鳥籠
- 349 :鳥籠 :04/06/17 23:15
- 「鳥籠」
蛇口をひねり、勢い良く出てきた水を頭から被った。
睡眠不足で起動しない頭が、いくらかすっきりした。
うだるような暑さと、毎晩聞こえてくる隣人の夜の声。
すっかり慢性的な睡眠不足になっていた。まったく、たまったもんじゃない。
おんぼろアパートの一室。
扇風機をつけて、その前に座る。そして、煙草に火をつけた。
俺がこのアパートで暮らすのも、そう長くはない。
次に住む所は、セキュリティ万全、都内一等地、芸能人も住んでいる・・・
そんな高級マンションてやつだ。
ほんとのとこ、どうだっていいことだって思う。
相手側の希望ってやつだ。しかも、笑っちまうことに、俺なんかの安月給
でそんなとこの家賃を払える訳もなく。
そう、俺の結婚相手の両親もちってやつだ。
吐き出した煙が、扇風機の風に吹かれて散ってゆく。
お金持ちのお嬢さん・・・結婚・・・上流社会の暮らし・・・
不満は無い。けれど、満足感も無い。どこか苛立っている自分がいる。
なんなのだろうか、この感覚は・・・・・
- 350 :鳥籠 :04/06/17 23:17
- ぼんやりと、部屋の壁のしみを眺めていた。
答えなんか見つかるはずもない。でも、そのまま眺めていた。
ふと我に返った時、思ったよりも時間が経っていた。
「やべぇっ」
俺は慌てて支度をして、毎度のことながら朝飯を食う筈もなく家を飛び出した。
玄関を一歩出ると、その瞬間に汗が吹き出てくるような暑さだった。
戸締りをして、歩き始めたとき、二階に繋がる階段の一番下に、女の子が
座っているのが目に入った。
あ・・・またいつもの女の子か・・・
あいつ、挨拶もまともにできないガキだからなぁ・・・・・
女の子は、なにをするわけでもなく、ただじっとそこに座っている。
時々、本を読んだりしているようだが、ぼんやりと宙に視線を送っているだけで、
何をするでもなく、ただそこにいるのだ。
そう、この女の子の家が俺のお隣さんで、この子の母親が、俺の睡眠不足の
元凶なんだ。でも、実の親子じゃないらしい。
お喋りな大家が、少し前にこの子が越してきたときに言ってたっけ。
- 352 :鳥籠 :04/06/17 23:18
- 「・・・よ、よお。おはよう」
女の子は、俺に少しだけ視線を向けたが、再び下を向いてしまった。
まったく・・・俺もシカトしときゃいいものを・・・でも、なんか気になるんだよなぁ。
すっかり色褪せたTシャツ、くたびれたジーパン、どう見ても今時のガキにしては
あまりに貧相だよな。
表情だって、いつも生きてるのか分からないような顔してるしさ。
「あのさ・・・あの・・・だ、大丈夫か?」なんだよ、それ・・・・・
女の子は、再び俺の方を向いた。真っ直ぐに俺を見てくる。
お、まともに見たら、随分な美少女じゃないか。いや、そんな場合じゃなくてな。
「暑いからな・・・その日射病とかさ・・・・なぁ・・・えへへ・・・」アホか・・・
女の子はただじっと俺を見つめている。
なんとも言えない目の力というか、何かを語りかけてくるというか・・・・・
俺は、その視線が何故か痛々しくて受けきれなくなった。
「と、とにかくさ、気をつけろよな。それに学校・・・遅刻すんなよな。じゃーまたな!」
俺はしどろもどろになりながら、その場を走り去った。
一瞬だけ振り返った時、女の子が俺の姿をじっと見つめている姿が目に入った。
そう・・・・・この時から、一夏の物語・・・俺とれいなの人生の物語が始まっていたんだ。
- 359 :鳥籠 :04/06/17 23:30
- 満員電車に揺られ、あまりの暑さに吐きそうになりつつ、会社に向かう。
小さな会社。人遣いはとことん荒いくせに、出てくる給料は涙も出ないくらい安い。
だが、こんな俺でも働ける場所がある。それで満足しなくては。
俺の会社内での扱いは、婚約者と婚約が決まった時点で天と地が逆転したかの
ような変わりようだった。
口を開けば俺のことを罵り続けていた連中も、手のひらを返したかのように、俺の
ご機嫌をとるようになった。
いい歳した大人の男がだ。
俺の婚約者は、この会社の大取引先の企業のお偉いさんの娘だ。
その会社の受付嬢をやっているのだが、かつて俺が訪れた際に、何故か俺に
好意を持ったそうで・・・その結果・・・ってやつだ。
人生何がどうなるやらって思ったけど。
そして、この会社の連中は、今じゃ保身に走ったってわけだ。
人の嫌な面をあからさまに見せ付けられた気がした。これも苛ついてる理由の一つ
かもしれない。
かったるい朝礼も終わり、俺は外回りにでも行こうかと思っていた。
その間にも、上司が俺のご機嫌を伺いに来る。くだらない・・・・・最低だよ、あんた。
俺は、俺が唯一気を許せる先輩に声をかけ、一緒に会社を出た。
ムッとした暑さが、苛ついた心によけいにこたえる感じだった。
そして、先輩の言葉が、何かを変えるきっかけのように感じられた。
そうだ、歯車はこうして動き始めたんだ。
- 390 :鳥籠 :04/06/18 00:04
- 「き、き、君の婚約者、う、うわ、浮気してるよ、うん・・うんうん、うん・・うん」
外回りをさぼって、喫茶店に誘われた。話がある、大事な話。
先輩はそう言って、こんな話を切り出した。
「はぁ・・・」煙草に火をつけた。特別、気持ちの揺らぎはない。こんなもんだ。
「別に、調査するつもりも・・・な、なかったんだけど」
先輩は入社当時から、いつも俺をかわいがってくれた。不思議と気が合った。
なにより、婚約した時に一番素直に喜んでくれた人だ。
「いや、先輩・・・そんな気にしないで。俺、べつに気を悪くしたりとかないですから」
本音だった。婚約したときから、何故かこうなることは分かっていたような感じがする。
住む世界が違うとでもいうのか・・・・・理由は、はっきりとは分からないけど。
先輩は、しきりに首筋をかきまくっている。癖が多い先輩なんだ。
「ねえマメ先輩・・・」これは先輩の学生時代からのニックネームなんだそうだ。
先輩は、申し訳なさそうに話してくれた。
とある休日、先輩が追っかけをしているという若手女優の、なんとか美貴っていう女優。
学生時代の知り合いらしいのだが。その人の握手会の帰り、男と腕を組んで歩いている
俺の婚約者を街中で見かけた先輩。
そのまま後をつけていくと、二人はホテルに消えていきました。さらに、その男は、婚約者
の働く会社の男で、俺も仕事で関わったことのある、妻子ある部長さんということ。
ありきたりな話だ。まったく、三流雑誌の投稿話みたいだな。
何故か俺に謝る先輩をよそに、思わず笑ってしまった。
「○○君?」マメ先輩が不安そうに俺を見つめる。
「あ、すみません、先輩。いや、なんかね・・・気が楽になったんですよ、なんでか分からない
ですけど。なんかね、それで笑っちゃったんです」
- 391 :鳥籠 :04/06/18 00:06
- 婚約者・・・・・お嬢様育ちで、世間を知らない女だ。確かに見かけは相当なもんだ。
だが、付き合えば付き合うほどに、表面だけの美しさってことに気づいた。
常に自分が一番じゃなきゃ気がすまないタイプで、私は特別、私は一番可愛い、マジで
そう思って世の中を渡ってる。それで渡りきれると思ってる。
初めは、見た目のよさにとことんやられた。のめりこんだ。しかも、俺みたいな金も何も
無い奴に、そんな女が振り向いたってのが嬉しくてたまらなかった。
けど、日がたつごとに、疲れるだけの付き合いになっていった。
今考えれば、婚約したのも単なる勢いだったのかもしれない・・・・・つくずく自分が嫌になる。
「一度、話してみますよ。いや、いいんですよ、何がどうなっても。先輩だから言いますけど、
なんかね、俺も疲れちゃって・・・」
「・・・すまない・・・よかれと思ってやったことが・・・」
「いいんすよ!俺ね・・・どこかのぼせてたんですわ。ほんとは、あっちの世界に合わせてるのも窮屈でしかたなかったくらいで・・・
まあ、なるようになれってやつで」
俺は、すっかり氷が溶けて薄くなったアイスコーヒーをグッと飲み干した。
女に本当に心から惚れるって・・・・・どんなことを言うのだろうか・・・・・
そんなことを思いながら、何故か婚約者の艶かしい裸体が俺の頭をよぎった。
あいつの唇が咥えているもの・・・・・俺じゃない・・・・・あの部長の姿が浮かんだ。
二人が汗にまみれて激しく交わっている。
俺には見せたことの無い女の顔。そして、激しく波打つ裸体。
二人の姿が溶けていった・・・・・
俺は、いつか本当の相手に出会えるんだろうか・・・・・
- 450 :鳥籠 :04/06/18 20:38
- れいなは、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
体育の授業のクラスが、マラソンをしている。
数学の授業、ほとんど聞いていない。ノートを取ることさえしなくなった。
いや、ノートなんて、使ってもいなかった。
ノートなんて必要ないだろ!?そこらへんの紙でも使いなさいよ!!
あの人の怒鳴り声が今も耳にこびり付いている。
夏休みまで、もう少しとなったクラス、そして学校全体が、どこかそわそわしている。
皆、すでに心は楽しい夏休みへと飛んでしまっているのだろう。
数学教師が、もう何度目になるか分からない、うるさい!、という言葉を吐き出した。
どうでもいい・・・・・ただそう思った。
夏休みもいらない。学校もいらない。クラスメイトも・・・・・いらない・・・・・
それよりもいらないものがある。
それは・・・・・自分自身だろう。れいなはそう思った。
自分は、誰にもいらない存在。誰からも必要とされない存在。
息をしてるのも申し訳ない存在なんだろう。
そう思った。
また窓の外を眺めた。夏の太陽が眩しく輝いている。溶けそうな暑さだ。
この窓際の一番後ろの席。ここも、溶けそうな程に暑い。
けど、その暑さが今は心地良かった。
自分もこのまま溶けてしまったらいいのにな・・・・・楽になれるかな・・・・・
最近、授業中だけじゃなく、いつもこんなことばかり考えている。
自分の思考の中に逃げ込んでいるときだけが、唯一、安心していられる時間のように思える。
- 451 :鳥籠 :04/06/18 20:39
- その時、右腕に痛みを感じた。
紙を小さくして作られたものが机の上にあった。これを輪ゴムで飛ばすのだ。
隣の方を見ると、知らん顔をしてはいるが、方が小刻みに揺れているクラスメイトの姿が見えた。
くだらない・・・・・どうでもいい・・・・・相手にするだけ無駄なのだ。
れいなは、その小さな紙の固まりを、窓の外に指で弾いた。
そして、再び、窓の外を眺めながら、思案の中に自分を送り込んだ。
いつもと違ったのは、何故か、理由なんて分からないけれど、今朝の出来事をふと思い出したことだろう。
あの人は、何故いつも自分なんかに声をかけてくれるんだろうか・・・・・
一言もちゃんと返したことが無いのに。
返したくても、何を言ったらいいか分からない。
おはようございます。こんにちは。暑いですね・・・・・なんて言えばいいんだろうか。
あの人も、いずれは自分の存在を忘れるんだろうな・・・・・
わたしのこと、気にもしなくなるんだろうな・・・・・
そんなことを思った。
いつもはそれで終わりなのに、何故か心の奥の部分がチクリと痛んだ気がした。
そして、束の間のまどろみが訪れた。
れいなは、そのまどろみに身を任せた。
- 452 :鳥籠 :04/06/18 20:40
- 昼休み。
いつものように屋上にでも行こうと思った。
「おいれいな〜」人を見下した喋り方。またこいつだ。そう思った。
相変わらず取り巻きの数人を連れ、ニヤニヤと品の無い笑いを浮かべた男。
「なんだよ、教室で昼飯くわねーの?なんならさ、俺らと一緒にランチするか?」
何が面白いのか、仲間と笑いまくっている。
れいなは、無言のまま横を通り抜けようとした。
「なんだよ、おい!なにシカトしてんだよ。どうせ今日も喰うもの持ってきてねーんだろ?
