ヒトツバタゴ(なんじゃもんじゃ)  

ヒトツバタゴ        Chionanthus retusus(モクセイ科)
                   
 暖地の山野に生える雌雄異株の落葉高木。葉は対生して楕円形,長さ4〜8cmでや や厚く裏面に細毛がある。花期は5〜6月。花は枝先に長さ5〜8cmの円錐花序をつ くって白く,花冠は深く4裂し長さ15mmで細長い。果実は楕円形て長さ8mmくらい, 熟せば黒い。タゴはトネりコの別名で,その近縁であるのに複葉であることから一葉 タゴという。<分布>愛知,岐阜,三重3県。

  

 ヒトツバタゴは本州中部の木曾川流域(長野県南部・岐阜県・愛知県)と対馬に隔離分布し、丘陵帯の山林に生える落葉高木で、稀産種である。幹は直立して多く分岐する。葉は有柄・対生で葉型は楕円形で雌雄異株である。五〜六月ころ、小枝の先に円錐状の葉散花序を付け、多数の白花を開き壮観である。核果は楕円形で黒色に熟し白い粉をつける。

 

 

(まごめ植物園に咲くヒトツバタゴ)

 

白く輝く花    ヒトツバタゴ
 (なんじゃもんじゃ)  (蛭川村冊子より)

 はじめに   

 毎年5月の中旬から下旬にかけて、村のあちらこちらで、まるて雪が降ったように真っ白に花を咲かせる木を見ることがてきます。

これが「ヒトツバタゴ」です。別名「ナンジャモンジャ」といい、蛭川村の人ならほとんどの人が知っている樹木です。

村の木に指定(昭和48年5月25日制定)され、村内の自生木の多くを天然記念物として指定し、大切に保獲しています。

なお当村を含む東濃地域、周辺の市町村でも多くの自生地が天然記念物として指定され大切にされています。

そこで、なぜこの「ヒトツバタゴ」が大切にされ、そして注目されるようになったか、ヒトツバタゴの研究家・太田敬久氏(椙山女学園大学名誉教授)の調査賛料などを基にまとめてみました。

ヒトツバタゴはどこから来たのか?

 ヒトツバタゴは、東アジアに自生するモクセイ科の落葉高木。実際には自生樹は非常に少ない。

この美しい白い花を咲かせるヒトツバタゴはどこから来たのてしようか。

 わが国の図鑑に初めて載ったのは文政8年(西暦1825年)尾張の植物学者、水谷豊文がその著書「物品識名拾遺」(当時知りうるあらゆる動・植・鉱物の名をあげ、それぞれにきわめて簡単な解説をつけた一種の百科事典)にヒトツバタゴを載せています。『ヒトツバタゴ秦皮一種 葉に技ナクー葉ノモノ』と説明しています。彼が、ヒトツバタゴという名をつけたともいわれています。

 むかし当村では、ヒトツバタゴを「こくさ花」と呼んでいたこともあったようてす。小草は5月中下旬から刈る堆肥の原料で初夏の若草のことです。むかし、村のあちこちにあったヒトツバタゴが真白に咲くころが、小草刈りの適期で、このように農作業のめやすとなった身近な樹木でありましたが、どこからきたのかはわかりません。

 現在の自生地は、日本ではこの東濃地方と長崎県上対馬町、愛知県、長野県の一部のみ、世界的な分布でも中国、朝鮮半島、台湾、なお別種ながら北米大陸にと、かたよっています。ヒトツバタゴの出自を解く鍵は、このあたりにあるのではないかと考えられています。

 近畿で20万年前の泥炭化されたヒトツバタゴの木が発見されましたが、20万年前の日本列島は大陸と地縁きであったことから、旧石器人が運んだものかもしれません。

 渡り鳥説もあります。朝鮮半島からの渡り鳥は日本に多くやってきます。その糞に混じっての渡来が考えられます。この渡り鳥説が今のところ有力な説といわれています。

 被子植物が、この地球上に出現したのは約6千万年前のこと。人類の歴史からみれば、はるか長い植物の歴史。同じような時期に別々の場所で同じ種類のものが成育することも考えられます。ヒトツパタゴも世界各地で自生し栄えていたのかもしれません。

 

ヒトツバタゴ(別名=なんじゃもんじゃ)の語源・雪の花とは・

 ヒトツバタゴは、ヒトツバとタゴにその意味を分けることができます。ヒトツバは、一つ葉と書きます。タゴは、田子と書き、田んぼのはざ木という道具と、トネリコを意味します。トネリコは複葉てす。よってヒトツバタゴは、一つ葉のトネリコ(複葉)ということになります。

 なぜ雪の花とも呼ばれるのか。ヒトツバタゴは学名を「Chion anthus retusus」 (キオナントスレトゥースツ)とラテン語でいう。

Chionは「雪」を、anthus は「花」を、retususは「ややへこんだ形」とか「葉の先が鈍く尖っている」とかいう意味です。

学名を直訳すると「葉がややへこんだ形の、先が純く尖った雪のような花」となります.現物はまさしくそのとおりです。

英語名は,Snow-flower-Fringe treeといいいます。また一方で、「なんじゃもんじゃ」とも呼ばれています。

 現在の東京神宮外苑のあたり、江戸時代、青山六道辻にあったというヒトツバタゴは場所がよいため、非常に高名になり”六道木”と呼ばれていたようです。しかし、ほんとうの名前がわからないため「なんじゃもんじゃ」と呼ぱれるようになったそうです。

