続・白い泡の恐怖@

作:須永かつ代様

    鵜の頭公園は初夏の気候だった。
公園のほぼ中央に位置する、ほとんど湖といった感のある大きな池では、家族連れやアベックなどが小舟を浮かべて、休日の余暇を心地よく過ごしていた。
    池のほとりの木陰に若い女性が独り、何を眺めるということもなく、うつらうつら歩いていた。
この若い女性の名は名を小林美果(みか)といった。
彼女はついさっきまで恋人の俊輔と一緒に池のほとりを歩いていた。だが、池の最も南端にある木陰まできたところで、俊輔は車の中にカメラを忘れたことを思い出し、取りに戻っていたのだった。俊輔が去ってから、ほぼ15分が過ぎていた。美果はそろそろ俊輔を待ちきれず、池のほとりの木陰から出たり入ったりしながら、俊輔がカメラを取りにいった駐車場の方を窺っていたのである。
    「遅いなあ・・・」
若い女性は、待たされることを嫌がるものだ。
美果はこの日、
半袖開襟ブラウスに、膝下まである青緑色のロングスカートをはいていた。半袖ブラウスは、あたかもタヒチのゴーギャンを思わせるように、密林に生い茂る植物を黄緑黄色オレンジといった色鮮やかで大胆な配色で表現した、トロピカルなデザインだった。また青緑色のスカートは麻地で、いかにも涼しげな装いであった。美果の髪型は肩の下までかかるワンレンで、耳元のあたりから緩やかなウェーブがかかっており、その曲線がまた彼女のエレガントさを際立たせていた。顔立ちは飛びぬけて美人というわけではなかったが、あくのない、穏やかな面立ちが彼女の女性らしい優しさを表していた。
    しばらくの間、池のほとりと木陰の間を行ったり来たりしていたが、少しばかり疲れてきて、美果は木陰にあるベンチに腰をかけた。
    「何をやってんのかしら、ほんとに・・・」
    美果はいらいらしながら左腕の時計に目をやった。俊輔が駐車場に向かってから約20分が経過していることを確認して、彼女は、帰ってきたら何と言ってとっちめてやろうかと思いあぐねていた。
 
    ぶ・ぶ・ぶ・ぶ・ぶ・・・・・・。
 
    木陰から虫が羽音を立てているのが聞こえた。初夏のこととて、蝉が鳴くのはまだ早かった。恐らくは蜂が蜜を求めて、当たりを飛び回っているのだろう、美果はそう思った。
 
   
    ぶ・ぶ・ぶ・ぶ・ぶ・ぶ・ぶ・・・・・・。
 
    虫の羽音がかなり近づいているように聞こえた。蜂に刺されるのはかなわないな、そう思いながら、美果は当たりを見まわした。彼女の周囲には特に蜂が飛んでいる姿は無かった。
 
   
    ぶ・ぶ・ぶ・ぶ・ぶ・ぶ・ぶ・ぶ・ぶ・・・・・・。
 
    だが、羽音は着実に近づいてきていた。美果はやや怪訝そうに、もう一度周囲を見まわした。何もいないことを確認してから、彼女は、ひょっとして羽音は木の上から聞こえるのかも知れないと思い、日陰の涼しさを提供してくれている頭上の木の枝を見上げた。そうして彼女は、一本の枝に、あたかも葡萄の房のような白い塊がぶら下がっているのに気がついた。
    「何かしら、あれ?」
    と思った矢先、葡萄のような房の先から、びゅっ、と白い筋が勢い良く走った。筋が向かう先に美果がいた。
    「きゃあっ!!」
    白い筋は美果の顔面をとらえた。
筋と見えたのは、
白い、ほっこりとした泡のような粘液で、ちょうど洗顔フォームとシェービング・クリームの中間のような粘っこさを持っていた。粘液は2−3センチ径の管から噴出されたかのように、細く、勢い良く、下に向かって噴出しており、虚ろに木を見上げていた美果の顔をもろに直撃した。
    びいいーーーーーーっ!!
    「いやあっ、うわぁあああーーーっ、あ、あ・・・、た、助け・・・・」
    白い、きめの細かい泡は、同じく細かい飛沫を上げながら、美果の顔面に浴びせかかり、ふくよかな肌の上にこんもりと積もっていった。
   しゃああーーーーーっ!!!
   「う、ん、んんんんーーーーっ!!」
    粘っこい泡は彼女の顔だけでなく、ウェーブのかかったワンレンの髪の毛をべしゃべしゃに濡らしながら、真っ白に包み込んでいった。さらに色鮮やかな開襟ブラウス粘液の飛沫を浴びて、点々と白い染みを広げていった。
    美果は息ができなくなって、雑草が生い茂る木の根元に、そのままうつ伏せに倒れこんだ。だが、木の上の何物かは、彼女の背中目掛けて容赦なく白いねっとりとした泡を浴びせつづけた。
    しゃああーーーーーっ!!!
   「・・・・・・・・・・!!」
   しばらくして、白い粘液は美果の頬の上を、ぼたり、ぼたりとつたい落ちていった。だが!!白い泡が流れ落ちたあとには、もはや彼女のふくよかな肌は残っておらず、ごつごつとした頬骨だけが露出して残った。同じように、開襟ブラウスの半袖から覗いていた色白の二の腕や手首の肉体は白い泡に溶かされ、粘液となって崩れ落ちていた。
   ぽとっ。美果が耳にしていた白いイヤリングが雑草の上に落ちた。白い粘液と同化して、肉体の溶け落ちた美果の身体は、ところどころ腐食したサイケブラウス青緑色のロング・スカートをはいた、一塊の骸骨と化していた・・・・・・。   
 
