液体人間再び(下)
作・taka様
「はあ、はあ・・・なんとか、逃げ延びたか・・・?」
ガラク島の中心部に位置する、巨大な泉。清香と共にそこまで逃げてきた鋼太郎が、ほっと安堵のため息をついた。
「大丈夫かい?清香ちゃん」
「うん、私は平気。だけど・・・本当だったんだ、液体人間の話・・・!」
過去の存在としか考えていなかった液体人間が実在するとは、鋼太郎も予想外であった。しかもその液体人間が、撮影隊のクルーザーに忍び込んでいたことも完全に想定外だった。
「とにかく、ばらばらになってしまったみんなを集めて、なんとか対策を練らないと。すぐにでも、この島を出る必要がある」
と、その時。近くの茂みが、がさがさと音を立てた。
「あ、先輩!よかった、無事だったんですね!」
茂みの向こうから現れたのは、多野だった。彼だけでなく、クルーザー船員の野沢、フレッシュマスカッツのメンバーである真央の姿もある。
「多野君!・・・よかった、君たちも無事だったか」
「真央ちゃん!よかった、無事で・・・!」
「ええ。清香さんも、ご無事で何より」
「でも、他のみんなは大丈夫かな・・・?」
清香が他のメンバーのことを心配してつぶやいた。その時、鋼太郎はあることに気づいた。
「この島・・・島内だけなら、なんとか携帯は繋がるみたいだな。清香ちゃん、他の三人にラインで連絡してもらえるか?」
「うん・・・ここで合流しようって?」
「ああ。目印は・・・そうだ、あの建物がいい。何かに使われてた廃墟だと思うんだが・・・そこを南にいけばすぐこの泉だ」
そう言って鋼太郎が指さしたのは、昨日まで液体人間が潜んでいた建物であった。
「はあっ、はあっ・・・くそっ、なんなんだあの化け物・・・?」
その頃。カメラマンの田宮、フレッシュマスカッツのメンバーの一人・加奈子と共に逃げていた小林が、森の中をさまよいながら吐き捨てた。
「くっそ・・・こんなことになっちまって、俺のギャラはどうなるんだ・・・?」
「今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ!馬鹿なんじゃないの?」
未練たらしくギャラのことをぶつくさ並べ立てる田宮に、加奈子は思わず毒づいた。
「んだと・・・?このアマ!」
「よさないか!今我々が争ったところでどうしようもないだろ!?」
小林が怒鳴り声をあげたその時、加奈子のスマホが音を立てて鳴った。
「あ、清香からだ・・・」
清香から届いたラインには、現在鋼太郎を含め数人の撮影隊メンバーと共に、島の中心部と思しき泉にいること、このラインを送ってから45分間はその場所を動かず、他のメンバーがやってくるのを待つと記されていた。
「そうか、あの博士は無事生きてたか」
小林は鋼太郎の生存に安堵した。こうなった以上、あの科学者に頼るしかないと彼は腹をくくっていた。
「で、その泉ってのはどこにあるんだよ?」
「なんか、すごく大きい建物が北に見えるので、それを目印にすればすぐ着くと・・・」
「決まりだ。さっさと行こうぜ」
田宮が早口でそう言った、まさに次の瞬間??
