2009年12月27日(日)
メジャーにならないで

横浜BLITZ、 kalafinaのライヴは2時間半。後ろの壁にはりつくつもりで、開演20分前に入ったら、もう後方のわずかな空間しかない。したがい、3人が同時に視野にはいることは、最後までなかった。始めは、思いきり背伸びなどして、ひとりひとりを、観客の隙間からなんとか垣間見ていたのだが、ブーツの先が何やら痛くなり、肩も凝ってきたので、ヴィジュアルはすっぱりあきらめ、歌声、音響のみに徹することに。これは初の経験。ちなみに、チケットの整理番号は800番代。前方に陣取る親衛隊は、いったい何時から並んでいたのか、はたまたライヴハウスってどこもかようなシステム?座席指定の2階席も、見上げてみると、あるにはあったが、関係者限定なのか、ぱらぱら。やはりライヴとあって、upper beat の曲を聞かせるような構成になっていたし、天空に突き抜けるハーモニーのうつくしさや、神秘的で哀切な調べの曲も、やたらガンガンのベースやドラムにかき消されていた。彼女らの個性もやはり、コマーシャリズムにいいようにされていくのかなど、ふつふつ疑問やら残念な気が。アンコールで、Tシャツやらリストバンドのグッズの販促も。でも、とにかく、全通しスタンディングは、たいへん疲れます。ドリンクとして否応なしに買わされたバナジウム天然水(もちろんチョイスはあったが、考えるのがめんどくさく、前の人と同じものに)は、持ち帰るはめに。暑い会場内で飲食だめなら、どこで飲むの?といろいろわからないことだらけ。しかしながら、座席指定で、もっと、ゴシックロマンなお洋服を着てくれたら、またゆきます。なんて。取り急ぎ買い求めたアルバム、Seventh Heaven を聴きながら、お年越し。

2009年8月22日(土)
ライブハウスなるものは

過去に2回、この名のついた空間に身をおいた経験がある。会社の同僚がせっせと貢いでいたとおぼしき、サエナイミュージシャンのサエナイ店、と、あと一回は、なんとしてもメジャーデビューならず、故郷に帰って市役所勤めをするという、エリート大卒の若者の final gig だった。いずれも、可動式の○テーブルがあって、みんな、座ってまったりして退屈していた。が、ロックなんかは、立ち見・立ち聞きになるらしい、というか、コーフン、ネッキョウのあまり、みなさま、ナニするかわからないので、ケガのもとになりそうなものは、最初から撤去、なのかと思っていた。されど、Kalafina って、ライブハウスとどうしても結びつかなくって。26日の、渋谷、O-EASTでのコンサートのプレ抽選のお知らせメールがあったにもかかわらず、スタンディング席1階とあったから、んじゃぁ指定席もあるの?と逡巡しているうち、エントリーせず、ま、所詮立ち見なんだから発売初日でだいじょぶさ、― これがオバンのおおきなおおきな認識の誤りでございました。キャンセル待ちをするも×。ネットで怪しげなオークションチケットを漁っていると、ここで、あらら、またまた疑問が!500番とか50番とか、連番がある。ということは、この連番に従い、入場し、隅からつめていくってこと?、それとも、入ったらすぐダッシュして陣取りするんだろ〜か、などなど。そもそも、彼女らの♪に合う空間なのかなぁ、ま、かくいうわたくしめも、Lacrimosa, Gloria でジョギングしているのだから、よくわかりません。
畢竟、チケット(譲って)くらさいな〜。
*なお、この画像と話題のライブハウスとは、一切かかわりございません。これは、銀座の某ビル内の、手動エレーベーター。初めての出遭い。

2009年5月22日(金)
巨大化はじめました

もちろん自生のにはかなわないけれど、栽培ものとしては、今まででいちばんおいしい岩手産なめこ。『茎までおいしい』は、嘘偽りにあらず。70円ぽっきり。5回は食べたと思う。あと何回食べられるかな。大ぶりなのは、えてして大味とは言えなくなりまして候。
 ついでにこの巨大アリさんをごらんくだされ。脱走して3日目の深夜、ゾロゾロっと部屋の隅っこから出てきた。視界に入ったときは、チャバネ○○○○にまちがいないと。生態系にやはり異変が?

