他の記事を読む

 
















































































































































































































































 
ソマリアの和平を壊す米軍の「戦場探し」
2001年12月24日   田中 宇

 12月20日、米軍を牛耳るラムズフェルド国防長官を怒らせる事件があった。ドイツの高官が、米軍が計画中の作戦をマスコミに暴露してしまったことだった。この日、アメリカと欧州の軍事同盟であるNATOの本部(ブリュッセル)で、米軍幹部が西欧諸国の政府高官を集め、定期的な状況説明を行った。その後、各国の高官たちは個別にマスコミに囲まれて質問を受けたが、その中でドイツの高官が「次はアメリカはソマリアを攻撃しようとしている」と漏らした。
 タリバンが崩壊してアルカイダも駆逐されていき、アフガニスタンでの戦争が終わりそうな状況下、イラクなどアフガン以外で「テロ支援国家」と目されているどこかの国を米軍が攻撃するのではないかとの見方は11月からあった。
 12月18日には、アメリカ政府でラムズフェルドの最大のライバルであるパウエル国務長官が「アフガニスタンの戦争は終わりかけている」と発言し、「まだまだ戦争は終わらない」と言い続けるラムズフェルドを牽制した。米軍が戦争を終わらせたくない以上、アフガン以外の国を攻撃し始めるに違いないとの見方が強まった。( 参考記事 )
 米軍筋や米共和党右派など、アメリカの好戦的な勢力は「次の敵」としてイラクのサダム・フセイン大統領を挙げ、新聞などに流していたが、イラクは大産油国で、その石油の流通を仲介して儲けているフランスやロシアなどは、アメリカのイラク攻撃に強く反対していた。アメリカがこれまでイラクに対して続けてきた経済制裁がイラクの一般市民ばかりを苦しめているという批判もあり、イラクを攻撃することは「国際社会」の信任を得られそうになかった。その他の「候補」としてソマリアやフィリピン、イエメンなども挙げられ、「次の敵」に世界の注目が集まる中でのドイツ高官の発言となった。
 ソマリアはアフリカ北東部の国で、1991年から内戦が続いている。米政府筋は「内戦に乗じてアルカイダが勢力を伸ばしている」という情報をマスコミにリークし続けていたが、ソマリア問題に詳しい欧米の専門家の中の多くは「アルカイダは以前はいたが、最近ではソマリアでは活動していない」と分析していた。
▼隣国エチオピアを使った代理戦争計画
 ラムズフェルドは米記者団の質問に対し「そのドイツ人がどこからそんな話を聞いたのか知らないが、大間違いの発言だ」と罵ったが、ドイツ高官の発言は裏付けのないものではなかった。アメリカは12月8日にソマリアに秘密の視察団を派遣したが、会いに行った先はソマリア政府ではなく、隣国エチオピアの支援を受けるソマリアの反政府ゲリラ組織だった。
 ソマリアの政府は、国連と近隣諸国が仲介して昨年組織された暫定政権だったが、アメリカ政府は「ソマリア政府はアルカイダを支援している疑いがある」として、反政府ゲリラとその背後にいるエチオピアを使ってソマリア政府を攻撃させようとしていた。エチオピア側が地上軍兵士を出し、アメリカはケニアの空軍基地からソマリアを空爆するという「アフガン北部同盟型」の代理戦争計画の存在が報じられている。( 関連記事 )
 ところが、ソマリア新政府は国連の監視のもとに国家再建を進めているところで、イスラム原理主義化する可能性は低い。そうした事実を無視して米軍がソマリアを攻撃するとしたら、それはアメリカが「どうしてもどこかで戦争を続けねばならない」からではないかと思われる。どこかで戦争を続けないと、国内経済が非常に悪い状況であることや、「オサマ・ビンラディンとCIAは実は密通していたのではないか」「炭疽菌テロは米軍の組織犯罪ではないか」などの疑惑が表面化してくる可能性があるからだろう。
