「有事法制」「イラク派兵特措法」をどうするのか?(1)
これまでの平和運動の問題とこれからの新たな課題への提案
(ピースネットニュース2003.8.10号)
☆☆ 憲法9条が
自衛官を
守っていると
考えたこと
ありますか。 ☆☆
非核市民宣言運動ヨコスカ 新倉裕史
「大変だ!」という運動はやめよう
まず有事法制について神奈川の反基地運動はわりと共
通した認識を持っているのですが、それは反戦運動の創
り方について反省しなければいけないことがあるのでは
ないかということです。日本の平和運動というか反戦・
左翼運動の古典的なパターンですが、「こんなに大変だか
ら反対しよう」と言う時の「こんなに」が非常に極限的
なことを想定して、「だからこの法案は危険なんだ。反
対しましょう!」という反対運動の創り方だったと思い
ます。有事法制の時もそうで、冷静に考えればそんなこ
と簡単にはできそうもないことを、あたかもすぐできて
しまうようにおどろおどろしく語ってしまう。(略)
(略)正しい時代認識を持つとか、我々に投げかけられて
いる問題を理解しなければいけないというのは正しいと
思いますが、私は社会運動として常に提示すべきは
「希望」だと思います。日本の平和運動にはそこがなく
て、いつも最悪のシナリオを出して(略)、それは結果的
に日本政府の獲得目標をアナウンスしているだけです。
日本政府の代わりに、来るべき社会の現状を解説してし
まっているだけで、反撃する大きな力がこちらにあれば
それは有効かもしれませんが、それは違うんじゃないか
とずっと思っていました。(略)
有事法制を崩すには自治体がカギとなる
そのために僕はもっと有事法制にこだわった方がいい
と思います。次はあれだとかこれだとかと移行していか
ないで、ここで踏みとどまってそれにこだわるというや
り方をしなければいけないのではないかと思います。
周辺事態法の時は自治体からある種の警戒感・抵抗感
があったように思います。それはそれだけの理由があっ
て、有事法制の時にはもっとひどい法律なのに自治体か
らの抵抗感があまり表現されませんでした。周辺事態法
が発動される時とは、外で行われる戦争にどう自衛隊の
力や民間が動員されるかであって、その時に自治体その
ものは戦場にはなっていないわけで、非常に冷静で客観
的な判断ができると思います。戦争そのものを相対化し
てそれに協力することの是非を問うことができるから、
冷静にノーという声が自治体の方から出てきたわけです。
ところが有事法制は日本政府の枠の作り方がじょう
ずで、「日本列島が戦場になる」ことを前提としました。
その時に地域住民の避難などの問題をどうするかという
ふうに、それぞれの自治体に網がかぶせられて、地域住
民の生命・財産を守る首長としては、その時にはある程
度の法的整備がなされていないとより大きな混乱が生ず
るということで、とりあえず一定程度の法整備は必要だ
ということになったわけです。だけれども多くの首長が
「だがしかし」と言っています。それはほとんど
中身は「反対だ」と言っているのです。
先日横須賀でやった地方公聴会で横須賀の沢田市長
が意見陳述して、僕はもっとやばいことを言うのかなと
思ったら、5人の意見陳述の中で一番良かったのです。
2年前に神奈川県の全自治体の首長にアンケート調査し
た時に、横須賀市長だけが「日本政府の説明は良く理解
できる」と言っていました。周辺事態法の時にも全国の
首長にめずらしく「この法律は必要だ」と積極的に肯定
していました。有事法制もそうです。「説明は理解でき
る」と言った。その沢田市長が地方公聴会で日本政府に
対してどう言ったかというと、「その日本政府の説明は全
然なっていない。これでは市民を説得できない。」と言
いました。沢田市長を説得できないのなら、市民を説得
できる首長は日本中どこを探してもいないと思います。
とても良く日本政府のことを理解して、充分日本政府の
言っていることをわかったと言っている首長が、これで
は市民を説得できないと言っている。その違いの中に自
治体の平和力のかぎが隠されていると思います。彼は地
域の住民の代表として発言しているわけですね。
市民と自治体が冷静に考えることで道が開ける
有事法制に関して言えば、市民と自治体が一緒になっ
て「国民保護法制」の成立まで1年間我々が「これはこ
うすべきだ」と言えるようにできると思います。その時
に有事法制の空洞化の相当なことができるはずです。例
えば、15条の自治体に対する指示と強制代執行につい
ては、「別に定める法律によって」と書いてあるんです。
多くの人は別に定める法律というのは「国民保護法制」だ
と言いますが、だけど国立の上原市長は「別に定める法
