検証「不審船」事件
”排他的有事国家”への道
              前田哲夫(東京国際人学教授)/週間金曜日2002.1.11
 
昨年12月22日、東シナ海洋上で国籍不明の「不審船」を海上保安庁が銃撃・撃沈した。事件を検証すると、攻撃の違法性、そして昨年の米国テロ以降、日本で強まる”排他的有事国家”への道が見えてくる。
 
(略)
 昨年12月22日、東シナ海洋上で起きた海上保安庁巡視船による「国籍不明船銃撃・撃沈事件」は、日本が初めて国外において先制的な武力行使に踏み切り、外国人死者多数をもたらす事例として記録されることになった。
 
 ”不審船”発見から撃沈までの過程を調べていくと、公海上で日本政府公船が行なった国家主権の発動が、国内法の適正な手続きを欠き、また国際法からみても過剰かつ違法な行為と非難されて致し方ない乱暴なものであった事実が明らかになる。同時に、「テロ対策特別措置法」にもとづく自衛隊艦艇のインド洋出動と時を同じくして発生した時期の一致から、今回の事件には、海上警察活動に名を借りた”周辺事態対処”の側面も見え隠れする。事件は終わったのでなく、”有事国家”を外にひろげる方向に開かれているのである。
 
公海上を航行していた”不審船”
 
 まず事実関係を押さえておこう。海上保安庁発表の「九州南西海域不審船情報(第一報)」によれば、防衛庁からはいった「九州南西海域で一隻の不審な船舶が航行中」との情報にもとづき、海保航空機がその船を確認したのは、12月22日午前6時20分、奄美大島大山崎灯台から北西約240キロメートルの地点である。急派された巡視船いなさが午後零時48分、海上において視認したとき、同じく西北西224キロメートルの地点に移動し日本近海から離れつつあった。日本の主権がおよぶ領海は海岸線(基線)から12海里(約22キロメートル)なので、発見時、”不審船”は公海上を航行していたことになる。同1時14分、いなさは、外観は漁船であるのに魚網がみられない、などを理由に違法行為目的の航行と判断、停船命令を発したが、無視された。ここから、銃撃・火災・沈没にいたる公海上約九時間の追跡劇がはじまる。
 
 国連海洋法条約は「公海は、(略)すべての国に開放される」(第87条)と規定し、「いかなる国も、公海のいずれかの部分をその主権の下に置くことを有効に主張することができない」(第89条)、「いずれの国も、(略)自国を旗国とする船舶を公海において航行させる権利を有する」(第90条)とさだめる。公海自由の原則と呼ばれる慣習国際法に発する伝統的な海洋のルールである。航行船舶には(奴隷取引や海賊行為、麻薬の不正取引に従事していると認められた場合以外)、その船が属する国家のほか管轄権はおよばない。したがって、この時点で”不審船”は、平穏な航行を享受する国際法上の権利を有していた
 
 一方で事態をやや複雑にしたのは、発見海域が日本の「排他的経済水域」(以下EEZと記す)の内側にあったことによる。公海であると同時に、そこは日本側が一定の公権力(海上警察権)を行使できる海域でもあった。国連海洋法条約は「沿岸国権限ある当局は、外国船舶が自国の法令に違反したと信ずるに足りる十分な理由があるときは、当該外国船舶の追跡を行うことができる」と、沿岸国による捜査および追跡の権利を認めている(第111条)。
 
 巡視船はこれを根拠に”不審船”にたいし漁業法違反の疑いで停船を命じ、無視されるや「立ち入り検査忌避船」として追跡をはじめたのである。「九州南西海域不審船対策本部」(午後零時50分設置、本部長・縄野克彦海保長官)の指示をうけ、巡視船艇20隻も現場に向かう。
 