 今回の「戦争」はテロを防止するためであり、そのためには世界の貧しい国々の民主主義体制を強化していく必要があるのだが、アメリカがソマリアでやろうとしていたことは、内戦を乗り越え民主的な国づくりを始めたソマリアの暫定政権に言いがかりをつけ、「やらせ」の戦争を起こして破壊することだった。この不正義に対し、ドイツなど欧州諸国が懸念を感じ、それが20日のドイツ高官の情報リークにつながったと思われる。イギリスの高級紙「ガーディアン」は、米軍のソマリア侵攻に反対する論調で記事を流した。
Somalia high on US list of terror targets
Americans in dark glasses cast an eye on Somalia
以下の記事では、ソマリアを長いこと取材してきた記者が、アメリカの不正義を怒りとともに批判している。
Back into the inferno
 一方「軍が歓迎しない軍事情報を報じるマスコミは国賊だ」という縛りがかけられているアメリカのマスコミには、自国の軍首脳が「やらせ戦争」を企図していたなどという記事を載せることは、残念ながら許されていない。米AP通信社は「ラムズフェルド国防長官はドイツ高官の発言内容は間違っていると否定した」という記事を出したが、これさえもアメリカではほとんど報じられなかった。私が見たところでは、反戦論調を少しずつ強めているニューヨークタイムス傘下の新聞ボストングローブが報じただけだった。
 言論統制のため「国防長官が否定した」という見出しの記事しか出せなくても、西欧諸国がソマリア攻撃に反対しているということは読者に分かるから、間接的に米国民に真実を伝えられるという苦肉の策なのだろう。中国のマスコミの記者がやっているのと同じ種類の努力である。
 欧州勢の反発を受けたアメリカは、ソマリアに対する姿勢をやや和らげ、反政府勢力だけでなく、12月18日になって暫定政府の方にも代表団を派遣した。12月24日現在、米軍がソマリアを攻撃する最悪の事態は免れたように見える。ソマリア暫定政府は「われわれはアルカイダやビンラディンとは無関係だ。アメリカが代表団を派遣してくれるなら、喜んですべての疑問に答える」と言っていたが、これまでアメリカはこの申し出を断っていた。
▼日本の戦国時代のような武装型地方分権社会
 ソマリアは、アフリカの北東端の尖った部分にあり、国土の形から「アフリカの角」とも呼ばれる。狭い海を挟んで北側にアラビア半島があり、古くからアラブの商人たちがアフリカ東海岸を船で南下する貿易ルートになっていた。首都のモガディシオは内戦で破壊されるまで、イスラム建築が目立つ古い港町だった。北部はラクダの牧畜で有名で、今もソマリアはラクダの頭数では世界一だという。
 ここに住む人口約1000万人のうち9割以上がソマリ人で、彼らはソマリ語を話すイスラム教徒である。ソマリアはアフリカでは数少ない、ほぼ単一の民族国家なのだが、国家としてはなかなか安定せず、特に冷戦後の10年間は、ほとんど無政府状態が続いている。
 無政府状態といっても、無秩序がソマリア中を支配しているわけではない。ソマリ人の社会は、地方ごとにいくつかの部族集団に分かれており、それらの社会の中には秩序がある。欧米の後押しで1960年に独立するまで、一度もソマリ人の統一国家が作られたことはないが、それは統一国家というものが必要なかったからだと思われる。現在の政府も、首都モガディシオの半分と、その周辺の海岸部を統治しているに過ぎない。日本の戦国時代のように、各地方に大名がいて合戦と和解を繰り返す状態が続いている。
 中央政府ができにくい原因の一つは、過去100年以上の間、欧米諸国や旧ソ連、それから周辺国のエチオピア、サウジアラビアなどの外国が、ソマリアを間接支配しようと介入し続けたからだ。
 ソマリアを最初に植民地(保護国)にしたのはイギリスだ。1869年にスエズ運河ができ、地中海からスエズ運河を通って紅海を抜け、インド洋に出て英領インドやアジア方面に向かう航海路が重要になった。イギリスはその前後に、紅海の出口にあたるソマリア北部(ソマリランド)と、その北側のアラビア半島のイエメンを支配し始めた。イギリスに対抗してフランスもやってきて、ソマリランドの隣の地方を保護国にした(今のジブチ共和国)。さらに、西欧の中では遅れて独立し、他の西欧諸国が植民地にしていない場所を探していたイタリアがソマリア南部を保護国にした。
