OCT.5th2k

ロンドン日記その11

泣き虫なのかもしれない・…。

とうとう10月がやって来ました。
私がここロンドンで呼吸することの出来る時間はあと544時間、22日半ぐらいになりました。
ここまで来ると、時間は加速度かついて早く過ぎていきます。
まだやらなきゃならない事がたくさんあるような…。
今、最後の悪あがきをしている最中です。

そのファイナル悪あがきのひとつが2週間ほど前に受けたワークショップでした。
今まで一体いくつのワークショップを受けてきたのだろうかと、自分でも思いますが、
これが通算8つ目でしょうか(大学のカリキュラムに入っていたものは除いて)。
でも、これだけ受けても、受けるたびに新しい出会い・発見があったりするので
飽きるということがありません。

今回はインターナショナル・ワークショップ・フェスティバルという、
ワークショップのお祭り(そのままやんけ)があるのですが、
その中のひとつでアメリカ人のScott Kelmanが行ったものに参加しました。
なんと、このワークショップフェスティバル、
今回はロンドン、コベントリー、ベルファーストの三ケ所で
合計26ものワークショップを開催してしまうという、なんとも大変そうなものなのです。
講師陣も今年は京劇から中国のマーシャルアーツ、舞踏、アフリカンダンス、
そして売れっ子演出家のKatie Mitchellまで幅広く、
どれを受けたらいいのやらと悩んでしまいたくなるのです。

最初私はそのKatieのワークショップを受けたいと思っていたのですが、
早くも売り切れということで、なんとなくまだ空のあった
Scottのワークショップを受けることになりました。
さて、その当日、はじめて彼を見たときは、正直言って
麿赤児さんが、もう少しハンサムになった感じの、
まあ言ってみれば怖そうな人だなあ・・・てなかんじでした。
声もつい最近手術で医者が間違えて切っちゃいけない神経を切っちゃったらしく、
すごいだみ声でした。(そんな話があるのかー!)
でもまあ、人は見かけに寄らないもので、コワソーな風貌からは
想像できないくらい、いいオヤジだったんです。

彼のワークショップでやったことは、今までのどのワークショップよりも
シンプル極まりないものでした。しかし、深いのです!
何もない空間がある、演じる側と観る側を分ける一本の線がある。
そこを超えたら、何をしようがそれはパフォーマンスである。
という最初の説明の後、その空間を歩いて、そして立ち止まりたい時に立ち止まって、
自分が空間の中のどこでどのように立ち止まっているのか、
自分の周りの人や物はどのようなのか、
ということを充分に観察する。
そして、再び歩きたくなったら、歩き出す。

・…と、ここに書いていると、なんじゃそりゃあというぐらいに
単純なことを繰り返すのですが、
今まで、こんなにも付属物のないエクササイズをやったことはないなあと、まず実感させられます。
次にどれだけ観察するということをしないで、普段の時間を生きているのかということも気付きます。
そして、何よりも驚くのが、歩いている人たちは
何も特別の主題を持って歩いているわけではないのに、
おのずと何かの強いイメージ、ストーリーが生まれてくる不思議な可能性を
このエクササイズは持っているのです。
他にもいろいろ、まるでジャズプレーヤーのようなこともやったのですが、
私にとっては何よりもこの歩く、観察するというエクササイズが
私の中の眠っていた感覚を呼び起こしてくれたのです。

この単純極まりないエクササイズを毎日5日間繰り返しました。
(もちろん、少しづついろいろ加算していって。)
そして、最終日の金曜日、このエクササイズと共に、彼がある音楽をかけました。
GAVIN BRAYARSの「JESUS' BLOOD NEVER FAILED ME YET」という音楽がそれです。
タイトルになっている歌というよりは言葉のようなものが何度も繰り返される上にオーケストラが足されていくとい
った曲なのですが
聞いていてなんていうかさみしーい気分になってくるせつない曲なのです。
でも、これにあわせて行っているエクササイズは
上記の歩き立ち止まり観察するエクササイズで
演じている側は特にセンチメンタルな気を持って、
何か悲しみとかを表現したくて歩いているわけではないのです。

ところがです!
最後の最後で女の子が一人その空間に残って、単に自分の足の爪を見ていただけなのに、
私は涙が止まらなくなってしまったのです。
それはあまりに余白が多いパフォーマンスだったので、
逆に自分ひとりのイマジネーションの中で、すごく強力なストーリーというかはっきりとした画像のようなものが出
来上がってしまったのです。
とってもヘンなのですが、まるで自分の娘を見ているような気持ちというか…、
けれども時は過ぎて行き…、なんだか生きてくのって寂しい…、
うーん、上手く言えませんが、最後にその女の子もその空間からいなくなったときに、
そのなにもない空間がいとおしいやらせつないやらで、もうとってもたまらなかったのです。

なぜなのだー!!私はこんなにも泣き虫だったのだろうか?
ワークショップを受けていて、今まで急に泣いてしまったのが3回目なのです。
その中でも、この経験は一番不可解で、
それだけ自分で自分に変な形で感動してしまったりして…。おかしいと思いますよね?
でも、それだけ何か眠っていたものが起きたのだと、
そうさせる力があのワークショップにはあったのだと思っています。
と同時に、今まで脚本をもとにして芝居を作ってきた自分に、
もう一度、芝居を作るって一体なんなのだー?という
巨大なクエスチョンマークを突きつけられた気がします。本当に、なんだろう…?

Scott は、以前はリビングシアターのメンバーだった人で、
今はポートランドで自身のグループを持っているらしいです。
ホームレスの人を使っての芝居作りとかもしているみたい…。
リビングシアターって大学の時にほんのちょっとだけ勉強して、それっきりだったので、
もう一度どういうことしてたのかちょっと調べてみようかなあとも思っています。

OCT.5th.2k



ロンドン日記その10

I LOVE SPAIN!!

前回の日記でお知らせした通り、9月10日から17日まで太陽輝くスペインに行ってきました。
11年前にマドリッド・バルセロナ・バレンシアに行ったことがあるのですが、
今回は同じスペインでも南部のアンダルシア地方、マルベーリャ・セビリア・グラナダを訪れました。
ロンドンの郊外にあるスタンステッド空港から出発して、飛行機に乗ること3時間、
マラガの空港ビルを出るとそこはもう太陽が、ガンガン輝くアンダルシアなのです!!
と同時に英語がまったく通じない、サバイバルな時間が始まります。

今回はRADAのサマースクールで友達になったデジリーの、
実家に泊まらせてもらうことになっているのですが、
肝心の彼女は私がマラガに着いたときには、まだスペイン国内の島マヨルカ島にいて、
自力でタクシーに乗って彼女のお母さんの家まで行かなければならないのです。
タクシーの運ちゃんはトーゼンスペイン語しか話せないので、住所を書いた紙を見せて、
たどたどしいスペイン語で「私、行きたい、ここ・・・。」みたいなかんじで話して、
何とかたどり着きました。
彼女のお母さんは、何とか最低限の英語は話せるので、着いた時にはすごーくほっとしました。
Nice to meet you. が、通じるって、何て嬉しいんだろう・・・。

しかし、立派な家です。マルベーリャっていうのは、コスタ・デル・ソルのまん中へんにあって、
世界のお金持ちの別荘が数あるところらしいのですが
(トム・クルーズとかもここに別荘を持っている)
彼女のお母さんの家は丘の上にあって、とにかくきれいで広いのです。
玄関が車庫を除いて10畳ぐらいあって、それから庭を突っ切って、家の中に入るのですが、
リビングはどどーんと広いし、これまた広ーいバルコニーには
プール際においてあるような安楽椅子が置いてあるし、
庭にはプールもあるし、オレンジや無花果がなっている木もあるし、
そこらじゅうにブーゲンビリアの花が咲いているし、
なんか、外国のインテリア雑誌から抜け出たようなお家だったのです。
生まれてからずーっと、マンションかアパートにしか住んだことのない私にとっては
す、す、すっごい家だー!!!と、感動でした。
と同時に、演劇人の私は一生こんなすっごい家に住むことはないんだろうなあと、
なんだか悲しくもなりましたが・・・。

私の友人デジリーは、つい最近までシティで金融ブローカーをやっていたという女性で、
なんと5ヶ国語が話せるという才女なのですが、なぜか女優になりたいと思ってしまって、
ものすごい収入の仕事を辞めて、芝居の勉強を始めたばかりという子なのです。
何で、またそんな茨の道を選んでしまったのかしらねーとも思うのですが、
自分のその茨の道をてくてく歩いているのですから反対は出来ませんよね。
とにかく、彼女も、お母さんも、お母さんの再婚相手もとってもいい人たちばかりでした。
まるで、親戚の家に遊びに行ったような気分で1週間を過しました。
といっても、彼女を除く人たちとは、彼らのたどたどしい英語と、
私の1歳児と変わらないスペイン語でコミュニケーションを図っていたのですが・・・。