2008年8月3日(日)
檸檬の効用

久しぶりにパエリアを作る。鍋が少し錆びていたので、よく洗い天日に干す。直径30pでも、お米はたったの一合か一合半。今回入れたタンパク質系の具は、海老、帆立、浅蜊、鶏肉、烏賊。ダシが出るものがいいと思う。高級な必要はない。新鮮ならいいし、イカのワタやスミ、エビのミソを投入しても。あと、具もおいしくいただくために、固くならないよう、最初にオリーブオイルと白ワインで軽く炒め煮したものを、最後の蒸らしあたりで、お米とドッキングさせるといい。きれいに具をトッピングできるし。炒めたときに出るスープも一滴も残さずに使う。パンが大きいので、オーブンに入らないから、その分、時々回しながら位置を変え、火の回りを均一に。今回は、ちょっとアルデンテを通り越してしまったけれど、お焦げは贅沢な出汁で最高。何かひと味足りないときは、向田邦子さんの、レモンをきゅきゅっとひとしぼり、というのは大正解。特にご飯ものだと、ライスサラダ=お寿司になって、冷えても美味至極。初めてスペイン坂のびいどろで、パエリアがテーブルに運ばれてきたときは、色彩の鮮やかさにびっくり。味よりも見た目のゴージャス感の方が印象に残っている。

2008年7月11日(金)
ワケワカラナイヨ!

『関ジャニ』って何ジャニ?』『関サバ・アジ』はあるけどなぁ、と思っていたら、若いメンツが口を開いてすぐ、『関』の読みの誤りに気づく。これは数日前のとある番組。昨夜テレビを見ていたら、『ageha』族なる一軍が着飾って(何と形容していいかわからない)出ている。ネットで調べると、『小悪魔ageha』という雑誌のモデルたち?のよう。検索タイトルからだけの推察で、それ以上彼女たちの世界に入っていく勇気がなかったので、そこまで。『ニーハイ』はチューハイの一種か?オーバーニーソックスのことでしょ?今年初めて黒を買いましたが。ついていけないエコ表現。。。中には言い得て妙なヒットもあるけれど、多くは首を傾げてしまう、新・形容詞群。昔読んだ『エレキな春』はカッコイイ!と感嘆してしまったけれど、『モードでロープライスな大人買いの夏』−感じはわかるけどな〜。いかがなものでしょ。

2008年7月7日(月)
恋星たちはいずこ?

七夕の天を見上げども、いちめんの薄雲ばかり。
今宵、逢瀬の契りをかわした恋星たちは、何処?

2008年7月5日(土)
三色の栞ひも

本を読むときは、たいてい、お行儀悪く、ごろごろころがって読んでいる。腹這いは苦しいので、仰向けで本を掲げながら読み始め、腕が本の重みに耐えられなくなってくると、右に左に、寝返りを打ち出す。が、たまに、ぶ厚い本から読みだすと、すぐに眠りに落ち、その開いたままの本が無惨にも顔におおいかぶさっていたり、まさに眠りの深みに入らんというとき、その本が巨大な音で胸のあたりからすべり落ちたりして、目がさめたり。この本も、そんな調子で読み始めた。『矢上澄子作品集成』。でも、『架空の庭』の最後2編、『レダ幻想』『リュシアスの微笑』は、きちんと起きて、居住まいを正してひと息に読む。いつのまにか引き込まれ・・・。月華水は、上質の天鵞絨のような言葉に置き換えられていて、あまりにうつくし過ぎて、放心。この本は、5pほどの厚みで、栞ひもが3本ついている。花布のふた色、ベージュと白、それにグレーを加えて三色の平ひもが、読んでいる途中に突然はらはらと現れたときはびっくり。全集のような厚みのある本には、よくあることなのだろうか。七夕の吹き流しを見ているようで。 

