地球と異星の狭間で


作・taka様


パトカーのサイレンが鳴り響く。
もうすぐ夜になろうとしている夕刻に新たな犠牲者の遺体が見つかった。
遺体というよりは、痕跡に近い。
現場に残っているのは死体ではなく、大量の灰に包まれた犠牲者の衣服なのだ。
「ご苦労様です。」
現場に入ってきたのは、木崎義雄刑事(26歳)。
彼は二か月ほど前から頻発するこの怪事件の謎を追っていた。
「これで今月に入って五人目・・・しかも、また若い女ですか」
「ああ」
苦い顔で答えたのは木崎の上司・立花(50歳)だった。
「刑事生活25年、こんなヤマは初めてだ」
「僕だってそうです。いや、この事件を捜査している人間全員がそうだ。こんな不可解な事件、今まで見たことも聞いたこともない。いったいなぜ、日本でこんなことが・・・」
「とりあえず一度署に戻ろう。事件の報告をしなきゃならん」
立花に促され、木崎もパトカーに乗り込んだ。

「今回の被害者は、宇野みちる、17歳。都内の私立高校に通う女子高生です」
立花が事件の詳細について報告する。
「今回の被害者もこれまでと同様、現場にガイシャの衣服、そしてそれを包むように大量の灰が残されていました。鑑識からの報告待ちですが、おそらく今回もまた、この灰はガイシャの肉体が何らかの要因で変質したものと思われます」
捜査室に小さなざわめきが起こる。
「これでこの一連の怪事件の犠牲者は、50人にのぼっています」
最後に立花が、無念を声ににじませて言った。
「半年前に最初の事件が起きて以降、被害者は増えるばかり、か・・・」
思わずつぶやく木崎。
「しかも最近は、若い女性ばかりなんですよね。初めのうちは、被害者の性別、年齢がバラバラだったから、かなり捜査も手間取りましたけど・・・」
木崎にこう囁きかけたのは隣に座っている後輩刑事、松倉奈々(24歳)だった。
明るくマイペースだが、的確な判断能力と冷静さを持っており、齢が近いこともあって木崎が最も信頼している同僚だった。
彼女の言う通り、最初の事件からしばらくは、男性の犠牲者も何人かいた。
また、被害者の年齢も20代から60代と多岐に及んでいたため、捜査陣は事件の関連性に頭を悩ませた。
だがここ三か月ほど前から、被害者はすべて女性だった。年齢も10代から30代前半というパターンが定着化し、しかもそのころから事件が多発するようになったのだ。
「若い女性が次々と犠牲になる怪事件。目撃者はゼロ。あたしも危ないかな〜」
「お前がこの事件で死んだら世も末だよ」
苦笑いする木崎。
「ちょっと!それどういう意味ですか!」
思わず声を上げる松倉。
「そこ!うるさいぞ!」
立花の怒号が飛んだ。
結局今回も、マスコミに一切の発表はしないということだけが決定され、解散となった。

「しかし、いったいどうなってんだ?」
家路を急ぎながら、木崎はこれで何度目になるかわからない呟きを漏らした。そのときだった。
「やぁ、木崎じゃないか」
一人の若者が木崎の前に現れた。
「あぁ、芹沢か。いや、久しぶりだなぁ!元気だったか?」
「それはこっちの台詞だよ。まぁ、見ただけで元気じゃないのはわかるがな」
そう木崎に微笑みかけたのは彼の幼馴染である宇宙科学者の芹沢だった。
「俺は相変わらず刑事だが、お前今いったい何してんだ?確か半年前、惑星ベクトルの探検から帰ってきたとはニュースで聞いていたが・・・」
「その後か?聞いて驚けよ。なんとこの宇宙科学の頭脳と宇宙探検の知識を生かしてほしいと、彩華女学院の特別講師になったんだ」
「え?彩華女学院て、あの男子禁制で有名なお嬢様高校?」
「そうなんだ。そこに一年だけながらお邪魔することになったんだ。どこを見渡してもかわいい子ばっか。どうだ、うらやましいだろ?」
からかうような芹沢の言葉に、木崎は一瞬顔を苦めたが、すぐにすねたような口調で言った。
「へっ、のんきなこと言いやがって。こっちは怪事件の捜査で毎日頭がおかしくなりそうだ」
「怪事件?」
芹沢が真剣な面持ちになる。
「ああ。あ、他言無用で頼むぞ。実は今、この東京で、不可解な事件が続発している。人間の肉体が灰になるという事件だ。もちろんこんなことはありえない話なんだが、現実にこの半年間で、もう50人近い人間が犠牲になっている。しかも目撃者はゼロ。その捜査に駆り出されちまってな」
「お前も大変だな」
芹沢が厳しい表情で言った。その直後ー
「ウッ!ウッ・・・ウッ・・・」
突如芹沢が苦しみだした。胸を押さえ、顔からは脂汗が浮かんでいる。
「どうしたんだ芹沢!芹沢!」
すると芹沢はふと我に返ったような表情になり、
「いや、なんでもない・・・なんでもないんだ・・・」と短く返した。
「そうだ芹沢。これからうちで一緒に飯でも食おう。まだ、夕飯食ってないんだろ?」
「いや、遠慮させてもらう・・・今は何も食べたくないんだ・・・また今度、ゆっくり話そう。じゃあな・・・」
そう言って夜の街に歩いていく芹沢を、木崎はただ見送るしかなかった。