めぐんでやろうかって言ってんだよ」
転校して来てしばらくした後、クラス全体がれいなを敵視した。
いや、軽視とでも言う方が正しいだろうか。
「お前の親、男喰うのに忙しくて、ろくに弁当なんか作ってくれてねーんだろ?
ほら、めぐんで下さいって言ってみろよ。あ?」
れいなは、そのクラスメイトの顔を見た。アホ丸出しでいきがっている。くだらない・・・・・
そのまま何も言わずに教室を出た。いつものことだ。慣れた。何も思わない。
見下したければそうしていればいい。笑いたければ笑ってればいい。
罵りたければそうすればいいのだ。
あいつの言った通り、今も家にはどこかの男がいるだろう。昨日の晩から来てる男だ。
勤め先に飲みに来た客だろう。
そんな暮らしにも慣れた。
けれど、あの狂ったような女の声、そして、ゲスな男の喘いだ声。
そんなものは慣れたくもなかった。うんざりだ・・・・・
- 453 :鳥籠 :04/06/18 20:41
- だから、まだ学校にいる方がましだった。
何を言われても、何をされても、あんな声を聞くことはない。
屋上は、猛烈な暑さだった。
タンクのある所に、はしごを使って上がった。
そこがれいなの居場所だった。
空には大きな雲が見え、少し手を伸ばせば届きそうな気がした。
れいなは、そんな空を眺め続けた。
ほんの少し、現実を忘れられる気がした。
遠いこの空の下、自分の父は眠っている。母の記憶は無い。
今の母は、父の再婚相手だった。
もともと、嫌われているのは分かっていた。
幼かった自分が、どういう形であれ、捨てられなかっただけ幸せだったのだと思う。
いつの日か、自分は羽ばたける日が来るのだろうか。
そんな日は、きっとこないのだと思う。そう思うことにも、もう慣れた。
そうしなければ、自分が崩れていくような気がしたから、そう思うようにした。
少し、体を伸ばしてみた。
空には手は届きそうになかった・・・・・
- 460 :鳥籠 :04/06/18 21:20
- 無理やり誘われた飲みの席。
もう一軒という誘いを断り、どうにか家路についた。
酒の席での話はいつも同じだ。
君に我が社の今後がかかっている。君は幸せ者だ。
酔いに任せたおべんちゃらの嵐。気分がいい筈もない。
それに引き換えお前は何をやっても駄目だな。
マメ先輩への容赦ない罵倒。俺も、以前はそんな扱いだった。
俺自身が変わったわけじゃない。俺の後ろに見える相手に対しての言葉なのだ。
日に日に居心地が悪く感じられる。
マメ先輩は、何を言い返すわけでもなく、ただじっと聞いている。
僕は・・・・・駄目な奴だから・・・・・そう言って少し微笑んだ先輩の表情が忘れられない。
「くそっ・・・・・」
道端の小石を蹴りながら、呟いていた。ガキみたいな行為だと思ったけど、そんなことを
していた。
ぼろアパートが見えてきた。
ん?・・・・・あぁ・・・・・またいるのかよ・・・・・
いつもの子は、また階段の所に座っていた。
- 461 :鳥籠 :04/06/18 21:22
- 「よお!」
俺は、なんとなくその子と話をしてみたい気分になっていた。
女の子から返事は無い。ただ、俺を見ているだけだ。
「こんな時間に、大丈夫か?鍵、どっかに落としたのか?」
女の子は首を横にふった。
俺の言葉に無言であってもはっきりと反応したのは、これが初めてな気がした。
「ま、いいけどさ。ほら、お母さん帰ってくるまで、家にいたらどうだ?時間も遅いし」
俺は、その子の側にしゃがんで言った。
「・・・・・」何かをその子が呟いたように感じた。
「ん?どうした?」
今朝と同じ格好、いや、いつもほとんど同じ格好だな、この子。
小柄な体に、くたびれた服が、どこか悲しかった。
「・・・あの人・・・どうせ朝にならないと・・・帰らないし・・・」
初めてこの子が喋るのを聞いた。
「お、初めて口きいてくれたな。安心したよ。なんかさ、近所の変態とか思われてんじゃな
いかって心配だったんだよな」
その子は、真っ直ぐに俺を見つめている。
「じゃあさ、家に入ってろよ。まああれだ。夜風にあたるのもいいけどさ、女の子が一人で
いるのも物騒だしな」
「・・・・・あの男が家で寝てるから・・・・・家にはいたくない・・・・・」
ポツリポツリとした喋り方だが、その子は言った。
- 462 :鳥籠 :04/06/18 21:23
- どうもね、水商売してるらしいんですよ。まそれはいいんですけどね。なんか、男家に連れ
こんじゃ、そういう商売もね・・・・・まあ、家賃さえおさめてくれればいいんですよ、私は。
でもね・・・・・
大家の言葉が脳裏をよぎった。
「・・・・・あのさ・・・・・晩飯食ったか?」
何か他の気の効いた言葉をかけたかったが、どうやら俺にはそういう二枚目路線は無理
らしい。よりによって晩飯食ったか?って・・・・・なんだよ、そりゃ・・・・・
その子は、小さく首をふった。
うっすらと灯に照らされたその子の姿。
何も意識したわけじゃないし、何とも思うはずのない相手。ただの隣人の女の子。
でも、俺を真っ直ぐに見つめてくるその子に、どこか心の何かを動かされそうな気がした。
「飯でも・・・喰いに行くか?」
普通なら言うはずもないそんな言葉。でも、この時の俺は、まるで自分の意識じゃないかのように、そんな言葉を自然に発していたんだ。
夏の夜の暑さのせいか・・・・・その子の名前はれいなって,その時初めて知った・・・・・
蒸し暑い、夏の夜だった。
- 661 :鳥籠 :04/06/19 23:20
- 部屋の布団に横たわったものの、いつまでも本格的な眠りは訪れなかった。
うとうととしては、ふと意識が冴えたりする。
こういうとこ、あんまり来たことないから・・・・・
れいなという子の言葉が甦る。
メニューをずっと眺め、何度も何度もページをめくり、時々俺の顔を見てはなんとも
いえない表情をしていた。
笑顔ではないし、不機嫌な顔でもない。どうしていいか分からないという感じか。
好きなもん、好きなだけ喰えよな。
そう言った俺に、いちいちメニューの値段を指でさして見せていた。
今時、ああいう子がいたのが驚きでもありつつ、彼女のこれまで、そして今の暮らしを
ほんの少し垣間見た気がして、どこか複雑だった。
どうってことないファミレスの、ありきたりなハンバーグセット。
一口目を食べたときのあの子の幸せそうな顔が、もう何度も甦ってくる。
会話なんて、ほとんどはずまなかった。
俺が何か話しかけたら、たまに、うんとかはいとか返すくらいだ。
けど、何故か俺は楽しかった。理由は分からない。
ガキ相手に何やってんだ、という気がおきるが、れいなという子といると、素直に自分が
出せる感じだった。安心した。
- 662 :鳥籠 :04/06/19 23:22
- 起き上がって、窓際に行き煙草を喫った。
このまま何もかもが普通に流れれば、もうすぐ俺はここを出て行き、新しい暮らしが始まる。
そうすれば、もうあの子にも会うことはないだろうし、いつかはすっかり忘れるだろう。
道端で、雨宿りをしてる野良猫に出会ったくらいのものなんだろう。
でも、なんでこんなに気になるんだろうか・・・・・
「アホか・・・俺は。マリッジブルーだっけ?・・・くだんねーな、おい」
一人でそう呟いてみた。
煙草を揉み消して、そのまま外に出てみた。
なんとなく、階段の所が気になった。なんでこんなに気になるんだ?
ありがと・・・・・すごく・・・こんなに楽しかったの・・・ずっと無かったから・・・・・
俺を見上げて、一生懸命に言葉を搾り出したあの子。
最後の別れ際に見せた、ほんの少しの微笑み。いや、微笑みとさえも言えないくらいの
小さな小さな笑み。
あんな微笑み、今まで見たこともなかった。
それに、たかがあんなことくらいで、あれ程礼を言われたこともなかった。
俺の感覚がおかしくなっただけなんだろうか?
でも・・・・・あの子の笑みが、俺の心のどこかに何かを残したのは間違いない話だ。
- 663 :鳥籠 :04/06/19 23:24
- 階段の所をそっと見てみる・・・・・いた!
手すりにもたれるようにして、小さな寝息をたてている。
お隣さんは、活動中ってやつか・・・・・胸が痛くなった。
れいなの手元に、一枚のボロボロになった写真があった。
起こさないように、それを見た。ほんとはいけないのだろうが、どうしても見たかった。
いや、もっとれいなのことを知りたくなっていたのかもしれない。
中年の男性が笑顔で少女を抱きかかえた写真。
少女は小学校に入ったかどうかくらいか。二人には、素敵な笑顔が浮かんでいる。
すっかり古ぼけてボロボロになった写真。
裏に、お父さん&れいな・・・・・そうペンで書かれていた。
事情は分からないし、何も知らないけど、泣いてしまいそうになった。
この子は、こんな小さな体で、どんな大きな不条理や、運命のいたずらや、世の中の
厳しさと戦っているのだろうか・・・・・そんなことを思った。
- 664 :鳥籠 :04/06/19 23:29
- 部屋に戻り、タオルケットを持ってきた。
そっとれいなにかけてやった。
「・・・行き場所なんか無いんだな・・・・・」思わず呟いていた。
・・・・・おとう・・・さん・・・・・
その時、れいなの口から、そんな寝言が漏れた。
手は、必死に何かを掴もうとしている。
ここで手を握ったり、側にいるのは簡単なことだ。
けど、俺はもうすぐ・・・・・
俺はそのまま立ち上がり、部屋に戻った。振り返らない。
そのまま布団を頭から被った。
眠りはいつまでも訪れることはなかった・・・・・
苦い思いのまま、朝がやってきていた。
- 845 :鳥籠 :04/06/21 00:01
- 昔からせっせと金を貯めて、それでも全然足りるわけもなくて。
ローンでヒーヒー言いながらもようやく手にした車。
そういえば、婚約者は右ハンドルのこのボロ車を見て、なんで左に運転席が無いの?
