新・キヨミの特撮日記
作:仮面らいだー ぶいすりゃぁさま
メイキング・オヴ「溶解美女B」
○月△日(曇り)
あたしはキヨミ。西映株式会社所属の女優よ。
主としてアクション物を中心に、テレビ・ドラマで大活躍しているのよ。この間も『仮面ライダーV3』の新シリーズで悲劇のヒロインとして、真ん中を張ったわ。助監督の小池くんのお陰で、とても素敵な絵が撮れたと思うの。
今日はテレビのお仕事じゃないんだけど、西山監督から電話があって、オーダーメイド・ビデオのヒロインを是非やって欲しいって言うのよ。要はVシネマみたいなものね。ビデオのお仕事はテレビとちがって視聴者が限られちゃうから、ホントはお受けしないのがあたしのポリシーなんだけど、西山監督たってのお願いと言うので、今回だけ特別にお受けすることにしたわ。
それにあらすじを聞いたら、役柄は高等学校の先生で、男子生徒から慕われて、禁断の愛に踏み込んでゆくらしいのよ。しかも、監督曰く「V3以来の汚れ役!」なんですって。そんなロマンチックで官能的な作品って、そうざらには無いわよね。だから、今回のお仕事は少し楽しみにしているのよ。
撮影はあさって。台詞は少ないので、台本は当日朝渡すって。ま、あたしのような大女優には難しくはないけどね。
○月×日(晴れ)
今日は西山監督のビデオ映画「零(ゼロ)の雫(しずく)」の本番。
なんで「零」なのかしらって監督に聞いたら、なんのことはない、ヒロインが令子っていう高校の数学教師で、ちょうど1学期の期末試験が終わって、採点するシーンからストーリーが始まるのよ。つまりあれね、令子と零点を引っ掛けているのね。実際に赤点(零点)をつけるカットもあるんですって。監督ったら、細かいの表現にこだわるんだから。
大学卒業したての若い高校教師という設定なので、衣裳はとても清楚で可愛らしい、黄色のワンピースを監督が選んでくれたの。ちょっと少女チックだけど、監督たっての希望だったのでオーケーしたわ。着てみると、あたしもまだまだ20代で行けるわね。
「零(ゼロ)の雫(しずく)」
(第一景)
今日の試験はさんざんだった。何で数学なんて世の中に存在するんだろう。
令子先生も令子先生だ。範囲は不定積分までですねって、あれだけ確認したのに、半分以上が定積分の問題だった。
あの先生、美人だけど、ちょっと冷たいところがあるよ。それとも生徒が苦しむのを見て、喜んでるのかな。そんなの酷いや。
(階段から令子先生が下りて来る)
「あら、藤巻くん?!」
あ、令子先生・・・・・・。
「どうしたの?そんな浮かない顔して?」
浮かないのは当たり前でしょう、・・・・・・って、そこまでのどに出かかったけど、僕はぎゅっと口を結んだ。
「まあ、恐い顔して。・・・・・・あ〜、誰かに振られたのかなあ?」
そんなんじゃないよ。ただ・・・・・・。
「あ、さては今日のテスト、うまくいかなかったのね?ね、そうでしょう?図星でしょう??」
図星ですよ。でも、そんなに傷口に塩を塗らなくたって良いのに・・・・・・。
「気にしない、気にしない。人生は長いのよ。一回くらいテストで失敗したって、女の子に振られたって、男の価値に傷がつくわけじゃないわよ」
いや、別に人間としての価値が下がったとまでは思っていないんだけど。
「ごめんごめん。先生、まだ採点終わってないんだ。これからやるのよ。だから今のは冗談」
いや、実際、うまくいかなかったんだけど。ただね、試験範囲を外したことだけは許せないよな。
「じゃあね、また明日ね。早く帰るのよ」
行っちゃった・・・・・・。
まるで人の気持ちが分かっちゃいないよ。可愛い顔して、よくまあ、あんなにヅケヅケ・・・・・・。
令子先生、やっぱり冷たいよな。冷たいから数学なんか教えられるんだよな、きっと。
だいたい、何でこの世の中に数学なんて存在するんだろう。
令子先生は数学好きなのかな?好きなんだろうな。だから、数学を教えてるんだろうし・・・・・・。
僕は駄目だな、数学なんて大っ嫌いだ・・・・・・。
良いわ〜っ、いいっ!