セビリアには彼女の運転する車に乗って、出かけました。
スペイン人の運転はまるで大阪人の運転みたいで荒っぽいです。
どんどんあおってくるかんじ・・・・。
セビリアには世界で3番目にでかいという大聖堂があリます。
これがまたデカイです。
ウイーンに行った時も教会建築の華々しさに、ちょっとお腹いっぱいなぐらい満足しましたが、
スペインの教会美術は私個人の意見ですが、もっとピカピカしていて、
なおかつキリストやマリアの像も何て言うかもっと人形っぽく色彩も派手で、
なにがなんでも信じてねー!!という声が聞こえてきそうなかんじです。

しかし何より驚いたのはセビリア人のノリです。
私は常々みんなに「お前はほんと、ラテンだよなー。」と言われていますが、
自分でも私の前世はきっとスペイン人かイタリア人だったのだろうと思ってきましたが、
さすがの私も彼らのノリの良さにはびっくりです。
デジリーがつい1週間前に彼女の友達の結婚式で知り合ったという人々に会ったのですが、
とにかく会ったときからすぐお友達になれるおおらかなオーラがぶんぶん感じられます。
昼ご飯を一緒に食べて、そのあと夕ご飯も一緒に食べて2時ごろまで飲んで、
次の日のお昼ご飯も一緒に食べたのですが、そこに集まった数は約15人。
週末じゃなくて、普通のウイークデイにですよ。みんな働いているにもかかわらずですよ。
すごい団結力だーと、思わず感心するやら、あきれるやらです。
東京人だったら、絶対に考えられないことだと思いませんか?
大体、そうしたくても仕事に追われていて、そんなこと出来るはずありません。
人が楽しむことを第一に考えている国なのだなあと、つくづく羨ましく思いました。

グラナダには自分ひとりで行きました。マルベーリャからバスに乗って2時間で着きます。
ここで、私は大失敗をしてしまうのでした。
ホテルとかを予約していかなかったので、中心街を歩いて、
「部屋開いていますか?」と聞いて周ったのですが、
週末だったこともあり、何軒かにはいっぱいだと断られ、ようやく見つけた空室、
ところが宿泊するにはパスポートが必要と言われ、
私はその肝心のパスポートを友人宅に置いてきてしまっていたのです。
ホテルの人は、パスポートを見ないで泊めたら警察に怒られちゃうとか言ってるし・・・。

で、私は警察に行って、事情を説明してOKしてもらおうと、最寄の警察署に出かけました。
ところが当然のように英語を話せる人はいなかったのです。
唯一話せる人がいる可能性のある部署は盗難を取り扱ってる部署だと言われ、
その部署に行きました。
いるわ、いるわ。荷物をすられた人、ハンドバッグをひったくられた人・・・。
英語、スペイン語、フランス語などが行き交うその待合室で、
これまたスペインの警察は仕事をまったくしてないのではないかというくらい待たされました。
昼寝してるに違いない・・・。
運良く英語が話せるスペイン人の女性がいて、結局「NO PROBLEM」で、
グラナダに一泊することが出来ました。

お決まりのアルハンブラ宮殿にも観光に行きましたが、
一番嬉しかったのはガルシア・ロルカのサマーハウスに行けた事です。
ロルカが使っていたベッド・机・ピアの・自筆の詩が置いてあります。
ピアノは触らせてくれたので、ちょっと弾いてみました。
しかし皮肉なものです。
彼はスペイン内戦の犠牲で時の政治勢力によって暗殺されましたが、
今は政治勢力である観光局が彼の財産を、ある意味で利用しているのですから。
もちろんそのおかげで、私のような観光客はロルカの足跡に触れることが出来るのですが・・・。
詩人で、劇作家で、音楽家で、素晴らしい絵を描き、ホモセクシャルで、
そして暗殺されたことによって、自由への希求のシンボルにもなったロルカ・・・・。
彼についての芝居をいつの日か創ってみたいという気持ちがいっそう募りました。

あっという間のスペインでしたが、以前にも増してスペインが好きになりました。
生まれ変わるのなら、スペイン人になってみたいと思う今日この頃です。

SEP.27th2k



ロンドン日記その8
RADAでおいらも考えた

前回の日記でお知らせした通り、7月11日から8月4日まで、
おいらはRADAのサマースクールというのに参加しました。
RADAってのはRoyal Academy of Dramatic Artsの略らしいんだけど、
とにかく王立ですぜー、という感じで、私としてもシェークスピアを英語で学ぶのねと
それはそれでとにかく期待して出かけたのでした。

ところが、ところがです、初日で私はびっくり、がっかりしてしまったのです。
申し込んだ後に、クラスわけのために質問事項の紙が送られてきました。
曰く、人前で金を取って演技をしたことがあるかとか、
シェークスピアを演じたことがあるかとか・・・。
おいらは役者じゃなくて、演出家だから、正直に演出としてはお金をもらったこともあるし、
いろいろ経験もあるけど、役者としてはほとんどありませーんと書いて送り返したわけよ。
そして、RADAに着いたら、なんと一番ビギナークラスに入れられていました。
言うなれば文学座の本科生みたいなものかな・・・。
びっくりしたよー。だって、クラスメイトは芝居なんて
した事ありませーんって人ばっかりなんだもん。

ちょっと、かなり期待はずれだった。
だって、クラスの半分はそれでも演技を始めることに真面目だけど、
半分ぐらいは、何であんな大金を払ってここに来てるの?
って聞きたくなるような人達だったんだもん・・・。
失敗したーっと思った・・。

でも、とにかく毎日7時に起きて、9時から5時までの、
まるでサラリーマンみたいなスケジュールにしたがって、授業を受けました。
シェークスピアは、担当教員が「お気に召すまま」を選んでいたので、
それについての講釈と、短いシーンを選んでのシーンスタディ、
後は、ヴォイス、ムーブメント、アレキザンダーテクニック、ステージ・ファイティング
などの授業があります。中にはシェークスピアのソネットを読むなんて授業もあって、
これの先生はおじいちゃんなんだけど、
なんだかとっても生き生きとした人で、
彼の授業は面白かった・・・。

しかし、全体的に言って、非常にシステマチックで、
先生の教えることへの準備と情熱も低かった。
一人だけ、ヨシ笈田さんの「俳優漂流」と、「Invisible Actor」の共著者
ローナ・マーシャルさんは、すごくためになる面白い授業をしてくれたけど、
他の先生は、本当に大したことなかった・・・。
今まで、コンプリシテ、モニカ、フィリップ・ゴーリエと、
いろいろなワークショップを受けてきたけど、
一番値段が高くて、面白くないワークショップだった。
今でも、大声で言いたい。
「金、返せー!!」

と、同時に人に芝居を教えることの難しさをつくづく感じました。
多くの人に芝居を教えるってことは、ものすごくエネルギーの要ることだし、
いつも自分を100%の状態に持っていって、
丁寧に教えることって、ものすごく難しいんだろうなあと。
後、教えることを、商売にした時点で、何かが確実に死んでいくんだなあって・・・。
今まで受けたワークショップの先生からは、あんまり感じなかったけど、
RADAの先生からは「お仕事よー、これは。」って感じを
すごく受けたもの・・・。

もちろん、勉強になったこともなくはないのよ。
英語でシェークスピアを読むのと日本語で読むのは
ものすごく違うし、一言一言、わりと細かく説明してもらったんで、
モノローグは「マクベス」の、マクベス夫人が狂っちゃって
手を洗いつづける所を選んでやったんだけど、
今まで自分が気付いていなかったことを気付かせてくれたりもしたし・・・。

しかし、そのことをプラスに計算しても、なおかつ、思います。
今後、イギリスで芝居を勉強したいという人には、
私はモニカとコンプリシテのワークショップは大声で推薦しますが、
RADAは、あんまり積極的には推薦できません。
もちろん、いわゆるオーソドックスな、英国の演劇教育の一端を見たい
という人にはお勧めですが、
何か、自分をリフレッシュしてくれるものを求めている人には
お勧めできません。何より、あの値段が納得できない。

と、同時に、今後、もし自分が教える側に立ったら、
何をどう人に教えることができるんだろうかということを、
真剣に考えなければいけないなあ、そうじゃなかったら、
教える権利は私にはないなあ、と思いました。
来年の2月にある、研究生の卒業公演を担当することになっているので、
この質問には真面目に取り組まなければいけないなあと、
今からびびっている私です。どきどきどき・・・。