って笑ったっけ。
ああ・・・そうだ、元婚約者なんだよな、もう。
夏の朝陽を受けて、キラキラと輝く海を横に、俺たちは海沿いの道を走っている。
遠くの方にはヨットや船が見える。
君は、助手席で、まだ眠そうな目をしたまま、それでも一瞬たりともこの景色を見逃す
まいって感じで、窓の外を眺めている。
「窓、開けたらいい。風が気持ちいいぞ」
俺の言葉に、君は頷いて窓を開ける。
俺も窓を開け、煙草を咥えた。
風が心地良い。
君の黒い髪が、風になびいている。
そして、君の横顔が、海と同じように朝陽に照らされて輝いている。
- 847 :鳥籠 :04/06/21 00:02
- こうして車を走らせていると、ほんのちょっとの間に起こった様々なことが、全て
眠りの中の夢でしかなかったんじゃないかって気がしてくる。
対向車も、後続車もいないから、もう少しスピードをおとした。
君はただ、じっと海を眺めている。
そんな君を、俺は時々横から眺める。
夢なんかじゃない。あれは全て現実なんだ・・・・・
でも、こんなにすっきりした気分になったのは、今までの人生の中で、そうはなかった
ように思える。
君は、今、どう思っているんだろうか・・・・・
あの時、俺にすがりついて涙した君は、今、何を思っているんだろうか・・・・・
後悔?怒り?悲しみ?それとも・・・・・
いつか、君の口から何かを聞けるだろうか。
そうだ、この夏の終わる頃までに、君が何かを見つけられればそれが答えなのかも
しれない。
- 849 :鳥籠 :04/06/21 00:03
- 「・・・・・きれい・・・・・」
君が呟いた。
「・・・ああ・・・」
俺が答えた。
君が一瞬俺の方を向いて、小さく微笑んだ。とても小さいけれど。
君が、この夏が終わる頃に、もっと上手に笑えるようになればいいって思う。
そう思う。
俺自身、後悔も無い。何も無い。
後ろの道は無いし、たぶん、先の道なんてものも無い。
けど、何故か心の自由はある。気持ちの自由。
だからそれでいいんだ。
君と共に、この夏を生きようって思う。
俺は、アクセルを踏み込んだ。
驚いた君が声を上げた。
俺は声を出して笑った。
どうなるかなんて分からないけど、あの時、一歩を違う方向に踏み出したあの時から、
始めたんだから。
ほんとは、君とあの時会った時から、始まっていたのかもしれない。
「れいな!飛ばすぞー!」
俺は、さらにアクセルを踏んだ。
そして、ほんの少しだけ、この短い間に起こったことを思い返した。
- 857 :鳥籠 :04/06/21 00:22
- だって・・・ほらぁ、たまには火遊びもしてみたいじゃない?」
問いかけた俺に、屈託の無い笑顔で彼女はそう答えた。
俺がそうなのか、あの部長がそうなのか。火遊びか・・・
どちらにせよ、たかがその程度の女だったってことだ。
「婚約・・・やめようか・・・・・意味が無いしな・・・・・」
そう言った俺を見て彼女はまた笑った。
「そうねー、もっと遊んでたいって気もしてたしー」何がそんなに面白いんだ?お前・・・
ひどく低俗な女にしか見えなくなっていた。
もともと、うまくいく筈もなかったのかもしれない。
彼女の携帯が鳴り、どこそこのブランドに新作が入った・・・そんな話が始まった。
そういう程度の認識しか、この状況でできない奴なんだ。
俺は伝票を掴み、振り返ることなく、喫茶店を出た。
外に出て、空を見上げた。夕方でも、まだ随分明るい。
彼女が嫌いなため我慢していた煙草を咥えた。
煙を吐き出すのとともに、胸につかえていた嫌なしこりを吐き出そうと思った。
「こんなもんだ・・・・・」
なんとなく呟いていた。
人込みの中を、俺はそのまま歩き続けた。
そうだ・・・こんなもんだ・・・・・悲しくもなければ、悔しくもない。惜しい気持ちもない。
薄明るい空がやけに綺麗だな。
そんなことを思っただけだった。
- 862 :鳥籠 :04/06/21 00:37
- 婚約を破棄した翌日、会社に出勤すると、既に会社の空気が変わっていた。
いずれそうなるのは分かってたけど、随分早いもんだ。
真っ青な顔をしたマメ先輩が、慌てた様子で俺のとこにきた。
「あ、あ、ああああ、あのさ、うんうん、婚約・・・破棄って・・・うん・・うん」
「ああ、すぱっと切れましたよ。潮時ですよ、潮時」
俺に後悔とかは、一晩たっても訪れなかった。
「俺・・・俺がよけいなこと言ったから・・・・・」
「先輩、それは違いますよ。先輩気にしすぎですって。なんつーか・・・根本的に合わない
んですよ、俺と彼女。それだけ・・・うん、ほんとそれだけです」
心配そうなマメ先輩の表情。
その時、上司に呼ばれた。
罵声、怒り、そして時にはなだめ、哀願して・・・・・
上司の俺への説得は昼を過ぎても終わらなかった。
全ては会社の今後の為。
俺を見るマメ先輩以外の人たちの視線が突き刺さっていた。
よけいなお世話だろ?お前らの人生の犠牲じゃねーんだよ。
心の中で何度も呟いていた。
- 863 :鳥籠 :04/06/21 00:38
- 「土下座してでもお許しをいただいてこい!!」
上司の怒鳴り声が響いた。
俺が許しを請う立場なわけか・・・・・瞬間、何かが心の奥で弾けた。
色々な事が、ひどくくだらなく思えた。
そして、どうしてか、れいなという子のあの小さすぎる微笑みが頭に浮かんだ。
君もそう思うか?れいな・・・・・
辞めますよ、じゃあ。
そんな言葉を残して、俺は会社を出た。
俺を追う人はいなかった。立ち上がろうとしたマメ先輩には目配せした。
・・・簡単なもんだ・・・何かが崩れていく時は、あまりに簡単なもんだ。
ネクタイを緩めた。そのままはずした。
失ったものの大きさは分からない。けど、何か枷がはずれたような気もしていた。
外は、俺に起きたことなどおかまいなしに、猛暑だった。
でも、それが気持ちよかった・・・・・
- 112 :鳥籠 :04/06/21 22:57
- れいなは昨夜も外でほとんどの時間を過ごした。
学校に向かう通学路。
友達同士が楽しげに声を掛け合い通学している。
れいなに声をかける者はいない。でも、気にしなかった。この方が楽だ。
そう思うようにしていた。
れいなは左頬をそっと手で触った。
継母にぶたれた左頬。まだ少し熱い感じがした。
昨夜、継母とあの男が絡み合っているのを見た。
いつものことだから、覗く気なんかなかった。
ただ、声が聞こえてしまった。
ねえあんた・・・あんなガキいつでも捨てるから・・・ねえ・・・一緒になってよ・・・
艶かしく言う女の声。
そして、泣いているような、でも耳にこびりつく淫らな声が続いた。
そんな言葉を聞いても、動揺は無かった。いずれ訪れる日。そう考えていた。
今なら、どうにか生きていくことはできる。
そんな風に思っていた。
- 113 :鳥籠 :04/06/21 22:58
- ドアの隙間から、部屋の中を覗いた。
継母の上にのしかかっている裸の男。下品さの塊のような男。大嫌いだった。
その男の下で、男に強く抱きついている女。その表情は、苦悶の表情にも見えるが、
歓喜の表情にも見えた。
れいなはその光景を見ながら、心の中で二人を、そしてこんな暮らしを憎んだ。
そしてすぐに、諦めた。なるようにしかならないのだろう・・・・・
ただ、その光景を見ていて、自分自身、どこか体が熱くなっていることを感じていた。
少し前までは、そんなことなかった。
でも、最近は、どうしようもなく胸が、体中が熱くなった。
自分が、二人を憎みつつも、二人の行為自体には、強く惹かれていることを感じた。
そんな自分さえ、憎く思えた。けれど、れいなは、自分の胸に手を添えた。
男が継母にそうしているように、自分の手で自分の胸を触ってみた。
体中に、小さな震えが走ったのを感じた。
心臓の鼓動が、ますます早くなった気がした。
男の手の動きが、さらに荒々しくなっている。継母の泣き声も、さらに激しくなった。
れいなも、こんなことをしていてはいけないと思いつつ、自分の手の動きを強めた。
Tシャツごしにも、下着をつけていない自分の胸の先端が、いつのまにか硬くなったのを
感じていた。
「・・・んっ・・・」
思わず声が出ていた。
- 114 :鳥籠 :04/06/21 22:59
- その時だった、ドアの隙間の自分の目線と、継母の目線が合った。
「・・・おまえ!?」
継母が言った。れいなは、慌てて自分の手を胸から離した。
登校中のれいなは、一度立ち止まった。
このまま今日は学校を休もうか・・・・・でも、行く所は無い・・・・・
自分の感情を消してさえいれば、学校が一番いやすい。
どこに行くにも、持っているお金も無かった。
再び歩き出す。
このガキ!どうしようもない女だよ。こんなとこで、覗き見しながら自分で胸揉んでやがる!
そんな継母の罵り声が耳に残っている。
とんでもねえガキだな。でもまあ将来が楽しみじゃねーか?なんなら俺が教えてやろうか?
そんなあの下劣な男の声が耳に残っている。
「・・・・・あんた達とは違う・・・・・」
自分でも聞こえないくらいの声で、一度呟いてみた。
耳に残った声は、それでも消えそうになかった。
空を見上げた。
青空に、鳥の群れが見えた。
そのまま、空の向こうに飛んで消えていった。
羨ましかった・・・・・自分だけ置いていかれた気がした・・・・・
れいなは、歩調を速めて歩き出した。
- 115 :鳥籠 :04/06/21 22:59
- 昼休み。
いつものように、屋上に行こうと思った。
そしていつものように、
「よお、相変わらず一人で昼飯か?」
「ばーか、こいつが昼飯なんか持ってきてるはずねぇだろ?ただでさえびんぼー暮らし
なのに、おまけに男喰うのに忙しい方が家にいるようだしな」
「ああ、そうかー。つーかよ、こいつもいい加減男くいまくってんじゃねえの?バイト感覚で」
お決まりのくだらない嘲笑と高笑い。
見渡すと、教室にいる誰もが、好奇心丸出しの顔でこちらを眺めている。
れいなは、何も言わずそのまま教室を出ようとした。
「なにいつもいつもシカトこいてんだよ!」
腕を強く掴まれた。
れいなは思わず、クラスメイトの男を睨みつけた。
「うわーこえー。やべーよ、睨まれたよー」
大声でわめきちらす男子生徒。
「おいれいな!調子のんなよ?てめー」
男子生徒がれいなを囲む。
- 118 :鳥籠 :04/06/21 23:12
- れいなは黙っていた。
というよりも、どうでもいいと思っていた。
殴りたければそうすればいい。どうせ味方はいない。面白がって騒ぐ奴がいるくらいだ。
それですむならそうすればいいのだ。
自分は、早く一人静かに屋上で時間を過ごしたかった。
一人にしていてくれればいい。誰にも迷惑をかけてるつもりもない。
自分はただ、そっとしておいてくれればそれでいいのに・・・・・
「よお、謝れよな。なんだよ、その態度。気取ってんなよ?何様のつもりなんだ?