2008年7月4日(金)
黒真珠という

薔薇があるといいます。
小粒の黒真珠のような漿果がたわわです。
うつせみ=うつそみだそうです。

2008年6月28日(土)
釈迦型チャイナボタンの巻

中華街・元町駅を出てしばらくのところに、出店があって、あまりしかと見たことはないけれど、皮ジャケットだったり、和装小物だったり・・・が、ごく最近、boulangerie が出現。数種類のパンを少しずつ籠に盛って、シャイな佇まいの男のひとが、いつもセールス口上もなくひとり。何度も買いたくなってしまったのだが、週末でないし、ワインってな訳にもゆかぬしな〜、などと週末までじっと我慢の子だった。が、週末は店が忙しいのか、出店をしていないことがわかった。さて、困った。どこから出張してきていたのか、わからない。一瞬焦ったものの、近くには違いない、と最寄りの元町プラザで探したら、3階に発見。店舗の種類が不思議な雑ざり方をしているこのビルの、2階から3階には、階段しかない。パン屋さんのロケーションとしては、かなり不利だと思う。トコトコ上っていくと、感じのいいお店。間違いなく、あの人だ。レストランもあり。オーダーを訊いている女性のグレーのスーツがシャープ、などと、店内を見やりながら、先客が終わるのを待っていたら、厨房から白衣を着た女性が走り出て応対してくれた。厨房に置いてあった仏蘭西産の小麦の大袋のデザインも気になったけれど、それ以上に私の目が釘付けになったのは、その仕事着の大きなチャイナボタン!気に入って何度も着ているうち、色褪せたあの紺・麻のマンダリンジャケットにもついているあれ。大きさにもびっくりしたし、中華以外の飲食業界のユニフォームにというところにも。これはよくある組み合わせなのかもしれないが,my surprise だったので、華奢な手で、バゲットを鑞引きの紙にくるくる巻いて、両端をきゅきゅっと捻ってくださる間も、目は、一所に。帰ってから、調べてみると、あのこんもりしたボタンは、チャイナボタンの中でも『釈迦型』というらしい。他にもちゃんと名前があって、渦巻き型、金魚型、花型、大樹、木桃、瓢箪など。それから、あの白衣は、果たして白衣と呼んでいいものなのか、医療関係者のユニフォームと一緒くたにしていいものか、心配になったので、ネットで検索してみたのだが、どうやらいいみたい。ホワイトコートという呼び方は、ちょっとよそよそしいし・・・。白衣の通販サイトを見ているうちに、床屋や定食屋のおじちゃん、おばちゃんが着ているのもあって、そうそう、衿なし、衿あり、前立てをずらしたデザインのも、あった、あった、そういえば・・・と愉しくなってきてサーフしてしまった。『美しい白は、洗練や快活などのイメージを創出し、着る人に、プロとしての誇りや自信を与えます』−なるほど。ついでに、『デパ地下のユニフォーム選び、かわいいカチューシャをやめてあえて三角巾にした云々』という記事まで読んでしまった。そういえば、ギャルソンエプロン以来、おしゃれなユニフォームがずいぶん増えたな。『白衣なナース』なるコミック本にまで行き当たってしまったのだった。
さて、バゲットのお味の方は?

2008年6月25日(水)
恐るべし毒針毛!!!

チャドクガ(茶毒蛾)にやられた!実家の庭先の植え込みにサザンカや椿がある。古いコンポーネント式ステレオを、物置まで、何回かに分けて運ぶ途中で、葉に触れたらしい。すでに母が、葉裏に整然とびっしり並んでいる幼虫に気づき、枝葉をバッサリ剪定してくれていたので、軽症で済んだ。毛は風に乗って飛んでいるらしく、直接触れなくても、木の下を通ったり、風下にいるだけで、かぶれることもあるという。最初は、着ていたTシャツの上から、蚊に刺されたと、左上腕部をポリポリ掻いていたのだった。そのうち、発疹のような小さいブツブツがいっぱいに広がってきた。幸いステロイド系の軟膏があったので、助かった。非常に細い毒針毛は、もろく折れやすく、繊維のすき間からそっと入り込み、掻きむしっているうち、細かい断片がじわ〜っと伝播していくらしい。着ていた服も、そぉっと、そぉっと脱いで、すぐさま洗濯しよう。ゆめゆめ全身に、また他の人に被害を拡大なさらぬよう。長月、神無月に、もう一度卵を産むらしいので、要注意。しかし、なんでまた、一匹の毛虫が、50万本から600万本もの武器を備えているのだろう、自然の摂理とはいえ。う〜っ、さぶいぼが!- −白い花々のかくも美しい雨季に。  