 それから約50年、欧米諸国は世界を植民地として支配するよりも、独立させて欧米が作った工業製品を買ってくれる市場として成長してもらった方が良いと考えるようになり、第二次大戦の終結を機に世界中で独立国が誕生した。ソマリアでは10年間の準備期間があり、イギリス領とイタリア領が独立して一つの国になったのは1960年だった。しかし新政府に協力しない「大名」もおり、9年後に大統領が暗殺されて混乱し、その後のクーデターによって社会主義の軍事政権が誕生した。
▼米軍のトラウマ・ソマリア介入の失敗
 その後、ソマリアにはソ連が経済援助を行い、かつてイギリスがインド洋とスエズ運河を結ぶ要衝の港として占領した北部のベルベラ港にはソ連の軍艦が出入りするようになった。ところが1970年代後半から隣国エチオピアに住むソマリ系住民の反乱をソマリアが支持して戦争状態となった。ソ連はエチオピア側についたため、ソマリアはソ連から離れてアメリカ側に転じた。ベルベラ港にはアメリカの軍艦が出入りするようになった。
 ソ連もアメリカもソマリア政府に多額の支援を与えたが、それはソマリア政府が冷戦の敵方に寝返らないために与えた金だったので、きちんと使われなかった。資金は政府上層部とその配下の人々にだけ分配され、地方にはほとんど回らなかったので、地方の「大名」たちの不満が強まった。1991年にソ連が消滅すると、アメリカがソマリアに金をやる必要もなくなって中央政府は弱体化し、内戦に突入した。北部は旧イギリス領の国境を復活させ、別の国(ソマリランド)として独立を宣言した。
 この内戦を収拾しようとアメリカが国連を動かして介入した。冷戦終結でいったん「用済み」となったソマリアだったが、米軍は仇敵ソ連亡き後、軍として組織を存続させる必要があった。それには軍にしかできない仕事が必要だ、というわけで「国際平和維持活動」などに力を入れるようになり、92年に米軍が国連軍としてソマリアにやってきた。
 ところが軍事介入したはいいが、撤退の方法が難しかった。国連軍がいなくなったら再び混乱に戻ってしまうからだった。米軍は、国連軍に対する敵意が特に強いアイディード将軍という「大名」を捕まえるか殺し、その後に撤収しようと考えたが、情報収集がうまくいかず失敗を重ねた。
 93年10月、首都モガディシオでアイディードの本拠地を襲撃しに行った米特殊部隊が、逆に地元武装勢力に包囲され、18人の米兵が殺された。そのうち1人は騒乱状態の市民に遺体を引きずり回されてさらし者にされ、そのシーンをテレビが世界に向けて放映するという事態になった(ソマリ人の死者は500-1000人)。
 米国内には「ソマリアのために出兵した米兵が、なぜソマリアの市民に憎まれて殺されねばならないのか」という世論が高まり、クリントン政権はソマリアのその後を考える余裕もなく、米軍を撤退させた。ソマリアは再び内戦の混乱に陥ったものの、数年後に内戦が小康状態となり、いくつもの地方勢力によって分割統治される状態が続いている。
▼出稼ぎ送金を止めてソマリ人を怒らせる
 1992―93年の米軍介入期に、オサマ・ビンラディンは米軍と戦うためにアフガン帰りのアルカイダのアラブ人義勇兵たちをソマリアに集めた、と米当局は主張している。ビンラディンは米軍を内戦の泥沼に引きずり込み、アラブ義勇兵と戦わせたかったのだろうが、クリントンが早々に撤退を決めたため果たせなかった。
 アラブ義勇兵は「アルイティハード」(Al Itihaad Al Islamiya)という、ソマリア南部のイスラム主義武装組織を支援するかたちでソマリアでの活動を強化したとされるが、彼らは1996年に越境攻撃してきたエチオピア軍によって壊滅させられた。米当局は、その後もアルイティハードの武装勢力は残存していると主張しているが、米当局の元ソマリア担当顧問だった学者自身が「アルイティハードはもはやほとんど活動していない」と証言している。( 関連記事 )
 その後、アルイティハードの残党の一部は実業界に転じ、金融業などのビジネスを営んでいるという指摘がある。この種の情報に基づき、米政府はテロ後の11月下旬、ソマリアで送金決済や電話事業などのビジネスを行っている企業「バラカート」がテロ支援組織の可能性があるとして、その在米資産を凍結した。