いつもいつもそんな態度でよ」
笑いそうになった。自分達の行動は省みず、全ては人のせい。
「つーかさ、ほんとは屋上で男くわえこんでんじゃねーの?バイトバイト。だろ?」
「あっ!なるほどなー。趣味と実益を兼ねてってやつか?」
いい加減うんざりだった。自分がこの人たちに、いったい何をしたというのだろうか・・・・・
「そうなんだろ?あぁ?じゃあさ、このパンくれてやっからさ、俺らにも奉仕してくれよ。
いまさらけちってんじゃんーぞ、このヤリマン!」
クラス中がいっそう騒がしくなってきた。
- 119 :鳥籠 :04/06/21 23:14
- 「ほら、これくれてやるよ」
そう言って、一人が床にパンを落とした。
「拾えよ。そうだ1おいあれだ、四つんばいになって拾って見せろよ。簡単だろ?」
れいなは、男子生徒の間を無理やり通り抜けようとした。
男子生徒ともみ合いになった。
所詮、女の力。それに小柄なれいなの力ではどうにもならなかった。
後ろから羽交い絞めにされた。
やっちゃえやっちゃえ!そんな煽る声があちこちから聞こえた。
女子生徒の笑い声も聞こえる。
ここには・・・・・やっぱりそんな程度の奴しかいなかったんだ・・・・・
れいなは、諦めてはいたものの、ショックを受けもした。
普通、女子生徒くらいが止めるもの、そんな意識が少しはあった。
「よっしゃ、おさえとけよー。れいなー、減るもんじゃねーんだし、お前好きもんだろ?
おい!、ドアの鍵閉めろ!」
れいなは、自分の居場所はどこかにあるのだろうか?
何故、自分はこんな風に扱われ、嫌われ、こんな現実を生きていなければならないのだ
ろうか・・・・・ただそれだけを思った。
その瞬間だった。
「つーかさ、きっとお前の親父も絶倫さんだったんだろうなー。あんな好きもんとくっつく
くらいだもんな。好きもんの血を引いてんだろうな、お前も。将来すげーんじゃね?こいつ」
れいなを取り囲んでいる男子生徒達が口々にそれに呼応した。
- 120 :鳥籠 :04/06/21 23:14
- 父の顔が浮かんだ。
優しかった父。いつも側にいてくれた父。大好きだった父。
れいな・・・・・父さんはいつまでもお前を守ってやるからな・・・・・俺の可愛い娘・・・・・
幼い日に聞いた父の言葉。
心の中で、何かがプツリと音を立てて切れた。
その後は、あまり憶えていない。
右の拳に、何かがめりこんだ感触・・・・・飛び散った鮮血・・・・・鼻をおさえてうずくまり絶叫
している男子生徒・・・・・クラスメイトの騒ぐ声・・・・・飛び出した教室・・・・・
れいなは、公園のベンチでぼんやりとしていた。
もう学校にも本当に居場所が無くなった。そう思っただけだ。反省の気持ちも無い。後悔の
気持ちも無い。
手にこびりついた血。
じっとそれを見た。・・・・・やはり後悔は沸いてこない。
「・・・・・おとう・・・さん・・・・・」
小さく呟いてみた。
夏の日差しが、じっとベンチに座るれいなを照らし続けていた。
- 189 :鳥籠 :04/06/22 01:41
- 海をもっと近くで見たい。
君のそんな言葉を受けて、俺は車を停め、海岸に降りた。
こうして砂の感触を確かめるのは何年ぶりだろう。
君は少し嬉しそうに砂に触れている。
俺は砂浜にそのまま座り、煙草の煙を燻らせながら、そんな君の姿を眺めていた。
穿いているジーパンを膝の上まであげて、靴と靴下を脱いだ君。
俺の顔を覗き込んで、いい?とだけ尋ねた。
俺は、頷き、君が海に走る後姿を見つめた。
青く澄んだ海・・・・・とは言えないが、太陽の輝きを受けてキラキラと輝く海に、君は
走って入っていった。
その後姿も、太陽の輝きを受けて眩しく輝いている。
押し寄せては引いていく波。
その波の動きに合わせて、進んでは戻ることを繰り返している。
手で波をすくい上げては、手からこぼれる波を見つめている。
そんな横顔が、とても眩しく見えた。
太陽のせいじゃなく、本当に眩しく見えた。
- 191 :鳥籠 :04/06/22 01:49
- 君は何も言わないけれど、俺の中に、これでよかったといえる確信もまだ芽生えてない
けれど、今の君を見れて良かった・・・・・
そんな風に思う。
俺の方を向いて、君は手招きした。
ほんの少し照れくさそうな顔をしながら。
俺は、小さく頷いて、君と同じ格好になり、海に走った。
「おぉっ、けっこう冷たいな」
そう言ったとき、顔に水がかかった。
「うわっ」
君が続けて俺に水をかけてくる。
俺も、躍起になってかけ返した。
まるでガキの水遊びみたいだ。そう思ったけど、こんなことがどうしようもなく楽しいと
思えた。
君が楽しそうに微笑んだ顔を、俺は確かに見た。
まだまだ上手には笑えてないのだろうけど、でも・・・・・
俺は確かに君の微笑を見た。
眩しかった・・・・・
- 192 :鳥籠 :04/06/22 01:50
- その時、今までよりもかなり大きな波が来た。
足を取られてバランスを崩した君が、俺の方に勢いよく倒れこんできた。
受け止めた俺も足を取られ、二人で海水に転んだ。笑いがこみあげてきた。
「あーあ・・・・・こんなもん、ズボンの中までやっちまったぞ・・・・・」
「・・・でも・・・たのしいね・・・・・」
「そうか?楽しいか?」
「うん」
「ならいいさ」
君は俺の上に倒れたまま、俺の顔を見上げて頷いた。
俺自身も、こんな風にガキみたいにはしゃいだのが、実は楽しかった。
何故か立ち上がるのも忘れ、しばらく二人でそのままの姿勢でいた。
君は着ていたTシャツもすっかり濡れてしまい、肌に張り付いて、その下まで
透けてしまっていた。
そんなつもりなんか無かったけど、みようにドキドキした。
それに、君が俺の肩に顔を置いて、そんな姿勢のまま、押し寄せる波を、海の向こう
を眺めているから、よけいに焦った。
「・・・たのしいね・・・こんな時間がずっと続いたらいいな・・・・・」そう呟いた君。
俺は、君の頭を軽く撫でた。
君はそのまま、それ以上語ることもなく、動くこともなく、いつまでも波を見つめていた。
そして俺は、そんな君の温もりを感じながら、さっきまでの、今となってはもう過去と言える
であろう事を、もう少し思い出していた。
- 362 :鳥籠 :04/06/23 00:19
- 会社を出た後、何をするでもなく街を歩いた。
忙しそうに行き交う人々。楽しげな学生の姿。疲れきった様子のサラリーマン。
今の俺は、どんな風に人からは見えるのだろう。
明日からの心配とか、そういうものは、やはり何も湧いてこない。
なんだか、まるで他人事のような感じがして、現実感が湧かなかった。
個室のインターネットカフェに入り、ソファに座った。
パソコンをするでもなく、ボーッと壁を眺めていた。
その時、携帯が振動した。
電話の相手は、婚約者だった女の家の代理人という男だった。
いまさら話す気もないし、話す事も無い。終わった事だ。
至急お会いしたい。そう言って、一方的に場所と時間を告げ、電話は切られた。
わずらわしさだけがあった。
- 363 :鳥籠 :04/06/23 00:20
- 高級ホテルのロビーにあるティーラウンジ。
男は、婚約者の家の弁護士だった。
彼女にはこれから先の大事な未来があります。
前振りも無く、会話は始まった。いや、会話なんかじゃない。
一方的な感じだった。
これで、全てを忘れて頂きたい。
そう言って、男は分厚い封筒をテーブルに置いた。
俺は、その男の手を、なんとなく見つめていた。
白くて、力仕事などとは無縁そうな手。
俺は、相手の顔を見た。
そこに一切の感情は無かった。
彼にとっては、これは単なる仕事の一つでしかないのだろう。
俺は首を横に振った。
怒りよりも、どこか虚しさだけが募った。
彼女のことを少しでも思うなら、これで全て忘れて頂きたい。よくあるでしょ?
ほとぼりがさめた頃に、どうこうって。彼女の家は資産も地位もある家ですから。
そう言った男が、一瞬、鼻で笑ったのを見た。
それが、この男から見えたただ一つの感情だった。
- 364 :鳥籠 :04/06/23 00:22
- もう一度、男は封筒を俺の方に押した。
そして、
いいですね。これで一切は終わったんです。何も無かった。今後も何も無い。
そう言うと、男は伝票を掴み、素早く立ち上がった。
俺の方を振り返ることもなく、そのままラウンジを立ち去った。
俺は、立ち上がることができなかった。
男を追うことも勿論できなかった。
ただ、じっと座っているだけだった。
怒り?・・・・・悲しみ?・・・・・虚しさ?・・・・・
色々な感情が入り混じって、自分でも分からなかった。
結局、その程度の人間として思われていただけなのだ。
これが全ての答えだ。
確かに、一度は愛した女だった。
でも、これが結果・・・・・これが現実の答え・・・・・
- 365 :鳥籠 :04/06/23 00:24
- 会社でも、ここでも、結局はその程度のものだったわけだ。
自嘲気味の笑いが口からこぼれた。
俺は・・・・・俺は今まで何をやってきたんだろうか・・・・・
ラウンジでは、ジャズのピアノ演奏が始まっていた。
いつか聴いたことがある、哀しくて、それでもどこか優しいメロディ。
視界が、何故かぼやけた・・・・・
しばらくして、ようやく俺は自分が泣いていることに気がついた。
それに気がつくと、猛烈な虚しさだけが押し寄せてきた。
テーブルの上には、とっくに温くなったコーヒーと、分厚い封筒・・・・・俺自身の大事な
何かを否定された証である分厚い封筒。それだけがあった。
俺は、涙を止めることができなかった・・・・・
- 366 :鳥籠 :04/06/23 00:25
- すっかり日も暮れてしまった。
れいなは、ようやく立ち上がり、歩き出した。
家しか、行く場所は思いつかなかった。
早く働きたい。漠然とそう思った。
そうすれば、行く場所はもっと多くなる。そんな気がしたからだ。
何でもいい。自分の手でお金を稼ぎ、誰にも邪魔されることもなく、静かに暮らしたい。
毎日を、小さくても平凡でもいいから、幸せを噛み締めて暮らしたい。
いつからか、そう思うようになっていた。
日の暮れた道を、一人歩く。
部活帰りだろうか、仲間と楽しげに歩いている学生の姿が多い。
羨ましいという感情よりも、いつから自分はあちら側からはみ出してしまったのか?