「いやああああああああああああああっ!!」
「きゃあああああああああああああああっ!!」
すぐ近くから、二つの鋭い悲鳴が聞こえた。
「まさか、あの化け物が・・・?」
恐怖に震える小林と田宮。だが、加奈子は別の事実に気づいていた。
「今の・・・美咲の声だ!」
そううめくや否や、加奈子は悲鳴のした方へ駆け出した。
「君、待て!行くのは危険だ、あの化け物がいるかもしれんぞ!」
「でも、大事な仲間ほっとけないでしょ!?」
小林の制止を振り切り、加奈子は再び走り出した。小林と田宮もやむを得ず、彼女の後を追う。
「美咲!どこ!?」
仲間の姿を探し求め、加奈子は広い野原に出た。そこで見たのは、目を覆いたくなるほどの惨状だった。
「か・・・かな、こ・・・」
恐怖のあまり腰を抜かし、哀れに失禁する美咲の目の前で、一人の若い女性の体が泡を噴きながら溶け崩れていった。かすかに原型が残ったその顔は、つい先ほどメイクを施してくれた金谷という若いメイクスタッフのものだった。
「あ・・・ああ・・・」
惨劇を目の当たりにし、加奈子も立ち尽くす。その彼女の目の前で金谷は着ていた服だけ残して消滅し、その袖口から這い出た液体人間が人の形となって美咲に迫る。
「いや・・・いやああああああああああああっ!加奈子助けて!助けてええええええええええええっ!!」
加奈子はできることなら、美咲を助け出したかった。だが彼女は恐怖のあまり身動きが取れず、また身動きがとれたとしても、彼女と美咲の間に液体人間の姿はあった。つまりどうやっても、加奈子が仲間を助けることは不可能だった。
「嫌だ、死にたくない・・・死にたく・・・ぎゃあああああああああああああああああっ!!」
美咲の体に、液体人間が覆いかぶさった。それと同時に美咲は人間から泡の塊へと変わり、やがてブクブクと耳障りな音を立てながら溶けていった。
「うわああああああああああああ、化け物!!」
ようやく加奈子に追いついた田宮が、新たな惨劇に腰を抜かす。遅れてやってきた小林も、その惨状に言葉を失った。
「ははは・・・死んじゃうんだ。みんな、みんな溶けてなくなっちゃうんだ。あはははは・・・」
親友が目の前で無残に溶けたことで理性の糸が切れたのか、加奈子が突然狂ったように笑い声をあげた。小林はそれを見て舌打ちすると、目の前の二人を見捨てて逃げ去った。
「ま、待ってくれよ小林さん!俺を置いていかないでよ!」
哀れに叫ぶ田宮だったが、もはや救い主など現れなかった。そんな彼の目の前では、笑い続ける加奈子の足から液体人間が這い上がり、その引き締まった肢体を包み込んでいった。
「あははははは・・・はははうぶっ!」
液体人間が加奈子の口の中に侵入したことで、ようやく彼女の狂った笑いも打ち切られた。液体人間は加奈子の体を髪の毛一本残すことなく溶かしつくし、その身に取り込んでいった。
「う・・・うわああああああああああああああっ!!」
やがて加奈子が身に着けていた薄着のワンピースと下着が、ぽさっと音を立てて草むらに落ちた。加奈子を餌食とした液体人間は、目の前でおびえる男を新たな獲物と定め、ゆっくりと近づいていった。
「来るな・・・来るなああああああああああああああっ!ぎゃああああああああああああああああああああっ!!」
哀れな男の悲鳴が、森の中にこだました。
一方。泉で他のメンバーを待ち続ける鋼太郎たちに、逃げる途中で仲間のジーンとはぐれたジャスミンが合流した。だがそれ以外に、このグループと合流した者はいなかった。
「これで45分・・・みんな、心は痛むが出発しよう。これ以上待っていたら、我々も危険だ」
鋼太郎の言葉に、反対の意見を述べる者はいなかった。だが出発が決まったとはいえ、どこを目指すのかという話になった。
「僕たちが乗ってきたあの船は、もう使えない。液体人間が現れた以上、放射能汚染されている恐れがある」
かつての液体人間事件の時も、事件現場がわずかながら放射能汚染されていたという事実を、鋼太郎は重視した。短時間そこにいるだけなら問題はないだろうが、その船でちゃんとした港まで泳ぐとなるとどうやっても数時間はかかってしまう。
『なら・・・私たちの乗ってきたヨットを使えばいいわ』
ジャスミンがそう提案した。
『あのヨットなら、今の人数は楽々収容できる。問題は、操縦する人がいないことね。私たちのグループ、キムとルーシーしか船を動かせないの』
「それなら心配ない。野沢さん、船の操縦をお願いできますか?」
「はい・・・なんとか、やってみせますよ」
野沢も緊張していたが、船を動かすことに了承した。
「先輩、逃げることを考えるのも大事ですが、あの液体人間を倒す方法はないんですか?」
多野の疑問は、その場にいる全員の疑問であった。液体人間を倒せるなら、すぐにでもそうする方がよいとみんな思っていた。
「60年前は下水道に液体人間を閉じ込めて、火炎放射器で抹殺した。・・・消極的な方法になってしまうが、僕たちが液体人間を倒すとするならば、それに倣うほかないだろう」
「火の熱で・・・でも、そんな都合よく火炎放射器なんてないよね・・・?」
清香の言葉に一同は押し黙った。確かに、そう都合よく物事は進まない。だが??
