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2014/08/17 木の回りを掘って、 肥やしをやってみますから ルカの福音書 13章 6−9節(抜粋) 「『見なさい。三年もの間、やって来ては、 このいちじくの実のなるのを待っていのに、 なっていたためしがない。 これを切り倒してしまいなさい。』 ・・・番人は答えて言った。 『ご主人。どうか今年一年そのままに してやってください。 木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。 ・・・それでもだめなら、切り倒してください。』」 保育園の庭には、いろいろな実のなる木が植えてあります。みかん、ザクロ、ヤマモモ、ぶどう、柿、・・・子ども達に季節感と収穫と食べる楽しみを体験させたい思いからです。その中に5〜6年前キュウイを植えました。もちろん植木屋さんに頼んで、雄と雌の木を植え立派な棚も造り、順調につるも伸び、棚一杯になりました。ところが何年経っても、花も咲かず実もなりません。植木屋さんに相談しながら、剪定し、肥料をやりましたがダメでした。いっそのこと切ってしまった方がよいのではという思いになりました。 ところが今年ついに春先に花が咲き、幾つかの実を付けました。どうして今年急に実を付けたのか理由はわかりませんが、その時上記の番人の「とりなし」のみことばを思い出しました。 そして、自分はイエス様のとりなしによって救われたのに、実態は何も変わっていないなぁと恥ずかしくなりました。また、これからの信仰の目標として、少しでも「裁く者」ではなく「とりなす者」になりたいと願っています。 (文=松本俊雄 牧師) バックナンバーはこちらから |