そんな疑問だけがいつも浮かぶ。
- 367 :鳥籠 :04/06/23 00:26
- アパートの前まで帰ってきた。
何故か、れいなはいつもと違う何かを感じ取った。
理由は分からないけれど、確かに感じ取った。でも、恐怖感も無い。何も無い。
来るべきときが来た・・・・・そう思っただけだった。
深く深呼吸をして、家の鍵を開けて、部屋に入った。
電気をつけた。
温もりが消えた室内。
箪笥の引き出しを見た。継母の通帳が無い。箪笥の中の、大きなバックも無い。
継母の服も、半分が無くなっている。
テーブルに視線をすえた。チラシの裏に何かが書かれている。
あとは好きにすればいい
殴り書きで、そう書いてあった。そして、チラシの下に、一万円が置いてあった。
れいなは、取り乱すこともなく、引き出しから自分の服を出した。そして、制服を着替えた。
冷蔵庫にあった、冷たいお茶を、ペットボトルに口をつけて飲んだ。
床に座った。
不安や、悲しみは無かった。自分でも不思議だった。
いつか訪れるであろう日が、たまたま今日訪れただけだ・・・・・そう思った。
- 370 :鳥籠 :04/06/23 00:30
- 窓の外を見た。
日は落ちて、すっかり暗くなっていた。
しばらく、外をそのまま見ていた。
部屋の中は蒸し暑かった。
汗が、首筋を流れたのを感じた。
何をするでもなく、座ったまま外を見ていた。
本当に独りになった・・・・・そう思っただけだ。
学校も、家も・・・・・独りになった・・・・・
怖くもない、不安なんかない、私は平気だ。
何度も何度も自分に語りかけた。
「・・・・・おとうさん・・・・・」
不意に、自分の口からそんな言葉が出たことに気づいた。
外の闇からは、何も答えは返ってこない。
「おとうさん」
もう一度、さっきよりも大きく声にだしてみた。
答えは返らない。
れいなは、膝を抱えた。
寂寥感が・・・・・れいなを包んだ・・・・・
- 450 :鳥籠 :04/06/24 01:31
- 夕日に照らされ、赤く輝く海を横目に、俺は車を走らせる。
まだしばらくは、この海沿いの道が続きそうだ。
赤く輝く波間が、とても美しかった。
こんな景色を見ることさえ、日々の流れの中で忘れていた気がした。
仕事、その中での付き合いという名の飲み歩き、愚痴、互いの本心の探りあい。
女、表面上の美しさだけだった関係、見栄、虚構、空っぽ。
不思議と、笑いがこぼれてくる。
どこかで、俺は何かを忘れていたのだろう。
そして、大事な何かを否定され、失ったことによって、忘れていた何かを取り戻そうと
しているのか。
皮肉なものだが、そんなもんなのかもしれない。
君は、いつの間にか小さな寝息を立てていた。
海で遊びつかれた俺たち。
夕日の輝く海を食い入るように見つめていた君。
今は、穏やかな表情で眠っている。
束の間でもいい。
静かで、穏やかな夢を見ればいい。そう思った。
- 451 :鳥籠 :04/06/24 01:31
- ほんの小さな音で、カーラジオをつけた。
3局目で、いい感じの曲がかかっていた。
学生時代に聴いた、夏によくかかってた曲だ。
心地良いテンポと、爽やかなメロディが気持ちいい。
焦る必要はない。
そんなことを思った。
君も、何も焦る必要はない。
生きたいように生きればいい。今は迷わなくていい。
夏は、まだ続くのだから。
今は、夏を感じ、そして・・・・・
もっと上手に笑えるようになればいい。
俺は・・・俺はその日を見たい。
助手席で小さく丸まって眠る君は、まだどこか幼さの残る顔をしていて、でも、
もうじき大人の女へと成長していく、いや、成長を始めている兆しを見せている。
うっすらと窓から差し込む赤さが、そんな君の体を包んでいる。
- 452 :鳥籠 :04/06/24 01:32
- 「まだまだ先は長いな・・・急ぐ旅でもないか」
独り呟いた。
君の、かつての家まではまだ遠い。
君の、かつての思い出まではまだまだ遠い。
そこにたどり着いたとき、何かが始まるといいよな。
そう思っていた。
カーラジオの曲が、一番の盛り上がりどこになった。
そのメロディを小さく口ずさみながら、俺は、あの日の続きを思い返した。
君が、小さく寝返りをうった。
- 453 :鳥籠 :04/06/24 01:33
- れいなは、夕日に照らされる海を眺めながら、ここしばらく、いや、長い間感じたこと
のない穏やかな気持ちを感じていた。
綺麗だな・・・・・
心の中に、美しい情景が染み渡る感じだった。
海で倒れた時、○○の胸に倒れこんだ時、今まで感じたことのない気持ちになった
ことも、はっきりと分かっていた。
それが何なのかは分からない。
けれど、それは優しくて、あたたかくて、不思議な気持ちだった。
かつて、父に抱きかかえられたときに感じたあの気持ちとも違う。
自然と、○○の肩に自分の頭をもたれさせていた。
それを思いだして、とても恥ずかしくなった。
変な風に思われたりしなかっただろうか・・・・・おかしな子だと思われたりしていない
だろうか・・・・・
でも、あの時、確かに自分が言葉では表せない穏やかな気持ちを感じられたのは
本当のことだった。
- 454 :鳥籠 :04/06/24 01:34
- 運転している○○の横顔を、時折見てみた。
ん?どうかしたか?
そう言われた時、慌てて再び窓の外を眺めた。
○○の笑った声が聞こえた。
そして、その声を聞いて安心している自分がいるのにも気づいた。
わたしは・・・・・どうしたんだろう・・・・・
素直にそう思った。
今のこの時間、それが続けばいいと、心から思った。
あの時、海の中で言ったのも本心だ。
そしてそれは、あのまま○○の側にああしていたい、そんな気持ちが言わせた言葉だ
ということに、今になって気がついたように思う。
もう一度、○○の顔を見てみる。
ありがとう・・・・・心の中で、そう言った。
そして、ゆっくりと、れいなを心地良い眠りが包み込んでいった。
眠りの中に入る瞬間に見えたのは、○○の顔だった。
安心して眠れそう・・・・・何故かれいなはそんなことを思った。
そして、れいなは眠りの中に入った・・・・・
- 463 :鳥籠 :04/06/24 02:27
- ホテルのラウンジを出た後、どこをどうして帰ってきたのか、あまり憶えていない。
すれ違う人々が、俺の方を不審そうな顔で見ていたことは憶えている。
そりゃそうだよな・・・・・
成人したスーツ姿の男が、泣きはらした顔して歩いているんだから・・・・・
でも、そんな人の目も、どうだってよかった。
何もかも、全てが苦しく感じられた。
俺自身の存在さえ、苦しく感じられた。
封筒・・・・・ゴミ箱に捨てた。
叩き込むように捨てたとき、胸のつかえは消えはしなかった。
自分自身の大事な何かさえ、一緒に叩き捨てたような気がしたから・・・・・
喉から手が出るほど、金は欲しい。
でも、それとこれとは別なんだ。この金を受け入れてしまえば、本当に俺は何もかも
失ったことになるし、そんな自分が許せなくて、きっと立ち直れなくなるだろう。
- 464 :鳥籠 :04/06/24 02:28
- アパートの前。
階段の所に、あの子がぼんやりと座っていた。
今は、あの子にさえ話しかけるのがおっくうだった。
何もかもが、嫌だった。ただただ眠りに中に逃げたかった。弱くてけっこう。逃げたかった。
俺は、軽く頭をふってみせて、あの子の前を通り過ぎようとした。
「・・・あ、あの・・・」
そんな声に、思わず立ち止まった。あの子を見た。
いつもとはまた違ったその表情。今まで以上に、それははかなくて、弱々しくて、吹けば
消えそうな、燃え尽きる前の蝋燭の炎のようだった。
だから・・・俺は立ち止まった。何故か、胸騒ぎがした。
「・・・どうした?もう遅いぞ・・・」
「・・・わたし・・・あの・・・待ってたんです・・・」
意味が分からなかった。誰を?・・・俺を待ってたのか?何故?
「・・・ん?」
「あの・・・あなたを・・・待ってて・・・ごめんなさい・・・」
謝ることなんかないんだ。そう、俺を待つ人なんか、どこにもいないんだから。
聞いてくれるか?今日の俺はさ・・・・・そんなことが、心を駆け巡った。
「わたし・・・わたしは・・・」
そう言った時、彼女の目から一筋の涙がこぼれた。
それは、とても哀しくて、そして寂しくて・・・・・どうしようもなく重い涙に見えた。
- 465 :鳥籠 :04/06/24 02:28
- 俺は、彼女の横に座り、ハンカチを差し出した。
手で必死に涙を拭う彼女。俺は、無理やりハンカチを持たせた。
そして、涙の止まらない彼女に、つとめて明るく、自分の事を話した。
そんなことで彼女の気が晴れるかなんて、考える余裕もなかった。
間をもたすため?・・・・・実は、自分も誰かに聞いて欲しかっただけなのかもしれない。
ハンカチで顔を押さえながら、彼女は俺の話に耳を傾けていた。
「悪かったな・・・ついつい調子にのってこんなくだんない話をしちまった。ごめんな。
俺ってさ、つくづく駄目だなー・・・ははは・・・」
彼女は、激しく首を横に振った。そんなはっきりとした感情を見たのはあっただろうか。
「わたし・・・他に話せる人もいないし・・・お兄さんになら・・・なんか聞いてもらえるかも
しれないって・・・・・わたしも話せるような気がして・・・」
そう言って、彼女は、ポツリポツリと、それまでの事を話し始めた。
俺は、たまらなく動揺している自分にようやく気がついた。
こんな事があるのか・・・・・こんなことって・・・・・
今、この子は、本当に独りになってしまったのだ。こんなことが・・・・・
俺を真っ直ぐに見つめてくる目が、彼女の深い様々な思いを語っていた。
俺は、情けないことに、ここでも涙してしまった。
同情からじゃない・・・・・彼女の目が、彼女の思いが、あまりにも・・・・・
俺たちは、そのまましばらくの間、何も語らず、何もせず、じっとその場に座っていた。
ムッとする暑さの中、時折吹く生温かい風だけが感じられた。
夜が・・・・・どうしようもなく長く感じられた・・・・・
- 510 :鳥籠 :04/06/25 00:56
- 俺の部屋。
彼女は疲れきって眠っている。
あの後、独りになりたくないと、彼女は俺の部屋までついてきてしまった。
普通なら、常識はずれの行動なんだろう。彼女も、受け入れた俺も。
でも・・・・・
もう、常識とかの範疇じゃない状態に彼女はいる。
いまさら、何が常識なんだ・・・・・
それに、俺は彼女を独りにさせたくなかった。
そして、俺自身も、どこか独りになりたくなかったという気がする。
泣き疲れたのか、それとも、眠ることでしか今の気持ちを抑えることができなかったのか。
彼女は、いつしか深い眠りにおちていた。
頬に残った涙の後が、生々しく、そして・・・・・哀しかった。
俺は、窓際に座って壁に頭をもたれさせていた。
俺自身の明日さえ見えない状況。
そして、彼女自身の明日も見えない状況。
何もかも分からなくなった。
どうすればいいのだろう・・・・・
そんな思いをのせたため息だけが続く。
- 511 :鳥籠 :04/06/25 00:57
- 窓の外の闇を眺めながら、また煙草を咥えた。
さっきから、ずっと喫いっぱなしだった。
いがらっぽさが、今は逆に心地良くさえ思えた。
明日からの人生そのものが、俺たちはいがらっぽさにまみれたようなものだから。
時計の針が進んでいく。
時間の経過が、どうにも重く感じられる。
・・・・・どこか遠い所へでも行ってみるか・・・・・
理由は無いけど、そんなことを思った。
昔から旅は好きだった。
仕事を始めてからは、日々の流れの中に埋もれて、旅なんて考えもしなくなった。
薄っぺらい付き合いばかりのせいで、俺がこの土地を離れても、誰が困るということ
もない。自業自得とはいえ、今更ながら寂しい気もした。
何故か、無性にマメ先輩に会いたくなった。
- 512 :鳥籠 :04/06/25 00:57
- そんなことを、煙草を何本も灰にしながら考えていた。
彼女の、小さな寝息だけが部屋に聞こえる。
その表情は、穏やかな寝顔とはお世辞にも言えなかった。
・・・・・哀しいよな・・・生きることって・・・・・
そっと小声で呟いていた。
誰もが幸せを求めて生きている。誰もが幸せを手に入れる権利を持っている。
なのに、どうしてなのだろうか・・・・・
人生なんて、簡単に壊れてしまう・・・・・
俺は、彼女の寝顔を眺めている。
なんて日だったんだ・・・・・
そんな思いだけが込み上げてくる。
そして憂鬱と苛立ち。
- 513 :鳥籠 :04/06/25 00:58
- ・・・・・会い・・たい・・・・・迎えに・・・・・き・・・て・・・・・おと・・・う・・・・・さ・・・ん・・・・
彼女の口から、そんな言葉が聞こえた。
そして、眠っている彼女が・・・・・一筋の涙を流した・・・・・
たまらなく胸がしめつけられた。
俺は自分の膝を抱えた。
彼女は、夢の中で、どんな風に父に救いを求めたのだろう。
束の間でも、そこに救いを見出せたのだろうか。
一睡もできないまま朝を迎えた。
起き上がって俺を見た君に、俺は言った。
「お父さんの眠る所・・・・・行くか?」
それだけを言った。
一晩考えて、その一言だけを言えた。
俺を見つめていた彼女が、小さく頷いた。そしてすぐに、
「・・・でも・・・・・」
「俺も・・・・・どうせ何ももう無くてな。だから・・・うまく言えないけど・・・・・そんな風に
思ったんだ・・・・・」
彼女が、小さく呟いたのを俺は聞いた。
・・・・・ありがとう・・・・・
今まで言われたどんなありがとうよりも、俺の心に響いたありがとうだった。
窓の外を見た。
朝陽の中を、鳥が羽ばたいていた。
- 516 :鳥籠 :04/06/25 01:08
- バックに詰めた荷物。
俺のおんぼろ車に詰め込んだ。
こうして見ると、本当に必要なものなんて、案外少ないのかもしれない。
彼女は、後部座席に荷物を置いて、俺の側に来た。
本当にいいの?
