吸血怪人シラキュラス

作:須永かつ代様

その晩、悦子は夜勤づとめだった。
悦子は今年29歳。すでに10年間、共立病院に勤めているベテラン看護婦だった。来年には同じ病院の坂井医師との結婚も決まっており、仕事、私生活とも充実した日々を送っていた。
午前1時半、病棟の巡回を終え、宿直室に戻ると、悦子は看護日誌をつけ始めた。
 
・・・・・・。
 
風の音もしない、静かな晩だった。普通の看護婦だったら、こういう夜に独り、宿直室に詰めているというのは、少し怖いように思われただろうが、悦子はさすがベテランで、仕事に専念している限り、それが真夜中であろうが、独りであろうが、何も怖いことはなかった。
 
・・・・・・ぴちゃっ、・・・・・・ぴちゃっ、・・・・・・ぴちゃっ、・・・・・・
 
どこからか、滴が垂れるような音が聞こえた。
悦子は看護日誌に集中していたので、はじめ気づかないでいた。だが、音が次第に大きくなってきたので、いつしか気になりだしていた。
「・・・何の音かしら?」
雨漏りということはあり得ないと思った。しかし、ひょっとして給湯室、あるいは手術室で水道の蛇口から水が垂れているのだとしたら、対処しなければならない。悦子は椅子の背もたれにかけていた黒のニットのカーディガン白衣の上から羽織り、宿直室を出た。
 
・・・・・・ぴちゃっ、・・・・・・ぴちゃっ、・・・・・・ぴちゃっ、・・・・・・
 
水が滴るような音は続いていた。悦子は病棟の末端にある給湯室を覗いたが、湯沸し器からは特に滴は出ていなかった。とすると、残るは手術室だった。悦子は給湯室とは反対側の端にある、手術室の方に歩いていった。病棟の長い廊下は、月明かりのために、ぼんやりと薄明るかった。
ぼーん、・・・、ぼーん、・・・。病棟の柱時計が2時を打った。
 
・・・・・・ぴちゃっ、・・・・・・ぴちゃっ、・・・・・・ぴちゃっ、・・・・・・
 
滴が垂れる音は次第に大きく、近づいてきた。やはり手術室のようだった。
悦子は手術室のドアが少し開いているのに気づいた。
「ちゃんと鍵をかけたはずなのに・・・」
訝しく思いながら、悦子は半開きのドアを大きく開けた。

ギ、ギギーーッ・・・・・・
 
・・・ペちゃ、・・・ペちゃ、・・・ペちゃ、・・・・・・
 
滴の音は周期を早めて、次第に大きくなってきた。それは水道の蛇口からではなく、手術室の奥の、輸血用血液を保管してある小部屋から聞こえてくるようだった。そっと覗くと、片隅に誰かがうずくまっている姿が見えた。
「そこで何をしているんです?!」そう言うと、悦子は謎の人物の正体を明かしてやろうと、パッと手術室の明かりをつけた。そして相手を威嚇するように、指図した。「返事をしなさいっ!」
「見たいか・・・」
それまで部屋の片隅でうずくまっていた人影が、体を起こし、悦子の方に向き直った。それは、体中が丸い瘤のような隆起と無数の細かい触手に覆われた、異形の怪人だった。
「え?・・・・・・」
悦子は始め、それが何者か、想像だにできなかった。だが、怪人の口と思しきところから、ボタッ、ボタッ、と垂れている大きな血の滴を見て、さっきまで聞こえていたのは、この怪人が、手術室の奥に保管してあった血液を啜っていたのだと、はっきり覚った。
「・・・・・・あっ!!」
怪人は彼女を見て、せせら笑ったようであった。悦子は恐怖に慄いた。
「・・・誰か、だれかっ!・・・誰か来てえぇーっ!!」
「この病院に生きている人間はいないっ、女っ、おまえが最後だっ!」
怪人は彼女に近づいてきた。だが悦子は恐怖に足を取られて、逃げ出そうにも動くことができなかった。
「いやっ、やめてっ!いやっ、やっ・・・」
悦子は壁伝いに後ずさりしながら、怪人から逃れようとしたが、出口のドアは遠かった。怪人は彼女にいきなり飛びかかったりはせず、震え慄く悦子をいたぶるようにゆっくりと接近し、次第に間を縮めていった。悦子はもはや、泣き出さんばかりであった。
「いやっ、やめてっ・・・・・・、うぇえん・・・、誰かっ、いやっ、えぇえん・・・・・・」
ついに怪人は悦子にとびかかり、左手で彼女の肩を鷲づかみした。
「あっ!!」
そして、右手についている巨大な注射針のような鋭利な管を、彼女の首根っこに突き刺した。
「・・・、きゃああああーーーーーっ!!!」
悦子は絶叫を上げた。しかし、病院の中にはもはや助けに来てくれる人間はいなかった。
「・・・ああああ・・・・・!」
 
