甲殻類怪人・シオマネキング


当サイトに多大なるご協力を頂いております須永かつ代様が、この「シオマネキング」が原作の「白い泡の悪夢」をビデオ化されています。詳細はこちら


作:須永かつ代様

どれくらい気を失っていただろうか? 気がつくと明子は薄暗闇の中にひとり立っていた。
両腕の手首が痛い。顔を上げると両腕に鎖が巻きついている。いや、両腕だけじゃない。両肩から胸にかけてタスキがけしたように、黒く太い鎖が彼女の身体に巻きついている。明子は白く大きなテーラー・カラーのブラウスの上に
サーモン・ピンクのYネック・カーディガンを着ていた(スカートは、膝下まであるグリーンのタイト・スカートだ)が、襟もとからかすかに覗く豊かな胸は鎖で締め上げられ、彼女の身体を押さえつけていた。
 
「そうだ、あのとき……。」
明子は思い出した。金曜日の夕刻、友人の郁子と一緒に映画を見に行った帰り、何者かに襲われたのだった。突然、頭上から漁網のようなものが降ってきて、明子と郁子の身体を包み込んだ。二人は動きを封じられたまま、顔面に催涙スプレーのようなものをかけられ、そのまま気を失ってしまったのである。
 
「郁子はどうしたのかしら? 郁子!郁子っー!!」
「う、うぅ…ん、……。あき…こ……?」
明子のすぐ右で、かすかに女の声がした。郁子だ。郁子もまた捕えられ、ここへ連れてこられたのだ。
薄暗闇の中で少しずつ目が慣れてきた。明子は自分の右隣りにいる郁子の姿をはっきり認めた。拉致された晩とまったく同じ、黒のタートル・ネックのセーターに
赤いタータン・チェックのスカートをはいていた。しかしその腕は? 郁子もまた、両手首を鎖で縛られ、身体を柱に括りつけられていた。振り返れば明子も十字架にかけられたキリストよろしく、柱に身体を縛りつけられていたのである。
「郁子っ、だいじょうぶ?!」
「明子、明子なのね?! 良かった…! 助かった…。」
「郁子、怪我はない?」
「大丈夫。腕が痛いけど、ほかは平気みたい。それより、ここはどこなの?」
「わからないわ。私も気がついたら、ここに縛られていたの。」
「縛られて……? あらっ! この鎖はいったい……?」
「あたしたち、映画の帰りに捕まって、それからここに連れ込まれたのよ。でも、いったい誰が何のためにこんなことをするのかしら……」
「……。あなたのブラウス、乱れていないわ。変なことはされてないでしょう?」
「うん、それは大丈夫みたい。あなたも……」
「大丈夫よ、何もされてないわ。でも、これからどうなるのかしら。」
「とにかく、何とかこの鎖を解かなくちゃ……」
 
暗闇の向こうでドアの開く音がして、誰かが部屋の中に入ってきた。
郁子が叫んだ、「誰っ? そこにいるのは誰なのっ?」
「ぎぇん…ぎぇん……」
喉の奥から金属が擦れるような声を絞り出しながら、黒い影が二人に近づいてくる。心なしか、黒い影は右半身が左半身より下に傾いていた。
突然、部屋が明るくなった。明子は天窓のあることに気づいた。それまで隠れていた月が雲間から顔を覗かせ、頭上の天窓から光を射しこんだのである。同時に黒い影が歩みを止めた。月の光が男(あんな声は男に決まっている)の足元を照らしたため、男は二人に正体を見せるのを嫌がって、立ち止まったのだろう。
いや、月の光で分かったのだが、部屋には明子と郁子以外にもう一人、若い女がいた。郁子のさらに右隣りにもう一本柱があり、そこに二人と同じくらいの年格好の女性が、同じように黒い鎖で縛りつけられていた。どうやらOLのようで、
パステル・グリーンのツー・ピース・スーツを着ている。曲線味を帯びたテーラー・カラーが大きく胸元にアクセントをつけ、膝上何センチというミニ・スカートの下からは細いが軟らかな曲線を描く美しい脚が覗いている。だが、女は憔悴しきっていて、下にうつむいており、ややウェーブのかかったワンレンの髪が垂れ下がってその顔を隠していた。
 