青春を感じさせるわよね〜。
落ちこぼれの男子生徒を励ますうちに、いつしか令子は禁断の愛に溺れてゆくのね〜。
なんてロマンチックなの。あたし向きよね〜。
で、次のシーンは・・・・・・?
(第二景)
(気づくと、藤巻は職員室の前に立っている)
あ、先生だ・・・・・・。採点してる・・・・・・。
(採点に集中している令子先生)
シャッ、クルリ、シャッ、シャッ、・・・・・・。
「あぁ、また間違えてる・・・・・・」
だれの答案かな、まだ何枚もやってないな・・・・・・。木下あたりかな・・・・・・。
シャッ、クルリ、シャッ、シャッ、・・・・・・。
「・・・・・・この子もだわ」
みんなペケか。やっぱ出題範囲違ってたからだよ。
・・・・・・、クルリ、クルリ、クルリ、クルリ、・・・・・・。
「・・・・・・さすがは直江くんね、完璧だわ」
直江?あいつ、秀才だからな。いつも一学年上の勉強やってるような、ガリ勉だし。僕は・・・・・・、僕は数学が嫌いだ。
「・・・・・・。次は・・・・・・、藤巻くんね」
えっ?僕?・・・・・・、いいよ、採点しなくても分かってるよ・・・・・・。
シャッ、シャッ、シャッ、シャッ、・・・・・・。
あ〜、やっぱりペケか〜。
シャッ、シャッ、シャッ、シャッ、・・・・・・。
「・・・・・・。これはひどいわ」
そんなにひどいのか?
「・・・・・・困ったものだわ」
赤点か?
ポタッ。
何かが垂れる音がした。
「全滅だわ・・・・・・」
え?全滅?零点ってこと?そんな・・・・・・。
「・・・・・・さっきのは冗談じゃなくなっちゃった訳ね。何て言ってあげたら良いのか・・・・・・」
いいよ、慰めなんか・・・・・・。
だいたい、先生も先生だ。何もあんなに範囲外のところを出さなくたって良かったんだ・・・・・・。
あ〜あ、あんな答案、どっかに消えて無くなればいいのに。
「次はっ、と・・・・・・」
シャッ、クルリ、シャッ、クルリ、・・・・・・ポタリ。
「・・・あ!」
(採点のサインペンから赤インクが漏れて、答案に小さな染みが付く)
「いけない・・・・・・」
テストも先生も、消えて無くなっちゃえばいいんだ。
(令子は赤インクの雫をティッシュに吸わせる)
令子先生なんか、消えちゃえばいいんだ!
(インク消しに手を伸ばす)
消えてしまえ!!
(令子は答案についた染みをインク消しで消そうとする)
消えてしまえ!!!
分かるわ〜、落ちこぼれの生徒をおもんばかる女教師の心中。
それに藤巻くんの気持ちも良く分かる。愛する先生に赤点を付けられて、穴があったら入りたいっていうか、ともかくどこかに消えてしまいたいって、そんな感じよね。だから、まず零点答案なんか消えちまえって考えるのよ。傷つきやすい少年の怨念みたいなものね。
さぁて、いよいよ本番。あたしは彼の怨念をまともに受け止めて、大いなる愛へと昇華させるのよ。
(第3景)
ポタリ。
令子の右肩に何かの雫(しずく)が垂れたような気がした。
「・・・・・・?」
彼女は不審気に右肩の方に顔を向けた。そこには赤いインクの染みのようなものが付いており、しかもブクブクと泡を立て始めていた。
「何かしら・・・・・・?」
そう思って、令子は右肩腰に天井を仰ぎ見た。
「はっ!?」
令子の視界がいきなり真っ暗になった。いや、真っ暗というのは正確でなかったろう。固まって瘡蓋(かさぶた)になりかけた血のような、濃赤色の粘液が彼女の顔面に降り注いだ。
どろどろどろどろ・・・・・・。
「きゃあ〜〜〜っ!・・・・・・うぶっ!!」