『そうだ!私たちの船に、ガスバーナーがあるわ!』
ジャスミンが思い出したように声を上げた。
『本当か、ジャスミン!?』
『ええ。火を起こすために、ガスバーナーを何本かそろえといたの。それをうまく使えば、あの化け物をやっつけられるかも!』
「よし!逃走手段とガスバーナー、両方を確保するために今すぐ船に向かおう!」
一同の心に、希望の光がさした。この地獄のような島から、逃れられるかもしれないのだ。
『ジャスミン、すぐ案内してくれ』
『ええ。いいけど・・・あの建物の近くを通らなきゃよ?』
ジャスミンが指さしたのは、先ほど彼らがこの泉の目印として利用しようとしていた、あの廃墟だった。
「そうか。もしかしたら、あの建物を突っ切ったほうが、早く船に着けるかもしれない。みんな、急ごう」
鋼太郎たちはすぐさま出発した。それぞれ安否がつかめない仲間の身を、案じ続けながら。
その頃。鋼太郎たちが目指し始めたその建物に、ジーンの姿はあった。
『ルーシー・・・』
施設の入り口に脱ぎ捨てられたように残されていたルーシーの衣服に、ジーンはそこで何が起きたか嫌でも思い知らされた。さらに中に踏み入ってみると、部屋の中にエマの衣服もあった。
『エマ・・・』
友人たちの残骸に、気丈なジーンもうずくまってすすり泣きを上げた。楽しい思い出作りのために訪れたはずのこの島で、こんな悲劇に見舞われるとは。
と、その時であった。
「誰!?」
鋭い声がジーンに投げかけられた。ジーンが振り返ると、そこには見覚えのある顔が二つあった。
「あなた、さっきの女の子ね」
そうジーンに言ったのは、偶然この建物に逃げ込んでいたフレッシュマスカッツのマネージャー・杏子だった。その背には、メンバーである青空の姿もある。
「何はともあれ、無事でよかったわ。ここでなら、しばらくは安全よ」
日本語が理解できないジーンは、杏子の言葉に困惑して首をかしげた。だが杏子も英語があまり得意でないため、意思疎通が極めて難しい。
「あ・・・あの、マネージャー・・・ここも正直、そんなに安全じゃないと思うんですけど・・・」
青空が周囲を見渡しながらおどおどした様子で言った。
「だからって、さっきの清香ちゃんのラインなんか真に受けてたら、あの液体に襲われて全滅よ。今は、ここが一番安全なの。いいわね?」
「で、でも・・・清香ちゃんには、あの博士が付いてます。あの人といた方が、何かと安心できるんじゃ・・・」
「まだ言うの?あの如月って科学者、とんだペテン師よ。信用しちゃだめ」
『喧嘩は後にしてよ。今は、ここからどう逃げるか考えなきゃ・・・』
ジーンはうんざりした様子で抗議したが、やはり英語のため二人には通じなかった。思わずため息をついたその時、その場に思わぬ闖入者が現れた。
「うわああああああああああああっ!来るな、来るな!」
現れたのは、先ほど辛くも液体人間から逃げおおせた小林だった。逃げる彼の背後からは、液体人間が人の形になって音もなく迫ってくる。
「小林さん!待って、置いてかないで!」
「知るか!あんたらはあんたらで何とかしろ!」
小林は杏子に言い放つと、一目散に施設の奥をめがけて駆け出した。それに巻き込まれる形で、ジーンたちも液体人間から逃げ出す。
「あ・・・あれは・・・!」
先頭を走る小林の視界に入ったのは、『EXIT』と書かれた表札が上に貼られたドアだった。それは施設の裏口に通じるドアであり、小林がノブをひねると幸運にもドアは開いた。
「やった・・・そうだ、ここに・・・」
その時、小林の脳内で悪魔がささやいた。彼は近くに落ちていた角材をドアノブに置き、ドアが回らないようにした。
(ここに液体人間を閉じ込めれば、俺は逃げられる・・・)
そのためなら、中にいる三人などどうなっても構わなかった。小林は自分のひらめきに満足すると、その場から走り去った。
一方の施設内では、三人の女性が必死の形相で液体人間から逃げようとしていた。施設の内部は迷路のように入り組んでおり、三人ばらばらに逃げたために誰がどこにいるのかも把握できない状況だった。そんな中、真っ先に液体人間の餌食となったのは??