しばらくの間、沈黙があった。
再び郁子が尋ねた、「誰っ?! あなたはいったい誰なのっ?!」これを聞いて、OLらしき三人目の女性も顔を上げ、黒い影の方に力なく視線を向けた。
影は三人に近づいた。今度は足だけでなく、上体が見えてきた。男の右腕の先には指や掌が無く、代わりに鋸のような細かい歯のついた大きなハサミがついていた。
「きゃーーーっ!!」絶叫する郁子。
明子もまた「はっ!」と息を呑んだが、男の右腕についたハサミを見て、以前どこかで見たよ、な感覚を抱いた。
「(あれは…? あれは確か…何かで…。)」
「実験を始める!」
どこからか、低い声が響いてきた。
「シオマネキング! おまえは我が組織が生み出した最強の改造人間だ! シオマネキの持つ能力が最大限に引き伸ばされ、戦うための武器としておまえの身体に仕込まれているのだ!」
「(そうだ、シオマネキ!)」明子は思い当たった。
シオマネキとはカニの一種だが、ハサミの大きさが左右で異なり、バランスを欠いている。いっぽうの大きなハサミをかざして、波打ち際を横歩きする姿が、あたかも潮の満ち干を招いているように見えることから、この名前がついた。
「(シオマネキなら、身体が傾いているのも分かる!)」明子は、さっきどこかで見たように感じた理由を得心した。
「シオマネキング! おまえには二つの武器がある。まず第一に右腕の、鋼鉄の柱も切断できる強力なハサミだ。しかし、それは物理的な切断力だけを誇るのではない。」
「ぎぇん…ぎぇん…ぎぇん…」
「そのハサミの先には特殊なインジェクターが装着されている。このインジェクターはおまえの右腕の中のパイプを通じて、
膵臓の箇所にある毒液タンクに繋がっている。このタンクに貯蔵されている毒液は、あらゆる有機物を溶解させる性質があるのだ。」
「ぎぇん…ぎぇん…ぎぇん…」
「おまえのハサミに突き刺された人間がどうなるか……。さぁ、シオマネキングよ、実験するがいい!」
「ぎぇん…ぎぇーーんっ!」
 
ついに黒い影は姿を現した。シオマネキングははじめ、どこから手をつけて良いか悩んだようだったが、向かって左端の柱に縛りつけられていたOLに向かって歩き出した。OLはうな垂れていた身体をこわばらせ、向かってくる男から顔を背けるようにそっくり返った。
「きゃーーっ!!!」絶叫するOL。
シオマネキングは女の恐怖などお構いなしに近づいてくる。女は泣き、叫び、助けを求めた。
「誰かっ、助けてぇーーーっ!!!」 のけぞる女のパステル・グリーンのスーツの襟もとが大きく開き、タスキがけに鎖で縛り上げられた胸が激しく揺れる。
明子はなんとかOLを助けようと身悶えするが、自分も鎖で縛りつけられている身ではどうすることもできない。郁子はもはや恐怖でうち震えるばかりだ。
「いゃっ! いゃっ!! いやぁーーっ!!!」
シオマネキングは、OLの大きく開いた胸もとに右手の大きなハサミを突き刺した。ハサミの先にはインジェクター、つまり注射器があり、シオマネキングの体内にある毒液が女の身体に注入されてゆく。
「あっ、あっ、あっ、あぁーーっ!!!」
顔面蒼白となったOLは絶叫を上げると、がくっ、がくん、と二〜三回身体を
痙攣させ、頭を上に退けぞらして意識を失った。思わず顔を背ける明子と郁子。暫しの静けさ。
明子が恐るおそるOLの方に目をやると、蒼白になったOLの顔が濡れている。泣き叫んだ涙の跡だろうか? 違う! あたかも白ペンキ、あるいは小麦粉を水で溶いたような粘液が女の頭上から注がれ、女の顔を包みこんでいるのだ。額から耳もと、頬、鼻、硬く閉ざした唇、さらには顎へと粘液は顔一面を覆い、首筋をつたってスーツの上着の襟もとから胸もとへと流れ込む。さらに粘液は襟もとから溢れ出し、プラスチックの大きな四つ穴ボタンを白く包みながら、上着の前身ごろからスカートまでつたって流れていった。
「(違う! 溶けてるんだわ!!)」明子は気づいた。
そうなのだ、女の頭上から顔一面に白い粘液が流し込まれているのではなく、
シオマネキングの毒液により女の肉体が化学変化して乳白色の蝋状になり、それがとろりとろりと溶け出しているのだ。ちょうど蝋燭が流れ溶けるように。
「きゃーっ!」郁子も事態を把握した。
人間が溶ける!! それも自分たちの目の前で!! 明子と郁子はこれまで一度も経験したことのない、言い知れぬ恐怖に戦慄した。
一瞬、明子の視界が大きくぼやけた。卒倒しかけたのだ。目の前が真っ暗になりそうになったが、天窓から流れ込んだ冷気が彼女を正気に戻した。だが、そこで彼女が見たものは!!
OLが着ていたパステル・グリーンのスーツの襟の上に白く丸い頭蓋骨がちょこんと乗っかり、顎の部分からまだ白い粘液が垂れている。スーツの襟口、袖口、さらにスカートの裾にねっとりとした真っ白な粘液のダミが溜まっており、その中から白骨が覗いている。・・・・・・
溶けたのだ。女の肉体は蝋と化して、どろどろに溶けて、白骨だけを残したのだ。
「・・・・・・・・・!!」明子は発する言葉も失っていた。
「あ、あ、あ、・・・・・・」明子の隣で郁子が
癲癇の発作寸前のようにうわずった。周囲にアンモニアの臭いが漂った。郁子が鎖で繋がれている柱の下に、透きとおった橙色の液が溜まっていた。郁子が恐怖のあまり失禁したのだった。
からから、からーんっ! 肉体を失って白骨化した女は柱の下に崩れ落ちた。
 