ちゅーっ!
 
怪人は悦子の首の血管から、彼女の血液を吸い出した。悦子の眼はどんよりと、虚ろになった。
 
ちゅーーーーーっ!!
 
「・・・・・・・・・!!」
悦子の意識は次第に遠のいていった。だが、彼女はまだ死んではいなかった。怪人は彼女を失血死させるつもりはなかった。失血死してしまう、ギリギリの量まで悦子の血を吸った怪人は、今度は自分の体内で培養しているヴィルスの一種を、彼女の体内に逆流させた。
 
ちゅーーーっ!
 
「・・・・・・・・・!ううっ、あああ・・・・・・」
再び悦子の意識が戻ってきた。
「(はあ、はあ、・・・・・・。た、助かるのかしら・・・・・・)」
彼女はまだぼんやりとした眼で、当たりを見まわした。怪人はまだ悦子の目の前に立っていた。
「女っ、どんな気分だ?!」
怪人は彼女から離れると、冷酷に質問した。
「・・・たっ、助けてくれるの?!・・・」
ようやくそれだけ言うと、悦子は膝が崩れ折れ、手術室の床上にへたり込んだ。そしてそのまま、自分の意思では立ち上がれなくなった。
「(え?・・・・・・た、立てない・・・・・・)」
「くっくっくっ・・・・・・、女っ!お前はもはや自分の意思では何もできんのだっ!!」
「・・・・・・なっ、何ですって?」
「お前の体の中にはヴィルスが入り込んでいる。このヴィルスは俺さまの命令をお前の体に伝達する働きを持っている。これからお前は、このシュラキュラスさまの意のままに動くのだっ!!」
「・・・・・・そっ、そんなっ?!」
「ホントかウソか、今にわかる!」
そう言うと、シラキュラスは悦子に向かって指図した。
「さあ、立てっ!!」
すると、さっきまで自力で立つことができなかった悦子は、いきなりしゃんと立ちあがった。
「・・・・・・!!(ま、まさか・・・・・・)」
だが、シラキュラスの言ったことは本当であった。これから先、悦子は自分が考えることと、まったく関係ない行動を強いられた。彼女には意識は戻っていたが、もはや自分の言葉で喋ることもできなくなっていた。すべてが、シラキュラスの思いのままに操られる、奴隷となっていた。
仮に指図に逆らおうとすると、シラキュラスはヴィルスに信号を伝え、悦子の体内の浸透圧を強制的に調整し、失血死ギリギリの状態に追い込んだ。そうすると、もはや彼女は、自分の望むと望まぬに関わらず、他人の血を吸うことだけを求める、吸血鬼と化したのだった・・・・・・。
 
1ケ月後、怪しい献血車の噂が流れた。この献血車は近隣の団地にやって来て、健康な小学生にばかり献血を募っていた。献血をした子供たちは、その後、まるで生気を失い、以前のような明るさがなくなった。
事態を重く見ていた本郷猛は、この献血車がショッカーと何か関係があるに違いないと考え、次に献血車が来る団地を捜し求めていた。
その日、共立病院から遠くない蛭川団地に、献血車がやって来た。情報は団地に住む少年ライダー隊員によって、直ちに本郷猛のところへ伝えられた。本郷は団地に急行した。
 