    「美果ちゃん、待たせちゃってごめん。」
ようやくカメラを手にした俊輔が戻ってきた。
    「美果ちゃん、どこだい?」
俊輔はベンチのあたりを見まわしたが、美果の姿は見えなかった。
「カメラはすぐ見つかったんだけど、フィルムが終わってたんで、買いに行ってたんだよ。待たせるつもりは無かったんだ。ごめん。そんなにむくれないで、出てきてくれよ。」
    そう言いながら、俊輔はふと、ベンチのそばに落ちている白いショルダーバッグに気がついた。それは、さっきまで美果が肩にかけていた、彼女のお気に入りのバッグだった。
    「はれっ?なんでこれがここに・・・?」
俊輔はベンチとバッグが落ちてい点を結んだ、延長線上を目で追っていった。その先に太い木があり、その根元に見なれた
鮮やかなブラウスが見えた。
「なんだ、そこにいたのか・・・」
そう言いながら、俊輔は木に近づいていった。
    「・・・み、美果、ちゃん・・・・・・。う、うわああーーーーーっ!!」
    彼は半袖のブラウスの襟元と袖口から剥き出しになっているしゃれこうべと細い白骨の腕を見て、驚愕した。そして、四つんばいになって、それが本当に美果なのなれの果てなのかどうか、ぶるぶる震えながら確認しようと近づいた。
    その時、木陰から悪役レスラーのように黒い覆面と、全身もまた黒い装束の男たちが3人飛び出してきた。この怪しい男たちは、俊輔の両脇を抱えるようにして彼をとらえた。
    「なっ、何をするんだっ!?」
    「お前は我々の奴隷になるのだ!」
黒覆面の男たちはそう言うと、俊輔を拉致して、いずこへかと連れ去っていった・・・・・・。

 
    3日後の夜。レインボーブリッジが見える埠頭近くの公園に、一台の白い乗用車が停まっていた。
車の中には、今さっきまでしゃれたフランス料理店で食事をしていた今川淳子とその恋人の大二郎が、シートに腰掛けたまま、埠頭の風景を眺めていた。
    「夜の港って、素敵・・・」
淳子は、うっとりと夢見心地で言った。
    彼女はマリン・ブルー色の、ヘチマ襟で大きく胸元の開いた、半袖のワンピースを着ていた。髪型は肩にややかかる程度のショートヘアで、首には金鎖のネックレスを掛けていた。食事の時に飲んだワインのおかげで、彼女の頬はやや紅潮していた。
    「窓、開けようか?」
大二郎が聞いた。
    「ううん、いいの。そのままにしておいて。」
    夜の公園で、車の窓を開けずに、男女二人が夜の風景を楽しんでいた。大二郎の左手が、淳子のワンピースの裾をそっと持ち上げて、彼女の右腿をそっとさすっていたのは自然の流れだったろう。
 
    ぽつ、ぽつ、ぽつ、・・・・・・。
 
    車の屋根の上に、雨粒が落ちるような音がした。だが、この日は満天の星空であり、雨雲一つ無かったのだが・・・。
 
    ぽつ、ぽつ、ぽつ、ぽつ、・・・・・・。
 
    今度は二人にも雨音がはっきりと聞こえてきた。
    「あら?雨かしら?」
    「雨?変だな、天気予報では、そんなこと言ってなかったぞ。」
 
    ぱら、ぱら、ぱら、ぱら、ぱら、・・・・・・。
 
    雨音は勢いを増してきた。
    「どうする?場所を変える?」
    しかしその時、二人は異常に気がついた。助手席前のフロントガラスのところに、雨の滴ならぬ、なにやら白い、ねっとりとした水滴がへばりついていた。この白い水滴は次第に数を増して、フロントガラスの左半面を覆っていった。
    「な、何、これ?!」
淳子が叫んだ。
    もとより大二郎にも分かるはずがない。
「だ、大丈夫だよ。雨が、排ガスかなんかを含んでるんだよ。」
    だが、そう言う間にも水滴はガラスの表面を白く塗りこめていった。白い粘液は淳子が座っている助手席側のドアのガラスをも覆ってゆき、しかも何やら不気味な音を立て始めた。
 