同時刻。木崎の後輩の松倉は、夜の街のパトロールを行っていた。すると二人の少女が、路地裏で中年男性を誘っているのが目に入った。おそらく援助交際か何かだろう。男性が誘いを断って去っていったのを合図に、松倉は二人に近づいた。
「こら!あなたたち、まだ未成年でしょ!?こんなところで遊んでちゃだめよ!」
彼女のきつい言葉に、少女たちは「は〜い」と生返事すると、その場を離れていった。
「まったく・・・」と松倉がつぶやいた直後だった。
「キャーッ!」
少女の悲鳴が聞こえた。おそらく先ほどの二人だろう。松倉は路地裏に飛び込んだ。
そこで目に入ったのは、先ほどの二人の少女、そして、頭からつま先まで、真っ黒な着物に身を包んだ大柄の男だった。
「やめなさい、警察よ!」
松倉は叫んだが、男は全く意に介することなく、両手を二人の少女の顔にかざした。
すると、少女たちの顔から、なにか湯気のようなものが立ち上がって、男の顔のあたりに立ち上っていく。まるで男がそれを吸っているかのように松倉には見えた。彼女はただ呆然と、目の前の光景を見つめていた。
「いやーっ、やめて!」
「吸われる、あぁ、誰か助けて!」
悲鳴を上げる少女たち。男は構わず吸い続ける。
そこで松倉は信じられない光景を目の当たりにした。
だんだんとうつろになる少女たちの顔が、みるみる肌色から灰色に変わり、やがて顔面が灰の塊となった。
顔だけではなかった。このとき彼女らの細い二の腕、ふっくらとした胸、そして肉付きの良い脚、彼女らの肉体すべてが灰と化していた。
やがて二人の体はさらさらと、砂の城のように崩れ落ちた。残っていたのは二人が着ていたどこのものかはわからない制服、そして彼女らが姿を変えた大量の灰だった。
「キャーッ!」
松倉は悲鳴を上げた。そして悟った。この男が、一連の怪事件の犯人だと。
男は松倉に向かって歩き始めた。
松倉は恐怖で腰を抜かしてしまっていた。
銃を構える余裕などなく、何を思ったか彼女は木崎の携帯に電話していた。
「こちら木崎。どうした松倉?」
「木崎先輩・・・助けて・・・助けて・・・」
「どうした!?松倉、松倉!」
松倉に答えるすべはなかった。
すでに彼女の顔に男の手がかざされていた。彼女の顔面から立ち上る精気を男は存分に吸い取った。
やがて完全に精気を吸い尽くされた松倉は顔面から灰となり、やがて全身が灰となって崩れ落ちたー

