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奇跡の海 Breaking the Waves
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 ヤンとベスは互いに深く愛し合う夫婦だった。ことに妻ベスの愛は盲目的なまでに深く、時に自分を見失うほどだった。ところがある日不慮の事故で頭部に重傷を負った夫ヤンは、回復の見込みのない全身マヒで寝たきりの患者になってしまう。悲嘆に暮れるベス。愛すれど、自らの意志では抱きしめることもできないことを憂いたヤンは、ある異様な願いをベスに告げる。「他の男を俺だと思って抱かれろ。そしてそれを俺に伝えてくれ。そうすれば俺もおまえを抱いている気持ちになれる」。愛ゆえにベスはそれに従うが、敬虔なキリスト教徒でもあった彼女は己の行為の罪深さに苦しみ、やがては精神に破綻をきたすようになってしまう……。

 献身と背徳の狭間で苦悩するベスの姿が、胸に痛切に迫るドラマです。ベスはその純真さと愛の深さのために文字どおり体を投げ出すのですが、その痛々しさは思わず目を背けたくなるほどです。
 そもそもヤンがこの非情ともいえる申し出をしたのは、彼の看病のために束縛されるベスを開放してやりたかったがゆえですし、一方のベスが彼の言葉に従ったのも、衰弱してゆくばかりのヤンに生きる希望を与える術を、他に見出せなかったがゆえなのです。互いに相手を愛し、思いやっての行動だったにもかかわらず、そこに生じていた精神的なボタンの掛け違いから悲劇が生まれてくるというところに、非常なやるせなさを感じてしまいました。
 ベスを演じたエミリー・ワトソンが、鬼気迫るほどの迫真の演技を見せてくれました。ヤンへの愛と信仰だけが心の拠り所のような、ひどく脆くて、それでいて強くもある女性像を、繊細に演じています。彼女のこの見事な演技あってこその映画とも言えるでしょう。
 この物語のラストは、大きな希望と光明を感じさせてくれるものです。そこでようやくベスの愛は報われるわけなのですが……しかし、それで全てが救済されるのでしょうか? 自己犠牲の愛が結局はこの悲劇を生んでいるだけに、私の心にはやはりどこかやり切れなさが残ります。
 この映画は、大仰な演出を廃した一種ドキュメンタリータッチのカメラワークで人々の姿を描くことで、逆に緊迫感を伴ったリアリズムを生み出しています。また各章の合間に挿入される音楽も印象的です。こうした抑えた演出で効果的に物語の悲劇性を浮かび上がらせる手法は見事ですね。

 映画としての出来栄えは素晴らしいものですが、この心に痛い物語は、人によっては受け付けないかもしれません。私も、これをもう一度観るのはちょっと辛いかも……。でも、この映画が心の癒しになるという人も、きっと多いことでしょう。 



(98.06.12)