一瞬のうちに赤い粘液は令子の顔面を覆いつくした。
「ううっ・・・・・・、あっ、いやっ・・・・・・、あっ・・・・・・」
鼻と口を粘液に塞がれながら、令子は必死に息を継いだ。
しかし、赤い粘液は執拗に彼女の上半身に降り注ぐ。
ずぶずぶずぶずぶ・・・・・・。
「うっぷ!ぶはっ!!ぶほっ!!!」
「カーット!カット・カット・カーット!!駄目だよ、キヨミちゃん!!手で顔をぬぐっちゃ!まだほんの序の口なんだからっ!!!」
・・・・・・。
西山監督ったら、ひどいわ。ケチャップを顔面にかけられて、鼻も口も塞がれてるんだから、ちょっと手で拭うくらい良いじゃないの。それにケチャップって痒いのよ、とっても。
え?序の口?まだあるの?ケチャップ、そんなに?藤巻くんとの絡みは、まだかしら・・・・・・。
「いいねっ!キヨミちゃん!!これからドバドバ行くけど、手ぇ動かしちゃいけないよっ!それから、頭もフラフラ動かさない!ケチャップから逃げちゃ駄目だよっ!!!」
(第4景)
「あああ・・・・・・」
令子を襲った赤い液体は、顔面からあごを伝って、黄色いワンピースの襟元に流れ込んだ。それだけでも足りず、粘液は襟元で溢れかえって、ワンピースの前身ごろをまったりと赤く染めた。
「ううん・・・・・・、あふっ・・・・・・!」
両肩を粘液に包み込まれた令子の両腕は脱力し、さらに襲ってくる毒液を振り払うこともできなくなっていた。
「あぁぁ・・・・・・!」
大きく口を開けて、呼吸を確保するのだけで精一杯だった。ワンピースを伝って、魔の赤いインクは令子の全身を覆いつくし、スカートの裾からぼたぼたと床に落ちていった。彼女の足元には粘液が池のように溜まっていた。
「ああ・・・・・・」
令子は全身から力が抜けてゆくのを感じていた。彼女は耐え切れず、床の上に突っ伏した。同時に、机の上に重なっていた答案用紙の束が、赤い水たまりの中に落ちた。真っ赤な粘液が一面に染み込んでいった。
うつ伏せに倒れながら、令子は中学の時のことを思い出した。それは2年の2学期、中間試験で担任の数学教師が出題範囲外のところをテストで出したのだった。
「あのとき・・・・・・」
じゅくじゅくじゅく・・・・・・。
足元が熱い。粘液が令子の太腿を侵食し始めていた。
痒い!
かゆい、かゆい、かゆい、かゆい、か〜ゆ〜い〜っ!!
もういいでしょっ!池の中に突っ伏したら、そろそろ藤巻くんが助け起こしてくれて、そこで二人の愛が芽生えて、濃厚官能シーンになる・・・・・・のかしら?
その前にシャワーよね、ふつうは。
(第5景)
「(う、うわわわ〜〜〜!)」
藤巻は声にならない悲鳴を上げた。さもありなん、彼が「令子先生なんか消えてしまえ!!」と念じたとたん、令子の顔に真っ赤な粘液が降り注ぎ、顔から胸、お腹、腰、そして腿から脚先に至るまで、全身を藤巻の答案用紙同様、真っ赤に染め上げたからである。あたかも赤点を取った藤巻の怨念が、令子を真っ赤な粘液で覆いつくしたかの如くであった・・・・・・。
藤巻くん、叫んでるわ。きっとあたしの名演技を見て、感動しているのね。嬉しいわ、分かってくれて。藤巻くんの愛を感じるわ。女優冥利に尽きるわね。
でも当然かもね、これだけ体当たりの演技なんだから。あたしも満足。
あぁ、濡れる・・・。いよいよ禁断の世界、教師と生徒の愛の世界・・・・・・。汚れ役の見せ場よっ!!
「カーット!はい、オッケー!!キヨミちゃん、いいよ〜、もう。ほら、立ってたって〜。お〜い、コイケッ、タオル持ってきてやんな〜」
え?もういいって?藤巻くんとの濡れ場は?