 EEZ制度は1982年の第三次国連海洋法会議で新たに登場した海洋区分の新秩序である。94年発効した国連海洋法条約はこの概念を取り入れ、領海に接続する水域であって沿岸基線から測って最大200海里(約370キロメートル)を沿岸国のEEZとし、その海域に特定事項についての「主権的権利」と「管轄権」を容認した。すなわち200海里海域内での海底・地下をふくむ海産物、海底資源探査・開発・保存・管理にわたる主権的権利、人工島や施設等の設置・利用および海洋科学調査または海洋環境保全にかんする管轄権がそれである。その結果、沿岸国の領海外における権利は大幅に拡大された。とはいえ、それは領海の場合のような包括的・空間的な主権領域とことなり、事項的に限定された「機能的な領域管轄権」として区別される。当然ながらEEZにおける権利行使は、特定の事項と違反行為にしか適用できない
 
 ”不審船”が発見されたのは、そのような公海自由と沿岸国の主権的権利が混在する海域だった。日本は96年、国連海洋法条約を批准し関係法令の整備を行なっている。『海上保安庁五十年史』には、「新たに『排他的経済水域における漁業等に関する主権的権利の行使等に関する法律』が施行され、排他的経済水域において、漁業等にかんする管轄権を行使することになった」とある。この主権的権利にもとづき、巡視船側は、”不審船”の、「問い合わせに応じない、旗を揚げない」拒否行動をもって、漁業法に「違反したと信ずるに足りる十分な理由がある」とみなし、「当該外国船舶の追跡を行うことができる」権利を行使した。追跡と停船命令、ここまでの海保の対応は国内法、国際法どちらに立っても一応正当化されるだろう。
 
領海外での威嚇射撃
 
 しかし、ここから状況は一気にエスカレートした。午後2時36分、停船命令無視を理由に巡視船がいきなり威嚇射撃を開始したのである。20ミリ機関砲による発砲は3時17分まで五回行なわれた。つづいて威嚇射撃の砲口は、船体そのものに向けられた。
ー午後4時16分、巡視船いなさが、警告の上、船尾部に向けて20ミリ機関砲により威嚇のための船体射撃を実施し、命中した(不審船情報第五報)。
 
ー午後5時23分、巡視船みずきの20ミリ機関砲による第二回目の威嚇のため船体射撃を実施し、ほぼ全弾命中。午後5時24分、同船より出火。午後5時26分、同船停船。停船位置は、奄美大島の大山崎灯台から西北西293キロメートル(第七報)。
 
 このあと、火災鎮火、ふたたび航行開始、船体射撃が何度か繰り返され、午後9時53分、巡視船二隻が挟撃して接舷、拿捕しようとしたところ、白動小銃とロケット砲による反撃をうけ(午後10時09分)、巡視船側が「正当防衛射撃」で応射、午後10時22分、”不審船”は沈没にいたるのである。
 
 「海上に浮いている同船乗組員約15名については、更なる攻撃の可能性があるため、巡視船乗組員の安全を確保しつつ救助にあたる」(第22報)として、救命ボートは降ろされなかった。沈没地点は奄美大島大山崎灯台西北西400キロメートル、すでに中国側EEZの内側に入っていた。
 
 以上の経過に明らかなとおり、発端から終末まで、現場海域はすべて日本の領海外である。当然、99年の「能登沖不審船」のような領海侵犯=不法入国容疑は存在しない。たしかに日本EEZ内ではある。同時に、そこで可能な日本の「主権的権利」は、密漁、海洋汚染、資源探査活動など違法取締りに限定され、これらの事項に違反しないかぎり、他国の船は引きつづき航行の自由を行使できる。”推定容疑”は排除される。EEZにおける沿岸国の権限の行使には、国内法と国際法どちらからも厳格な罪刑法定主義と適法手続きが課せられているのである。
 
 であるなら、”不審船”が銃撃とロケット砲で反撃してくる以前までになされた巡視船による威嚇射撃と、火災を発生させるほどの船体射撃(乗組員への危害も十分予測される)が適法であったか否かが問われなければならない。事態はそこにはじまるのであり、相手側によるロケット砲発射は一連の流れのなかで”事後的”になされたものだからである。「外観は漁船であるのに魚網がみられない」「問い合わせに応じない、旗を揚げない」ことをもって、領海外にいる外国船への発砲が正当化されるのか。
 