その眼差しがそう問いかけてくる。
俺は何も言わず、ただ頷いた。
そして、運転席のドアを開けた。
もう一度だけ、アパートを見た。ここにも、それなりに思い出があった。俺の暮らしが
確かにあった。感傷的な気持ちは無い。ただ、もう一度見たかっただけだ。
後のことは考えなかった。
先のことなんて・・・・考えるだけ無駄だ。俺は、たった一日でそう思うようになった。
積み上げてきたものの崩れる早さをこの体、この心で感じたから。
不確かな道を進むだけだ。そう、進むだけなんだ。それしかできることはない。
後ろを振り返っても、それは過ぎたことでしかない・・・・・
「さ、行こうか。・・・なんか、夜逃げみてーだな。朝逃げか?」
彼女は、どう答えていいのか分からない顔をしたが、一度頷き、助手席に乗った。
出発前に、一度しっかりと目をつぶった。
何も見えてくるものは無かった。何も感じなかった。
俺はゆっくり目を開けて、彼女の顔を見て、ゆっくりとアクセルを踏んだ。
彼女が、小さくなっていくアパートを、いつまでも窓から顔を出して見ていた。
その姿が、心に焼きついた・・・・・
- 594 :鳥籠 :04/06/25 23:51
- 車中泊。そして移動。
急ぐ旅じゃない。
俺は、その瞬間その瞬間を大切にしたかった。
れいなに、今まで見れなかった他の世界・・・世界と言うのが正しいのかは分からないが、
今までとは違う何かを見せたいって思った。
なんてことない事なんだろうけど、俺たちはその場所その場所を、できるかぎり自分達の
足でも廻るようにした。
れいなは、特に何も言わなかったけど、その心に焼き付けるかのように、あちこちを見て
いた。
そんな事が、れいなの何かを変えるきっかけ、たとえあまりに小さなことだとしても、きっか
けの一つになればいい。
強く願った。
そして、俺にできることは、本当にできることは何だろう・・・・・
そんなことを思った。
- 595 :鳥籠 :04/06/25 23:52
- 今日も、暑い一日になりそうだった。
立っているだけで、汗が噴き出してくる。
れいなは、れいな自身が俺に初めてねだったもの。
コンビニで見かけたインスタントカメラ。
それを片手に、今俺が立っている先にある、小さな川を写しに行っている。
少しずつ大切にフィルムを使ってるようだ。
カメラを買って渡したときの顔。
カメラを構えて写している時の姿。
少しずつ動いていけばいい。
他の人の速度なんか気にしなければいい。
れいなは、れいなの速度で進めばいい。そう思った。
れいなが、こっちに駆け寄ってきた。
「いい写真撮れたか?」
「うん。川が透き通ってた。昔・・・お父さんに連れてってもらった川を思い出してたんだ」
「そうか。フィルム残ってる?」
れいなが大事そうにカメラをポケットにしまいながら、頷いた。
「どんどん撮れよな。きっとさ・・・」
れいなが俺を見る。
「よーし、昼飯でも喰い行くか」
- 596 :鳥籠 :04/06/25 23:53
- 俺はれいなの背中を押した。
きっとさ・・・・・いい思い出になるさ?・・・いい写真家になれるかもな?・・・
そんなことを言いたかったわけじゃない。何を言おうとしたんだろう。
・・・いつか俺の事もその写真を見たら思い出すかもな・・・
そうだ。でも・・・・・それを言いたくなかったんだ。何故・・・・・
俺自身の中に、何か変化が起きているのだろうか。
歩きながら、れいながそっと手を握ってきた。
俺は、つとめて自然にそれを受けて、平然としたふりをしていた。
けど、実は動揺したりしていた。
れいなが、俺の手をしっかりと握る。その、小さな手。
何か、れいなの気持ちが伝わってくる気がした。
そして、穏やかな温もりを感じていた。
- 597 :鳥籠 :04/06/25 23:54
- れいなは、澄んだ川を眺めながら、父親との思い出に浸った。
あの頃は、何もかもが幸せだった。
全てが叶うと素直に信じていた。
川の水を手ですくった。
何度かそれを繰り返した。
川の匂いを胸いっぱいに嗅いでみた。そして、自分の中の重い気持ちと共に、
吐き出そうとしてみた。
川のせせらぎと、自分の呼吸だけが聞こえる。
目を閉じた。
浮かんでくるのは・・・・・○○の笑顔だった。
自分だって辛いはずなのに・・・自分だって大変なのに・・・・・
感謝と、申し訳ない気持ち、そして、まだ自分では分からない何かの気持ちがあった。
あの人がいたから、私は今こうしてここにいられる。
何度も何度も、いつでもそう思う。
いつか・・・・・いつの日か・・・心の底から、本当の笑顔と共に、ありがとう、そう言いたい
と思う。
・・・できるよね・・・・・できなくちゃ駄目だよね・・・・・父に語りかけた。
父が、微笑んだような気がした。
川の涼しさが気持ちよかった。
川の流れ、せせらぎが優しかった。
れいなは、ほんの少し、自分も優しくなれたような気がした。素直になれそうな気がした。
れいなは、そんな思いをこめて、川の写真を一枚撮った。
・・・・・できるようになってみせるよ・・・・・そう呟いた。
- 669 :鳥籠 :04/06/26 10:59
- 車の中から見る夜空。
れいなは、そんな夜空が好きになっていた。
この土地は星がよく見える。
今までの暮らしの中、今までの日々の中、かすかに見える星を見上げることは
あっても、こんな風に星の輝きを見たりはしていなかった。
ただ、時間の過ぎるのを待つ為だけに、夜空を眺めていた。
今は違う。
自分でも、はっきりとそれが分かる。
今は、星の輝きや、美しさや、そういうのが分かる。
夜空に様々なものが見える気がする。
こうして旅を始めて、驚くような日数が過ぎたわけじゃない。
なのに、確実に変化が訪れてきている。
嬉しかった。
そして・・・・・自分は今独りじゃない。
隣の席で、○○が深々とシートを倒して眠っている。
その寝顔を見つめた。
改めて思う。私は独りじゃないんだ・・・・・
それが、今のれいなにはどんなことより嬉しかった。
- 670 :鳥籠 :04/06/26 10:59
- この旅の最終地点。
れいなの父が眠る土地。れいなのかつて暮らした思い出の土地。
そこに辿り着いた時、この旅は終わるのだろう。
れいなは思った。
そして・・・○○とも分かれる時がその時なのだろうか・・・・・
れいなはそんな思いを振り払った。
そんなこと、考えたくなかった。そんな時を迎えたくない・・・・・
それだけを強く思っている自分に気づいた。
○○の、力の抜けて垂れた手を、そっと握ってみる。
温もりがあった。
その温もりが、自分の中で何よりも愛しくなってきていることを、今、れいなは
はっきりと自覚していた。
・・・人を好きになるって・・・こういう気持ちをいうのかな・・・・・
これまで、そんな気持ちを抱いたことがなかった。
クラスメイトが話しているのが、ぼんやりと聞こえてきたくらいだった。
・・・・・わたしは・・・・・
感謝の気持ちでもなく、頼りにできる人が○○だけだという気持ちでもなく、○○
があの夜自分の為に泣いてくれた事。
そして、いつも自分に向けてくれる優しい眼差しと笑顔。
れいなの中で、少しずつ芽生えた気持ちが膨らんでいった。
- 671 :鳥籠 :04/06/26 11:00
- 朝、目が覚めたとき、独りになっていたら・・・・・
そんな不安はもう無い。
この旅では○○が必ずいてくれる。
これからずっと?・・・・・この旅の後も?・・・・・
それだけが、気になる。
だから、れいなは離れないよう、そんな自分の思いが伝わるよう、○○の手を
しっかりと握った。
「・・・おやすみ・・・」
れいなは、手をもう一度握りなおし、目をつぶった。
ゆっくりと、優しい眠りの中に入っていった。
- 672 :鳥籠 :04/06/26 11:01
- 夢を見ていた。
たまらなく嫌な夢だ。
かつて愛した女が言う。
結局、あなたって私には価値の無い人だったのよ・・・
かつての同僚達が言う。
お前はつくづく役に立たない奴だな。俺たちの会社に砂かけやがって・・・
誰もが言う。
お前なんて、しょせんはどうしようもないクズなんだよ・・・
俺は、何も言い返せずに、ただその罵りを受けるしかなかった。
俺は・・・誰からも必要とされていない。
俺は・・・何のために生きているのか。
俺の周りを、無数の鉄柵が取り囲んだ。
見廻すと、俺は、鉄の鳥籠の中にいた。
彼等がその外を囲み、俺に次々と嘲笑を浴びせた。
俺は、何をすることもできず、籠の中でのたうちまわった・・・・・
- 673 :鳥籠 :04/06/26 11:02
- 目覚めたとき、びっしょりと汗にまみれていた。
窓を開け、朝の新鮮な空気を車内に入れた。
嫌な夢だった・・・・・はっきりと心に残っている。
俺の左手を、れいながしっかりと握っていることに気づいた。
離れないよう、眠っているのにもかかわらず、きつく握っていた。
・・・・・俺は独りじゃないんだな・・・・・
強く思った。そして、安心したのと同時に、嬉しかった。
そうだ・・・俺は今、れいなと一緒にいるんだ・・・・・
俺は、もう一度シートにもたれた。
れいなが起きるまで、れいなが起きた時に独りじゃないって安心できるように、この手は
このままにしていよう。そう思う。
窓から眺めた空が、青々としていた。
今日も暑い日になりそうだな・・・・・そんな事を思いながら、再び目を閉じた。
- 721 :鳥籠 :04/06/26 22:31
- 旅が進み、日が経つにつれ、俺たちは確実に変わり始めていた。
お互い、あのそれぞれの出来事には触れていない。
たぶん、心の底には、消すことのできない何かが残ってはいる。
けれど、ぼんやりと、それは本当にぼんやりとだが、先にあるものが
見えてきた気がしている。
目指す土地。
もう少しだった。
けれど、のんびりと進む。
焦る必要はない。ゆっくりと、確実に進めばいい。
昼時、一軒の喫茶店に入った。珍しい店構えとかではないが、どこか懐かしい感じのする
雰囲気だった。
店は、中年の夫婦で切り盛りしているようだ。
昼のランチメニューを注文して、俺はコーヒーを頼んだ。
「わたしも、同じので」
いつもはジュースのれいなだった。
「苦いぞー。飲めないんじゃないかぁ?」
思わずからかっていた。
「飲めるもん。子供じゃないんだから」すねた顔を見せる。
俺はたまらなくおかしかった。こんななんてことない会話。そんなことが、いつしか
できるようになっていた。
あの無口で、いつも怯えたような顔をして、階段に寂しそうに座っていたれいな。
今、俺の目の前にいるれいなに、その面影はほとんどない気がする。
このまま・・・このまま変わっていけばいい・・・・・
- 722 :鳥籠 :04/06/26 22:31
- 喫茶店の夫婦は、交わす言葉は少ないものの、互いがやるべきことをやり、そして、
互いを支えている。
そんな光景を眺めていた。
羨望と、癒される気持ちと。
「今日中に、うまくいけば到着するよ」
ランチを掻き込みながら、俺は言った。
れいなが、複雑そうな表情で頷いた。
「どうした?」
「ううん。なんでもない。・・・そっか・・・もうそんなに走ってきたんだね・・・・・」
「ああ。親父さん、きっと待ってるよ。早く来いってな。あぁ、寄り道しすぎだって、俺
は怒られるかもな」
れいなは、何も答えず、黙々とランチを口に運んでいた。
- 723 :鳥籠 :04/06/26 22:32
- 「さて、れいながコーヒー飲み終えたら、ぼちぼち行こうか」
れいなが、ゆっくりと口にカップを運ぶ。一口・・・・・二口・・・・・
「泣くなよー。にがいーってな」
れいなは、砂糖とミルクを勧めたにもかかわらず、俺を真似てブラックだった。
れいなの顔が、一瞬、苦虫を噛み潰したようになった。けれど、
「ううん・・・お・・・おいしいよ・・・だいじょぶ・・・・・おいしい。○○だって、ブラックでしょ?
