日食の産声


作・taka様


「行ってらっしゃい、あなた」

今日も吸い込まれるような笑顔と美しい声で夫を送り出したのは、須藤静音(すどうしずね)。
27歳の専業主婦だ。
現在の夫・和彦とは、二年前に結婚した。
子宝には恵まれなかったが、二人は幸せな日々を送っていた。はたから見てもお似合いの美男美女の夫婦だった。

「さて、掃除しないと・・・」

静音は家の中に戻ろうとした。その時ー
『チェイン、ナウ』
不思議な電子音声のようなものが聞こえた。
と次の瞬間、静音は銀色の鎖にがんじがらめにされていた。

「何!?なんなの!?」
突然の事態に混乱する静音。体を動かし必死にもがくが、鎖はほどけない。

「うっ・・・」
みぞおちに拳を受け、静音は立ったまま意識を失った。
彼女を気絶させたのは、白い魔法使いだった。

「これで、また一人・・・」
『テレポート、ナウ』ベルトに指輪をかざすと、白い魔法使いは静音とともに姿を消した。

次に静音が目を覚ました時、彼女は見知らぬ崖にいた。
彼女だけではない。優に50人を超える人々が、そこに集められていた。

「どうして私、こんなところに・・・」
必死に記憶を手繰り寄せようとするが、うまくいかない。何者かに鎖で拘束されたのは覚えているが、すぐに激痛と共に記憶を失っていたからだ。

「怖いよ・・・パパ・・・ママ・・・」静音のすぐ近くで、かわいらしい声が聞こえた。
振り返ると、彼女のすぐそばに、長い黒髪をポニーテールにしているセーラー服姿の少女がいた。
おそらくはまだ高校生だろう。静音もこれから何が起こるのかわからず不安だったが、その少女を慰めようとそっと抱きしめた。

「大丈夫、きっと助けが来るから・・・ね?」

「・・・はい・・・」
少女は震えていた。静音は少女を抱きしめる力を強くした。その姿は、さながら娘を抱きしめる母親のようであった。
そしてー

空が妖しく紫色に光った時、すべてが始まった。

「うっ!・・・うぅぅぅ・・・」
静音や女子高生、その場にいたすべての人間から、紫色の光が立ち上り、天に吸収されてゆく。体から光が立ち上るたび、静音たちは苦しみの声を上げた。

彼女たちの体から立ち上る紫色の光は、人が持つ『魔力』だった。ここに集められた人間は、皆普通の人間より強い魔力を持って生まれ落ちた、いわゆる『ゲート』と呼ばれる人間だった。

「うっ!うぅぅ・・・苦しい・・・・・・パパ・・・ママ・・・真由!」先ほどの女子高生は、静音の目の前で家族の名を呼びながら、苦しみに耐えていた。その時、

ーお前はここで死ぬのだー

不思議な声が聞こえた。それも周りからではない。声は静音の、体の中から聞こえてきたのだ。

(なんなの、今の声・・・いやよ、私まだ死にたくない・・・)

静音は必死に苦しみに耐えていた。あちこちで悲鳴が上がっていたが、静音はそれらにかまっているゆとりはなかった。
すると目の前の少女に異変が起きた。彼女の全身に紫色のヒビが入り、それがあっという間に全身に広がった。

「うっ・・・うっ・・・うあああぁぁぁっ!」少女が断絶間の絶叫を上げると、彼女の体は内側から崩壊した。代わりにそこに現れたのは、頭が蛇の怪物ーメデューサと呼ばれるファントムだが、静音は知る由もないーだった。

(人が怪物に・・・!)
静音は驚愕した。その時、またあの声が聞こえた。
ー見ただろう。私ももうすぐお前の内より生まれ、お前の命を食い破る。絶望せよ人間。絶望せよー

「いや!いや、いや・・・あああぁぁぁっ!」
体に走る激痛が大きくなった。彼女は気付いてなかったが、既に彼女の全身にもヒビが入り始めていた。
そして、彼女の中で何かが蠢いていた。妊娠の経験はなかったが、まるで胎児が全身を駆け回っているような、そんな感覚だった。

ー絶望の時だー

「いや、いや・・・うああああぁぁぁぁ!!」
ひときわ大きな悲鳴を上げる静音。それが、彼女の最後の声であった。
静音の体は先ほどの女子高生のように内側から崩壊し、彼女の中から新たなファントム、セイレーンが生まれた。
静音の記憶、容姿を引き継いだ完全なコピーが。

「へぇ・・・これが私を生み出したゲートの記憶か・・・」
セイレーンは一瞬で静音の記憶を把握した。

「これから忙しくなるだろうけど・・・まぁしばらくはあの家で暮らしましょ。あとはどうにでもなるわ」
セイレーンは静音の姿になると、彼女の家に向かった。それから夫の和彦が行方不明になるまで、十日もかからなかった。