正当防衛ではない
 
 海上保安官の武器使用は、警察官職務執行法第七条に準拠して行なわれる。原則として正当防衛と緊急避難の場合にかぎられ、人に危害がおよぶ武器使用は、死刑、無期、三年以上の懲役刑に該当する凶悪犯罪の既遂犯のほか禁止される。したがって不審船という理由だけで船体に向けた危害射撃は実施できない。
 
 一方、99年6月、関係閣僚会議で了承された「能登半島沖不審船事案における教訓・反省」において、武器使用条件の緩和方針が決定され、「テロ対策特別措置法」の成立国会で「海上保安庁法改正」もあわせなされた。改正法で巡視船の武器使用は、「適格な立ち入り検査をする目的で船舶の進行の停止を繰り返し命じても乗組員等がこれに応ぜずなお抵抗し、又は逃亡しようとする場合において海上保安庁長官が一定の要件に該当する事態であると認めたときは、当該船舶の進行を停止させるために海上保安官等は武器を使用することができることとし、その結果として人に危害を与えたとしてもその違法性が阻却される」(改正法の提案理由説明)となった。
 
 今回の銃撃にこの基準が適用されたのは、状況に照らして明らかだろう。しかし新基準はあくまで不審活動を「我が国の内水又は領海において現に行なっている」場合の武器使用準則であり、主権の及ばない(特定の主権的権利しか行使できない)EEZに当てはめるのは飛躍がある。領海侵犯をともなわないかぎり、”危害射撃”はいぜん適法とはみなされないのは明白だ。では、国際法の見地からはどうであろうか。前に見たように国連海洋法条約は、「沿岸国の権限ある当局」による追跡権や臨検を容認している。とはいえ、それは「外国船舶が白国の法令に違反したと信ずるに足りる十分な理由があるとき」にかぎっての例外であり、”外観の異常”や”乗組員の異常な挙動”をもって武器使用の根拠とすることはできない。
 
 国際法学者・山本卓氏は、著書『海洋法』(三省堂)のなかで、「沿岸国は、追跡権の行使により、被追跡船舶に対し乗船・臨検・拿捕または港への引致などの強制措置を行ない、またその目的を達成するために必要で合理的な実カを行使することはゆるされる。しかし容疑船舶に対する銃撃と撃沈は、これらの実力行使に伴って偶発したものであればまだしも、停船命令を拒否したという理由だけで意図的に行なった場合には、過剰であり違法である」とのべ、過去の国際判例を提示している。
 
 これによっても、巡視船の武器使用が国際法上、過剰かつ違法な行為であり強引きわまる武器使用であったか理解できる。”不審船”からのロケット砲発射後の正当防衛射撃は容認されようが、それは局部的、事後的な合法性であって、発端と経過に違法・過剰があるなら全体の正当性は主張できない
 
日本政府の二重基準
 
 さらに、視野をひろげ、過去、日本近海でおきた類似事例にたいする日本政府の対応とくらべても、今回の事件における首尾不一致ぶりと、2重基準の矛盾撞着を指摘できる。かつて日本船舶が公海上で外国公船に追跡・銃撃される”被害船”の立場におかれたさい、政府は、つねに公海自由原則を根拠に「不法な臨検・銃撃事件」の中止を相手国に抗議しつづけてきためである。「海保安庁五十年史』に、つぎの記事が載っている。
 
 「(平成)3年から6年にかけて、東シナ海の公海上において、国籍不明船による我が国船舶への不法な臨検や襲撃事件等が頻発した(日本船に対するもの45件、外国船舶に対するもの34件)。海上保安庁が追跡して停船させ調査した国籍不明船の中には中国国旗を掲揚した船があったことから、事件の概要を中国政府に通報し、調査依頼を行なったところ、当該不審船舶が中国の密輸取締りに従事する中国公船であることが判明したため、外交ルートを通じて中国政府に強く抗議し、事件の再発防止を申し人れた」
 