悦子はあの日以来、シラキュラスの命令するがままに献血車に乗って、団地の子供たちの血を採集していた。
「さぁ、良い子の皆さん、いらっしゃーい。献血をしてくれた子には、良いものをあげますよーっ」
彼女は口では献血を募りながら、意識の底ではこう叫んでいた。
「(だめっ、みんな来てはいけないっ!これは悪魔の献血なのよっ!!)」
献血車の密室の中にはシラキュラスがいて、子供たちの血を吸っては、生気を失わせていった
「くっくっくっ、こうして今からガキどもの生気をなくさせれば、労せずして日本征服ができるというわけだ・・・・・・」
「あんたたち、もっと友だちを連れてきなさい」
献血を終えた子供に、悦子はこう指図した。
「はい」
力なく服従する子供たち。
「(駄目よ、連れてきては駄目っ!!)」
悦子の意識は引き裂かれんばかりであった。
その時、シラキュラスが言った
「・・・来たな、本郷猛。飛んで火に入る夏の虫とはこのことだ・・・・・・。女っ、俺の言うとおりに動けっ!!」
「(いやっ、これ以上、悪事に協力するのは嫌っ!!)」
だが、悦子の身体は空しく、シラキュラスの命令に従っていた・・・・・・。
 
「きゃあーーっ!!」
団地の3階にある、少年ライダー隊員の家にいた本郷は、階下に若い女の悲鳴を聞いた。すぐ踊り場に出て、階段の下を見ると、団地の階段から出たところに、白衣の上に黒いニットのカーディガンを羽織った看護婦姿の女がうつ伏せに倒れているのを発見した。
「おっ?!」
本郷は階段を駆け下り、2階の踊り場の窓から外に飛び降り、看護婦を助け起こした。
「どうしたんですっ?しっかりして下さいっ」
「えっ?!」
看護婦、すなわち悦子は、シラキュラスが命じるままに、息を吹き返したと見せかけ、演技を続けていった。
「あっ、怖いっ!!化け物が・・・」(違いますっ、私に近寄らないで下さいっ!)
「化け物・・・?」
本郷はショッカーの気配を感じて、あたりを見まわした。その時!
ガブッ!!
悦子の口元に上下2本ずつ、するどい牙が光り、本郷の手首に噛み付いた!
「あっ!何をするんだ?!」
看護婦を振り払う本郷。
「血を吸わせてっ!」(ああ・・・・・・、血、血が欲しい・・・・・・。だめ、血が要るの・・・・・・)
体内に植え付けられたヴィルスにより、血液の浸透圧が急激に下がり、悦子はほとんど本能的に本郷の血を求めていた。
「ええいっ」
本郷は執拗に掴みかかろうとする看護婦の体をかわした。悦子は本郷の後方につんのめる。この様子を窺っていたシラキュラスはイライラし
「ええいっ、ふがいない女めっ!こうなれば俺がやるっ!」と叫んだ。
団地の建物の白壁に、不意に赤い染みが広がり、ドクドクと血がしたたるように流れ出し、その中からついにシラキュラスが正体を現した
「出たな、ショッカー!!」
本郷が叫ぶ。
「イイッ!!」
シラキュラスの出現とともに、ショッカーの戦闘員たちもぞくぞくと現れた。地面につんのめった悦子もまた、ヴィルスの指図に従って、戦闘員たちと並んで構えた。
「血をちょうだいっ!!」(お願いっ、助けて下さいっ!!)
戦闘員たちは次から次へと本郷に飛び掛る。
「イイッ!イイッ!!」
これを空手チョップ、回し蹴りなどで、やすやすと倒して行く本郷。
「とおっ!とおーっ!!」
まだ変身する様子もない。戦闘員たちと本郷の戦いは続く。この間、シラキュラスは本郷の隙を窺っていた。
一方、悦子の失血は限界に近づいていた。
「・・・・・・、血、血を吸わせろっ!!」(た、助けてっ!・・・・・・)
彼女は最後の力を振り絞って、本郷の真正面から突進していった。
「やめろっ!あんたを傷つけたくはないっ!」
そう言うと、本郷は悦子の突進をかわし、すぐさま後ろに回って、そのまま彼女の右腕をひしいで背中に捻り上げた。

「ふぬうっ!」(痛いっ!!)