ロンドン日記その9
エジンバラフェスティバル初体験記

今まで、忙しくって日記が書けなかったぶん、
今回は一気に二本立てでお送りしたいと思います。
8月24日から、私はエジンバラに来ています。
今までいろんな人から聞いていた、“憧れの”エジンバラフェスティバルなのです。
8月のあたまから約1ヶ月、町中が、パフォーミングアーツだらけになるという、
なんだかとってもワクワクしてしまうお祭りです。
インターナショナルフェスティバルと名のついた、正式招聘作品から、
フリンジフェスティバル、フィルムフェスティバル、ブックフェスティバルなど、
とにかくフェスティバルーなのです。
この時期はエジンバラの人口が何倍にも膨れ上がって、
ホテルはどこもいっぱいという、
観光局としてはウハウハな時期なわけです。

この中でも一番面白いのは、フリンジフェスティバルでしょう。
ダンス、音楽、スタンダップコメディ、芝居などいろいろなジャンルが、
朝から夜中まで公演をしています。
プロの劇団もあれば、すっごくどうしようもない下手な人たちもいます。
このフリンジは28日で終わってしまったので、
私は、その一端しか見ることが出来ませんでしたが、
駆け足で見たエジンバラフェスティバルの作品について、レポートしたいと思います。

まずは初日、24日。Royal Lyceum Theatreで、
インターナショナルフェスティバル招聘作品の、
ニューヨークの劇団SITIの「War of the Worlds」。
オーソン・ウェールズの人生を描くという作品で、なんと日本人の女性が台本を書いている。
出演者の中にも一人日本人女性がいた。まあ、ニューヨーク在住なんだろうけど。
めまぐるしく話は進み、なんとなくキレのない台本。
照明は結構工夫してるけど、途中で飽きてしまった・・・。
この劇場は、以前蜷川氏の「タンゴ冬の終わりに」を
アラン・リックマン主演で上演した劇場らしい。

Traverse Theatreで、カナダの劇団One Yellow Rabbitの、作品を見る。
この劇場はフリンジに分類されているんだけど、
ここでやる芝居はみんなプロの作品だし、小さいけれどいい感じのスペースで、
お勧めの劇場である。ここでやってるものは、まあまあのクオリティのものが多い。
このカナダの劇団のは、ちょっと変わった作品で、中途半端なフィジカルシアターってかんじ。
いい芝居を創るのは難しいなあと実感して、部屋に帰った。

25日。バスに乗っていたら、友人のクラウスを見かけた。
彼はモニカのワークショップで知り合った人で、デンマーク人なんだけど、
今回はウエストヨークシャープレイハウスプロデュースで、フリンジで一人芝居をしているのだ。
一緒にニュージーランドから来た女性の一人芝居を見ようとしたが、売り切れでダメだった。
Traverse Theatreで、アイルランドの劇団の「Alone it Stands」を見る。
これは1978年に実際にあったラグビーの試合をモデルにしていて、
地元のチームが世界的に有名なAll Blacksに、大差で勝ったという、
かなり感動的な出来事をそのまま6人の役者で、50役ぐらいをこなして、芝居にするという、
なんだかアツイ芝居で、見ていて楽しくなる。
ロンドンで大ヒット中の「Stones in his Pocket」といい、
アイルランドは今元気がいいように思う。
セットとかがない、もしくはそれに高い金をかけられない分、
役者で勝負よー、という心意気が気持ちいい。

夜はドイツのダンスカンパニーを見る。
体って一体なんなのだー?という問いかけをダンスにした感じ。
所々面白いけど、なんかインテリ臭を感じて私は苦手だった。
みんな全裸で踊ってたりして、すごいなあと妙に感心してしまったけど・・・。

26日。長くなってすみません。興味のない方は、ここらへんでギブアップかしらん。
この日はまず、前述のクラウス君の一人芝居を見る。
ドストエフスキーの「白痴」をテーマにした作品で、
彼一人でムニュシュキン、ナターシャなど、何役かをこなす。
結構工夫がされていて、なかなかいい役者だったのだなあ、とほっとする。
彼が出ているPleasanceは、コメディが中心の劇場で、
日本のASAHIビールが今回のフェスティバルの協賛をやっているみたい。
久しぶりにアサヒビールを飲んでご満悦の私。

次にやっぱし一人芝居の「The King of Scotland」を
Assemblyで見る。ここも、協賛がスコットランドの新聞社で、
出演しているのはプロばかり。
かなり、個性のある役者さんが一人で、ちょっと頭のおかしい男の話をえんえんやるのだけど、
ものすごいスコットランド訛りを使っていて、ほとんど理解できなかった。
うーん、失敗・・・。

夜は大劇場でワーグナーのオペラ「Das Rheingold」を観た。
指輪物語は10年位前に私の大好きなモーリス・ベジャール氏が、
長ーいバレエ作品を創っていて、
私は当時ものすごく忙しくって観られなかったのだけど、写真はたくさん見て、
そのビジュアルの格好よさにドキドキしたのですが・・・、
今回のは良くも悪くもセンスがちょっと子供っぽいというか、マイルドでいまいち・・・。
結構普通の芝居みたいに、動き回って歌ってるんだけど、
ウワー、すげーという、オペラならではのカタルシスみたいなものは得られなかった・・・。

さあ、まだあるぞ27日。この日は、まるでゴーモンのように芝居をたくさん見ました。
まず昼の12時からガルシア・ロルカを描いた一人芝居「Poet in New York」。
この作品は、たまたまポスターを見かけて、
いま、私はとてもロルカに興味があるので、観ることにしたんだけど、
かなり面白かった。マイムと芝居が上手くミックスされていて、
伝えたい内容もぼやけていなくてくっきりしていた。

次に同じビルの中で、イギリスの若い子の作った「Breathing Water」
これは、ものすごい失敗。とにかくスゴーク下手だし、脚本もなっちゃいない。
まあ、若いってことで許すけどね。

次に、今度はアメリカの若者の作ったデヴィッド・マメットの「エドモンド」。
これは、この作品自体がどういうのかを知りたくて見たんだけど、
まあ真面目に作っているなあ・・という感じ。
でも、暴力シーンだけ、マイムみたいにしていて、納得できない。
後、パンツとブラジャーをつけたままのセックスシーンも???

まだまだ続くぞ、本日4本目。「A lump in my Throat」
実際にタイムズで、コラムを書いていたJohn Diamondのコラムをもとに創った一人芝居。
喉頭がんにかかったその人が、如何に生きるかという事がテーマかな?
しかし、いろいろな形の芝居があるのだなあと、思う。
今まで、ちゃんとした台本がないと、という固定観念に縛られてきたんだなあと、つくづく実感する。

さあ、今度は5本目。アメリカの劇団の「Americana Absurdum Part 1 Vomit and Roses」。
なんて長い題名なのだー。
私が明治大学にいた頃に、実験劇場という劇団が学内にあった。
私は、そっちではなくて、ややおとなしめの劇研にいたんだけど、
このアメリカの劇団は、なんだかとっても実験劇場に感性が似ていた。
ブラックなコメディで、フツーに見えて、ものすごーく異常。しかし早口のアメリカ英語は聞き取りにくい・・・。

もうへとへとなのに、6本目。
今度は野外劇で「テンペスト」。
決められた舞台というものがなくて、観客が座っている間を自由に動き回って芝居をするという、
かなりワクワクするコンセプト。
かなりのじいさんの役者もいたけど、みんな走り回って、飛び回って台詞を言っている。
うちのオジサン役者たちに見せてやりたいと、ちょっと思う。
面白かったけど、夜のエジンバラはものすごく寒くなる。
最後は震えながら見ていました・・・。

本当に長くなってすみません。28日はフリンジ最終日。
すでに昨日や、おとといで終わっている劇場もあって、
観光客の数も減った感じ・・・。
朝は、スティーブン・バーコフの新作「Messiah」を観る。
急に主役の人が病気になっちゃったらしく、バーコフ自身が台本片手に主役のジーザスを演じる。
久しぶりに見るバーコフはすごくジジイになっていて、びっくり。
演出のテイストは、相変わらずという気がした。
マグダラのマリアがジーザスの足にキスをするシーンがあるんだけど、
私にとっては妙に色っぽくて、久しぶりに心がざわざわした。

夜は、正式招聘作品の「Barbaric Comedies」。
スペインの演出家、アイルランドの役者という混成チームで、スペインの芝居をしている。
どこがコメディなんじゃーと、怒鳴りたくなる。とにかく、暴力的なシーンが多い。
レイプとか、セックスとか・・・。
みんな、じゃんじゃん裸になちゃってて、
裸好きの私も、うえーと思う・・・。
後味の悪い作品だった・・・。