    じゅく、じゅく、じゅく、・・・・・・。
 
    二人は目の前で何が起こるのか想像もできずに、じっと白い粘液で覆われたフロント・ガラスと助手席のドア・ガラスを見つめた。
 
    じゅく、じゅく、じゅく、じゅう、じゅう、じゅう、・・・・・・。
 
    音が変わると同時に、硬いフロント・ガラスが次第に溶け始めた。外側からガラスを覆っている白い液がガラスを腐食しているのは明らかだった。そのうち淳子が座っている助手席の窓ガラスも溶け始めた。
    大二郎が叫んだ。
「危ないっ、淳ちゃんっ!逃げるんだっ!!」
「うんっ!」
    助手席側から外に出ることは、もはや不可能だった。白い粘液はドア・ガラスだけではなく、ドアの金属部分も、じとじとじと、と溶解し始めていたからだ。まだ危害の及んでいない、右の運転席側から出るしか、方法はなかった。大二郎はドアを開け、外に出ると同時に、淳子の右手を掴んで叫んだ。
「淳ちゃんっ、チェンジ・レバーを跨ぐんだっ!!」
    淳子がレバーを跨いで、運転席側に進もうとした時だった。彼女の背後で、
ぽすっ!
という音がした。
「(え?)」
淳子は思わず、音のする方を振り返った。
    それが命取りだった。
ぽすっという音はフロント・ガラスが溶けて、ついに穴が開いた音だった。その小さな、2−3センチくらいの穴から、ぷしゅううーーーっ!と勢い良く、ねっとりとした白い泡が噴き出し、淳子の顔面をもろに襲った。
    「うっ、あっ、ああああーーーーーっ!!!!」
    それは一瞬のことだった。淳子のショートカットの黒い髪、紅潮した頬、マリンブルーのワンピースの前身ごろが、きめの細かい泡の飛沫に覆われ、覆い尽くされ、こんもりとした白い泡の層を積もらせた。
    「じゅ、淳ちゃん!!」
大二郎は淳子をつかんでいた右手を思わず離した。淳子は空いた右手と左手で、顔面に積もった泡を拭い取ろうと試みたが、もはや間に合わなかった。白い泡は執拗に淳子の身体に浴びせかけられていた。
    「ぐ、ぐふっ、う、ううううっ、!!!!!」
    淳子は両手で顔を覆って守ろうとしたが、無駄であった。顔を覆った両手の上から、白い粘液の細かい飛沫が覆い被さってゆく。
    「・・・・・・・・・!!!」
    もはや彼女に力は残っていなかった。淳子は仰向けに、助手席の背もたれに寄りかかり、両手をダラリと落とした。フロント・ガラスに開いた穴から噴出す細かい泡は、容赦なく淳子の頭からワンピースの胸、腹、両腿へと白い層を積もらせていった・・・。
    数分後、淳子の顔面のあたりのが、ぼた・ぼた・ぼた・・・と垂れだし、彼女の皮膚を溶かしていった。淳子の肉体は、じゅく・じゅく・じゅく・・・と崩れ落ちてゆき、ワンピースのヘチマ襟から白い頭蓋骨を剥き出しにした。ワンピースの袖や裾からは、在りし日の淳子のふっくらとした肢体とは似ても似つかない、ごつごつとして貧相な骨格が現れていた。
    悲劇を目の当たりにした大二郎は、車のそばにしりもちをついていた。
「あわ、あ、あ、あ、・・・」
そこに、3日前の鵜の頭公園の時と同様、黒尽くめの怪しい男たちが現れた。男たちは足腰が萎えてしまった大二郎を抱えるようにして拉致し、どこへともなく連れ去っていった。
 

 
    二つの事件に共通しているのは、襲われたのがいずれもデート中のアベックだったということだ。そして女性の方はいずれも溶かされ、骸骨にされ、一方、男性の方は奴隷として連れ去られた。
    怪しい男たちの目的は何であったのか。白い泡を吹く怪物の正体は何か?
    考えるに、同じような事件は、また繰り返されるだろう。その時、怪物の正体は明らかにされるだろう。
 
(続く)