悦子は悲鳴を上げた。その時!!
本郷が悦子を取り押さえようとしたその時、一瞬の隙が生じた。その隙をシラキュラスは見逃さなかった。
 
どぴゅっ、しゅうううっ!
 
脇が甘くなった本郷目掛けて、シラキュラスは口から赤い血の泡を噴射した。これはシラキュラスが吸った人間の血を体内で化学変化させたもので、何でも溶かしてしまう溶解液だった。
 
しゅうううううーーーーっ!!
 
噴射の狙い具合は悪くなかった。本郷自身もシラキュラスの攻撃に気づいていなかった。彼は完全に、シラキュラスに操られた看護婦からの防御に手間取っていた。本郷は看護婦の右腕をひしいで背中に捻り上げ、そのまま彼女を羽交い締めした。
「やめろっ!眼を覚ませっ!!」
 
しゅうううううーーーーっ!!!ぱしゃあっ!!!
 
羽交い締めされた悦子の身体に、シラキュラスの赤い血の泡が直撃した。
「ぎゃあああっ!!!」(うわあーーっ!、あ、熱い!!)
悦子は絶叫した。本郷は
「ハッ」として、すぐさま悦子の腕を振り解いてやったが、悦子の方はあまりの熱さにもはや身じろぎもできなかった。
 
しゅわ、しゅわ、しゅわ、・・・・・・・・・
 
悦子は棒立ちになったまま、シラキュラスの噴射する真っ赤な溶解泡を全身に浴びてしまった
「あああ・・・・・・」(ど、どうして私がこんな目にあわなければならないの?何も悪いことはしてないのに・・・・・・)
ナース・キャップ、髪の毛、色白の顔、黒のカーディガン白衣のワンピース白のパンティ・ストッキング白のパンプス、・・・・・・。これらすべてが、赤い血の泡に染められていった。
「しまった!」

本郷が絶句する。だが、もはや間に合わなかった。
「・・・・・・・・・」(・・・・・・)
悦子の膝はがくっと崩れ折れ、彼女は倒れて、そのまま地面の上に仰向けになった。シラキュラスの噴射は止まらず、悦子の体の上に、ねっとりとした赤い血の泡がしんしんと降り積もっていった。この期に及んで、シラキュラスは標的を外していたことに気づいた
「ええいっ、いまいましい奴めっ!」
悦子に言うでもなく、本郷に言うでもなく、シラキュラスは吐き出すように叫んだ。
そのうち、悦子の身体全体に降り積もった、こんもりした泡の山がひらぺったく萎んできた。と見ると、ごおっという音とともに、泡の山からオレンジ色の炎が立ち上り、彼女の肉体を跡形もなく消し去った。炎が収まった跡には、悦子が来ていたナース服カーディガンパンプスも、まったく残らなかった。ただ、地面の土の上に、人間大の真っ赤な染みだけが残っていた・・・・・・。
 
本郷の怒りは爆発した。
「変身!!」
タイフーン・ベルトの風車が回り、本郷は仮面ライダーに変身する。そこから先は、もうお定まり。
「ライダー・ジャンプッ! ライダー・キック!!」
「ぎゃああっ!!」
ライダー・キックを受けて、シラキュラスは仰向けに倒れ、口から赤い血の泡を噴出した。血の泡はシラキュラス自身の体を包み込み、怪人は自分の毒泡により溶解・炎上して消滅した。
 
戦いが終わったあと、本郷は新サイクロンに乗って、少年ライダー隊本部へと帰っていった。帰る道すがら、彼は、戦いに巻き込まれて体を溶かされ、敢え無く果てた若い看護婦のことを思いやった。彼女もまた、ショッカーの犠牲者なのだ・・・・・・。
だが、本郷が最初から変身して、シラキュラスを倒していれば、悦子は本郷の身代わりにシラキュラスの血の泡を浴びて、溶解死しないで済んだかもしれなかったのだが・・・・・・。そこまでは本郷の思いは至らなかった。
 
(終わり)