わたしだって飲めるもん」
俺は、れいなの顔を見て吹き出した。
「なによ」
「いや・・・あははっ・・・わるい・・・くくっ・・・」
必死な表情。初めて歳相応な表情を見た気がした。そして、それが嬉しくて、嬉しい
笑いがとまらなかった。
喫茶店を出た。
俺は、ガラス戸越しに中を振り返った。
あの夫婦は、お互いを理解して、本当に支え合って生きてるんだな・・・・・
そんなことを強く感じた。
会計を済ませたときの奥さんの言葉。
いいですね、お若いって。これから先、どんなことも二人で乗り越えていけますものね。
そんな言葉と、夫婦の笑顔、そして、夫婦に見せたれいなのあどけない笑顔。
俺の中に、強く残った。
- 724 :鳥籠 :04/06/26 22:33
- 流れる景色を車窓越しに見ながら、れいなは、どこか懐かしい匂いを感じ始めていた。
もうすぐ、かつて父と共に暮らした土地に足を踏み入れる。
どこか緊張した感じと、ずっと自分を支えてきた思いと、色々な感情があった。
喫茶店で、○○がもうすぐ辿り着くと言った時、一瞬、なぜか躊躇した自分にも
気がついていた。
何を今更そんな風に思うことがあるのか。
旅の目的は、もうすぐ果たされようとしているのに。
素直に喜べなかった自分の気持ちが嫌だった。
・・・・・わたしは・・・・・
運転している○○を見た。
・・・・・わたしの気持ちは・・・・・
景色に目を戻した。
様々な思いを乗せたまま、二人を乗せた車は走った。
そして・・・・・
れいなの故郷を示す道標が見えてきた。
れいなは、父の匂い、それと、幼い日の自分の匂い・・・・・
胸の奥にそれらを感じていた。
- 727 :鳥籠 :04/06/26 22:38
- 旅の目的地に入っていた。
ゆっくりと、街並みを流す。
れいなは、窓を開けて街並みを見ている。
ようやく着いたか。
どこかほっとした気持ちになった。
出発までのあれこれが、もうだいぶ前のような気がする。
色々あったな・・・・・
ハンドルを動かしながら、思った。
家の留守電は聞いてない。携帯は、電源を切ってほったらかしだ。
どうせ何か入っていても、もう全ては終わったことだ。
街に入った時、後悔は無いって思った。素直にそう思えた。
れいなという子と過ごした奇妙な夏。俺の人生が変わった夏。何かを喪失した夏。
俺の中で、ずっと消えることのない記憶になる。
だが・・・・・それでいいのだろうか・・・・・
記憶にしてしまって・・・・・記憶だけで・・・・・本当にいいのだろうか・・・・・
- 728 :鳥籠 :04/06/26 22:39
- 街といっても、小さな街だ。
その街が、夏祭りの準備で賑わっていた。
今夜と明日が祭りというチラシを見かけた。
「れいな、祭りだってさ。あとで覗いてみようか」
れいなが軽く頷いた。
街に入ってから、口数が少なくなっていた。
思うところや、気持ちの整理。色々とあるのだろう。
街の中心にあるビジネスホテルに、部屋を二部屋とった。
俺たちは、とりあえずそれぞれの部屋で夕飯までの時間を潰すことにした。
久々のベットの感触。
俺は横になり、ただぼんやりとしていた。
考える時間が多すぎた。ずっと、色々な葛藤と自問自答しながらの旅でもあった。
けじめは、どこにあるのか。何がけじめなのか。
俺は、ふとするとまたそんな思案におちいりそうに感じて、煙草を咥えた。
今は、何も考えたくなかった。
吐き出した煙が、宙で不思議な形をつくっていた。
今は・・・・・ただ時間が過ぎてくれればいい・・・・・
- 729 :鳥籠 :04/06/26 22:39
- 夕方。
俺たちは外に出た。
俺は、部屋で思いついたことを実行するため、れいなの手を引いて急いだ。
「ちょ、どうしたの?ねえ?どこ行くの?」
れいなが問いかけてくるが、俺はただ急いだ。
車で通った時、なにげなく見かけたデパート。
間に合った。俺は館内説明を見て、目的の階に急いだ。
「ねえ、急にどうしたの?教えてよ」
息をきらせたれいなが言う。
「いいから。任せとけって」
ガラにもないけど、俺だってれいなに夏らしい思いをさせてあげたかった。
それが喜ばれるかは別として、この夏を少しでも憶えていてほしいから。
- 730 :鳥籠 :04/06/26 22:40
- 試着室のカーテンを店員の女性が開けた。
「おお!似合うじゃんか!」思わず声が大きくなっていた。
恥ずかしそうにうつむいたれいな。
浴衣姿。水色の花火の模様が鮮やかに描かれた涼しげな浴衣。
女性店員によって、即席ながらセットされた髪型。
アップにしていて、少し垂らした髪の毛が、やけに大人っぽく見えた。
「可愛いですよ。ほんとにお似合いです」女性店員が嬉しそうに言う。
俺は、思わず見とれてしまった。
初めて見た、ある意味ドレスアップされたれいなの姿。
「・・・どう?・・・物凄い恥ずかしい・・・」
俺と視線を合わさずに問いかける。
「似合うよ。ほんとに可愛い・・・いや、綺麗だよ。女だな・・・」
れいなが俺を見上げた。
その視線に、鼓動が早くなったのを感じていた。
そして、すっかり日が落ちて、あちこちに飾られた提灯に灯がともった街中を、俺たちは
歩いた。れいなが、そっと腕を絡めてきた。
俺は、夏の夜、祭りの夜の雰囲気を吸い込みながら、歩いていた。
祭りの夜が始まろうとしていた。
- 835 :鳥籠 :04/06/27 23:51
- 街の中心道路を踊りながら練り歩く人々。
歩道に開かれた様々な出店。
人々の賑わい。
夏の祭りには、何か人々を良い意味で惑わせる何かがある気がする。
俺たちは、あちこちので店を覗きつつ、祭りの雰囲気、人々の熱気を楽しむ。
「なんかやりたいのある?せっかくなんだから楽しまないとな」
れいなは嬉しそうに頷き、周囲をキョロキョロと見廻している。
金魚すくい、ヨーヨーすくい、射的、型削り・・・・・
ガキの頃、仲間と夢中になって遊んだ記憶。
れいなは、何も取れなかったが、とても楽しそうにしていた。
こんなにはしゃぐ姿・・・・・正直、驚いた。
けど、これでいいんだ。こうであるべきなんだ。そう思う。
- 836 :鳥籠 :04/06/27 23:52
- 「あ〜・・・また失敗しちゃった・・・ごめんね、お金ばかり使わせてしまって」
「おこちゃまはそういうのは気にしないの」
「またそうやって子供扱いばかりする」
れいながすねた顔を見せる。
出店の照明がそんな横顔を照らしている。
うっすらと塗られた口紅と、アップにされたうなじ。横から少し垂らした髪の毛。
通りから聞こえてくる太鼓と人々の掛け声。
夏祭りの雰囲気が、俺の何かを刺激しているのか?
れいな自身が、俺の中にあるれいなへの気持ちの何かが開花しようとしているのか。
俺は、どうしようもないくらい、心が躍っているのを自分で認識した。
- 837 :鳥籠 :04/06/27 23:53
- 子供の頃、この祭りにはよくきていた。
父に手を引かれ、買ってもらう綿菓子が大好きだった。
何もあの時と変わっていなかった。懐かしさが込み上げる。
あの時と違うのは、自分の手を引いてくれるのが、父ではなく○○だということだ。
父から受ける安心感、それとは違った気持ちを感じる。
それは、どこか甘いようで、切ないようで・・・・・胸が苦しくなる気がした。
だから、自分に素直になろうと思った。
もう、殻に閉じこもることはない。そうすれば、きっと全てが変わるはず。
出店はどれもが楽しかった。
こんな風に遊び、こんな風に笑う。いつからそんなことを忘れていただろう。
れいなは、心から楽しんでいた。
他の人から見れば、自分はばかみたいかもしれない。でも、今、わたしは幸せだ。
本当にそう感じていた。
- 838 :鳥籠 :04/06/27 23:54
- 「さてと、何か食べるか?それともやりたいのある?」
煙草に火をつけながら、○○が問いかけてきた。
○○は、わたしの姿、どう思ってるかな?綺麗って言ってくれたのは、お世辞かな?
さっき腕を組んでみたとき、どう思ったのかな?