「いやああああああああああああああっ!お願い、来ないでえええええええええええええっ!」
袋小路に追い詰められた青空に、液体人間が迫る。液体人間はなんとか逃れようともがく青空の足から、その体に這い上がった。
「きゃあああああああああああああああああああっ!!」
杏子の判断に従ったことを最期まで後悔しながら、青空は泡となって溶けていった。10秒ほどで彼女の体は完全に消滅し、着ていた水着だけがその場に残される。
その青空をこの場所に縛り付けた杏子はというと、何度も転びながらも先ほど小林がたどり着いた裏口のドアにたどり着いた。だが何度ノブを回そうとしても、固定されているノブは回らずドアは開かない。
「そんな・・・開けて!誰か、誰か開けてえええええっ!」
ドアを何度も何度も、拳から血が出るほど強く杏子はたたき続けた。だがその求めに応じるものは現れず、時間だけが無情に過ぎてゆく。
そしてついに、彼女にもその時が訪れた。青空の次に杏子を発見した液体人間が、彼女を獲物と定めて迫ってきたのだ。
「いや・・・いやあ・・・・・・」
もはや精魂尽き果て、杏子はその場に座り込んだ。液体人間は人の形になると、容赦なく彼女の体を包み込んだ。
「ああああああああああああああああああああああああっ!」
断末魔の悲鳴を上げながら、杏子もまた溶けていった。ブクブクと泡を噴き、徐々にその体がしぼんでいく。
一歩遅れて裏口の近くにたどり着いたジーンはその惨状を目の当たりにし、裏口からの避難をあきらめた。彼女は液体人間に見つからないよう、息を殺して先ほど入ってきた施設の入り口を目指し始めた。
鋼太郎たちがその施設の近くまでやってきたのは、ジーンに遅れること15分ほど経ったころだった。
この建物でつい先ほど起きた惨劇も、鋼太郎たちは知る由もない。施設内は防音対策でもされていたのか、青空や杏子が上げた悲鳴は外に漏れず、鋼太郎たちの耳には届かなかった。
「遠回りしてもいいが、もしここを突っ切ることができればかなり時間を短縮できる。・・・僕が様子を見てくるから、みんなはここで待機していて」
鋼太郎は一同に入り口で待つよう伝え、単身施設に入ろうとした。
「一人で大丈夫ですか?中に何があるかわかったもんじゃないですよ?」
「大丈夫だ多野君、あくまで様子見だ。だが・・・10分待って僕から何の連絡もなかったら、すぐに迂回して船を目指して。いいね?」
「まさかとは思いますけど、一人だけ逃げようなんて考えてないですよね?」
ここまでほとんど言葉を発しなかった真央が、久しぶりに毒を吐いた。
「真央ちゃん、そんなこと言わないで。鋼兄ちゃん、私たちのために頑張ってるんだから」
「どうだか。こういう人ほど信用できないもんですよ、清香さん。もしかしたら、土壇場で私たちを裏切って逃げ出すかも」
「そんなことは絶対にしない。・・・元はといえば、この島での撮影を中止に追い込めなかった僕の責任だ。一人でも多く、この島から帰す。それが今の僕の役目だ」
鋼太郎は毅然と答えると、清香の頭を撫でた。
「すぐ戻る。でも、最悪の事態も覚悟していて」
その言葉に、清香は強くうなずいた。鋼太郎は覚悟を決めると、建物の中に踏み入った。
「これは・・・・・・なるほど、ここが核廃棄物の処分場だったんだ・・・」
辺りに散乱する資料から、鋼太郎はこの建物が某国の核処理施設だったことを突き止めた。さらに奥に進むと、興味深いものを入手した。それは当時ここに勤めていた職員が書いたと思われる、日誌であった。
『1987年11月10日、廃棄物処理の最中に事故が発生。処理を進めていた職員三人が死亡、一人が衣服だけ残して行方不明に』
『1987年11月12日、職員の半数が衣服のみ残して失踪。原因不明』
