「怪人蛙女」の恐怖

作:妖女溶解女様

 武藤製薬の研究員である綾路亜希子は、浴室で全身を泡だらけにして身体を洗っていた。
綾路亜希子は日本人にしては大柄で、学生時代に運動部にいただけあって贅肉のない身体は綺麗なプロポーションを保っていた。
美貌の持ち主である亜希子は男性研究員たちの関心の的で、食事に誘われることも度々だったが、亜希子本人は完成間近の新薬CZ291のことで頭が一杯で、殆ど男性と仕事以外の話をすることもなかった。
この薬CZ291は、人体に注射すると人間の身体以外の由来の蛋白質や核酸を短時間で分解する作用を持っており、ウィルスや細菌など悪性の微生物に著効を示すはずだった。亜希子はその研究の責任者で、もう数年もこの薬の開発に没頭していた。
そんな研究で疲れた身体や頭脳を休めるのに、亜希子は風呂に入ってかなりの長時間身体を洗うことを習慣にしていた。豊かな量の繊細な泡で全身をゆっくり丁寧に洗っていると、研究が行き詰った時に良いアイディアが浮かんだことは一度や二度ではなかった。

「そんなに身体を洗ってたら身体が溶けてなくなっちゃわない?」

あまりに長い風呂なので、一緒に風呂に入っていた、社員寮で同室の友人の永嶋蓉子が亜希子をからかった。
永嶋蓉子は、ゆっくりと浴槽のなかで身体を伸ばしていた。
 
「あぁ、研究も、やっともう少しね。」

亜希子は、ほっとしたように呟いた。
2人は、今日、上司の田所慎一に動物実験の成績を報告し、その十分な効果に長い年月の労を労われたところだったのだ。
実際にCZ291の動物実験は困難を極めたものだった。動物にCZ291を注射すると、実験を始めてデータをとるどころか、どんな動物も数分でドロドロに溶解してしまったのだ。
人間以外でCZ291に耐えられる動物を見つけることは忍耐を要する仕事だったが、それを辛抱強く支え、ツシマシロゲザルが実験動物となり得ることのヒントを綾路亜希子に与えてくれたのは永嶋蓉子であった。
今日、亜希子と蓉子の報告を聞いて、研究室主任の田所慎一は実験の成功を自分の事のように喜んでくれた。研究以外の事には全く無関心だった亜希子だったが、田所慎一に話す時だけは心をときめかしていた。このままいけば、そう遠くないうちに新薬CZ291は完成して、感染症に対して画期的な効果を持つ薬として世界の注目を集めるはずだった。そうすれば、自分の素直な気持ちを田所にうちあけよう。そう思って亜希子は、身体を洗いながら少し頬を赤く染めた。

「なに、一人で赤くなってるのよ。あぁ、さては田所主任の事を考えていたなぁ。そんなに我慢しなくてもいいのにって、傍で見ている方がいらいらしちゃうわ。本当に、研究以外のこととなると無器用なんだから。」

綾路亜希子のことなら何でもお見通しとばかり、永嶋蓉子が言った。

ぐしゅっ。

突然、止めていたはずの水道の蛇口から細かい泡を立てながらトロリと乳白色の粘液が垂れてきた。

「なに。いやねぇ。」

蓉子と亜希子は、怪訝な顔をして蛇口の取手を閉めようとしたが、2人が手を伸ばそうとした瞬間、大量の粘液が蛇口からとろとろと流れ出して風呂場のタイル張りの床の上に拡がってきた。

「うわっ。どうなってるの。」

亜希子は思わずあとずさって泡だらけの身体を壁に貼りつけた。

乳白色の粘液は一部浴槽の中にも垂れ落ちた。

「ちょっと、やだわ。なにこれ。うわっ。」

蓉子は何を思ったのか、目を閉じてゆっくりと浴槽の中に潜っていった。
浴槽の中の湯は、徐々に乳白色の色を濃くしてきているように亜希子には見えた。

「蓉子は、何をしているのかしら。」
亜希子は混乱した頭の中で考えた。
床の上に拡がっていた乳白色の粘液はぶくぶく泡立つと徐々に滑らかに盛り上がり、亜希子の目の前で全身が乳白色のドロドロした粘液で覆われた豊満な女の身体になった。皺のないすべすべした皮膚は、透き通るほど白かった。

「綺麗…。」


亜希子はそう思った。
そして、恐怖も忘れてその身体の上に頭が現れるのを待った。しかし、現れたのは人間の頭ではなかった。
髪の毛のないすべすべした白い色の皮膚をもつ頭には、大きな口と目がついていて鼻のところには小さな穴が2つあいているだけだった。その蛙のような顔が壁のほうを向いて、亜希子にじろりと目を向けた。

「きゃーっ。」

亜希子は叫ぶと浴室から逃げ出そうとしたが、その前に粘液に覆われた怪人は立ちふさがった。女性の肉体としては身体の線が異様に強調され、その皮膚の表面を乳白色の粘液がとろとろと流れ落ちていた。
亜希子が浴室から出るのを遮るために横に拡げた腕からは乳白色のネバネバした粘液が糸を曳いてしたたりおちていた。その粘液に触れれば自分の肉体はただではすまない予感がして、亜希子は、泡まみれの裸体のまま、ただただ壁にぺったりと背中をつけて怪人と距離を保つようにしていた。