まだまだ続く、29日はNDT2&3.。
何ヶ月か前にロンドンで見たNDT2の公演が非常に良かったので、
今回のエジンバラフェスは、NDTのために来たといっても過言ではない感じ。
とくにNDT2のMinus16という作品がとっても好きなのだ。
踊るっていいよなーと、素直に思わせてくれるエネルギー溢れる作品で、
今回も満喫しました。
一人日本人のイセキサワ子さんというダンサーがいるんだけど、
彼女もすごくいい。

30日はNDT1。でも、思ったより、クラッシックで、
いまいち心に来ない。技術は素晴らしいんだけどね。

31日はドイツのカンパニーの「ハムレット」。
紹介記事にはヨーロッパで特筆すべき演出家の作品だと書いてあった。
しかし、しかしである、こんなつまらないひどい芝居は見たことがないというくらいひどかった。
どうやったら、あんなにつまらないものが創れるのだろう。
我慢できなくて、休憩時間で劇場から逃げ出しました。
金、返せー!!私があんな芝居創ったら、自殺してるわ。

さあ、とうとうエジンバラ最終日はNDTの123が総力を結集して(?)
お贈りするARCIMNOLDO2000だー!!
開演前からロビーで踊ってるダンサーがいたりして、
気分はいやがおうにも盛り上がる。
花火が散ったり、クラシックから、現代音楽までいろんなジャンルの音楽を使っていて、
とにかく美しい舞台だった。満足満足・・・。

というわけで、10日間にわたる滞在を終えて、
ロンドンに帰ってきました。
やっぱり我が家はいい、落ち着く・・・。
エジンバラフェスティバルの事務所のホームページアドレスは
www.edinburghfestivals.co.ukです。
来年あたり、参加を考えている人、遊びに行きたいと思っている方、
こちらで情報を収集してください。
10日からはスペイン南部を旅行します。
今度はスペイン日記をお送りします

SEP.3rd2k



ロンドン日記その7

夏を待ちわびて・・・・。

日本は、もう夏なのでしょうね。
アジア的にじりじりとむしむしと暑い日が続き、シャワーを浴びたあとの冷えたビールが
格別に美味い季節なのでしょうね。
ところが、ところがです、ここロンドンはいまだに涼しいというか
むしろ寒いぐらいなのです。
6月の末にたった二日間、夏らしい日がありました。
輝く太陽、ノースリーブで町を歩いたって平気さってな、嬉しい日が・・・。
でもそれは長く続きはしなかった・・・。
今日も雨が降り続き、さむーい日曜日・・・。
先週パリに行ったとき、むこうはしっかり夏でした。
1ヶ月以上も前にウイーン、プラハに行ったときも夏でした。
どうして、どうしてロンドンだけが、こないに涼しいのでしょう!!
天候までもが島国根性でひねくれているのでしょうか?ああ、日本の夏が、恋しい・・・・。

ところで、ずいぶんご無沙汰しております。
私の研修期間も、後110日ほどを残すばかりとなりました。
時間というのは、本当に日々加速度がついていくようです。
今、私はシェークスピアと戦っております。
というのも、あさってからRADA−Royal Academy of Dramatic Art-
王立演劇学校のサマースクールでシェークスピアを学ぶ予定になっているからなのです。
なんてったて、王立、ROYALなわけです。
日本で、ROYALという名前がついていると、
たいてい、地方の今一歩パッとしないホテルだったり、
何ていうか、いかがわしい感じがしてしまうのですが( こう思うのはわたしだけ?)
このRADAさんは、有名な役者さんを何人も輩出している
由緒正しい演劇学校だそうです。

今までは、台詞とかにこだわらない、フィジカル中心のワークショップばかり
受けてきたので、そんなに英語に苦しむこともなかったのですが、
あさってからはシェークスピアなのです。
イギリス人の友人も、シェークスピア英語は難しいと言っているのに、
アメリカ人やオーストラリア人なんかびびってるのに、私に喋れるわけがありません。
でも、あさってまでに、オーデション用のスピーチ( シェークスピアの作品から選ぶ)を用意することと、
シェークスピアの作品を全作品読んでおけとかいう宿題が出ているのです。
もっと、前から用意すればいいものを、いつもぎりぎりまで、
でかくて重い尻を上げない私です、今、大慌てで本を読んでいる始末。
昔、学生のころに読みましたが、最近は自分に興味のある作品しか読んでいないので、
忘れてしまっているものも多いのです。
特に歴史物は人物の相関関係がわかりにくいので、大変です。
スピーチは「真夏の夜の夢」の、
へレナがハーミアに「私たちは、さくらんぼうのように中が良かったのに・・・・。」と、
怒るシーンを選びました。
でもねー、感情表現をする前に、舌が回らないんだな・・・。
英語ってどうして、こんなに舌が忙しい言語なんでしょうか、まったく・・・・。
とにかく、あさって7月11日から、8月4日までの間、
鴻上氏曰くの「英語の戦場」で戦ってまいります。

ところで、この「英語の戦場」の前に、もうひとつ有意義で大変だった戦場がありました。
前回のMonikaのワークショップに引き続き、私は、以前ルコックの弟子をしていて、
今はロンドンに自身の演劇学校を持っているフィリップ・ゴーリエの
ワークショップを受けました。CLOWN―道化師のワークショップだったのですが、
これの報告をしなければなりませんね。

フィリップ・ゴーリエという名前から、勝手にジャコメッティのような風貌の人を
想像して出かけていった私は、まずその狸親父という感じの風貌に驚かされました。
なんていうか、演劇人というよりは、怪しい博士といった感じの・・・・。
初日のワークショップの間中、私は彼に対する怒りで一杯でした。
私もたいがい意地悪な演出家ですが、彼の意地悪には負けます。
いきなり人が笑うことをやれと言われて、うまくいくはずがありません。
そのとき彼はこう言い放ったのです。
「誰も笑わないじゃないか、君はゼロだ。最低だ。今すぐ君を殺したい・・・。」
なんだとおおおー!!!ちきしょー!!あったまきた。
イギリスのワークショップの指導者はほとんどがとっても優しく、
めったに人が傷つくことを言いません。
役者がびびって、心の殻を閉じてしまうのおそれているからだとも思います。
でも、彼は正反対です。
きっついことをわざと言って、役者のエゴを取り払う、
その人の一番脆い部分を発見するというのが、彼の方法論です。
頭では、彼の言うことは、よーくわかります。
でも、それをすること、自分のクラウン―自分の一番脆くて、愚かで、美しくて、
かわいらしい所を見つけ、それを人前にさらすことは、めっちゃくちゃ難しいです。
二日目からは、徐々にフィリップが好きになりました。
きっついことを言いますが、根はものすごく優しい人だということがわかったから・・・。

でも、大変でした。
と同時に、今まで私が役者にしてきたことに対して、ものすごく自覚させられました。
頭ではどうしたらいいかって事が、よーくよーくわかるのです。
でも、なかなか出来ないのです。イライラしました。自分自身に対して・・・。
でも、実感しました。「ああ、みんな、こうなんだろうなあ・・・。」って。
演出家として、説明してわかってもらったつもりでも、
役者がそれをなかなかやってくれないと、それはそれで不安になるものです。
「おいらの説明の仕方が悪いのかなあ・・・。」と。
多分、それはそうなのでしょう。でも、それだけでもないんだなあ・・。
すぐには出来ないことって一杯あって、
それを何とかするために役者も本当に心底辛い思いをしているのだなあ・・・。

でも、問題は演出家として、また、役者は役者として、
どうしたら、自分をオープンな状態にして、可能性を広げていくかって事ですよね・・・。
結局、自分のクラウンは見つけられなかったかもしれないけど、
このワークショップも、受けて本当に良かったと思っています。今はね・・・。
でも、当時は毎日闘いに行く気分だったわ・・・。

もうひとつ良かったのは、このワークショップで香港からきた演劇人の友達が出来たこと。
今まで一人も中国人の友達がいなかったので、これは嬉しいです。
( アメリカ人、オーストラリア人、ノルウェー人など、多くの西洋人の友達はいるのにね。) 
彼らは驚いたことに日本のテレビにものすごく詳しいです。
木村拓也の大ファンらしい・・・・。
キムタクの話をするときは声が4倍の大きさになっていて、こっちがたじろぐぐらいだった・・・。
絶対私より日本のテレビに対して詳しいです、彼らは・・・。