『1987年11月15日、緑色の不気味な液体を見たという証言あり。同時にその液体が職員を喰ったとの証言を得るが、証言者が極度のパニック状態に陥っておりまともな会話が不可能。調査続行』
『1987年11月16日、前日の証言者が衣服のみ残し失踪。施設内を探索するも行方が』
日誌はそこで途切れていた。だが鋼太郎には、約30年前にここで起きたことが十分すぎるほど理解できた。
(おそらくは、この島に運び込まれた核廃棄物を処理中に事故が起き、処理にあたっていた職員の一人が液体人間になった。そして彼は次々と他の職員を襲い、やがてこの施設にいた人間は全滅した。本国にSOSは出しただろうが、当時の国際情勢下でこのような不祥事が明らかになることを本国は恐れ、それを黙殺したのだろう。そしてこの施設は、液体人間の巣窟となった。だが幸か不幸か、同時に液体人間を閉じ込めてもいた。その封印を、最初に行方不明になったというジーンの友人二人が解いてしまったんだ・・・)
割と新しい女性ものの衣服を、鋼太郎は施設の入り口で目にしていた。きっとあれは、ジーンの友人の一人のものだったに違いない。
「・・・っ!いかんいかん、本来の目的を忘れるな・・・」
鋼太郎は自分に言い聞かせた。自分の役目は、この建物を突っ切れるかどうか確かめることである。一刻も早くそれを突き止め、入り口で待つ仲間たちに伝えなければ。そう思った時であった。
「ヘイ、ミスタークルー!」
闇の中から、聞き覚えのある声がした。視線を向けると、そこには息も絶え絶えのジーンの姿があった。
『ジーン!よかった、無事だったのか!?』
『なんとかね・・・でも、ここに逃げてたあなたのお友達、みんな死んじゃったよ。あの液体にやられて・・・』
『そうか・・・』
鋼太郎の表情が一瞬歪む。だが彼は自分を励まし、ジーンに問いかけた。
『ジーン、君たちの船まで行きたい。この建物、突っ切ることはできるかな?』
『やめた方がいいわ。裏口のドアは見つけたけど、そこに液体人間がいた』
『そうか・・・なら、迂回して森を進むよりないな』
鋼太郎はそう呟くと、ジーンを連れて施設の入り口に戻った。
「先輩!あ、その子・・・!」
「ああ、ここに逃げ込んでいたらしい。残念ながら、ここを突っ切ることは不可能だ。液体人間がいたらしい」
「そうですか・・・じゃあ、迂回よりほかに手はないですね」
野沢の言葉に鋼太郎はうなずいた。
「行きましょう。突っ切ることが不可能とわかった今、ここで油を売るのは得策ではない」
一同はすぐに、ジーンたちのヨットを目指し始めた。だがこの時、裏口のドアにいた液体人間がそのわずかな隙間から抜け出し、外に出たことをこの時誰も知る由がなかった。
そして数十分後。建物を迂回して森の中を進み続けた一同は、ようやくヨットのある砂浜へとたどり着いた。
『あれよ!あれが私たちの乗ってきたヨット!』
ジャスミンが指さす先には、確かにヨットがあった。その大きさからして、今ここにいる人数なら十分乗る余地がある。
「よし、みんな早く乗り込め!この島を脱出する!」
そう鋼太郎が叫んだその時、ヨットのエンジンが突然起動した。
「な・・・なんで?誰も乗ってないはずだよね?」
清香が困惑の声を上げる。すると船室から、一人の男が姿を見せた。
「小林さん・・・無事だったんですか!?」
多野が驚きの声を上げる。だが小林の右手に握られたものを見て、一同の安堵の表情は一気に緊張へと変わった。彼の手には、どこで手に入れたのか拳銃が握られていた。
「ええ。これからこの船で、この島を脱出しますよ」
「なら、僕たちも乗せてください!」
「如月さん、私はあなたのことが嫌いでね。あいにくですが、私一人でこの島を出させてもらいますよ」