2008年6月19日(木)
アプサンス〜ある不在〜

吉行和子ラストステージ初日。7:00開演。キャストはたったの5人。そのうちのインド人役の男優が座席にパンフレットを売りに来る。なにやらオリエンタルカレーな雰囲気に。婦人公論で公演を知って、チケットを押さえたのはひと月ほど前。4列といってもどうせ端っこだろうと、双眼鏡を忍ばせて行ったものの、肉眼で十二分、なにゆえ、こんないい席が残っていたのだろう?俳優座劇場入口あたりで、舞台美術家の朝倉摂さんをお見かけしたので、今回の舞台も彼女の創りなのかなと思ったら、衣装だった。大間知靖子さんの緻密に造り込まれた、ていねいなお芝居。心神喪失のジェルメールの記憶は、自由自在に時空間を跳び越え、在りし日を彷徨う。父親に叱られる子供だったり、思春期の多感な少女だったり、傷つけられながらも夫に弱みを見せまいとする妻だったり・・・。時空間が移動するたびに、役どころを切り替えていくのは、難しいだろうなと思う。私は、彼女のきらきらした少女性が引き出される瞬間が好きだ。ドキドキしてしまう。『リア王』にもゲスト出演していた?SCOTの『リア王』を観たのは、あれはいつだったのか??今はなき、渋谷のジャンジャンでの『人形姉妹』、『女中たち』を観たかった。ぜひ、あの場所で。時代の幕引きとあらば、仕方ないか。

2008年6月19日(木)
『ルパン』

『桜桃忌』を全く意識していなかった。が、少し前から読み始めていた『回想の太宰治』の中の『兵隊靴』を読んだ直後に、11日付け朝日新聞のbe evening 紙上で、久しぶりに、あの有名な、bar ルパンのショットを目にし、何やら感慨深かった。足もとにはあまり印象がなく、編み上げブーツ様のもの、くらいの記憶しか、以前はなかったからだ。当時の男性の足のサイズとしては大きい、11文=27,5p、加えて甲高に合う履き物を、戦時体制下、調達するのはとても大変だったと、妻の津島美知子さんは書いている。初めての兵隊靴を配給品で手に入れたのは、昭和21年2月、47円とある。前紐をかけて履くと、きりっとしていいね、とお気に入りで、ふだんは下駄、外出時はもっぱらこれを愛用していたという。商社に入りたてのころ、同期の女性ばかり4人で、この『ルパン』に入ったことを思い出す。中に、文学志向の人がいて、行こうということになった気がする。一次会をどこでしたのかも、もはや覚えていない。水割り一杯だけで(他の人たちは何を頼んだのだろう?)もちろん、めちゃめちゃ高かった!なのに、そのときの払いは私めがするはめに。だって、言い出しっぺを含めて、用意をばしていない!!!のですから。私は銀座という場所柄、びびりながら、(田舎者の)覚悟をしていたのだった。もちろん、後でちゃんと返してもらったが。。。本当に狭いところで、写真家が、距離をとるのに、トイレの扉を開けて、あの旧式な便器にまたがるしかなかったというのにも、ふぅむ、ふむ、穿ったのだった。   

2008年6月17日(火)
Where were you heading for????

Nvさま
横浜に引き返すおつもりが、横浜線で、東京の南西の地、八王子まで延々旅をしてしまわれたのですね。JRではなく私鉄はお嫌いでせうか。JR横浜駅からかなり地下深く潜らねばなりませぬが、東横線で元町・中華街駅で下車された方が近いですし、こちらの駅の方がずっと趣があります。今度はこのルートでトライしてくださいまし。5番出口を出て谷戸坂を上り、(途中左手に千代紙屋さんもあります)港の見える丘公園北側入口からお入りくだされば。