まあ、そんなこんなで、あさってからはシェークスピアです。
どうなりますことやら・・・・。
さあ、英語の戦場に出撃ですう・・・・。

JULY9th2k


ロンドン日記その6

Monika Pagneux との素晴らしい出会い

東京の空は、もうすっかりと五月晴れなのでしょうか?
それとも、早々と梅雨の声を聞いて、しっとりとした( じめじめとした)日々を、お過ごしですか?
ロンドンも、すっかり日が長くはなりました。
夜9時ぐらいまで外は明るく、なかなか夜になったという実感が味わえません。
晩御飯を食べていても、なんとなく、落ち着かない感じ・・・。
夕方5時ぐらいに食べている気がしてしまうのです。本当は8時過ぎているのに・・・。
が、しかし、気温のほうはなかなか暖かくなりません。
時々ごくたまに夏日がありますが、まだ皮ジャンの手放せない私。
早くタンクトップ一枚で歩きまわりたいっ!!アジアの照りつけるような暑さが恋しいっ!!
まったく、演劇というものがなかったら、果たして私はロンドンに一年もいられるのでしょうか?
きっとスペインとかイタリアとかもっと御気楽な土地に移住していたに違いありません。
そう、演劇、芝居があるからこそ、この街は魅力的なのです。

私のロンドンでの研修も半年が過ぎました。
コンプリシテのワークショップの後、すっかりワークショップというものの魅力に
ハマッテシマッタ私は、今回Annabel Ardenさんの紹介で、
Monika Pagneuxさんのワークショップを受けてきました。
実は、私はこのMonikaさんについてなーんにも知りませんでした。
ただ、前回のワークショップで私を激しく刺激したAnnabelさんの紹介だから、
きっといいワークショップに違いないと思って、応募したに過ぎません。
まさかそのときは5月9日から19日までの10日間があんなにも喜びに満ちた時間
になるとは思っていませんでした。

5月9日に稽古場に付いてみると、そこには鋭く、優しい目をした小柄なおばさんが
私たちを待っていました。
(後で知ったのですが、彼女はおばあさんと言ってもいい年齢です。しかし、柔軟で
エネルギーに満ち溢れた物腰からは、間違ってもおばあさんという言葉は出てきません。)

まずは、お決まりの名前ゲームからワークショップはスタートしました。
これはリズムにあわせて名前を呼び合うゲームで、
わたしが研究生の頃小林勝也さんが、教えてくれたゲームです。
その後、私も度々このゲームで稽古場をスタートしてきた、私にとってはとっても
馴染みぶかーいゲームのひとつです。
ところが、このゲームのクオリティの高さを私は充分に理解していなかったようです。

両足を完璧に平行に起き、ひざ頭が二の指の方向に向くように膝を曲げる。
そうすると、背骨が変化する。つまり、屈伸運動には背骨の開閉がどうしても必要です。
そして、それを感じ取ることが、とても重要なのです。
読んでいると、すごく簡単なことに思われるでしょう。事実、簡単かもしれません。
けれど、私のように体の硬いものにとっては、膝頭を、完璧に平行に屈伸し、
背骨が開くのを充分に感じるというのは、あなたが思っている以上に
今まで使っていなかった筋肉を使うことになるのです。
このゲームは、単に反射神経や、チームとしての共通の何か(COMPLICITE)を
養うためだけではなく、自分の体のありようをも同時に感じ取れる
非常に繊細なゲームだったのですぅっ!!!

とまあ、一事が万事、彼女の教えてくれたことは、前回のコンプリシテのワークショップで、
Annabelが私たちに教えてくれたことと、ほとんど同じであったにもかかわらず、
毎回、そのエクササイズの持つ本当のクオリティと意味を、私たちに発見させる、
驚きと感動に満ちたものでした。
それもそのはず、Annabelは、Monikaさんから、多くのことを学んできたのです。

一見、単純に見える身体運動の全てが、実はものすごく有機的に体に作用していて、
それを理解することで、役者の可能性を、肉体的にも精神的にも、
広げることが出来るという事は、ワクワク、ドキドキの連続なのです。
実際、自分の細胞が若返り、いろんな感覚がいい意味で鋭くなっていくのを感じました。
ワークショップの初日には、おっさんに見えた、60歳近いスイス出身の俳優さんが、
少年の様に輝く瞬間を見た時は、他人事ながら、びっくりしたりして・・・。

彼女の教えてくれたことは、身体にとどまらず、演劇の持っている基本的な問題点を、
指摘する内容でした。
俳優が、どう自分の心と体の声を聞くのか?
目に見えない何かを、目に見える何かにするにはどうしたらいいのか?
言葉と、体の表現を上手く合体させるにはどうしたらいいのか?
10回、20回、時には100回もほぼ同じことを繰り返す芝居の上演において、
どうしたら己を新鮮な状態に、死んでしまった演劇ではなく、生きている演劇にすることが
出来るのか?などなど・・・・。

演出家として、いつも考えていること、でもなかなか答えが出せないことばかりなのですが、
それでもMonikaさんのワークショップは、その答えそれ自身をくれる訳ではありませんが
(そんなもの、簡単に与えられるものではない!)
蜘蛛の糸のように細い、けれど光り輝く解決の糸口を私に与えてくれたような気がしてなりません。

彼女は、長年Peter Brookとともに、働いてきた人で、
素晴らしい観察眼と、厳しさと優しさを併せ持った人です。
今まで3回、日本にもワークショップをしにきたことがあるとおっしゃっていましたが、
私は、なんとしても彼女をもう一度、日本に招いて、
文学座の役者たち、日本の役者たちにこのワークショップを受けてほしいと願っています。

MAY.29.2k


ロンドン日記その5

今回はプラハ、ウイーン日記なのだ!


曇り空の続くロンドンのヒースロウ空港から飛行機に乗り、プラハに着くと、
なんとみんな半そでのシャツやら、ワンピースやらを着て歩いていた。
むむむっ!ロンドンでは、セーターと皮ジャンで、ちょうど良かったのに・・・。
4月24日から5月4日までの11日間、プラハ、ウイーンを一人でぶらっと周って来ました。
その間、ロンドンから持っていった冬服は一度たりとも鞄の中から出す機会がなく、
下着代わりにと思って持ってきた、Tシャツとタンクトップばかりを着ることになりました。
でも、嬉しい!!!
輝くばかりの太陽、つよーい日差し、日焼けしそうな予感、どれもこれもロンドンでは味わえないものばかり・・・。
歴史的建造物を、観光する喜びはもちろんありますが、
この美しい太陽が何より嬉しかったのはいうまでもありません。
ロンドンでは、晴れてる空より、少し曇った空を見ることのほうが圧倒的に多いのですから・・・。

さて、何故プラハ、ウイーンなのかということを書かなくてはなりませんね。
おいおい、わしらの税金を使って、一人勝手に観光旅行なんてもってのほかだー!と、
お怒りになる方もいるかもしれません。素直に謝ります。ごめんなさい。
でも、ヨーロッパにいる間に、ぜひ「存在の耐えられない軽さ」の舞台になったプラハと、
エゴン・シーレが短い生涯を生きた街ウイーンに行ってみたかったのです。
(普通はカフカのプラハ、モーツァルトのウイーンなんだろうけれど、私にとってはこの二つのほうが印象が濃い。)
ミラン・クンデラの著作、もしくは映画で、「存在の耐えられない軽さ」に出会ったことのある方は多いと思いますが、
私にとってこの作品はちょっと特別に個人的な思い出のある作品なのです。
画面で見たヤン・フス像とか、天文時計の骸骨とかを、実際に見ると、
10年以上前に映画館に行った日のことまで思い出してしまいます。
今のプラハは激しく観光化された街ですが、
それでも、モルダウ川を越えて、ストラホフ修道院から、裏道を歩くと、
100年はタイムスリップしたような気分になります。
戸外にテーブルを並べたレストランも多く、ここで飲むビールは最高の味でした。

プラハからウイーンへは列車の旅です。4時間45分かかりますが、3000円くらいでいけるのです。
(ちなみにこれはプラハで購入した値段です。帰りに、ウイーンで同じ物を購入したら、5000円以上しました。)
さて、ウイーンといえば、モーツァルトもエリザベートも、クリムトも大切ですが、
私にとっては断然エゴン・シーレが大切です。
大学を出て、最初に勤めた職場を辞めて、プータローをしていた頃、
東急文化村でエゴン・シーレの展覧会がありました。
私は心からこの展覧会を企画なさった方にお礼が言いたいと思っています。
エゴン・シーレの絵は、腐っていた私に、「生きろ!!!」と、怒鳴りかけているようでした。
皮膚がヒリヒリするような感じがして、彼の持つナルシズムが、私には愛しいものに思えました。
それからというもの、黒井千次氏のお書きになった作品や、
彼の書簡集などが出版されるたびに読みました。
いつかは、彼をモデルにした(そのまま、彼の自伝的作品を作るというわけではない)
芝居を創りたいなあとまで思っているのです。