「実験は成功だ!!」
「ぎぇーーんっ!」シオマネキングが勝ち誇ったように叫んだ。
「シオマネキングよ! お前のハサミは接近戦で最大の威力を持つだろう。次っ! 第二の実験に移る!」
明子は息を呑んだ。「(次は私の番だ!)」明子の身体から冷たい汗がどっと流れた。
「シオマネキング! お前の
膵臓のタンクにある毒液は、胃液と合わさって、さらに強力な分解力を得る。この毒液は有機物だけでなく、カルシウム、リンといった無機物をも分解する強力な溶解液だ。これを胃から逆流させ、さらに口の中にあるコンプレッサーで攪拌することにより、強力な噴射力が得られる。これは遠距離の敵に対しても、大きな武器となるのだ。さあ、シオマネキングよ! 実験せよ!」
 
シオマネキングは、明子ではなく、震えおののく郁子の方を向いた。郁子が絶叫する。
「いやっ、来ないで!お願い…、助けて……。い、いやぁーーっ!!!」
だが、シオマネキングは郁子に近づくことはせず、ただ、吹き矢でも飛ばすかのように左手を口元に寄せ、すぐ、その左手を前方の郁子に向けて勢いよく投げ伸ばした。
ぷしゅ・しゅ・しゅしゅーーーっ!!!
あたかも消火器のように、シオマネキングの口もとからねっとりとした真っ白な泡が噴き出し、離れた柱に縛りつけられている郁子を襲った。
「あ、あぁっ?! ぶふっ!!」
予期せぬことだったのだろう、郁子は顔面にべちゃっと泡を浴びせられ、息ができなくなった。
しかし攻撃は顔だけではなかった。シオマネキングは郁子の顔から両肩、胸から腹、下半身へと、万遍なく彼女の全身に白く粘っこい泡を浴びせ続けた。
しゅーーーーーーっ!
郁子の黒いタートル・ネックのセーター、
赤いタータン・チェックのスカート真っ白に染まっていった。柱に縛り上げられていた両腕だけが、セーターの黒い袖を残していた。
「郁子―――っ!!!」明子は絶叫した。
「ん、ん、……んーっ、……ぶはっ!」
悶え苦しむ郁子がようやく息をはき、白い泡に包まれた身体が大きく揺れた。その時、明子が目にしたのは!
唯一、毒泡の被害を免れていた両腕が泡まみれの身体からぼそっと抜けて……、と言うよりも白い泡の固まりが黒いセーターの袖から離れて、ドサッと床上に倒れた。郁子の両肩が骨まで溶けて、両腕が胴体から抜け落ちたのだった。
「きゃーーっ! い、い、郁子―――っ!!!」
前のめりに倒れ伏した郁子、と言うより郁子だった泡の塊は、両腕を失ってもまだ床上でもがいていたが、シオマネキングは泡のまだかかっていないセーターの黒い背中と赤いスカートの尻の部分に容赦なく溶解泡を浴びせていった。
「・・・・・・!!!」
ついに泡の塊は動きをとめた。等身大の、大きな膨らみを持った泡の塊は次第に萎んでゆき、ついには白い粘液の水溜まりとなった。
シュゥゥゥゥ……。
水溜まりはすぐに床に
みこんで行ったが、跡には郁子の衣服も、白骨さえも残らなかった。両方の腕だけが柱に鎖で縛りつけられ、ぶら下がっていた。シオマネキングの口から噴射された溶解泡の威力を物語っていた。
「い、く、こぉ・・・・・・」明子の目から涙が流れ溢れた。
 