「すまない・・・松倉・・・!」
GPSで位置を突き止めた木崎が駆けつけた時には、後の祭りだった。現場には女子高生二人と松倉の衣服、そして大量の灰だけが残されていた。
木崎は怒りに震えていた。この仇は必ず取る・・・そう心の中でつぶやいたそのときー
「キャーッ!」
若い女性の悲鳴が聞こえた。木崎が急いで駆けつけると、黒服の男が仕事帰りのOLから精気を吸い尽くしたところだった。
OLはうつろな表情を浮かべていたが、やがて全身が灰になって崩れ落ち、衣服だけを残して消滅した。
「貴様!」
木崎は死の危険も顧みず男に組み付いた。こいつだけは許せない。たくさんの人の命を奪い、かわいい後輩まで奪ったこいつだけは。木崎は警察で鍛えた投げ技で男を地面に叩きつけると、男のフードをさっと取った。
「・・・!お前は・・・!」
あらわになった男の顔を見て、木崎は驚きの声を上げた。
黒服の男の正体、それは芹沢だった。

夜の公園。
月が昇れば海が見えるロマンチックな場所として、デートの名所となっている。しかし今そのベンチに座っているのは、本来座るべきカップルではない。諦めに似た表情を浮かべる宇宙科学者の芹沢と、いまだ事態が呑み込めない芹沢の幼馴染にして刑事の木崎が座っていた。
「なぜ俺があんなことをするようになったのか・・・教えてやるよ」
芹沢が重い口を開いた。
「あの宇宙探検のとき、俺は惑星ベクトルの住人から歓迎されなかった。侵略者と疑われ、その身を拘束されそうになった。俺はできる限り平和的に事を進めたかったが、彼らは聞く耳を持たなかった。そして俺は、あの星では禁忌である殺人を犯してしまった。威嚇のために放った銃弾が、星人の一人を殺めてしまった。彼らは俺に償いを求めた。その結果がこの体さ」
「どういう意味だ・・・?」尋ねる木崎。
「俺は・・・人間の精気を餌にして生きていかなきゃいけなくなったんだ。普通の飲食物は一切受け付けなくなった。最初は抵抗があった。自分が生き抜くために、他の人を犠牲にしていいのかと。だが飢えは凄まじかった。やがて罪の意識も薄れていき・・・俺は人を餌にすることに何の抵抗も感じなくなっていった」
芹沢は続けた。「やがて気づいた・・・男の精気は不味い・・・苦くて酸っぱくて・・・とても食えたものじゃない。それに比べて女の精気はどうだ・・・甘くて滑らかで、とても旨い・・・」
「やめろ・・・」
「特に若い女は絶品だ・・・これから成熟していこうとする者の精気ほど旨いものはない・・・」
「もうやめろ芹沢!」
「お前にわかるか木崎、この俺の気持ちが!」
木崎の制止を遮り、芹沢は続けた。
「遠く離れた異星で侵略者扱いされてこんな体になり、地球に帰ってくれば今度は人喰いの殺人鬼だ。地球にも異星にも、もう俺の居場所はない。しかも飢えは日を追うごとにひどくなっていく。かつては二週間に一人喰えばよかったものが、今や一日に五人喰っても飢えは治まらない!このままじゃ俺は死ぬ・・・そう思うと居ても立っても居られない・・・そんな気持ちがお前に分かるのか!」
芹沢に感情をぶつけられても、木崎は冷静だった。自分で恐ろしいほどに。
「芹沢、俺はお前を逮捕しなければならん。連続殺人の容疑者として・・・」
「寄るな!」
芹沢は木崎の顔に手をかざした。身構える木崎。だが芹沢は手を下ろしこう言った。
「もう俺には関わるな・・・じゃあな・・・!」
「おい芹沢!芹沢ー!」
木崎は必死に後を追ったが、闇に走り去った芹沢を見つけることはできなかった。

それから一週間経った。
木崎は、芹沢のことを上層部に話せずにいた。確かに芹沢のやってきたことは悪である。しかしあそこまで苦しむ友を売るような真似をしていいものか・・・木崎の心の中のジレンマは、日々強くなっていった。
「あれから一週間、事件は起きてないな」
上司の立花が言った。
「これでもう、何も起きなきゃいいんだが・・・」
木崎も同感だった。だが不安は拭えなかった。あの時の芹沢の様子からして、人を襲うのをやめるとは思えない。これから何か大きなことをしでかすのではないか・・・そう考えていた。
するとその時、一本の電話が入った。それを受け取った木崎は、自分の顔がみるみる青ざめていくのを感じた。
「彩華女学院から・・・悲鳴が聞こえる・・・?」