ところが、ところがです。エゴン・シーレが目的で行ったウイーンですが、彼の作品が少ないのです。
実は今建設中の新しい美術館があって、2001年にオープンするのですが、
そこに彼の作品を集めて展示する予定だとかで、もちろんヴェルベデーレ宮殿の中の美術館にも、
一部屋分の作品群はあるのですが、ほとんどはその美術館(LEOPOLD MUSEUM)の、
オープンを待たねばならないのです。
くやしーい!!!後、一年も待たねばならないなんて・・・。
それに、来年にヨーロッパに来る余裕があるかどうか、まったくわからないし・・・。
これを読んでいらっしゃる方の中で、私と同じようなエゴン・シーレファンの方は、
ですから2001年を待ってください。
(ちなみにLEOPOLDのホームページアドレスはwww.leopoldmuseum.orgです。)

とまあ、一番の目標には、やや肩透かしを食らいましたが、オペラを観たり、ミュージカルを見たり、
お決まりの3つの宮殿を観光したりと、もちろんそれなりに充実した時間を過ごしました。
オペラは「カルメン」を観ました。これは、あんまりオペラには詳しくない私の、最も好きな作品です。
といっても、全部を舞台で見るのは初めてでした。
2月にパリに行ったときにロシアからのカンパニーが現代版「カルメン」をやっているのは観ましたが、
それは、カルメンはストリートガール、ホセは警官という設定で、大胆にカットもされていましたので、
今回が、カットなし初体験なのです。

チケットをボックスオフィスに買いに行くと、もうすでに売り切れでした。
で、そこにいたダフ屋のおっちゃんから約4000円の席を、それでも値切って8000円で購入しました。
でも、やっぱり観にくい席で、まいったなあ・・・と思っていたのですが、下を見ると、
一番いい席が二席空いているのに気づいて、一幕が終わった時点で、さっさとその席をゲットしました。
うー、ラッキー!!!
でも、全部を観て、つくづくピーター・ブルックが言っていた事がわかりました。
”私たちは「カルメン」の上演が恐ろしく退屈なものになることが良くあるという点で意見が一致し、
この退屈さの性質とその原因を探ることにしました。そして、例えば舞台に突然80人の人物が現れ、
何の理由もなく歌を歌うと去っていくのは、ひどく退屈だという結論に達したのです。”

もちろん、多くのコーラスを使ってなおかつ緊張感を失わない品質の高い公演もあると思います。
群集が出てくることの数の説得力もあります。
でも、観ていると、コーラスの人の中でも前列に位置している人は芝居気もあり、観ていられるのですが、
中にはストップモーションのはずのシーンでごそごそ動いている人や、
喧嘩のシーンなのに、芝居ではなく単にへらへらしている人もいて、
演出家としてちょっと許せないなあと思ってしまうのです。
演出はあくまで写実的で、3幕のシーンは写実的なあまり暗すぎて、役者の顔がほとんど見えませんでした。
一生懸命素敵なアリアを歌っているのに、これはないんじゃないかなあと、思いました。
私が演出だったら、照明家だったら、もうすこし何とかするのになあ・・・。
私がカルメン役や、ホセ役だったら、頼むからもう少し明るくしてくれーって騒ぐだろうなあ・・・。
カルメン役のAgnes Baltsaさんは、もちろん私がよくCDで聞く、
マリア・カラスやジェシー・ノーマンのカルメンには及びませんが、
二幕以降は声も艶があって良かったです。
ホセ役の人も、精一杯高音の多い難しい唄を歌い上げていたように思います。

この他、ミュージカル「MOZALT!」も、お勧めです。
こちらは大人気で、今の所チケットは売り切れですが、立見席が毎日出ます。
モーツァルトがまるで、ロックやってるあんちゃんみたいで(レゲエヘア!!)
若い女の子に特に人気があるみたいです。
芝居の創りはウエストエンドのミュージカルみたいなんだけど、唄が上手いです。かなり上手いです。
ロンドンのライオンキングに出ている人よりも確実に上手いと思いました。
やばいよ、負けてらんないよ、ロンドン!!

という具合に、昼は観光、夜は観劇とかなり精力的に歩き回ってきました。
おかげで、ロンドンに帰ってからも足が筋肉痛です。
4日に帰ってきたときは、寒かったロンドンも、
ここ2日間、夏の気配をびんびん感じます。
5月は、ワークショップ月間と名づけて、一ヶ月ワークショップ漬けです。
また、お便りします。

MAY.7,2k


ロンドン日記その4

生ラルフ・ファイアンズ

一ヶ月に一度だった、ロンドン日記ですが、
今回は珍しく時間をおかずその4を書いてみたいと思います。

今日、私はあのラルフ・ファイアンズ主演の「リチャード」を見てきました。
これは、有名人を起用することで有名なオフ・ウエストエンドの劇場、
アルメイダシアターがプロデュースした作品で、3月30日から、8月の5日まで
「コリオレイナス」と、二本立てでロングランするというものです。
なんと言っても、イギリスが生んだスター、ラルフ君が主演なので、
結構以前から話題になっていて、今日も劇場は満員でした。

さて、この劇場が素晴らしい空間なのです。
GAINBOROUGH STUDIOSといって、もとは映画の撮影スタジオだった建物が、
本日の劇場空間なのですが、ここはかのヒッチコックが使っていた由緒正しいスタジオです。
1926年から、1949年まで、ここで数々のイギリス映画の名作が撮影されたそうですが、
財政赤字で、長らく使われていなかったそうです。
で、今度、ここは地域の再開発で、まったく別の、オフィスと住居が合体したビルに
建て替えられてしまうのですが、その前に、素晴らしい劇場空間として、蘇ったわけです。
文学座のアトリエをずーっとずーっと大きくしたというか、
ベニサンピットを大きくしたといったような天井がべらぼうに高い、煉瓦造りのその建物は、
もう入るだけで、観客の気持ちをわくわくしたものにしてくれます。
セット・デザインのPaul Brownの、美術がなかなか良く、
もともとの建物の持っている個性を非常に上手く活かしています。

「リチャード」は有名なので、日本でもよく上演されますが、
皆さんは「リチャード」を見たことがあるでしょうか?
お恥ずかしいことですが、私も、見たことはおろか、台本を読んだこともありませんでした。
けれど、こちらでは、古くはジョン・ギルグッド、
1970年以降では、イアン・マッケランや、ジェレミー・アイアンズなどが演じていたようです。

で、今回のラルフ・ファイアンズですが、私は特別に彼のファンではないので、
(どうも私は、ノーブルな顔立ちというのが、苦手のようです。どちらかというと、
ニコラス・ケイジや、アンディ・ガルシアのような、イタリアのあんちゃんといった風貌のほうが好み。)学生料金
で、3階席の真中をゲットしました。(15ポンドなり。)

台本そのものは、「リチャード」よりは、個人的な好みかもしれませんが、
ドラマの起伏が少なく、そのせいかポピュラリティーに欠けるように思うのですが、
役者は脇を固めるおっちゃんの俳優たちが、「本場もんのシェークスピアでっせー。」とばかりに、
上手かったです。
当のラルフはどうだったかというと、前半の王様で、わがままがとおるときの演技は、
わざとだと思うのですが、幾分子供っぽく、見ようによっては、
ホモセクシャルっぽくも見えるのですが、
形勢が危うくなり、ついには王位を譲って、ロンドン塔に幽閉されてからというものは、
人間的に成長したように見え、最後の、
「I have wasted time, but now the time wastes me.」
(台本を読んでいないし、私の聞き取り能力は怪しいものがあるが・・・。)というせりふを
言うときは、意地悪な観客の私も、ちょっと聞かせられてしまいました。
それにしても、このくだりは、さっすがシェークスピアという感じで、台詞がとってもよく、
全部を聞き取れない自分をのろいました。

先にも書いたように、この公演は8月までやっています。
なにがなんでもお勧めというほどではありませんが、
もし、ロンドンにいらっしゃることがあれば、あの素敵な劇空間と、生ラルフ・ファイアンズを見に、ちょっと不便
な場所まで、足をのばしてはいかかでしょうか?

APR.21.2K


ロンドン日記その3

COMPLICITE WORKSHOP 体験記

早いもので、ロンドンで、生活し始めてから、5ヶ月が過ぎた。
3月に入って、暖かい日が続いたので、ああ、これで、あのうっとおしいロンドンの冬ともおさらばだと大喜びした
・・・・が、それはちょっぴり気が早かった。
4月に入ってからというもの、どんよりとした空、冷たい風、しとしとと降る雨、
まるで、その気にさせておいて、焦らす女のように(私は、そんなことしないけど・・・。)
ロンドンの天候は、私の心と体をもてあそぶ。
いいかげん、輝く太陽とランデブーして、重いコートと、おさらばしたい。
昔、流行ったキャンディーズの唄のように、思いコートを脱いで出かけたい!!!!