「なんじゃもんじゃ」といわれるようになったのもそんなに古くはなく、明治の終わり頃ということです。

 「なんじゃもんじゃ」はヒトツバタゴだけを呼ぶだけではないと、民俗学者の柳田国男氏は”なんぢゃもんぢゃの樹”の中に書いています。クスノキとかアブラチャンの大樹なども「なんじゃもんじゃ」と呼ばれています。

 

ヒトツバタゴの雌雄性・・・・雌雄異株ではない

 ヒトツバタゴは、合弁花類のうちモクセイ科に属する落葉高木です。樹高は15〜20メートル。胸高直径50〜60センチにもなります。幹は直立してよく分枝し、樹皮は灰褐色です。たいていの植物図盤には「雌雄異株」とありますが、一株だけ立っているヒトツバタゴでも実をつけます。蛭川産のヒトツバタゴにも雌雄異株はありません。今まで雌株と思われていたものは、おしべ,めしべを備えた両性化株なのです。

 

  蛭川中学校の校章はヒトツバタゴ

 蛭川中学校の校章にはヒトツバタゴの花がデザイン化されています。当時そのデザインを考案した林芳樹さん(殿塚・林建樹さんの弟千葉県在住)に、そのときの様子をうかがいました。「昭和二十二年、新制中学が発足し、私が蛭川中学校に代用教員として赴任してきたとき、記章に適当なものが無く、早速作らねばと奥田穂浪校長が先生方と相談され、ひるかわには国の天然記念物ヒトツバタゴがある。これを記章にできないかと話されました。そして、記章の注文は私に任されまして、東京の神田まで出掛け、専門の業者に頼みました。出来たものは少し大きすぎるということで男子生徒にはあまり歓迎されませんでしたが、私たちのあこがれの旧制高等学校と同じ大きさだということをよく話しておきました。私としては、もっとユニークなものをと考えていたんですけどね。」

                     ※蛭川村報 平成元年5月号より抜粋

 

国指定天然記念物 長瀞のヒトツバタゴ

●名 称 ヒトツバタゴ白生地

●所在地 蛭川村4129番地の5

●所有者 蛭川村奈良井 大橋昭丙

●指 定 大正12年7月8日

 

○所在地 奈良井地内長瀞の和田川東畔

○樹 高 約13m

○技 張 約10m

○樹 幹 目通り約110cm

◯樹 齢 百年以上と推定

 

 指定地面積2アール、ここにヒトツバタゴは白生している。昔は数本が自生していたが.そのうちの一本だけが大きく残り、他は切られてしまった。現在は、指定の木から約50m 下流の土手に大きく成長した木がある。このヒトツバタゴについて、恵那郡誌は次のように載せている。

 「蛭川村自生地・・・所在 長瀞四一二九番地の山林(大橋権蔵所有)、中央線大井駅より大井町を経て木曽川畔に出て、東雲橋を渡り和田川に沿って進むと四辻という処にでる。ここより左の旧通を辿って長瀞に至る。(大井町より二里余)自生地は、旧道側一町余の処で和田川に沿う平坦な湿地である。このあたり一帯は、高さ四・五間以下の雑木林である。ヒトツバタゴはこの林中に散財してその数六本、内一本の幼樹と他の一本(太さ一尺九寸)を除く他はいずれも切り株で、保存の必要上保護指定さるるに至った」。

 この記事によって、今から五十年前、旧法により指定された当時の様子が知られる。

 

ヒトツバタゴの貴重なわけと分布

 

 ヒトツバタゴはどうして大切に保護されているのでしょうか。またその責重なわけは?それは、雪の降ったように真っ白に咲き、美しいというだけではなく、不連続分布だということです。不連続分布とは植生が遠くの地域に離れていることをいいます。ヒトツバタゴは世界的に、北アメリカ大陸の一部、中国の一部、朝鮮半島、台湾そして日本では、長崎県対馬、岐阜県の東濃地方、それに東濃地方に近い長野県と愛知県の一部に見られるだけです。最近、近畿地方で泥炭化された20万年ほど前の木が発見されています。泥炭化された木が発見されたということは、当時ヒトツバタゴが繁茂していたことを意味します。このように、古い時代には広い範囲に分布していましたが、今では一部の限られた地域にだけ残つている生物を遺存種といいます。なぜヒトツバタゴが限られた地域に残ったのかはわかりません。しかし、遺存種の成育する場所は、地球の長い歴史のある一時期を教えてくれます。ヒトツバタゴの自生地が地球の成り立ちや種物の分布をひも解く鍵であるということです。

 ヒトツバタゴは、日本では岐阜県の東濃地方と愛知県、長野県の一部、そして長崎県対馬の北端にのみ自生しています。岐阜県東濃地方では、木曽川、土岐川(庄内川)筋に多く自生しています。なかでも笠置山の東南部、つまり蛙川村、福岡町、恵那市の中野方・笠置町にかけて多く自生地があります。愛知県の一部とは犬山市です。長野県の一部とは木曽部山口村のことです。両者とも木曽川筋にあり、木曽川と何らかの関係があるかもしれません。また、この東濃地方から直線距離にして約800キロメートルも離れている長崎県対馬北端、韓国との国境の町、上対馬町鰐浦に自生しています。この地のヒトツバタゴは、「一目千本」というほど、一つの湾を取りまく崖すべてがヒトツバタゴ自生地になっています。また、上対馬町のヒトツバタゴは、葉の大きさ・形・新芽の色・若葉の毛の長さなど数種類のものがあり、東濃地方のものはそのうちの一種にすぎないともいわれています。