「な・・・!?」
思いもしなかった言葉に鋼太郎は唖然とした。
「運よく私は、ヨットを操縦することができますからね。それに、地獄の島からただ一人生還できたとなれば、私は一躍時の人ですよ。この島の経験を基に自伝でも出して、一山稼ぐつもりです」
「正気ですか?今は、どう考えてもそんな状況ではないでしょう!?」
「動くな!」
一歩踏み出そうとした鋼太郎に、小林は拳銃を浮きつけた。
「あんたたちには、ここで液体人間の餌食になってもらう。あんたらがいるといろいろ面倒なことになりそうなんでね。じゃあ、せいぜい頑張って」
小林は悠々と船室に戻ると、船を動かそうとした。だがその時、ヨットのエンジンが突然落ちた。
「な・・・なんだ?どうなってる?」
小林は機械をあれこれといじったが、ヨットはうんともすんとも反応しない。
『何か起きたのかしら?』
様子を見ていたジーンがいぶかしげに声を上げた。
「かえって好都合だ。多野君、僕と来てくれ。船を奪い返す」
「は・・・はい!」
鋼太郎と多野は覚悟を決めると、一気にヨットに駆け込んで船室に乗り込んだ。
「お前ら・・・!出てけ!出てけ!」
小林は闖入者二人に拳銃を構えようとしたが、多野がその手に蹴りをお見舞いして拳銃が宙を舞った。鋼太郎がその機に小林を抑え込もうとしたが、小林は隠し持っていたサバイバルナイフで鋼太郎の腕を切りつけた。
「ウッ・・・!」
「先輩!」
腕から血を流してうずくまる鋼太郎に、多野が駆け寄る。そのすきを縫って小林は拳銃を再び手に収め、二人に突きつけた。
「あの施設でこれを見つけたのは幸運だったな・・・あんたら二人、地獄に送ってやる」
凶器に満ちた笑みを浮かべ、小林が引き金を引いた時だった。ボンという音と共に銃が暴発し、小林の脳漿が船室に飛び散った。
「うぅ・・・なんとか、助かったか・・・」
「みたいですね・・・この人は、運がなかったというべきですかね・・・」
無残な小林の死体をちらりと見ながら、多野が上ずった声を上げる。鋼太郎はすぐに落ち着きを取り戻すと、外にいる仲間たちに呼びかけた。
「さあ、急いで!」
その声を合図に、外で待っていた者たちが一斉に船に駆け寄る。だがその時、鋼太郎はある異変に気付いた。
「清香ちゃんがいない・・・真央ちゃんも!」
『どうしたの?』
ジャスミンが緊張した面持ちで問いかけた。
『僕の仲間がいない・・・さっきまでいたはずの女の子二人が、いなくなってる!』
『もしかしたら・・・拳銃を持ってた男にみんなの意識がくぎ付けになってたあの時に、いなくなったのかも・・・』
ジーンの推測が一番理に適っていた。他の誰にも気づかれずにいなくなったとしたら、そのタイミングしかないからだ。
『すぐに探しに行ってくる!ジーン、バーナーはどこにある?』
ジーンはすぐに船内に入ると、ガスバーナーを一つ持ってきて鋼太郎に手渡した。
『気を付けて。もうあまりガスが残っていないから』
受け取ったガスバーナーで威力を試してみたが、小さく細い火しか出なかった。それでも、今液体人間に対抗する手段といったらこれしかない。
『これで十分だ。じゃあ、行ってくる』
『ねえ、クルーさん!・・・こんな時になんだけど、あなたの名前、教えてくれない?』
少し頬を赤らめながら、ジーンが鋼太郎の名を尋ねた。
『僕は鋼太郎。如月鋼太郎だ』
『コウ、タロウ・・・』
『じゃあ、ここで待っていて』
ジーンの頭をやさしくなでると、鋼太郎は駆け出した。ジーンは撫でられた頭に、そっと自分の手を重ねた。
「待って!待って真央ちゃん、止まって!」
その頃。清香は突然真央に手を引っ張られ、近くにあった洞窟まで無理やり連れ込まれていた。