・・・と、前置きが長くなりましたが、こんないたずらな空の下、私、松本祐子が
やっと念願のTHEATRE DU COMPLICITE のワークショップを受ける日がやってきました。
3月27日から4月7日までの2週間、今回はサイモン・マクバーニ氏は、アメリカだか、
どこかで演出をしていて忙しいらしく、姿を見せませんでしたが、
コンプリシテ創立メンバーの一人、ANNABEL ARDEN さんと、
MICK BARNFATHERさんによる、ワークショップを受けました。
それぞれ、The Musicality of the Actor, The Actor and the Object
という題名が付いていて、
ひとつのクラスに付き20人の参加者でした。
他にもLilo Baur, Jos Houben, Matthew Scurfieldといった人たちが、
Colour and the Actor とか、ヨガのクラスとかを教えていました。
どうやら、コンプリシテは、大体年に2回、、ワークショップをやっているようです。
本当は、全部のクラスを受けたかったんだけど、一クラス20人という限度があること、
希望者がきっとたくさんいるだろうと思ったこと
(事実、いろいろな国から、いろいろな人が参加しているのだった!!)を、
考慮した上、泣く泣く二つを選んだのでした。

まず、午前中はアナベラさんの、The musicality of the Actor です。
アナベラさんはどっしりとした大柄な体格の女性で、言っちゃあ悪いが、
お尻なんか私の2倍はあるんじゃないかという立派な体の持ち主。
ところが、ところが、とにかく彼女の体のしなやかで、軽いこと!!!
一日3時間30分のワークショップのうち、前半は、基本的な身体訓練を、ゆっくり時間をかけて教えてくれます。
一見すると、どれも簡単そうなことばかり。
体をねじって、寝転んだり、起きたり・・・・。寝転んだ姿勢のまま、足と、腕をねじったり・・・。
そう、赤ん坊のころ、誰もがやっていたことを、やるわけです


ところが、このものすごーく簡単そうに見えることが、体のカターイわたしにとっては、めっちゃくちゃ難しい!!
!!
つるんとすんなり動くはずのところが、ゴツッ!バキッ!の連続です。
教えてくれている、アナベラさんは、あのどっしりとした体を、いとも簡単に軽々と、やわらかく動かしているのに、です。
この、基本的な身体訓練の後、ただ、スペースを感じながら、歩く、止まる、方向をかえて、また歩く、ということをするのですが、
この単純極まりないことが、もうすでに、それぞれの役者の肉体の持っている可能性やら、クオリティやらを
真夏の空のごとくはっきりと、明らかにしていくのです。

その後、ニュートラルマスクを使った、いろいろな即興をやるのですが、このマスクってやつが、これまた残酷なんです。
自分が如何に、顔の表情とかに頼って芝居をしようとしているかということが自覚させられます。
もちろん、わたしゃ演出家、役者じゃないもんねー、と開き直ることも可能なのですが、
演出家としても、時おり役者の上半身と下半身が、分離しているようなことがあるのですが、
こういった場合、なにが問題なのか、どうしたら、それが解決できるのかというということに対して、
今まで無自覚だったのではないだろうかしらん、という疑問なり反省なりが頭をかすめます。

アナベラさんは「The mask demands the perfect body.」と、のたまいました。
「か、完璧な体ですかー!!!」と、わたしはどきどきします。
でも、これは別に八頭身美人的な(古い言葉!)すごいプロポーションのことを言っているのではなくて、
空間の中に、その役者の体が、観るものの想像力に働きかけ、物語を語れる体であり得るかということを、
さして言っているのです。(そっちのほうが、ずっと難しいわい!!!)

で、言葉や顔の表情に頼ることなく、肉体で物語を語る
(こう言うと、つい60年代のアングラとか、先鋭的な肉体論を思わせるかもしれませんが、そういうことではなく
ーもちろん、あれはあれで、ひとつの物語る肉体ではあるのですが)、
何もない空間で役者という肉体が、想像力やら、体の中に宿る音楽性やら、知性やらを駆使して、
物語を語る、演じるということの難しさと、可能性をマスクは、暴いて見せることが出来るような気がします。
(だからと言って、実際の上演や、稽古場で常にマスクを使用するという意味ではない。)

こうやって、文章にしていると、ついムズカシーイ事をやっていたように見えてしまいますが、
このムズカシソーナ事が、とっても楽しいゲームやら即興やらに隠されているのです。
おまけにアナベラさんは体型に似合わず(ごめんなさい!!!)すっごく繊細な人でした。
役者の体と想像力ってものが、どれだけ脆くて、繊細で、素敵なものなのかをよーくわかっている人でした。
簡単そうに見えることが、実は一番難しかったり、面白かったりするんだよなあと、今更ながら得心してしまう私でした。

午後は、ミックさんのThe Actor and the Objectです。
こっちは、1週間の短い期間、Objectを使ってどのように物語が創れるかに、チャレンジするクラスでした。
初日に、いきなり宿題が出ます。
明日までに、何かひとつObjectを選んで、それを使ってストーリーを創って来ること!
本は、本であり、鳥にもなり、山にもなり得る、といった具合に、想像力を駆使して、
一つのものに複数の意味を持たせるわけです。
コンプリシテの作品には、この方法を非常に上手く使ったものが、数多くあります。
本、椅子、テーブルなどといったものが、いろんなモノになっていくのです。

さあ、家に帰ってから頭を抱えました。うーん・・・なにを使おう・・・・。どうしよう・・・・。
お皿を、スプーンを、ナイフを、フォークを、洗濯物吊を、手にとっては、「この使い方はどこかで観たことがある・・・。」と思ったり、
「ああ、私の想像力ってなんて貧困!!!」って自分を恨めしく思ったり、
鏡の前でフライパンと格闘したりしては、頭をかきむしる私。
「どんなストーリーにしよう・・・。英語で喋んなきゃダメかなあ・・・。」などなど・・・。

とにかく、子供のころ、自分がどんな遊びをしてたっけなあと、思い出してみようと思うと、
私はどうやらかなり変わった子供だったようで、裸の女の人の絵をよく書いていたことを思い出したりしてしまう。
「うぎゃー!!」と、意味不明の奇声をいくどか発して、その夜はふけていきました。

さて、次の日、20人のクラスメイト(?)が、それぞれ発表していきます。
かなり、面白いのもあれば、うーん・・・と唸ってしまうのもあったり、いろいろですが、とにかく私の番がやってきました。
「日本語と英語ちゃんぽんでやっていいですか?」と、もちろん英語で、ミックさんに聞く私。
夕べ悩みながら寝たので、台本は当然用意していないので、ぶっつけ本番のようなもので、
英語だけだと言葉が出てこなくなる恐れがあるのです。
最初に、日本語で一言言えば、次にはその気持ちのまま英語に移行できると思いました。

アナベラさんのクラスも国際色豊かだったのですが、一応みんな英語がわかる人ばかりだったのですが、
このクラスは、スペイン語しかわからないというとってもファンキーなスペイン人の女の子が二人参加していました。
そのうちの一人は、NOVAのレベル7Cぐらいの英語なら喋れるようでしたが、一人は、本当にダメって感じでした。
彼女が、最初、無理して英語でやろうとしていたので、私は大声で、「私も日本語でやるよー!」と宣言してしまいました。
本当は反則だけど、でも、言葉によって、エネルギーが半減してしまうぐらいだったら、
母国語でやったほうが面白いに決まっている!と、思ったからです。
これが、王立演劇学校とかでシェークスピアを勉強しているなら、話は別ですが・・・。

私は、結局、我が家のでっかいフライパンを使って、この危機を乗り越えようとしました。
一人っきりで、20人の人間が見ている前で演じるなんてのは12年ぶりです。
(学生時代は役者もしていたので・・・。下手だったけど・・・。)もう、どっきどきなわけです。
こういうとき、あがると静かになっちゃう人がいると同時に、
必要以上にエネルギーとアドレナリンが爆発する人がいるとしたら、私は断然後者です。
フライパンをギターにして、大好きなリンダ・リンダも歌っていた私・・・。
クラスメイトには受けましたが、ミックさんには「もう少し落ち着いた瞬間を作らないと、観ているほうが疲れる。」と、
言われてしまいました。