律とは何か」と聞いていて、「地方自治法なのか新たに
作る法律なのか、どちらか答えなさい」と問いましたが、
日本政府は答えていない。これから作る法律だとも言っ
ていない。地方自治法だとも言っていない。それはもし
かしたら答えられないのかもしれない。(略)いずれにし
てもちゃんとした手続きを法律で作らない限り、自治体
に対する指示や代執行なんてそう簡単にはできない。
できない内は地方自治法に基づいてやるしかないんです。
だとすると有事法制だって、結局は実際にそれを使お
うとした時には現行法とセットにならざるをえません。
となると憲法の中に国家の非常時の対応が盛り込まれて
いない以上は、個別個別でやるしかない自衛隊隊法改正
の中に適応除外条項がいくつか盛り込まれたけれど、逆
に言えば適応除外条項以外は違うんだということです。
ですから有事法ではこう書いてあると言っても現行の個
別法ではこうだ、という法的枠組みがあった時にどちら
を選択するかということです。それができないのは、日
本列島が戦場になって右往左往する中でで、冷静な判断が
できなくなった時がそうでしよう。
だけれどもそれだけに僕らがありうる有事のイメージ
をちゃんと出す必要がある。(略)実際に有事法制が発動
されるような日本が戦場になる、北朝鮮からミサイルが
飛んでくるということはあるとしても、日本列島全体が
戦場になって、例えば東京首都圏3000万人の住民が
みんなで避難しなければいけないなんていうこと
はありえないことです。誰も想定していません。
ありうる有事のイメージとしてもっと我々がちゃんと出
していけば、それは周辺事態法の時と同じように自治体
が冷静にこの戦争に加担していいのかどうかとい
うことを判断できるような状況でしかないはずなん
です。(略)、多くの学者や反対運動の反対論の組み立て
方が、日本政府の設定した枠の中で、日本列島が戦場に
なるという想定でああだこうだと論じていたために負け
たと思います。
その時に「いやそうじゃないんだ」「自治体がもっと
冷静な判断ができる現場に置かれるはずだから、その時
に冷静な判断ができるように、平時の今から市民が有
事法の解釈、読み方といったものを、自治体と共
同でやってみよう」というような取り組みが必要だし、
その最大のポイントは沢田市長ですら市民を説得できな
いというところにあります。本来なら日本政府に説明責
任があるはずなのに、「それを果たしていない」と多くの
首長が言っているわけです。誰も納得はしていない。だけ
ど戦争になったらどうするという恫喝の前にみんな
金縛りになって、「仕方がない」と思ってしまって
いるわけだから、戦争になったらどうするんだという金
縛りをどう解くか、そのことがとても大きいことであるし、
その中ではいくらでもがんばれる。
抵抗の芽を自ら奪うことはやめよう
そう言うと、ただ強がりの楽観的な見方だと思われる
ところもあるけれど、でも周辺事態法の時を思い起こし
てほしい。(略)周辺事態法の時には誰だって拒否はでき
ないと言っていたわけですが、有事法制を前にして周辺
事態法には強制力がないから、致命的欠陥があると言っ
ているのです。だとすると有事法制にも致命的欠陥があ
ると思って論を立てる方が、むしろ健全なのではないか
と思います。
憲法そのものが危ないけれど全然手を加えられていな
いことは確かだし、そこは有事法制が個別法としてどう
作られたって、憲法を超えられません。憲法に対するあ
る種の下克上だという言い方はあるけれども、そこまで
言うと評価しすぎではないかと思います。要はこちらの
構えなんです。
例えば民間に対する業務従事命令に関しても罰則を基
本的に設けていません。なんで罰則を設けないかという
質問に対する答えは「罰則を設けて嫌がる人のケツをた
たいて、いやいや協力させたって思うような効果は上が
らない。場合によっては自衛隊の足手まといになるだけ
だ」と言っています。だから罰則で動かそうとは思ってい
ません。必要ならばその時に自ら進んで、「お国のため
に働きます」ということが大事だと言っているわけです。
とすると反対運動の側が「有事法制によってあれもでき
ない、これもできなくなる」と先回りして言ってしまう
のは、抵抗の芽を自ら奪うことになってしまうことに等
しいのではないでしょうか。日本政府が獲得したい「罰
則はないけれども、仕方がないから動いてしまう」とい
う人を作るだけになってしまってはいないかということ
が、この間の僕の疑問であり、有事法制に関して一番言
いたいことです。
だから例えば江田島の町長が有事法制についての回答
文書で「今審議されている有事法という個別法」と言っ
ているのですが、今は自治体の数が減らされようとして
