当世鬼一口


作・丸呑みすと様


(綺麗だな・・・)須 崎久美江は麻生寛子の横顔を見ながら思った。
「・・・ああっ、と悲鳴をあげたけどもその声は豪雨にかき消されて業平には届かなかったの」
寛子は国文専攻の女子大生で、久美江の家庭教師のアルバイトをしている。上品な顔立ちで清楚な魅力をもつ寛子は、久美江にとっては憧れのお姉さんといったところだ。
そして、寛子は勉強以外にも色々と面白い話をしてくれるので、久美江は授業をいつも楽しみにしている。
今日は「伊勢物語」から「鬼一口」の話だ。

在原業平がさる家の姫と駆け落ちし、芥川の辺りまで逃げ、雨をしのぐ為に洞穴に姫を隠し、自らは入り口で追っ手を警戒することにした。しかし、洞穴は鬼の住処で、鬼は一口で姫を食べてしまった。・・・翌朝、姫が消えたことに気付いた業平は「儚いものだ」と嘆いたという。

「・・・久美ちゃん?聞いてる?」
「・・・あ?は、はいッ、ごめんなさい。たしか、食べられちゃったんですよね?」
「ふふ、ちゃんと聞いてたみたいね。まあ、でもオチを言っちゃうと、姫の家の者が先回りして連れ戻したのが真相ってことね。業平は「鬼」と例えたんでしょうけど」
「そうですよね、大体鬼だったら、業平さんも食べちゃったでしょうしね」

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時刻は21時を少し回っていた。静まり返った住宅街を歩く寛子の姿があった。清楚なルックスの彼女だが、そのプロポーションは抜群だ。クリーム色のカットソーとブルーデニムのミニスカートというシンプルな格好があつらえたかのようにフィットしていた。

「ん?」寛子は異臭を感じた。少し咳き込む。(何この臭い)
形容しがたい悪臭だった、生ゴミと吐瀉物と糞尿と溝の汚泥をブレンドしたらこんな臭いがするのだろうか。
足早に立ち去ろうとする寛子だったが、不意に体勢が崩れた。
まるで足にきたボ クサーのようだった。(まさか、あの臭いだけで?!)
物陰から何者かが現われ、寛子の身体を抱きかかえた。そのまま陰へと連れ込もうとしている。
(は、放してッ、誰か助けて・・・)悲鳴をあげたつもりが、声にならない。身体中の機能が麻痺している。
「・・・フフ、殺人スモッグも濃度を抑えれば女を捕獲するのにつかえるわ」
そんな声が次第に遠くなっていった・・・

「嫌ッ、誰か助けてッ」寛子が首を振るのに合わせてセミロングの黒髪が揺れる。彼女が意識を取り戻したとき、すでにくびれた腰より下は大口の中に呑み込まれていた。
寛子を咥え込んでいるのは口の幅が1メートルを越える化け物だった。
「フフフ、食いでのある肉付きの娘だ。このクチビルゲ様がじっくり味わってやろう」
ザラッとした感触が寛子の腿 や尻、さらには上着の中に入って腹や胸を這った。気持ち悪さに寛子は身をよじった。
何人もの若い女性を餌食にするうちに、クチビルゲは獲物をじっくり嬲りながら食らうことを覚えた。それは人間の犯罪心理で言うところの性的サディズムにも等しく、まさに本 物の悪鬼である。

「嫌か?食われるのは」
クチビルゲの問いにうなずく寛子。
「・・・それを食うのが美味い」
寛子は一気に口の中へ引きずり込まれてしまった。
泣き叫ぶ声が遠くなる。
「美味い娘は踊り食いに限る」
だから気が付くまで呑みこまなかったのだ。

恐怖と絶望にあがきながら、寛子の肢体は蒸し暑く、臭いクチビルゲの胃のなかで、その形を失っていった。

おわり