木崎の予感は的中していた。とうとう飢えに耐えられなくなった芹沢は、最終手段に走っていたのだ。
「全校生徒の皆さん、これより臨時集会を行いますので、大至急、講堂に集まってください」
教務室からの校内放送で全校生徒に集合を指示した。このとき既に他の教員や校長は芹沢の餌食となっていた。教務室には中身を失った服と灰がそこかしこに点在していた。
そして防犯装置を起動してすべての玄関をロックし、生徒たちの逃げ場を封じたうえで、彼はついに凶行に走った。
「芹沢先生、これから何をするんですか?」
一人の生徒の質問に、芹沢はマイクで答える。
「皆さんにはこれから・・・」
そう言うと手近な生徒の顔に手をかざし、一気に精気を吸い取った。生徒は事態を理解する間もなく灰となって崩れ落ちた。
「・・・私の餌になってもらいます」

「くそ、どうやっても無理か!」
女学院に駆けつけた木崎は、中に入るために四苦八苦していた。出入り口は全てロックされていた。中からは生徒たちの悲鳴が数多く聞こえてくる。
もはや迷う暇はなかった。木崎は銃でガラスのドアを壊し、校内に飛び込んだ。悲鳴は二階から聞こえてきた。木崎はその悲鳴のするほうへ全力で走った。途中、灰に包まれた空の制服を数えきれないほど見た。生徒たちが校内の各地を逃げ回っていることは容易に想像できた。
すると、講堂の前で座り込んでいる一人の生徒を見つけた。彼女は虚ろな表情で、開け放たれた講堂のドアを見つめている。
「おい、大丈夫か!しっかりしろ!」
木崎の叫びもむなしく、その生徒は顔面から灰になり、制服を残し消滅した。
「くっ・・・!」
木崎は言葉を詰まらせた。だが感傷に浸る間もなく、講堂から少女の悲鳴が聞こえた。木崎は銃を手に飛び込んだ。
彼が飛び込むのと、芹沢が一人の生徒から手を下ろしたのが同時だった。
その生徒は飛び込んできた木崎に気付き、
「助けて!助けて・・・」と彼に抱きついたが、それが最期の言葉だった。
彼女は顔面から灰化し、断末魔の悲鳴とともに消滅した。
「やめろ芹沢!もうこんなことはやめるんだ!」
「木崎・・・」
一瞬ためらう芹沢だったが、意を決して講堂の隅に追い詰めていた二人の生徒の顔に手をかざし、精気を吸収した。
「あ・・・私、消え・・・」
「吸われる・・・なんか気持ちいい・・・」
二人はどこか恍惚な表情を浮かべながら灰と化して消滅した。
「これで全員の精気を吸った・・・だが・・・」
芹沢は自分の手を見つめた。
「まだ足りない・・・」
彼は木崎に迫った。
木崎も覚悟して銃を放った。
だがどれだけ撃ち込んでも芹沢は倒れなかった。
木崎は死を覚悟した。その時ー
「うああ!ウッ、ウアアアァァァッ!」
芹沢が絶叫した。見ると、彼の体がみるみる灰色に変色していくのだ。まるでこれまで彼が喰らってきたたくさんの人のように。
「芹沢!芹沢!」
木崎が絶叫する。
「木崎、助けてくれ!俺はまだ死にたくない!まだ死ねない!宇宙の全てを知悉するまでは絶対に死ねない!そのために今までたくさんの人を殺してきたのに・・・いやだー!」
そんな叫びもむなしく、芹沢の体はついに崩れ始めた。
全身が灰となり、一気に崩れ去っていった。まるで、波打ち際に建てた砂の城のように。
「芹沢ー!」
木崎の目の前で、ついに芹沢は消滅した。彼の衣服だけを残して。
木崎の心に、ぽっかりと穴があいたような虚無感が飛来した。次にやってきたのは、どこにもぶつけようのない空しい怒りだった。
「ばかやろー!ばかやろー!」
誰に向かって叫んでいるわけでもない。
なぜこんなことになったのか。なぜたくさんの人が犠牲にならねばならなかったのか。なぜ芹沢はあんな目に遭わなければならなかったのか。そう思うと、叫ばずにはいられなかったのだ。
「ばかやろー!ばかやろー!」
誰もいない講堂に、木崎の叫びがこだました。だがその叫びは、どこまでも空っぽなものだった。