「どうしたの!?もう少しで逃げられるかもしれないのに!」
「もう無駄ですよ。清香さんも見たでしょう?きっとあの船はもう壊れて、ここから逃げ出すことなんてできません」
どこかあきらめに近い表情と共に、不気味な微笑みを真央は浮かべていた。
「そんなことない!鋼兄ちゃんも、みんなも、この島から逃げるために頑張って・・・」
「清香さん、私も少し調べてみたんです。過去の液体人間の事件について」
不気味な笑みを浮かべたまま、真央は清香の首筋に触れて撫でまわした。
「知ってました?液体人間に襲われた人は、死ぬわけじゃないんですって。液体人間と同化して、その中で生き続けるんだそうです。そう・・・燃やされでもしない限り、永遠に・・・」
真央は清香の顔を掴むと、自分の方を無理やり向かせた。
「真央ちゃん・・・何が言いたいの?」
「清香さん・・・私と一緒に、液体人間の中で生きましょう」
「は・・・?真央ちゃん、気は確か!?」
「もちろん正気です。液体人間の中には、きっとグループのみんなもいます。私たちも、その仲間入りをするだけの話ですよ?」
真央には何のためらいもなかった。清香には、そんな彼女が狂っているとしか思えなかった。
「嫌・・・私は嫌!液体人間になんて・・・絶対なりたくない!」
「清香さん・・・・・・私、フレッシュマスカッツに入った時から、あなたのことが大好きでした。・・・ずっとあなたを想ってた・・・・・・いつか、あなたを独り占めしたいって」
真央の細くしなやかな手が、清香の太ももをそっと撫でる。そして真央は嫌がる清香の唇に、自らの唇を強く重ねた。
「大好きです・・・今も、これからもずっと・・・!」
その時、真央の背後から緑の光が立ち上った。二人が視線を向けると、洞窟の奥の方から液体人間が迫ってきていた。
「液体人間・・・!」
「待ってたわ・・・さあ、私の体を溶かして!跡形もなく溶かしつくして、あなたたちの仲間に入れて!」
真央は逃げることなく両手を広げ、液体人間の方へ歩みを進めた。液体人間も人の形となり、真央の体を抱きしめた。
「あっ・・・・・・清香さん、お先に、しつ・・・れ・・・・・・」
清香に最後まで微笑みかけながら、真央の体は泡を噴いて溶けていった。
「いやあああああああああああああ!誰か!誰か助けて!」
真央を溶かしつくした液体人間は、人の形を保ったまま清香に迫ってきた。清香はなんとか逃れようとするものの、恐怖のあまり足がすくみ、その場から一歩も動けない。
(助けて・・・・・・鋼兄ちゃん!)
そう心の中で叫んだ、その時だった。
「清香ちゃん!」
清香の悲鳴を聞きつけた鋼太郎が洞窟に駆け込み、ガスバーナーを着火した。突然の炎の攻撃に恐れをなしたのか、液体人間は体を液状化させて洞窟の奥に引っ込む。
「よかった・・・悲鳴が聞こえたから、もしやと思ったら・・・」
「鋼兄ちゃん・・・・・・真央ちゃんが・・・・・・真央ちゃんが・・・・・・!」
目の前に落ちている真央の衣服に、鋼太郎は先ほど何があったのかを嫌でも思い知らされた。だが感傷にふける間もなく、再び液体人間が迫りくる。
「逃げよう!このバーナーじゃ、完全に倒すことはできない!」
鋼太郎は真央の手を引っ張り、洞窟から逃げ出した。
「野沢さん!まだですか!?」
「もう少しです・・・あと5分・・・いや、10分ください!必ず直してみせます!」
鋼太郎たちが洞窟を脱出したころ、ヨットの船室では壊れた機械を野沢が懸命に直していた。
「10分か・・・・・・先輩たち、どうか無事で・・・!」
多野は鋼太郎たちの無事を心から祈った。そんな彼らの奮闘を横目に、ジーンは船内にあったあるものに着目した。
(そうだ・・・これを使えば、あの化け物を倒せるかも・・・!)
