私がアジア最大のスラムと言われた『トンド』を撮ろうとフィリピンへ行ったのは、1990年のことでした。訪ねてみるとトンドは下町のようなところでした。トンドの人達は『トンドはスラムじゃ無い。スモーキーマウンテンこそスラム だ。』と口をそろえるのでした。私がそこへの案内をトンドの友人に頼んだのですが『あそこは僕達でも行けない。とても恐いところ。』と断られてしまっ たのです。時間をかけて説得したところ、彼のお父さんは警察の偉いさんで、 何人かの武装した警官となら行けないことは無いだろうと言うのです。しか し僕にはかえって危険に思えたのです。それまで危険だから止めた方が良いと言われたところでも無事に過ぎてきたし、なによりも自分に危害を加える人はいないと考えていたのです。さらに時間をかけ、友好的な取材を求める ことに成功したのでした。

 90年のスモーキーマウンテンは生ゴミも運ばれ、 ゴミの中から食料も調達していました。火を通せば平気なものなんだと教えられたのでした。コップで飲み物を出された時は同行したトンドの友人もためらっていましたが、飲むのも恐いし飲まないのもまた恐い、しかし体調を崩すにしても後の事と割り切ることにしたのでした。コップを飲み干した後 はとても良い雰囲気で取材させていただけました。消毒された水ばかり飲ん でいる日本人にはホテルの水でも合わないというのにとっても恐い体験でした。

  95年のスモーキーマウンテンは新しいゴミはほとんど運び込まれなくなっていました。近郊にゴミ捨て場を作ったからです。45年の歴史を持つスモーキ ーマウンテンの人達の一部は政府の用意した代替え地に移転を始めていました。 農業への転身を強いられ、しかし荒れた土地だったのです。Uターンする者や新 しいゴミ捨て場に行く人もいました。98年にはスモーキーマウンテンの住居は すべて撤去され、人々は近くのスモーキーマウンテン住宅に移り住みました。 スモーキーマウンテン跡は造成され住宅が造られます。 しかし現在、第2、第3のスモーキーマウンテンが出来ています。

 98年の マニラ近郊ケソンシティースモーキー2の写真がありますが、この2年後の 2000年に大きな事故があり200人の犠牲者を出してしまったのです。
スモーキーマウンテンは今なお問題を抱えているのです