いるけれども、現時点で言えば国1対自治体3200の闘
いなんです。普通考えたら1対3200だったら3200の
方が勝たないほうがおかしいんです。いくら国家権力が
強力だとしても、現場では国家権力というのは幻想な
わけです。国家権力の顔をした人というのは、実際現場に
はいないんです。警察にしても結局は自治体単位なのだ
から、1対3200の力になった時に3200の自治体から
どんな弾が飛んでくるかわからないわけです。
住基ネットにつながない自治体が次々と現れたよう
に、むしろ日本政府は現場を拡大したんだと考えていい
のではないかと思います。今まで軍事・平和問題というの
は基地を抱えている自治体固有の命題でしたが、今度は
どこが戦場になるかわからないという想定を日本政府が
作った時点で、日本中の全自治体がこの問題に対して補
償などを考えなければいけない状況を作ったわけです。
そして自治体が冷静に考えられることがわかった段階で
は、日本政府に対して有事法制の解釈は違うんじゃない
かという声が現場から出てくると思います。
自衛官の平衡感覚と平和運動の出会い
あと自衛官問題に関して言えば、イラク戦争の時に横
須賀基地のゲート前で米軍兵士と家族にイラク戦争につ
いての投票をお願いしたんです。全部で34票だからサ
ンプル数はとても少ないけれども、一番多かった投票は
戦争反対なんです。国連決議のない戦争を支持するとう
いうのはわずかに17パーセントくらいでしかなくて、
そういう現場感覚というのは、前線配備されて戦場に近
い実際に戦争に参加し、もしかしたら戦死するかもわか
らないという現場を抱えたところでは、平衡感覚が生ま
れるのではないでしょうか。アメリカ政府の中でもっと
も冷静だったのが、軍人であったということにつながっ
ていきますが、日本の中でも自衛隊の中に生まれるであ
ろう、あるいはもしかしたら生まれているかもしれない、
自衛官のそういう冷静な平衡感覚と平和運動が幸せな出
会いを求めるべきだと思います。
自衛官がそういうことを望んでいることは間違いない
ですね。この何年間のわずかな接触の中からもそういう
ことがありうると僕は思っています。ところが日本の平
和運動というのは、兵士との付き合い方の訓練がとても
できていなくて、「税金泥棒」とののしるか、いきなり「人
民軍を作るための兵士獲得」という両極端しかありませ
んでした。それで僕らがあえて「明るい兵士運動」と言っ
たのは、自衛官に働きかけるということがごく普通のこ
ととしてあるようにしていきたいと思ったからです。
自衛官の生命と人権を守る「9条」の強さ
憲法9条に対して言えば、アメリカの一極支配、ある
いは軍事優先思想の中で憲法9条の持っているある種の
先見性があるわけです。(略)これだけひどい現実だけれ
ども、でもこんな力がまだ発揮できているというような
積極面・肯定面を世界の人にアピールできない限り、世
界の人は振り向いてくれないと思います。要するに「首
の皮一枚でつながっていて大変なんです」というのは、
「助けてください」というメッセージなんだから、世界
の人たちにとっては「そんなのお前らでがんばれ」とい
う話でしかありません。そうじゃなくてここまでひどい
んだけれどもこれだけの力があって、ここを動かしえな
いそれだけの力があるんだということをアピールするこ
とによって、世界の人たちが振り向いてくれるんじゃな
いかと思います。
例えば一番実際的にそういう力が表現されているのは、
自衛官が戦死していない、あるいは今度のイラク特措法
にしても後方支援でしか自衛隊が参加できないというこ
とです。そういう自衛隊の日々の動きを規定していく力
としての9条の力というのは大きいと思います。
僕が今年読んだ本の中で一番面白いと思っているのは、
内田樹さんの「寝ながら学べる構造主義」という本です
が、この人は「要するに憲法9条と自衛隊が共存してい
るところの日本の平和主義」という言い方をしています。
(略)僕は自衛隊という軍隊は、訓練はするけれども絶
対戦争はしないという特別な軍隊で、しかし存続は認め
るというところをどう見るかとずっと考えていました。
そこで内田氏が9条と自衛隊が共存するところにある種
の強さがあると言うのは、とても面白いと思ったわけです。
それを運動としてどう展開するかというのはとても難
しいのだけれども、過渡期的には現実に存在する自衛官
の人権・人格を認めて、そして自衛官の生命と人権を守る
ために役にたちたいという思いそのものを肯定的に受け
入れる、そういう存在としての我々というのをまずちゃ
んと表現した上で、自衛官と接点をどう作るかというこ
との中からもしかしたら、新しい9条の意義というのが