2008年5月31日(土)
ますます渋谷は遠のく

Bunkamura ミュージアムの、ルドゥーテの薔薇空間には、女性ばかり。。。。。櫻も薔薇科だということをはじめて知ったときは、なんだかずいぶんショックだったのを覚えているが、ほとんど八重桜と見紛ふ花立ちを見るにつけ、やっぱり、などと私だけの感じ入り方をした。灼熱のインドに咲くバラを見たいと思う。レースやオーガンディを紅茶で染めたような色あいのばらの花びらは、シルクのように儚く繊細で、とても好きになってしまった。帰りにMショップで、以前代官山のお店にあった、女のひとのスカート部分にサーキュラーのハンカチが巻きつけてあるのを購入。モノを整理していかねばならぬというのに、あぁ!なのでプレゼント用に包んでもらった。ついでに、錫ででできた5点のチャームセットまで勢いで。これは、いくつか形が選べて、壱千五拾円というお値段にしては、仕上げがきれい。因みに選んだのは、形違いのハート5つが紅のゴースのちっちゃな袋に収められているもの。ひとつずつ手紙に入れてもいいかな。その後、坂を下ってブックファーストを探したが、あるはずの場所には何やら建設中の囲いが・・・・行きつ戻りつしたが、やはり消滅していた。ここは、1階の奥の文芸書コーナーが、立ち読みの場には最適で、よく潜んでいたが、目的を同じうする人も多かったと思う。帰宅してネットで確かめると、やはりこの巨大なフロアの書店はとっくにclosed になっていた。知らなかったのはまさにマヌケで、私だけだろう。オンラインショップで手軽にクリックだけで済ませて、店舗で本を手に取りながらあれこれ物色する、という愉しいながらもけっこう体力の要る本選び離れのせいだろうか。かくいう私自身も、本屋に出向かずAmazon のお世話になってばかりいる。( except stand reading )・・・・・そういえば、駅の方からスクランブル交差点を渡った所にあった、大盛堂・文庫タワーもあっという間に、本店閉店と同時に姿を消してしまったし。ここではずいぶん文庫本を買った。というわけで、帰宅途中で、住まいに最寄の商店街の本屋で、立ち読みをば行う。小説現代の『絲的サバイバル』と婦人公論の吉行和子関連記事を読む。時間がなかったので、つまみ読みした結果・・・・・actress 吉行和子は,最初から創り上げる舞台をやるには、気力、体力ともに限界だからやめることに・・・・・文芸誌の方は、キャンプ実録じゃなくなったの?これはフィクション?テントなのになぜゆえベッドがあり、そして男が出てゆくのだ???次回、機会あらば、ゆるりと読んで、熟読玩味しませうね。
らんぶるも消え、SEIBU B館からseed 館への連絡通路にあった、yesterday give も、公園通りを上がったところのminiature shop 、porte-bonheur もいつのまにかなくなった。いつまでもあるとは思わないけれど、行くたび淋しくて。住まいの近くに、今年は、木苺がたくさん花をつけている。正確には、ブラックベリー(西洋藪苺)。去年は、枝をバッサバッサ切り落とされた上に殺虫剤をしこたま撒かれ、虫くらいいいじゃないの、共存、共存、などと、あまりに無惨な姿に口惜しい思いをしたけれど、やがて結ぶ宝石のような実の連なりが見せてくれる、緑、紅、濃紫の階調が楽しみ。 (←美味!)常に携帯している(!)鋏で、道の方にスックと伸びた枝を、頂きまして候。このオイル瓶の、ピンク色の花と赤い実の取り合わせは、私のあまり使わない組み合わせ。でもなかなかの配色だ。    
        

『   
2008年5月17日(土)
『SUPERMARKET MANIA 〜雑貨コレクター・森井ユカの世界展〜』

有楽町線は「護国寺」駅、講談社1F『Kスクエア』で。たまたま4日の日曜夜9時からの、FM東京『松任谷正隆のTIME SPACE』なる番組に、彼女がゲスト出演していて、この展覧会を知り得ました。Lucky!!! この番組は、いつも飲んだくれております時間なので、最後の方しか聞けないのですが、トークの内容で瞬時にどなたかわかりました。正隆さんは、“独特の目線(目つきだったような)をお持ちのようだ”とかなんとか、言っておられました。そもそも旅に出かけても、ブランド品などには全く興味がなく、国内外問わず、チェックせずにはいられないのが、スーパーマーケットという私は、彼女の本『スーパーマーケットマニア』のヨーロッパ編、アメリカ編、アジア編には飛びつきました。今までにマーケットの日用品がこのように大々的に日の目を見ることはなかったような気がします。会場には、これらの本に載っている食料品のパッケージや缶、雑貨、文具類がおよそ1000点展示されています。本は写真がとてもきれいで、巧みに撮影されているのですが、やはり、雑貨の質感は、実際のお目めで見ないとわかりませんね。ありました、ありました。あの復刻版・冷凍食品『TVディナー』の箱が。やはり、お味の方も昔のまま復刻されていて、超○△い!そうです。母は60年代の始めに、これをオーヴンで調理中、眉毛をば焼きました。当時のオーヴンはガス点火式で、コックをひねったまま、箱の directions を読みふけっている間に、ガスが庫内にたんと充満してしまい、着火して扉を開けたときに炎が・・・という次第なのだそう。 ワンプレートに何もかものせて一食用、というTVトレーにずずっと憧れてきたのも、このready meal が潜在意識の中にあったからではないでしょうか。今月18日まで。講談社と地下鉄をつなぐ最寄りのエレベーター(ほとんど社用なの?)には、『K社の協力(資金的?)でできた』というような内容の但し書きがありましたとさ。 『旅の秘密コーナー』には、彼女の取材用グッズがいっぱい。取材メモの字が、とてもとても読みやすい!さすがイラスト類は、モノの特徴をしっかりおさえてムダがなく、プロを実感。しかし、何度読んでも、見ても、???の抜き書きなども。                                       

