女スペクター2号

作:妖女溶解女様

 8月の暑い日、東京郊外の気温は36度を記録し、外を歩いていると暑さのあまり人間の身体が溶けてしまいそうだった。午後2時の強い日差しの中、東京郊外の製薬会社の研究所の前の道路の地面は、アスファルトが軟化し踏めば糸を曳いて靴に貼りついて来そうだった。

 警備会社勤務の田中佳子は、警備会社の名前が入った車から降りて、研究所の駐車場に降り立つと研究所の玄関に向かおうとした。
(本当に身体が溶けてしまいそうになるほど暑いわ。)
佳子は、思った。

(クチュ)

 軟化したアスファルトを靴で踏んで、佳子は(ちっ、最悪!)と思ったが、信じられないことが起こった。
次の瞬間息が出来なくなり、自分の身体が崩れ始めたのだ。
(く、苦しい。な、何がおこった…の…?)
頬や胸そして股を何かドロドロしたものが流れ落ちて行く。
そして佳子の視線もどんどん地面の方に落ちていった。
地面を向いたその視線の中に警備会社の制服の裾から夥しい量のドロドロの黒い粘液が流れ出していくのが映った。

(か、身体がドロドロに溶けてる!跡形もなくなっちゃう。た、助けて。と、溶け崩れる…)
なおも、佳子は自分の身体が広い範囲で地面に接触して、平べったく伸びて行くのを感じた。
(も、もう駄目。と、溶け…た…。)
佳子の身体が骨も残さずに完全に溶け崩れて黒いドロドロの粘液になるのに10秒とかからなかった。
ぐちゃぐちゃに崩れた警備会社の制服は最初はそのまま残っていたが、黒い粘液に浸されているうちに徐々に穴だらけになり、ついには消滅して、あとには黒いドロドロの液体の溜まりだけが残った。佳子の身体が溶け崩れたそのねばねばした液体も、次第に蒸発して小さくなり5分と経たない間になんの痕跡も残さずに消えてしまった。見ていた者は誰もいなかった。

 1時間後、制服の女性警備員が跡形もなく溶けてしまった地面から、今度は黒いタール状の液体がドロドロと流れ出し、次に液体はグチュグチュと音を立てながら滑らかに盛り上がって、若い女性の身体になった。
女性は目の大きな人好きのする愛嬌のある美人だった。ショートカットの髪で、首から下は夏だというのに黒いすべすべの継ぎ目のないゴムのような服で覆われ、透明な粘液がその表面をトロリと流れていた。体表の粘液が太陽の光でテラテラ光り、女性の身体のラインを強調してエロチックな雰囲気を醸し出していた。
 女スペクター2号だった。女スペクター1号とともにゴアの使命で地球に飛来した宇宙植物だったが、1号が婦人警察官に焼かれて死に、ゴアに再度改造されて火焔にも耐えるようになっていた。自分の身体をドロドロに溶かして黒いタール状の粘液になって流れ、触れた人間の身体をたちまち骨までドロドロに跡形もなく溶かしてしまう能力も更に強力になり、その人間が身につけていたものまで全て溶かしてしまうようになっていた。
 
 研究所の裏口の扉が開いて、スーツ姿の若い女性が現れた。分厚いファイルを抱えて、駐車場の方に足早に歩いて来た。
トンボ眼鏡をかけて一見ぱっとしない風貌にも見えたが、良く見ると神経質そうな表情に知性を宿しており、眼鏡をはずせば相当な美人と思われた。女性は主任研究員の宮本亜希子で、新薬に関する動物実験の最新のデータを持って、本社の会議に出かけるところだった。企業機密が満載のファイルだったため、念のため警備員に同行して貰う予定だったが、何の手違いか女性警備員はまだ到着していなかった。いや、既にかなり前に到着はしていたが、女スペクター2号に骨までドロドロに溶かされて跡形もなく消えていた。
 