出てくるのではないかと思います。それだけに自衛官問
題に対するアプローチの仕方というのは、これからのと
ても重要なテーマだと思います。
自衛官問題への公開性と一方通行の原則
自衛官問題を考える際に、僕らは二つ確認事項を出し
ました。ひとつは公開性、もうひとつは一方通行。公開
性は、(略)みんなが見ているところで、正面から堂々と
やる。一方通行は自衛官を獲得しようとしない。こちら
側から「とにかく我々はこう思う」ということを言うだ
けであって、聞いた自衛官が何をするかということも自
衛官にすべてゆだねる。(略)ある時自衛官が何かを決意
しようと思った時に、「ああそう言えばあんなこと言って
いたやつらもいたなあ」というふうにちょっと思い出し
てもらえれば、それで十分という意味での一方通行です。
(略)
そういう意味で言うと、ますます我々の問題の立て方
と思想性が問われている時代になってきていると僕は思
います。そういう今の状況は、誤解を恐れずに言えば、
やはり「面白い」という感じがあります。日本は結構深
刻ではあるけれども、でもこの日本の深刻さというのは
世界的な水準から言えば、そうでもないのです。もっと世
界は深刻です。何十万人と反戦デモで参加者を集めたっ
て実際にアメリカは戦争してしまうんです。日本はデモ
に5万人しか集まらなくても戦争はしないわけです。そ
うした現状を作ってきた憲法の規定力というのはすごい
と思います。そういうふうに見ると日本が抱えている問
題は世界水準から見ると深刻な中にもまだまだ充分解決
ができるし、いろいろなやり方ができると思います。そ
の辺は結構面白いんじゃな:いかなと思っています。
(これは7月5日に行なわれたある会合での話を編集部
の責任でまとめたものです(略))
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「有事法制」「イラク派兵特措法」をどうするのか?(2)
有事法制体制を崩す労働者ひとりひとりの良心的拒否の輪を!
(ピースネットニュース2003.9.10号)
脱軍備ネットワーク・キャッチピース 田巻一彦
有事法制が成立した今、自分から進んで主体的に戦争
に協力する私という存在が、政府により待望されている
わけです。小中学校で使われる道徳の「心のノート」と
いう副読本は、とても評判は悪いですが、全部読んでみ
るとそんなにやばいことばかり書いているわけではない
んです。(略)最後に国のことが書いてあって、「国を愛
することは大事だ」とあります。「しかしそれは偏狭なナ
ショナリズムではいけない」「世界の中の日本だ」と書い
てあるのです。そういう考えの下で作られていく「戦争
に協力する私」なんです。そういう「私」が政府により
求められているのです。
だから周辺事態法をめぐる議論の際に私たちが持った
直感はやはり正しかったと思います。周辺事態法はけっ
して「国家総動員法」の焼き直しではなく、復活でもな
く、すごくハードな国家主義が前面に出てくるという流
れではなくて、非常にある意味ではやわな、ソフトな「国
家主義」の顔をしていると思っていました。そしてそこ
で国家の統合力が途切れた時に最終的にどこで囲い込ま
れるのかと言うと、それは職場の労使関係だったのです。
「国家権力は部長の顔をしてやってくる」ということでは
ないか、と私は最近言っているんです。安部官房副長官
が5月9日の衆議院の外務委員会で有事法制について答
弁しているんですが、「私たちが想定しているのは我々国
と法人との関係でございます。法人に対して我々はそう
いうお願いをするわけですが、この中で従業員が個人的
な考え方や理由によってその業務を拒否したということ
になりましたら、それはその法人の中でのラインによっ
て処罰される。」と言っています。それで「これは必ず
しも武力攻撃事態ではなくて通常の業務においてもそう
いうことが生じる」とも言っているわけです。
これはすごく暗い感覚で読むと、非常にやばいことだ
と思います。要するに日本は国家に代わって企業が自由
権を統治しているということになります。そういう文脈
で読むとこれはすごいやばいことなんですが、しかしこ
れはある意味で面白いことでもあります。これは我々に
とっても今後の取り組みの手がかりになるかもしれない
のです。結局日本はこれしかないんですね。国家が我々
を強制することはできないんです。その代わり会社にお
願いするんです。あくまでも自発的な協力を求めるんで
す。会社はこれは儲かると思ったら、「わかりました。
やります」となります。そしてそれを労働者には業務命
令でやらせるのです。
このことを労働運動をやっている人に「それでは労働
組合はどうするのか」と考えて下さいと言いました。(略)