他にも、テーブルを用意するという題名で、2,3人がひとつのチームになって、
今度は比較的自然主義的な方法論で、短いシーンを作るというのもやりました。
こっちは、相手役がいるので、ずっと、ずっとラクで楽しかったです。
でも、小道具を使うとき、それをどう見るのか、どう触るのか、どれくらいの時間をかけてそうするのかなど、
ほんのちょっとのことが、ものすごく大きな違いになるのだという、これまた、当たり前と言えば、当たり前なのですが、
そういったことに、もっとセンシティブに、もっといろいろな工夫を試してみることが、
稽古の間中、必要なことなんだなあということを、再確認させられる内容でありました。

そうやって、あっという間に2週間は過ぎ去りました。
こうやって、文章にしてみると、アナベラさんのやったことのほうが、言葉で説明しにくいことに気づきます。
それは、多分アナベラさんのクラスのほうが、演じるということの根本的な部分を扱ったものだからだと思います。
そして、このことに関しては、役者、演出家ともに、ずーっと探求していかなければならないのでしょう。
文学座に帰ったときに、今回得た経験をどのような形で、活かせるかを、
(もしくは表面的には活かせないかもしれませんが、)
今から、頭の中で思い描いては、どきどきしている私です・・・・。
そして、出来ることなら、文学座の役者たちにも(特に若い世代の役者たちに)
このワークショップを受けさせたいと、願ってやみません。


APR.17.2K


ロンドン日記その2

WHAT IS THE PHYSICAL THEATRE?


さてさて、ロンドンに来てからはや4ヶ月が過ぎてしまいましたが、
なんと言ってもこちらに来てからよく耳にする言葉のひとつに
PHYSICAL THEATREという言の葉があります。
今回はそれについて、ちょっと考えてみようかと思います。

PHYSICAL THEATRE、直訳すれば、肉体の演劇というか、
身体表現に重きをおいた演劇という風に訳せば言いのでしょうか。
まあ、実際そのとおりで、こちらでは、DV8,THEATRE DU COMPLICITEなどが
その筆頭株に数えられているわけです。
イギリスはなんと言っても、シャイクスピアの国なわけですから、
今までは言葉の演劇が圧倒的に主力だったわけですね。
60年代からは、新しい作家たちが出てきて、
いろいろ新しい作風を開拓していったわけですが、
私の理解する限りでは、やっぱりどこか言葉主体という考え方が中心だったと思われます。
だから、パリではTHEATRE DU SOLIE や、ルコックのように
身体表現を重視したものがいろいろと出てきたのに比べて、
イギリスは、どんなに肉体を訓練しても、やっぱり行き着く先は言葉、言葉、言葉だったわけです。

でも、90年代からは、若い人たちの間では、
まるで日本でも新劇といわれるジャンルが死語になってしまったように、
ナチュラリズムの演劇なんてださーいという
思い込みにも似た風潮がはびこってしまったわけです。
で、変わって、何でもPHYSICAL THEATRE だったらいいというような、
これまた困った現象が起きているように思います。

こちらに来て、入った大学で、ガルシア・ロルカの「パブリック」という、
シュールレアリズムの影響をもろに受けたと思われる作品を
(ロルカのほかの作品「血の婚礼」などとは、まったく違って、
いわゆるわかりやすいプロットがない作品)演出しました。
稽古中、役者たちと最ももめたのがこのナチュラリズム大嫌い現象から来る、様々なことでした。
一般化するのは危険を伴いますが、往々にして日本人は体の動きと、
心の動きが調和しやすい国民なのではないかと思っています。
こちらに来て、実技でも、理論でも、まず肉体と精神を分けて論じようとするのに驚かされました。
欲望や、モチベーションなくして、人は動かないのではないだろうか
というのが私の考え方でしたが、
ある種の人々にはこの考え方は、スタニスラフスキーの悪影響だとか、
役者を縛る考え方だとか批判されました。
私の頭の中はクエスチョンマークの嵐!!!
大体、体と心をわけるなんてナンセンスだとも思いました。

けれど、1ヶ月稽古を進めていくうちに、気づいたことがありました。
日本のナチュラリズムは、歴史的にいってもたかだか日が浅く、
いまだに私たちは現在進行形の模索を続けているのではないだろうか・・・。
ところが、ヨーロッパ文化ではその歴史も長く、
その巨大さに役者たちは押しつぶされそうになって、
逆に閉塞感を感じているのではないか・・・・。
だから、何か他の気づき方が、今、どうしても必要なのではないかしら・・・・・ETC。

また、言語の持っている性質それ自体も考えました。
日本語は私、あなたといった区別のための言葉や、理論的に話をする文法が不足しています。
逆に間の中にいろいろな想いやら、感情やらが隠されているお洒落な言語体系なわけです。
逆にこちらの言葉はとにかく喋り倒しの美学とでもいうか、
言語体系それ自体が非常に理論的に出来てます。
だから、それを話し出すと、その言葉に100%体を沿わせることが難しいのです。
だからこそ、逆にPHYSICAL THEATRE という言葉が、
アングラにとどまらず真剣に語られる対象としても言葉になったのでしょう。
そして、今まで何の疑問ももたずに稽古場で演劇というものを創る作業をしてきた私に、
その仕事の複雑さと、可能性を考えさせてくれたのも、
このPHSICAL THEATRE って言う言葉なんです。
とはいっても、基本的にはすべての演劇はPHYSICAL THEATRE なのだから、
いまさら何を臆することがあろうか、迷いながらも突き進め-ーー!
というもう一人の私の声が聞こえてはいるのですが・・・・・・。

MAR.16.2K


ロンドン日記その1
London is the most expensive city!!

東京が世界で一番物価の高いところだとはよく聞きますが、
私はそんなの嘘っぱちだと思っています。
ロンドンこそが最も高いところなのではないでしょうか?
これからロンドンに来る予定のある方も、そうでない方も、
ここと東京を比べてみるのはちょっと面白いかなと思います。

まずは家賃!!
私の住んでいる南東地方はまだいいですが、ロンドンの北西部では、
小さいフラットでも月に16万円ぐらいするそうです。
おまけに私はこちらでは学生なのでいいですが、
普通の人はカウンシルタックスといって住民税がかかります。
そう、ここは、恐怖の税金大国!!
なんてったって消費税が17.5%!
おちおち買い物なんか出来ません。
おまけに交通費が東京に比べるとバカ高です。
地下鉄の初乗りが1.40ポンドです。
1ポンドが175円ぐらいですから、どれくらいのことかおわかりいただけるでしょう。
ちなみに私が住むLewishamからRSCが公演をするBarbicanまで行くには
ZONE1&2の一日乗り放題券を買います。
これが3.90ポンドです。
交通費はいまや、私の出費の大きな部分を占めております。

さて、何もかもが東京より高く感じるロンドンですが、
これだけは絶対に安いのがお芝居のチケットです。
10ポンドから30ポンドが相場ですが、もしあなたが学生ならば、
スタンドバイチケットと言って半額以下の料金で
一番いいクラスのチケットを手に入れることも可能です。
おまけにレスタースクエアには半額チケットブースがあります。
大体、ほとんどの芝居が(ものすごく人気のあるミュージカルなどは別として)
15ポンドぐらいの料金で見られるというのは、やはり大きな魅力です。
日本だったら5000円、1万円がざらなのですから、この差は恐ろしいです。
また、いくつかのオフウエストエンド、フリンジ(日本の小劇場、タイニイアリスぐらいか?)
の劇場では、月曜日は一律5ポンドとか、払えるだけ払ってくださいという、
なんとも太っ腹な料金体系になっています。
やっぱりここは演劇が文化として、しっかりと人々の生活に息づいている国なんです。
たとえ、レストランの食事が高いくせにまずくても
(私の経験では、日本と同じ料金では同じクオリティの食事は出来ません。)、
庶民の味方、吉野屋のようなちゃんと食事をした気になれるファーストフードがなくっても
(マクドナルドやバーガーキングはいっぱいあるけど)、
でもそれでも、芝居は庶民がちょっとその気になれば観にいける料金を、
なんとか保っているというのが、演劇に携わっているものとしてはなんとも羨ましいことです。

もちろん問題は料金だけではありませんが、
観客なくして、生きた演劇はないわけですから、
この点に関しては私たちはもっと頑張らないといけないのではないでしょうか?!
どうでしょう?全国のプロデューサーの皆様、お役所の皆様、そして観客の皆様!!

世界で最も物の高いロンドンで、
芝居を見に行く、観に来て貰う事の可能性を考える今日この頃です。


ロンドン日記その2
What is the physical theatre?

ごめんなさい。ここまで書いて、忙しくなったのと、風邪を引いてしまって、ちょっぴり体が辛いので、
その2は次回に持越です。この題名で書くつもり、楽しみにしてください。
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