吉田初三郎について

吉田初三郎 昭和4(1929年)

当ミュージアムの役割の一つは、八戸に別荘兼アトリエ「潮観荘(ちょうかんそう)」を構えた絵師・吉田初三郎(よしだはつさぶろう:1884~1955)の研究・周知にあります。大正から昭和初期、まるで鳥の視点からとらえた鳥瞰図で、全国の旅行案内図を描き大活躍した人物です。工房により制作された初三郎の鳥瞰図は、2000種類にも及ぶと考えられています。日本の商業芸術の遅れを憂う恩師よりその道を勧められ、皇太子時代の昭和天皇に、「綺麗で解り易い」と御嘉賞を受け、鳥瞰図により旅行業界の発展に貢献し、国に尽くすことに生涯を捧げました。
死後、様々なメディアの発達により鳥瞰図人気も衰退、一時忘れられた存在となってしまいました。しかし、コレクター等の長年の努力により、2000年頃より全国各地の様々な展覧会での出展が相次ぎ、2014年にはgoogleトップページのロゴにも使われる等、年々認知度・再評価が高まっています。


京都名所大鳥瞰図 昭和3(1928)年



日本一の鳥瞰図絵師

初三郎の鳥瞰図は、数百枚の踏査写生による詳細な街並みの描き込みと、どこからでも富士山が見える等の極端なデフォルメが特徴的です。 それは、鉄道旅行が大衆化していく中、東京からの鉄道経路と対象地域の観光地の表示という旅行案内図としての利便性と共に、 対象地域さらには日本全体の美しい景観を一枚に表現した絵画としても大衆を楽しませ、「現代の広重」として海外にも紹介されました。

名プロデューサー

初三郎は、依頼主の意図に応じ自在に構図を操り、旅行案内図としての鳥瞰図を描くだけでなく、折図として刊行されたその裏面の観光案内も含め丸ごと請け負い、 そのほとんどを自身の工房と出版社により制作・発行しています。さらに、皇室・軍・旅行業界・全国の自治体等から広く信頼を得、その動静が注目される等一絵師の枠に留まらない活躍をしました。

種差を愛した絵師

十和田湖が国立公園候補地に正式決定された昭和7年、十和田湖の踏査写生を終え、八戸市の鳥瞰図制作のため来八しました。日本の観光地を最もよく知る初三郎は、種差を「日本一の絶景」と讃えると、 当時の神田市長と共に種差海岸の自然を残し観光地として全国に広める活動を積極的に行い、八戸の発展に貢献しました。

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