせてくれるだろうか
卑怯な顔になって生きることに彼が迷う頃に
僕は何かの答えを出せるだろうか


JASRAC作品コード:002-7994-3

−音楽のページ−

直線上に配置
〜空缶と白鷺    さだまさし〜

               空缶と白鷺
                                     作詞・作曲:さだまさし

私が社会人になって最初の頃に買ったLPのひとつが、さださんの「Glass Age」というアルバムだったと思います。このアルバムに収録されている「空缶と白鷺」。A面の最終曲だったと思いますが、最初に聴いて「あれっ?どっかできいたことのある設定・・・」と感じました。みゆきさんの「はじめまして」に収録されている「ぼくたちの将来」と似たような設定なんです。若い男女が同じ時間と空間を過ごしている一方で、”別の世界”ではのっぴきならない状態が起きている。みゆきさんの「ぼくたちの将来」は、男女の危うい関係と社会の危うい状況を重ね合わせているのですが、こちらの「空缶と白鷺」では危うい社会の状況が将来自分の子どもたちの時代にはどうなっているのだろうと危惧している”僕”が描かれています。実はさださんのうたにも実は似た設定があって「前夜(桃花鳥)」という唄の”僕”は、社会の心配事よりも自分たちの・・・・と飲み込んでしまっているのです。歳を重ね”僕”は大人になり、”卑怯な顔”になっていく自分やそれを要求する社会に矛盾を感じながら将来を案じられるまでに成長したということでしょうか。もう25年前の唄ですから、今の”僕”はもっと成長していることでしょう。