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2008年5月10日(土)
ランジェ公爵夫人−岩波ホール− 

私は万事において、“駆け引き”ができないたちゆえ、このような、ありとあらゆる術策を尽くした城の攻防戦のごとき、ふらんす流恋愛は、解せぬところが多いのだが、この映画では、それがほとんどを占めるので、それだけいっそう、いつしか激しく引き合う普遍の、男女間に流れる感情にこころ動かされる。言葉が、かくも官能的な道具だったとは。今回、2:40分からのmatinee だったけれど、中高年層が圧倒的に多かった。このホールでうれしいのは、明かりがつく最後の最後まで、席を立たない人がほどんどであること。上映時間まで半時間あったので、久々にやってきた神保町をぶらりと歩いてみる。ラドリオ、ぶらじるのある路地裏もそのままだ。古本屋のガレージセールをちょいとのぞいてみたが、吉行淳之介の『菓子祭』はなし。さぼうるの珈琲には、やっぱり落花生がちゃんとついてきた。でも、臙脂いろの、小さな直方体のマッチの姿はどこにもなかった。     

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2008年5月5日(月)
澁澤龍彦回顧展 記念講座A 四谷シモン『澁澤さんと人形』   

グレーの頭を掻き々、眼鏡を換え々、訥々と人形に憑かれた少年時代の話から始める。中学時代はぶらぶら、ハイミナールをやりながら、靖国神社近くのジャズ喫茶(店名はキーヨと聞こえた)で仲間とたむろしていて、その中にコシノジュンコらもいたそうな。そんなある日、大岡山の古本屋でたまたまめくった雑誌から、ハンス・ベルメールの人体写真のようなものがこぼれ落ちた。それまでに人形は自分なりに創っていたが、これで彼は完璧に人形にひっかかってしまったようだ。澁澤龍彦の『幻想の画廊から』の中の、『人形が動く』、人形を表現するのに使われた『痙攣』という言葉に衝撃を受け、友人の金子國義に話したところ、上北沢の内藤ルネさん所有のアンティックドールを見に連れられて行き、『なんて、かわいいんだろう』という印象を持つ。彼に連れられ、土方巽の暗黒舞踏、薔薇色ダンスにも行くが、そのときは、とてつもなくただただ可笑しく、お腹の皮がよじれるほど笑ったという。また、金子が出ていた芝居を見に行き、楽屋で掌に山盛りのヘアピンを髪にさしてくれないかと頼んだのが、唐十郎で、『変な奴』がいて、嬉しくなったと。それ以来、暫くアングラ芝居にのめりこんだようだが、今回の展示で初めて、女装した役者姿を見た。結局27歳のころ、再び人形に戻り、青木画廊の青木氏から500万円借り、背水の陣で個展を開く。澁澤から寄せられたオマージュに因んでタイトルは『未来と過去のイヴ』。この展覧会の為に、かなりの無理をして作品を創り、若かったから、『労働』で創り切ったと表現していた。全作品完売→借金完済。彼はときどき遠いまなざしで、時折中空にぽ〜んと放たれた澁澤の言葉を思い出すようにつぶやく。たとえば、北鎌倉の濃い緑を指して、『この深い緑を毒素と言った詩人がいるんだ』とか、雲を見やりながら、『おまえは雲だと言った詩人がいる』など。また、三島由紀夫が亡くなった翌年のお正月に、お酒を飲みながら、『俺も死ぬな〜』と言って泣いたとき、あの澁澤さんでも涙をこぼすんだと思ったと。語りを集約すると、四谷シモンの人生を創ったのは澁澤龍彦である。少しずつ、“澁澤龍彦”というインクが、20代の、人形しか頭にない、白いカンバスに染み込んでいった、と自身も表現していた通り、生きることも、作品を創ることも、澁澤色一色になっていったことがよくわかる。こんなにも強く影響された人に出会えるなんて、私には羨まし過ぎるのだけれど、それにしても、やがてさまざまなジャンルで一世を風靡する“変な人たち”=きわどい天才らは、変な人たちを呼んで、胎動していたのか。その他、『快楽主義の哲学』から『人生には目的なんかない』、『夢の宇宙誌』からの抜粋、【玩具について】より、『人形は芸術などではない』などが、四谷氏が打ちのめされたフレーズとして出た。最後に渋澤から教えられたという歌をサービス・・・しかし、メロディーはおろか、歌詞は『蛇の目』と『燕』しか私の耳には食いついてこず・・・。それから、会場に来ていた、彼の人形に触発され、ホフマンの『砂男』のビジュアル化をし、夫人がそこで、人形を意識したメークで踊ったというカップルを紹介。十二分に変な人たちだったのだった。ふぅむ、worldwide でヘンな人たちは存在するであ〜る。    