例えば労組が元気良く「断固拒否する」なんて今
宣言したとしても、実際に業務命令を振りかざされて何
かやった時には労働組合は100パーセントころんと変
わると思います。労働組合の組合員と言ったって普通の
国民である以上は半分くらいは戦争に協力したっていい
んじゃないかと思っている人がいるわけで、それが民主
主義というものかもしれません。
そうなると逆の場合も含めやはり個人が大事だと思いま
す。「労働組合はこう言ったけれど、私はいやだ」とい
う人の思いを貫徹させるような仕組み・運動の提案がで
きるのではないかなと思います。それは個人の良心の問
題だと思います。個人の良心というのは多数決では決め
られません。これは米国の民主主義の真髄でもあり、み
んながいいと言っていても私は嫌だということが認めら
れています。日本の労働運動にすぐ適用はできないかも
しれないけれど、いわば良心的兵役拒否の思想を平時の
運動としてできないかと思います。
例えばシングルイシューユニオンとして「戦争拒否者ユ
ニオン」みたいな労組を作っておいて、それは2重加盟
でもかまわないとしておいて、いざとなったら「私は戦
争に行きたくありません」という人が平時から入ってい
る労働組合があってもいいと思います。そういう人が業
務命令を出されたら、組合が交渉に行って「業務命令を
撤回しろ」と言うのではなくて、「その代わりこの人は
しばらく組合が預かってボランティア活動をやってもら
う」と要求したり、あるいは会社がその間別な仕事への
出向を命じたらそれを受け入れるけれども、それ以上の
ペナルティーは許さない。そういう個人の良心・意思に
立脚して、それをサポートするような新しい労働運動が
考えられないかなと思っています。また労働協約の中に
戦争協力拒否ということを入れるというのは大変なこと
ですが、できないものかとも思います。
企業が中心というのは日本の有事法の真髄ですね。米
国では絶対そんなのは出てきません。戦前の国家総動員
法ともだいぶ違います。そういう現在の日本での新たな
戦争拒否の運動を構想していきたいと思います。例えば
自衛隊員だって特別国家公務員という労働者です。
「私は自衛隊に入ったけれどみんなの役に立つために入
ったのであって、入を殺すために入ったのではありません。
だからこの仕事はしたくないです。」ということを
言えるようになったっておかしくないと思います。
先日ある新聞社の記者がインタビューしてきて「イラク
新法では反対運動が盛り上がらない」という非常にステ
ロタイプ的なことを言っていたのですが、「それはしょ
うがないじゃないですか」「だっていいことやろうとし
ていると思っている人がたくさんいますよ。」と言ったん
です。「イラクの復興と人道支援をやる、その際にちょっ
と危ないところだから自衛隊が行って自分の身くらい
守っていけないといけないのではないか。」と考えている
人はたくさんいると思います。だからイラク戦争反対の
世論とイコールではないのは当然です。ところが国家の
方はこの機に乗じて自衛隊の権益・活動範囲を拡大した
いと考えているわけです。そうしながら米国に協力する
という姿勢を見せておこうというレベルです。そういう
中で自衛隊員が利用されていくことに自衛官が拒否する
ことがあってもいいと思います。
ただ労働運動の問題だという立て方は違うかもしれな
いなとも思います。古典的な労働運動ではなく、現在の
労働現場は流動化していて派遣会社員であったり、アル
バイトであったりする人も増えています。たぶん戦争協
力につながるようなやばい仕事は本工労働組合が拒否す
れば、どんどん下請けに流れていくような気がします。
それでも政府が考えるようにうまく機能するのかは疑
問ですし、そこをうまく衝くことで有事法制空洞化の可
能性も見えて来るかなと思います。有事法制というのが
一番インチキなのは、誰もあり得ないと思っている国内
が戦場になるというシナリオに基づいてできているとい
うことです。ありうることというのは例えば
朝鮮戦争です。国内での戦争ではないと
いうことははっきりしています。だとすると
何のために有事法制を作ったのかというと、私は
大げさに言うとイデオロギー攻撃ではないかと思い
ます。要するに「日本が戦争するということが、
あり得ることなんだ」ということを受け入れ
させるためだと思います。そういうキャンペーン
だと思います。そうではないと、戦争には協力しないとはっ
きり言える個人の良心に基づいた運動が今求められている
のではないでしょうか。
(前号の「非核市民宣言運動ヨコスカ」の新倉裕史さん
の問題提起に続き、同じ7月5日に行なわれた会合での
発言を編集部の責任でまとめたものです。(略))