(警備会社の田中さんに来て貰う予定だったのに。でも、田中佳子さん連絡もなく遅れるような人じゃないのになぁ。もう時間がないわ。少々、安全面で問題あるけど、本社の重要な会議に遅れるわけにはいかないわ。)

 亜希子が小走りに自分の車に寄って、ドアに手をかけようとすると、突然、黒いすべすべの継ぎ目のないゴムのような服で覆われた女性がドアと自分の間に立ちはだかった。亜希子は一瞬自分の目を疑った。女性は、車の下から湧き出して来たように見えたからだ。

「あ、あなた、なに?」
亜希子は混乱しながら尋ねたが、黒い女性はそれには答えなかった。女性、女スペクター2号は、ウネウネと身体をくねらせながら言った。
「そのファイルを頂戴。そうしないとあなたの身体をドロドロに骨まで溶かしてやるわ。」
亜希子は、女性の服装といい、身体をくねらせながら話す内容といい、狂人だと思った。でも、この暑い最中に、表面にとろとろの粘液を付着させてエロチックな雰囲気を湛えて悶える女を見ていると、人間の身体が溶解する話はなぜか不思議な現実味があった。
「私をドロドロに骨まで溶かす?私、あなたに付き合っている暇なんてないの。急いでいるから。そこ、どいて!」
亜希子は女性を押しのけて、強引に車のドアを開けようとした。
「馬鹿ね。女性警備員と同じにしてやるわ。」
そう言うと、女スペクター2号は少し身体を小さくするような格好をし、次の瞬間、車のボディーの上に黒くドロドロに溶けて平べったく崩れ、タールのような液体になって流れ落ちた。
(触れたら溶ける!)
亜希子は咄嗟に思って車から離れた。
(に、人間が、ほ、本当にドロドロに骨も残さずに溶け崩れてしまった。ど、どういうこと?女性警備員と同じにしてやるって、田中佳子さんも溶かされたってこと?まさか…)
一瞬現実から思考がとんでしまった亜希子の足元の地面を、何かが後ろから流れて近づいて来るような音がした。
(し、しまったっ…。)
亜希子の足にタール状のネバネバした黒い液体が這い上り始めていた。
(頭が痛い。い、息が出来ない。)
亜希子は両手で自分の後頭部を押さえるような格好で、苦痛に顔を歪め、激しく悶えた。
亜希子の手が黒いドロドロの粘液になって後頭部を離れて崩れ、路面に垂れ落ちていった。
(うっ、か、身体が、身体が崩れ…溶けて…。)
身体の色々なところが擦れ合いながらねっとりと崩れていく感触が亜希子を支配した。視線は、身体の表面を流れ落ちていく。
そして首筋や股をドロドロした粘り気のあるものが絶えず流れて落ちていく。
(こ、これが、全身がドロドロに溶け崩れていく感覚なのね…。)
亜希子の恐怖の中にエロチックな快感が少しだけ混じり、一瞬、
(跡形もなく溶けてしまいたい…。)という禁断の感覚に襲われた。
しかし、目の前にスーツの裾から流れ出した夥しい量のドロドロの黒い粘液の溜まり、すなわち亜希子のドロドロに溶け崩れた身体が映ると、亜希子は現実に引き戻された。

(いやだ、と、溶けたくない。だ、だれか助けて…。も…う…と…け…。)
亜希子の身体はドロドロに骨まで溶け崩れた黒い粘液を周りに飛散させながら、グチュグチュと音を立てて跡形もなく崩れていった。

やはり数秒の間に亜希子の身体はドロドロに溶けてなくなり、スーツと眼鏡だけが路上に残っていた。それも、やがて黒い粘液に飲み込まれて跡形もなく消えた。

 
「ファイルを渡せばよいのに。でもどのみちファイルもろとも溶かしちゃったんだけどね。」人間の姿に戻った女スペクター2号は再びドロドロに溶け崩れ、溶けた亜希子の身体を吸収していった。
(おわり)。