2008年5月3日(土)
澁澤龍彦回顧展 記念講座@ 高橋睦郎『最高のホスト』、対談 with 澁澤龍子『澁澤素のまま』   

たった千円で、なんて充実した一時間半だったことか。追悼詩(古い形式)の朗読、『友だちのつくり方』より、関連部分を読み上げたり、聴講者から夫人に聞いて欲しいことなど求めたり。夫人は明るく、ウィットに溢れていて、澁澤龍彦とは嗜好は異なっていたが、返ってそれが、澁澤の作家としての新境地を開かせたようだ。矢川澄子とも親しかった高橋氏は、何もかも熟知しており、澁澤の2度の結婚、(一度の離婚)の経緯についても、夫人の承諾を得ていると、真相を話した。世間の大半は、おそらく、間違った印象を持っているだろう。彼のスピーチの中で印象に残った部分を記しておこう。
『心とは恐ろしい街である』
『三島由紀夫は、暗く、利己的で、非公正であったからこそ、表はその逆を演じていたのに対し、澁澤は、軽やかで、押しつけがましくなく、明るく、親切で、shy, 公正だったのが、素であり自然のままの彼の姿だった。サド作品を手がけたのは、彼の公正さからくる義侠心ゆえで、作家というものは、悪を引き受けるからだろう』
彼の何が好きかというと、私は、字が大好きなのである。この丸っこい字面は人柄を表す。『サロンには、人間だけでなく、表現のテーマも集まる』
『澁澤は《懐かしい》タイプの人−“懐かしい”とは、“なつく”が語源、暗く湿っていては、人はなつかない』
『作品は、作家の究極の住まいでお墓である』
澁澤龍彦の本の装幀にしばしば、いろいろな処で惹かれてきたのだが、彼は執筆だけでなく、本を創ることそのものに歓びを感じており、手に取っても、置いても美しい本を求め、自らも装幀を手がけたようだ。audience からの質問で『遺言のようなものは?』に対し、夫人の言−死後に大全集を出して欲しいということ。自分の作品は死後も必ず売れるから、保険など入らなくていい』−なるほど今なお引力衰えず。
笑いの絶えない愉しい時間だった。

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2008年4月26日(土)
澁澤龍彦生誕80年回顧展−県立神奈川近代文学館−

昨年の、鎌倉美術館での回顧展と横須賀美術館での『澁澤龍彦 幻想美術館展』に次ぐ催し。彼の幻想文学の翻訳や小説に惹かれたというよりも、たとえば、ビアズレー、野中ユリ、金子國義の装幀、四谷シモンの球体関節人形、横尾忠則のポスターなど、今まで強く引かれてきた世界が、少なからず彼の周囲に存在していたということに、気づき始めてから、彼の周辺をうろうろしだしたようだ。いつのまにか、北鎌倉に降り立つと、山ノ内の、あのくすんだペパーミントグリーンの澁澤邸のサロンを想ってしまうようになっていた。異端と呼ばれた才能溢れる人たちとの、あまりにも豪華な交遊の軌跡には、ため息。そうか、吉行淳之介とも・・・強烈な美意識を持ったひとに、なにゆえかくも惹かれてしまうのだろう。それに、やや narcissism なところにも。ミニチュア本棚シリーズで彼のもと思いついたときは、実際問題として、単行本がもはや入手できない状態。時すでに遅し。やっと古本で『フローラ逍遥』だけはおさえたけれど。