「よし! これも成功だ。」首領と思しき男の声が叫んだ。
「シオマネキングよ! この二つがお前の強力な武器だ。」
「(二つ・・・・・・、これで終わりなのかしら。私はどうなるの? 私も実験台になるんじゃないの? それとも・・・・・・、私は
生け贄のスペアで、ひょっとしたら助かるのかしら? 少なくとも今日のところは・・・・・・)」明子の脳裏をさまざまな考えがかすめた。だが、その時、首領と思しき男の声が冷たく響いた。
「だが、シオマネキング、今のは遠距離の敵に対する攻撃法で、通常ならばあれほど溶解液を消費する必要はない。お前の毒液は人間の皮膚に一定時間噴射すれば、それだけで致死量となる。毒液をインジェクターで注入したのと同等の効果が得られるのだ。」
「だめ・・・・・・、やっぱり次は私だ、私も殺される・・・・・・」明子ははっきり覚った。
「やれっ! シオマネキングっ! その女を殺してしまえっ!!」
「ぎぇんっ!」
シオマネキングは明子に近づいた。恐怖に顔を歪める明子。
「いやっ! お願いっ、あっ・・・、あっ・・・、!!!」
シオマネキングは郁子の時ほどには口を開けず、細くなったノズルの先から
シェービング・フォームのような白いねっとりとした泡を明子の顔に噴きかけた。
しゅーーーーーーっ!!

「ん、んん……!」
明子の額から、両方の頬、鼻、そして唇が白い粘液に染まって行く。
しゅーーっ!!
「ん、ん、……。」

10秒くらいたっただろうか、明子の顔に毒泡を噴きかけたシオマネキングは、明子の身体から離れた。「ぎぇん、ぎぇん、ぎぇーんっ!」怪人の満足げな叫び。
明子は全身から力が抜けてゆくのを感じた。同時に、何やら暖かい、ぬめぬめしたものが顔の上を流れるような感覚を持った。
「(この感じは……、確かどこかで……)」
ぬめぬめとした感覚は顔一面から首筋をつたって、胸もとへと流れてゆく。
「(そうだ、さっき、パステル・グリーンのスーツを着た女性! あの人……こんな感じになって……)」
そうなのだ、これはさっきのOLと同じ感覚だった・・・・・・。つまり明子の身体は溶けていたのだった・・・・・・。
明子の頭の上から白い粘液が注がれ、ゆっくり、とろとろとつたい流れ、彼女の顔一面を包み覆う。さらに粘液は顎から首筋をつたい、テーラー・カラーのブラウスの襟口から胸の中へと流れ込んでゆく。そしてブラウスの襟もとから粘液は溢れ、
サーモン・ピンクのカーディガンの大きなボタン、前身ごろ、またグリーンのスカートを白く染め上げていった……。
明子は溶けながら、暖かい、至福の感覚を味わっていた……。
 
……。視界がぼやけ、暗くなり、やがて明るくなった。もはや明子に意識はなかった。残ったのは、白いブラウスサーモン・ピンクのカーディガンを着込み、グリーンのスカートをはいた一体の骸骨だけだった……。