 バラカート社は無政府状態のソマリアで、本来なら政府が監督するか手がけるはずの金融・通信業務を行っていたため、米当局の措置は一般のソマリア人を苦しめている。内戦で仕事がないため、ソマリア人では働き手の多くが海外に出稼ぎに行っており、アメリカにもソマリア系住民がいるが、その稼ぎを故郷に送るのはバラカートが必要だった。バラカート社の経営者は米当局に対し「経理帳簿を全部見せるから調査に来てほしい」とお願いしたが、米当局は「調査の必要はない」と断った。
 バラカート社がテロリストと本当に関係あるのかどうか、調べなくても良いというのは、ソマリア人を怒らせて反米意識を煽った方が、米軍が求める「戦争」の実現に近づくので好都合だ、と米当局が思っているのではないか、と勘ぐりたくなる。
▼間違った情報だと知った上で信じるふり?
 米当局は、ソマリアとケニア国境の近くの島がアルカイダの拠点になっているとも指摘している。この島は何年か前まで、アラビア半島からケニア方面へ人荷を運ぶアルカイダの輸送中継地として使われていた可能性があるものの、現在はソマリア政府軍が統治している。英エコノミスト誌の記事は、米当局が根拠にしているのはソマリア政府軍から島を奪いたい反政府組織が発した情報であることを示し、アメリカを批判している。
 もしアメリカ当局が反政府組織の情報を鵜呑みにしているのなら、CIAなどはかなりの無能だということになる。逆に間違った情報だと知った上で信じるふりをしているのなら、ソマリアで戦争を起こすための非常に悪質な行為だということになる。
 エチオピアはキリスト教徒が多い国なので、イスラム教徒の国ソマリアとの戦いは「文明の衝突」理論を実証するものとしてうってつけだ、ということなのかもしれないが、実のところ両国の対立は、イタリアがエチオピアとの国境を曖昧にしておいたことに起因する国境紛争であり、宗教対立の戦争ではない。
 ソマリア暫定政権は最近になって内部で対立があり、11月に首相が交代した。暫定政権の内部には、イスラム法に基づく国家建設を目指すイスラム系勢力と、欧米型システムを目指す政教分離派があり、9月11日以降の世界的なイスラム攻撃の流れの中で、政教分離派がイスラム系を追い出そうとした可能性もある。イスラム法の施行なら、他のイスラム諸国でも行われている。アメリカは暫定政権全体を敵視する前に、イスラム法を主張している人々がテロ支援と関係しているかどうか調べるべきだった。
 暫定政権の不安定な状況を立て直すため、11月から南隣のケニアでソマリア和平会議のやり直し会合が持たれたが、アメリカがエチオピアを使ってソマリアを攻撃するそぶりを見せたため、エチオピアに支援された「大名」たちは和平会議から離脱してしまった。ソマリアの人々が大国の身勝手な論法に振り回される状態は、当分変わりそうもない。
 

●関連記事など
世界年鑑:ソマリア民主共和国
ソマリア内戦に見るエスニックな対抗運動の展開
ソマリア
アフリカで携帯電話が急成長(上)
ソマリアの地図
Yahoo! World Full Coverage - Somalia
Somalia's government and warlords
Somalia's story
Somalia and terrorism
Somalia : A confident America is choosing its next targets
The Next U.S. Target?
Mission to Somalia confirms US plan to extend campaign
US proposes "limited operations" in Somalia
Three countries fear US wrath
A failed state that is succeeding in parts
Yemen attacks al-Qaida
Letter from Mogadishu - A WORLD OF DUST
History of Somalia
SOMALI e-JOURNAL
Cyber Institute Of Somali Studies ソマリ語
Strange behaviour since Sept 11 エチオピア系反政府ソマリ人の言論サイト


田中宇の国際ニュース解説・メインページへ