そう思った矢先、外から大きな声がした。
「あ、先輩!それに清香さんだ!」
二人の姿を見た多野が、歓喜の声を上げる。鋼太郎は清香と共にヨットに飛び乗ると、船室に駆け込んだ。
『もう一人の女の子は?』
真央の姿がないことに気づき、ジャスミンが問いかけた。
『あの子は・・・液体人間にやられた・・・!』
『そんな・・・』
『いや、今はそのことを嘆いていてもしょうがない』
鋼太郎は表情を引き締めると、野沢に問いかけた。
「野沢さん、船の修理にはあとどのくらいかかりますか?」
「少なく見積もっても、あと5分は欲しいところです!」
野沢が叫ぶように声を上げた、次の瞬間??
『みんな、見て!』
ジャスミンが叫ぶように声を上げた。一同が窓に目を向けると、そこには体の一部が焼けただれながらも、こちらに向かってくる液体人間の姿があった。
「まずい・・・あと2,3分もすれば、奴がここに来てしまう!」
どう考えても、船の修理が終わるより液体人間が船に入ってくる方が早かった。もはやこれまで・・・誰もがそう観念しかけた、その時だった。
『ジーン・・・?どこに行く、ジーン!』
突然、ジーンがある物を手にしながら、ヨットの外へ駆け出した。
『待て!戻って来い、ジーン!』
鋼太郎の必死の制止にも、ジーンは振り返らなかった。彼女は走り続けると、液体人間の前でその足を止めた。
『鋼太郎・・・あなたは生きて。ここで起きたことを、世界中の人たちに知らせて。それがあなたの義務よ』
ジーンはようやく振り返ると、鋼太郎に向かって叫びかけた。
『だめだ!ジーン、君も生きてこの島を出るんだ!』
「鋼兄ちゃん、だめ!今行けば、鋼兄ちゃんまで・・・!」
「先輩!」
清香と多野が、外に飛び出そうとする鋼太郎を必死で取り押さえる。ジーンはもがく鋼太郎の目をまっすぐ見つめると、安らかな表情で笑みを浮かべた。
『さよなら・・・鋼太郎・・・』
ジーンは液体人間の方へ振り替えると、手に持っていた物の蓋を開いた。それは、ヨットに万一の事態が起こった際のためにキムが詰め込んでいた、予備のガソリンパックだった。
『ハイ、液体モンスター!新しい獲物がここにいるわよ!』
ガソリンを頭からかぶりながら、ジーンは液体人間を挑発した。液体人間はその声に誘われて彼女に迫り、その足元から這い上がり始めた。
「オオウッ・・・!」
苦痛の表情を浮かべながらも、ジーンはキャンプで火を起こすために持ってきていたジッポライターを手に取り、最期の力を振り絞って点火した。
『仲良くあの世に行きましょう、液体人間さん・・・!』
ライターがジーンの足下に落ちた瞬間、彼女の体が炎に包まれた。彼女にまとわりついていた液体人間もその炎にまかれ、その身がみるみるうちに焼け焦げていく。
「ジーン!」
『ジーン!』
鋼太郎とジャスミンが悲痛な声を上げる。ジーンと液体人間を包む炎はさらに激しさを増し、火柱が立ち上る。
「あ・・・如月さん!船が・・・船が動きます!」
その時、野沢がヨットの修理を完了させた。エンジンのついたヨットは野沢の操縦で、前へ前へと進み始める。
(ジーン・・・・・・君の犠牲は無駄にしない。必ず・・・必ずこの事実を世間に伝える。それが僕の役目だ・・・!)
徐々に小さくなっていく炎を見つめながら、鋼太郎はそう決意した。
この世界に核のある限り、液体人間は再び現れるかもしれない。彼らが生まれる土壌は、いま世界に無数に存在しているのだから。