「あっ、蓉子!」
(あれは潜ったのじゃなくて…)亜希子の頭のなかにある恐ろしい予感がよぎったが、亜希子は慌ててその考えを打ち消した。

蛙の口が開いた。

「私は、ショッカーの怪人蛙女。綾路亜希子、お前が開発している薬品CZ291は、われわれショッカーの怪人には具合が悪いのだ。完成すれば我々にとって大きな脅威になってしまう。CZ291はショッカーの怪人の身体をドロドロに溶かしてしまうのだ。それが嘘でないことは、実験で数々の動物の身体を骨までドロドロに溶かし尽くしたお前にはよくわかるはずだ。お前には可哀そうだがここで死んでもらう。この蛙女の粘液を浴びせてお前の身体を跡形もなく溶かしてやる。さあ、骨も残さずドロドロに溶けてしまえ。」


「よ、蓉子。よっ、蓉子は。蓉子はどうなったの。」
綾路亜希子はやっとの思いで言葉を口にした。蓉子は随分長いこと、浴槽に潜っているように思えた。いや、それは亜希子の気のせいで、実際はそんなに時間はたっていないのかも知れなかった。しかし、浴槽の中の湯は更に白く濁っていた。

「お前の友人の永嶋蓉子はこれだ!」

蛙女は右手を浴槽に乱暴に突っ込むと、白いドロドロしたラグビーボールくらいの塊を掬い出した。

「蓉子の身体だ。私の粘液の入った風呂で骨も残さずにドロドロに溶けたのだ。このドロドロの塊になった身体もあとわずかで全て流れ落ちてしまう。蓉子の身体は跡形もなく溶け崩れてしまうのだ。」

蛙女がそう言っている間にも、残った蓉子の身体は蛙女の手の上でドロドロと溶け崩れ、全てが浴槽の中に流れ落ちてしまった。

「そんなの嘘よ。」

亜希子は、頭の隅では、やっぱりと思ったが、蓉子のそんな無残な最期を信じたくはなかった。永嶋蓉子は入社以来いつも一緒に過ごして来た親友なのだ。綾路亜希子は、恐怖も忘れて浴槽に走り寄ると、その栓を抜いた。白い水が抜ければ、きっと蓉子の身体が出てくる…はずだった。しかし、水が抜けて、亜希子が見たものは、浴槽の床に溜まった白いドロドロした粘液だけだった。それも、ズルズルと音を立てて、浴槽の排水口から流れて行ってしまった。後には、親友の蓉子の痕跡を残すものは、何も残っていなかった。

「い、い、いやぁー。」

亜希子は、後ずさって壁に貼りつくと金切り声をあげた。
しかし叫ぶ亜希子にかまわず近づくと、蛙女は、壁に貼り付いている泡だらけの亜希子に自分の身体を重ねておさえつけ、悶えるようにして自分の皮膚を亜希子の裸体に擦りつけていた。ナイロンの布どうしが擦れあうような不思議な音が暫くのあいだ聞こえていた。

「あ、あぁっ。う、うーん。あ、あぁっ。」

蛙女の滑らかな肌と粘り気の多い粘液を全身に擦りつけられて、亜希子は溶かされてしまう恐怖とともに、全身を蕩かすような性の快感を感じて思わず身を捩っていた。

蛙女は亜希子から離れると、少しの間だけ亜希子の身体を見つめていたが、亜希子の身体が乳白色の粘液になって溶け始めるのを確認すると、たちまちドロドロと自分の全身を溶かし、現れた時と同じように泡立つ乳白色の粘液の溜まりとなって床の上に拡がり、細かい泡が弾けるような音を立てながら排水口から流れ去ってしまった。亜希子は壁に貼り付いたまま目を見開いて立ち尽くしていた。
その身体は泡とドロドロした多量の乳白色の粘液に覆われていた。粘液と泡は徐々に床に向かってとろりと亜希子の裸体の表面を流れ落ちて行ったが、粘液の量は亜希子に付着した時よりも異常に多くなっていた。
亜希子の全身の皮膚は乳白色に変色し、表面はトロトロになって流れ始めていた。

「田所さん…。」

亜希子は言おうとしたが、もう言葉を発することはできなかった。
顔もすでに目も鼻も口も分からない程崩れ、灼熱に曝された蝋のようにだらだらと溶け崩れ始めていたのだ。亜希子の肉体は蝋燭のようにどろどろと頭から溶けて白い粘液となり身体の表面を流れ落ちていった。
溶けながら亜希子は悶えていた。
先ほど蛙女からあたえられた快感が全身を貫き、上半身が骨も残さずに原型を留めぬほど溶け崩れても、下半身は蠢くのを止めなかった。
とろとろと溶けて床を広がっていく乳白色の粘液の中で、ぐねぐねと動く2本の足だけが白い棒のように立っていたが、やがてそれも焙られたバターのように完全に溶け崩れて床の上に拡がってしまった。
ドロドロに跡形もなく溶けた亜希子の身体はぶくぶくと泡を立てながら、ゆっくりと排水溝からずるずる流れ去っていった。浴室の壁にはかすかに人間の身体の形に泡と乳白色の粘液が付着していたが、それも間もなく流れ落ちて消えた。
あとには亜希子の痕跡をのこすものは骨すら残っていなかった。

新薬CZ291の研究に直接携わっていた2人の人間は完全に消滅した。

(おわり)