マッキー レコード

Lightnin' Hopkinsについて

BLUES=ライトニンという人も多いのではないでしょうか。ブルースらしさを体現している人。ギター・スタイルも歌も、これぞライトニン!というスタイルがある人ですよね。多くの人があのギター、歌、そして映像から伝わる本人の雰囲気というか人間性みたいな部分(思いっきりヤクザな感じ、ある意味コミカル?な感じ)にヤラレテいます。私も一時期ハマりましたねえ。初めて聴いたのは、確かライブ盤だったと思います。その後、アルバムを何枚か聴きましたが、どれも同じ。悪い意味では無く、良い意味で。「ライトニンに駄作なし」ってよく言われていますけど、本当にその通りだと思います。
サングラスにくわえ煙草でニタニタ笑っている写真を見ただけで、音が想像できます。そういえば、ライトニンに似たギター・スタイルの人って、いないですね。それだけ個性的ということかも。BLUESにもいろんなスタイルがありますが、間違い無く最高の部類に入る人です。
うーん、やっぱりBLUES=ライトニンは正しい。

Biography

1912年3月15日、テキサス州センターヴィルで生まれる。
5歳の時、葉巻の空き箱で作ったギター(!)で弾き始める。地元の教会ギターやピアノで弾き語りをしていた。10才の頃ブラインド・レモン・ジェファソンに出会い彼の付き人兼道案内に。その後、ライトニンの従兄弟であるテキサス・アレキサンダーとデュオを結成し活動を開始。
1930年代、刑務所に服役。やっぱり。イメージにぴったりですね。
1940年代半ば、テキサス・アレキサンダーと活動を再開。

1946年、34才の時いとこのルシアン・ホプキンスのすすめで初めてのレコーディング(アラジン・レコード)。初シングル「Katie Mae Blues」をリリースして大ヒット。それなのに、なぜかアラジンからすぐにゴールド・スターに移籍。
1950年代初め、シッティン・イン・ウィズ・レーベルからリリースした「Coffee Bluse」「Give Me Central 209 (Hello Central)」がまたまたヒット。しかし、レース・レコード(黒人向けレーベル)の需要が低くなり、1956年から録音の機会が無くなってしまいます。

1959年、サミュエル・チャーターズに「再発見」されます。フォーク・リヴァイバルのブームによって、今度は白人相手に人気が出てきます。本格的に評価されるようになったのは、この頃からか。この時期には数え切れないほど多くの曲をレコーディングします。
ライブも大人気で、その時の気分によって即興で歌詞を作ることで有名だったそうな。
1982年1月30日、69歳でがんのため死去。

亡くなるまでのライトニンは、数多くのライブを行い、ライブアルバムを含めて本当にたくさんのレコーディングを行っています。アルバムは100枚を越える(!)とも言われています。全部聴くのは不可能ですよねえ。しかし、「ライトニンに駄作無し」なんです。
どんな時でもBLUESを最高の形で表現できた数少ない人なのでしょうね。偉人です

Lightnin' Hopkins

Lightnin' Hopkins Discography


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