マナティに会いに行く(97年夏)
-その3-



ユニバーサルスタジオ
(写真はオーランドのユニバーサルスタジオ)
あまりに早く目的を達成してしまったので、あとはもう
いつ日本に帰ってもいいぞーなどとその時は思ったのだが、
それからの3週間半も予想以上に充実した楽しい日々だった。
これはマナティにあえた以上の喜びだったかもしれない。
オーランドのホストマザー、バーバラは日本や日本人のこと
をよく知っている人だったので、わたしはとても快適に
過ごさせてもらえた。
例えば、朝にサラダを出してくれたこと。
日本人にとっては当たり前の感覚でも、アメリカ人はふつう
朝に野菜を食べないそうだ。
彼女が教えている中学校見学に行って、授業の様子を見学
させてもらったりもした。
プールにも連れていってもらったし、デイトナビーチのホテル
でハワイアンショーも楽しんだ。     
そして「今度は冬においで。野生のマナティ見に連れていってあげるよ」とそんな約束まで
してくれた。
彼女とその友だちのトムにはとても感謝している。
庭のプールにぼんやり浮かんで眺めたフロリダの空は、青かった。

2週間のフロリダ滞在を経て、今度はジョージア州のアトランタへ向かった。
96年のオリンピック開催地、そしてあの有名な「風とともに去りぬ」の舞台ともなった都市だ。
同じ絵画部の友人が去年の夏にアトランタへ遊びに行ったのだが、彼女からは「アトランタは
こわいよー、あぶないよー」と日本出発前に脅された。
直行便がないとかで、オーランドからシカゴへ、シカゴからアトランタへと飛行機を乗り継ぎ、
午後6時過ぎに到着した。
今回は、空港ではなく教会でホストファミリーと会うことになっていた。
みなその朝オーランドのファミリーと涙の別れをしてきたあとである。
新しいホストに少々の不安を抱いていた子が多かったようだ。
待ち合わせの教会に到着してバスを降りる直前、一組のホストファミリーが駐車場の方まで迎えに
出てきているのが見えた。
背の高いお母さんと、優しそうなお父さんと、少し緊張した面もちの2人のかわいい女の子。
なんとなくぴんときた。そして本当にそのファミリーがわたしのホストファミリーであった。

それからの2週間は、オーランドのマザーと2人の生活とはまた全然違う、にぎやかな生活と
なった。
何しろ家族4人のほかに犬と猫とウサギと鶏、インコまで居たのだ。
異なるファミリーの形態を体験できて、とても良かったと思っている。
ホストファミリーと
6歳のエミリ(Emily)と4歳のエレン(Ellen)は、本当に
わたしが来るのを楽しみにしていてくれたらしく、
最初の2日ほどはそれこそトイレに行く暇もないぐらい
ずっとそばについていた。
久しぶりに小さい子と遊んで、楽しかった。
エミリは日本語で「エミリ」と名前の書き方を教えて
あげたら、すぐに覚えてあちこちに書いていた。
エレンはまだよく舌が回らないので、最初しゃべって
いることが全然分からなかった。
でもエレンのおしゃべりはアメリカ人にとってもよく
分からないらしいので(家族だけが分かるというやつだ)
とりあえずにこにこして聞いておくことにした。
そのうちに慣れて「あーゆーかいあ?」がどうやら
"Are you tired?"らしい、とか分かってきたのだが。
ホストファザーのクラーク(Clark)マザーのレア(Rhea)とは
よくお話をした。
オーランドの2週間でだいぶ英語にも慣れていたので、聞き取る分にはそんなに問題がなかった。    
しかし発音は大問題だったので、わたしはいつもつっかえつつ話していた。
このファミリーにとってはわたしが初めての留学生の受け入れだったので、日本の文化のことや、
戦争のことや、そのほかいろいろなことを聞かれた。
折り紙の実演などもしてみたり、みんなで箸を使ってごはんを食べたり、わたしの滞在を喜んで
くれているのがよく分かり、嬉しかった。

アトランタは中心の都市部をぐるりと取り囲むように郊外が広がっている。
ホームステイ先は郊外にあり、閑静で環境の良いところだったが、都市部(ダウンタウン)は      
やはり危険なところだった。
盗難にあった子に付き添って警察にまで行ってしまった。貴重かもしれないけどありがたくない
体験だ。
気をつけなさいとしっかり説教されたし。
クラークは最近では集団でのカージャックが増えていると言っていた。
道路を走っている車に数人で飛びついて、ハイジャックしてくるそうだ。
オリンピック以来、治安が悪くなっているらしい。
町中でも警官の姿をよく見かけた。
ストーンマウンテン
(写真はアトランタの有名なストーンマウンテン)
今回参加したプログラムでは、本当にあちこちに
観光に出かけた。
わたしは本来集団行動の苦手な人間なので、ずら
ずらと並んで歩いたりすると恥ずかしかったのだが。
アメリカという国が、車がないと本当に移動でき
ないところなので、このようなプログラムに参加
する以外、特に米国内に知り合いもいないわたし
には方法がなかった。
しかし、このプログラムで受けた英語の授業と、
ホームステイは、とてもいい体験であった。
去年のドイツは寮生活だったので、ホームステイ
は全く初めてだったのだが、オーランド、アトラ
ンタのファミリーどちらにもとても親切にして
いただいた。
帰ってきて日本の家がとても小さく狭く感じてしまったのは、まあむりもないかな?

自分の心が疲れてしまったとき、自分がすり減ってしまったと感じたとき、彼らに会いに
行こう、と決めていたと、「マナティに会いに行く(97年夏)その1」の最初に書いた。
わたしが現在そんなに疲れてすり減ってしまっているのかと言えば、そうでもないのである。
毎日うれしがってこんなホームページ作りにいそしんだりして、いたって元気な人間だ。
そう。わたし、は元気だが、わたしの周りの、わたしにとって大切な人たちを見まわして
みたとき、なぜか今、とても苦しんでいる人が多いのだ。
この社会の中で多くの人たちが、ストレスを抱え、悩み、苦しみながら毎日を生きている。
それをつくづく実感させられる今日この頃だ。
そんな人たちに、このホームページが、心優しいマナティたちが少しでも癒しをもたらして
くれればと、心のどこかで祈っている。
わたし一人の力はとても小さくて、それに及ばないかもしれないけれど。

                           
                           97年9月3日 まな記す


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