 これら事件が頻発した海域は、今回の”不審船追跡”とほぼ同じ地点、すなわち日木側EEZと中国EEZがかさなる「日中中問線」一帯の公海であった。いずれも操業中の日本漁船に中国の税関監視船などが接近・追跡し、威嚇射撃ののち立ち入り・臨検を行なった。中国側が日本漁船を”密輸船”と誤認したための公権力発動である。いわば今回の事例を裏がえしたものといえる。
 
 当時のメディアは「中国当局の国際ルール無視の行為」と書き、海保の見解「(密輸阻止のため中国当局が)必要以上に東シナ海を航行する船を、国際ルールを無視して発砲、追跡、接近、臨検しているもの」とつたえ(93年9月2日付夕刊『毎日新聞』)また「事件が頻発している海域は東シナ海の公海上。慣習法である国際法では「航海自由の原則」があり、原則的に自国の船以外に対しては臨検、発砲などの行為も許されていない」(93年2月10日付『産経』)と中国側の国際法無視を非難した
 
 類似事件は日中間のみにとどまらない。日本海の「日韓共同規制水域」(双方のEEZ)では韓国軍艦により(83〜87年)、また北朝鮮東岸の日本海(北朝鮮EEZ、軍事境界線内)でも北朝鮮海軍警備艇により(84年、銃撃で船長が死亡した)引き起こされた。南北両海軍が日本漁船を互いの”工作船”と疑ったのである。そのつど日本側は「国際ルール違反」に抗議し、再発防止や賠償権留保を申し入れた。したがって今回の事件処理を正当合法とするなら、以後、中国、韓国、北朝鮮のEEZ内で日本”不審船”にたいし外国公船による追跡と銃撃が行なわれた場合、「相互主義の原則」から日本側は抗議の根拠を失うことになる。台湾をふくめ沿岸国の経済水域が重なり合い(さらに領土間題により)錯綜している現実を直視すれば、日本側の強硬措置は、いつか、わが身に降りかかってくると覚悟しておかなくてはならない。
 
 また目下のところ、”不審船”の国籍が判明しておらず、また乗組員15人の死因が漂流中の水死によるものか、自爆沈没のさいの死か、巡視船の銃撃の結果なのか不明であるが、相手国政府から公式の抗議と国際海洋法裁判所などへの提訴がなされたとすると、日本政府は過去の立場との整合性や罪刑法定主義、適法手続きなどをめぐって、苦しい立場に立たされることにもなる。
 
有事国家へ向けた動き
 
 99年の「能登沖不審船」を契機に、海保巡視船の武装強化、”危害射撃”容認へと法改正がすすみ、あわせて自衛隊に”領域警備”任務を付与する議論がなされるようになったのは記憶に新しい。そこには国境管理を領海=水際から沿岸〜近海に拡大させ、警察活動であるより軍事活動の下に一元化しようとするねらいが明瞭にうかがえる。(略)
 
 小泉首相も年頭の記者会見(1月4日)で、「日本人の想像を超えるような、理解に苦しむ不可解な意図と装備、能力を持って日本に危害を加えるかもしれないグループが存在していることも見逃すことはできない。どういう措置を平時から考えておくかは大変重要で、政治の責任だ」と”平時の措置”を強調した。ここにも自己本位・我田引水の事実認識と”ねじれた撰夷意識”の結合、それをばねにした軍事国家への衝動が見て取れる.(略)
 
 ”排他的有事国家”をとるか、それとも、時期を同じく動き出したEU(欧州連合)の新安全保障観にもと匹敵する「公海共同管理」の新たな構想をしめせるか、「有事法制」と本格的に向き合うことになる本年、その成否が問われるのである。
 
著者:まえだてつお.東京国際人学教授。著書に「暮らしの中の日米新ガイドライン」(岩波書店、共著)、「在日米軍基地の収支決算』(筑摩書房)などがある。