「ほれ、キヨミちゃん!衣裳、脱いでぬいで〜。次があるんだからさ〜っ」
次?そっか、そうよね。このまんま濡れ場っていうのはオカシイと思ったわ。当然、まずシャワーよね。それから寝室、ううん、この場合は保健室かしら、あっちに移って・・・・・・。
「キヨミちゃん、脱いだ衣裳は自分でボタン留めてくんなきゃ〜」
え?それって、裏方さんの仕事じゃないの?大女優がいちいち後片づけなんて・・・・・・。
「これは低予算で撮ってるんだからね、次のシーンのセットアップも手伝ってもらわなきゃ。ほら、ワンピースのボタンを留めて、着たまんまの格好にして、も一回、ケチャップの海にうつ伏せにして広げる。ちょっと皺があるほうが、萎んだ感じになってリアル・・・・・・」
ちょっとぉ、次のあたしの出番は・・・・・・?
(第6景)
「あのとき・・・・・・」
令子は思い出した、あの時の屈辱を。せっかく周到な試験勉強をしていったのに、心無い担任教師のちょっとした勘違いで、生まれて初めて赤点を取ったのだった。この苦い経験がきっかけとなって、彼女はぜったいに数学で赤点を取らない、否、数学だけは絶対百点満点で通すんだという決心をし、日々数学の勉強に勤しむようになった。おかげで中学3年生・高校を通して、数学はいつも主席であり、大学でも理学部数学科に進んだ。
両腕も熱くなっていた。顔面を粘液に覆われて、もはや眼を開けることもできなかったが、仮に開けることができたとしたなら、彼女は自分のふくよかな肉体の一部、腿や二の腕が溶け崩れていることに気づいたであろう。
じゅくじゅくじゅく・・・・・・。
「あ、つ、い、・・・・・・」
次第に意識が遠のいていった。粘液の中に突っ伏した頭が溶け始めていた。
薄れる意識の中、令子はふと「微分と不定積分は逆算の関係にあり、たがいに切り離せない関係にある」、また「微分は細かく分けることであり、定積分は細かく分けたものを積み上げてゆくこと」と考えていた。そして、自分はあの屈辱的な赤点をきっかけに、必死に数学を勉強してきた。そして高校数学教師としての、今の自分がある・・・・・・。
「あたしの人生って定積分よね」
あのときの赤点の怨念をバネにして、努力に努力を積み重ねて、自分はここまで駆け上がってきた。ふと藤巻の顔が脳裏に浮かんだ。自分が人生の最後に出会ったひとだ。
「彼、なんか恨めしそうな顔してたな・・・・・・」
ずぶずぶずぶ・・・・・・。
粘液の海の中に令子の身体が沈みはじめた。豊満な胸が溶けて、赤く染まったワンピースの塊が次第にひらたく萎んでいった。
「テストに定積分ばかり出したから、恨んでたのかもしれないな・・・・・・、あ!」
そのとき令子は気づいた、自分が犯した過ちを。
「今回は不定積分までだった・・・・・・」
じゅうじゅうじゅう・・・・・・。
最期の瞬間、令子は気づいた。あのときと同じだ。気づかないうちにあたしは範囲外のところを出していたんだ・・・・・・。
熱い・・・・・・。身体が溶ける・・・・・・。
これは怨念だわ・・・・・・。藤巻くんの・・・・・・、いえ、不定積分の・・・・・・。
これまで積み上げてきたあたしの人生が溶けてゆく・・・・・・。
溶けて、不定形のアメーバみたいに流れてゆく・・・・・・。
あたしの人生の終わり・・・・・・。
そうよ、アフレコがあったわ。官能の世界に漂い、エクスタシーの絶頂に達した令子の一人芝居。これこそ大女優の仕事よ。
そのまえにまず、シャワーを浴びなくっちゃね。
(注:アフレコは撮影がすべて終了してから、後日、別スタジオで行われる)
(最終景)
藤巻は職員室の中に飛び込んだ。だがもはや遅かった。粘液の海は床に染み込んで、次第に小さくなり、いつしか完全に消えてしまった。あとには令子という女教師だった肉体の塊も、彼女が着ていたワンピースも、彼女が採点していた答案用紙も、すべて溶けて無くなっていた・・・・・・。
あ〜、痒かった。シャワーを浴びても、まだ痒いくらいだわ。
あら?だけど、どうしたの?みんな、どこに行っちゃったのかしら?
これからがクライマックス、あたしと藤巻くんの愛の情景のはずなのに、誰もいないじゃないの。
みんな消えちゃったわ。まさか、溶けちゃったんじゃないわよね。
どこなの!みんな。隠れてないで出てきてよっ!!
(了)