れいなは、そんなことが気になっていた。
「おい、大丈夫か?」
「えっ?・・・あ、なんだっけ?」
○○が笑った。
そうだ・・・私はこの人のそんな笑顔が好きなんだ。
どこか寂しそうだけど、優しく語り掛けてくれるような笑顔。
そして・・・あの時、わたしの為に泣いてくれた時、わたしは○○を・・・・・
「ちょっと疲れたか?まだ時間もあるし、ちょっと向こうで休もうか。れいな、あそこの
階段で休んでろよ。ちょっと冷たいもんでも買ってくるから」
○○はそう言って、人込みの中に消えた。
れいなは階段の方に移動した。
- 839 :鳥籠 :04/06/27 23:55
- ○○はなかなか戻ってこない。
れいなの座っている場所は、少し賑わいから外れた場所だ。
急に、不安が込み上げてくる。
このまま独りになってしまったら・・・・・
○○と、二度と会えなかったら・・・・・
さっきまでの楽しい気分が、少し萎んだ気がした。
賑わう方を見た。
誰もが、祭りの熱気に高揚している様子だ。
急激に、自分独りが置いていかれた気がした。
そして・・・・・
れいなは、はっきりと気づいた。
自分にとって、○○がどれだけ大きな、大事な存在になっているのかを。
それは、保護者という意味合いではなく、れいなは、はっきりと一人の男として
○○を見ている。自分の気持ちがようやくはっきりした。
明日は、父の墓に行く。
そして、旅が終わる。旅の終わりは○○との別れなのだろう。
それぞれが、きっと新しい生活に入っていく。そして、二人は離れる。
「・・・・・○○・・・」
れいなは、自分が涙を流したことに気づいた。
- 857 :鳥籠 :04/06/28 00:54
- 「おい、どうかしたのか!?」
その声に、れいなは顔を上げた。
両手にカキ氷を持った○○が、心配そうな表情で目の前に立っていた。
「・・・あ・・・わたし・・・」
瞬間、頭の中が真っ白になった。
考えるよりも先に、体が勝手に動いていた。
「おい!?ちょ、ちょっと・・・」
れいなは、○○に抱きついた。
強く強く、抱きついた。
言葉が出ない。ただ、もう離さない様に、しっかりと抱きついた。
「れいな、どうしたんだよ?何かあったのか?」
○○の胸に顔をうずめながられいなは思った。
今までだって、泣かずに生きてきた。どんなに泣きたくても、涙を流したら
その時点で負けだと思い生きてきた。
哀しい涙はもう流さない。これからは、嬉しい幸せの涙しか流さない。
これで、不安や哀しい涙とはさようなら・・・・・
- 858 :鳥籠 :04/06/28 00:55
- 声も出さずに涙を流すれいなの背中に、温かい手の温もりを感じた。○○の腕だ。
「あれだ、その・・・泣きたい時は泣けばいい。すっきりしたらいいんだよ。れいなはさ、
今までずっと我慢してきたんだから。もう我慢はいいよ」
れいなは黙ってその言葉を聞いた。
「それで、泣いた後は笑えばいい。今夜は泣いたらいい。明日は、笑顔で、そうだな、
今までで一番の素敵な笑顔で、親父さんに会いに行こう」
れいなの心に、そんな言葉が染み渡った。
そして、今までの日々が走馬灯のように巡った。
もう・・・・・あの日々とはお別れ・・・・・新しい日々を迎えなくちゃね・・・・・
れいなの中にあった多くの悲哀。そして憂鬱。重く暗いもの。
遠くから響く太鼓の音にのせ、今、この夏の夜空に昇華していくのを見た気がした。
「・・・ありがとう・・・・・うまく言えないし、それしか言えないけれど・・・・・ありがとう」
れいなは顔をあげて言った。
○○が微笑み頷いた。
「・・・俺の方こそ・・・ありがとな・・・なんつーか・・・れいなと旅ができてよかった。
・・・・・ありがとう・・・」
その言葉を聞いたとき、れいなの体が自然と動いた。
精一杯の背伸び・・・そして・・・・・唇に感じた○○の唇・・・・・
れいなは心の中で思いっきりの声で叫んだ。
ありがとう・・・そして・・・あなたが好きです・・・・・
太鼓の音と、夜の熱気が二人を包んでいた。
- 907 :鳥籠 :04/06/28 21:19
- 蒸し暑い中に、穏やかな風が吹いてた。
俺は、親父さんの墓の前で、手を合わせじっとしゃがんでいるれいなを見た。
昨日のれいなの行動に驚いていた。
そして、嬉しさを隠せないでいた。
ホテルの部屋の前で別れる時、明日な、というので精一杯だった。
れいなは、ずっとその姿勢のままでいる。
ようやく、これで旅が終わる・・・いや、終わってしまうというべきか・・・・・
この先のことは、俺自身何も決めていない。
ただ、れいなの道だけは、なんとしても決めなくてはならない。
どうするのが、れいなにとって一番幸せなんだろう。
ハンカチで、額の汗を拭った。
れいなは、心の中で父親と話をしていた。
今までのこと、この旅のこと、○○とのこと。
その度に、父が言葉を返してくれるのを感じていた。
やっと、ここまでこれたよ、お父さん。これでほんとに、あんな過去、あんな自分とは
お別れできる。わたしね、お父さん。もう・・・大丈夫。もう大丈夫だから。
れいなは、父の笑顔を見た。
そして、目を開けて立ち上がった。
- 908 :鳥籠 :04/06/28 21:19
- 墓を後にする。
れいなは、立ち上がった時、何かを確かに吹っ切ったような、今まで見たことのない
笑顔を、親父さんの墓に向けた。
俺は、これで旅は終わったんだな・・・終わることができるんだな・・・そう感じた。
嬉しさと、どこか寂しさと、けど、やはり嬉しかった。
これでれいなは大丈夫だ。変われた。そんな確信があったから。
俺たちは、急に会話も少なくなり、ただ、夕暮れの街を歩いていた。
これから先のこと、ちゃんと話し合わないとな・・・
どこか憂鬱な話題だが、今日で旅は終わったのだ。
明日から、新しい何かが始まる。そこに向かっていかなくては。
れいなは歩きながら感じていた。
この旅の終わりを迎えたこと、明日からのこと、○○がそれらを話そうとしていること。
自分の先に、もう不安はない。
今の自分なら、どんなことにも耐えていける自信が芽生えた。生きていける。
けれど・・・・・れいなは分かっていた。ただ一つ、れいなが耐えられないことができて
しまったことに・・・・・
お父さん・・・・・いいよね?・・・・・わたしは・・・・・
れいなは、一度だけ、父に問いかけ、そして新しい自分をこの先に見ようとしていた。
- 909 :鳥籠 :04/06/28 21:20
- 俺は、部屋のソファに座り、少ししか開かない窓をあけて煙草を喫っていた。
夕食の時も、とうとう明日から、いや、今後のことを切り出せなかった。
れいなも、口数が少ないし、たまに話すとしても違う話題ばかりだった。
お互いが、その話題を避けている感じだった。
「ったく、なにやってんだ、俺は・・・・・終わったんだよ・・・終わった・・・」
窓に映った自分に言った。
俺自身、はっきりとは何も先は見えてない。けど、少しずつ自分の中で大きくなって
きてる思いがある。あの日見た・・・・・
その為に、必死に働こうか。叶わないかもしれないが、夢を持つのは自由だ。
それがあれば、やっていける気がした。
流されて、実は空っぽだった。そんな過ちは、もう嫌だ。
煙を吐き出したとき、ノックが聞こえた。
煙草を揉み消し、ドアに向かう。ドアを開けると、
「おぉ、どうした?夜食でも買いに行きたいのか?」
「入って・・・いい?」
「いいよ。どーぞ」
れいなが部屋に入ってきた。
- 910 :鳥籠 :04/06/28 21:20
- 俺がベットに座り、れいなをソファに座らせた。
なんとなく、沈黙が気まずい。
「終わったな・・・無事に終わってよかったよ。親父さんに顔向けることができたよ」
「うん」
「やっぱさ、言わなくちゃいけないよな。・・・・・明日からの事、これからの事、考えないと」
「・・・うん・・・」
「一度、東京に帰ろうかと思う。勿論これは俺の考えなんだけど、俺が唯一頼れる先輩が
いてさ。その人、法律とかも詳しいから、アドバイス聞けると思う」
「・・・・・」
「れいな自身が、どうしたいか。それが一番大事なのは分かってるつもりだから」
れいなが俯いている。
俺は、同じような事を、何度も繰り返し喋っていた。自分でも意味が分からなくなってた。
その時だった。
「○○は・・・どうするの?」
「俺!?・・・いやぁ、俺はさ、とりえもないしできることもたかが知れてるけど、でもな、
今、自分の中に目標ができそうなんだ。それに向かってみようかって思ったりしてる。
まあ、遥か遠い明日だけどな」
俺は照れくさくて笑ってしまった。
- 911 :鳥籠 :04/06/28 21:21
- れいなが、俺を真っ直ぐに見てきた。
「・・・・・」
「ん?どうした?あぁ、すぐには無理だよ。でも夢がありゃ頑張れそうな気もするしさ。
今まで、俺そんな風になったことなかったし。俺も少しは変われたのかな・・・」
「その夢には・・・・・わたしの・・・」
れいなの視線が、俺を射抜いた。そうだ、彼女のそんな強い視線が印象的だったよな。
「わたしの・・・・・居場所は・・・ある?」
言葉が出なかった。
「わたしが・・・○○と一緒に・・・そこに向かう為の助手席って・・・・・空いてる?」
俺は、ただれいなを見つめているしかできなかった。俺は、そんな言葉を聞ける日、そんな
相手を、ずっと探していたのかもしれない。・・・そして、本当の相手が目の前にいた・・・・・
そこから先は、情けない事に記憶が飛び飛びだ。
れいなの唇の感触。そして、抱き締めた時の細い身体。その柔らかさ。
れいなの白い肌が、ゆっくりと、少しずつ、紅に染まっていった。
俺を包んだれいなの匂い。それに包まれながら、俺はれいなの隅々を包んでいった。
女になる瞬間に見せた苦悶の表情。そして、一筋の涙。れいなは、小さく微笑んだ。
しっかりと絡めた互いの指。しっかりと合わせた互いの唇。互いの鼓動。互いの汗。
れいなに包まれ、れいなに名を呼ばれながら、俺はれいなに溶け落ちた。
寄せては返すあの日見た波のように、俺の中に、れいなの中に、波があった。
れいなが俺の頭を抱え、優しく静かに抱き寄せた。
そして俺は、その中に抱かれたまま、眠りの中に心地良くおちていった。
旅は終わらない。そうだ・・・俺とれいなの新しい旅が始まるんだな。
言葉にするのは照れるから、心の中でそう呟いた。何度も呟いていた・・・・・
- 912 :鳥籠 :04/06/28 21:22
- (エピローグ)
あれから何度も夏が過ぎて、日々は流れ、また暑い夏がやってきた。
タクシーの中。外は雨だ。
映画の撮影は、天候に大きく左右される。突然のオフ。
仕事でこの土地を訪れ、突然こんな時間ができたのも、何かの縁だろうか。
私は、今の仕事につき、やり甲斐と、あまりの多忙さとに追われつつも充実していた。
隣の席から声がかかる。
「ええ、もうすぐですよ・・・・。あぁ、あそこです。見えてきましたよ」
目指す所はもうすぐだった。
かつて、私の親友が、ひと夏の不思議な切ない恋におちた。
学生時代の記憶。彼の心は今でも・・・・・
そんな親友の顔が浮かんだ。今から会う彼も、どこかそんな親友に似た雰囲気があった。
タクシーを降り、傘をさす。
「さ、着きましたよ。こちらです」
私は、どこか緊張している自分に気づいた。
親友の当時の姿を思い出したからか。でも、彼は違う姿を見せてくれるだろう。
夏の恋で、人生に深手を受ける姿を見るのは、もういい。
私は、入り口のドアを開けた。
- 913 :鳥籠 :04/06/28 21:22
- 店内に入ってきた姿を見て、俺は驚きを隠せなかった。
「やあ」
昔よりも生き生きとした雰囲気。そして、その原因は天職を見つけた充実感からだろう。
俺も、片手をあげて答えた。
「マメ先輩、いらっしゃいませ」
俺は、先輩の手を強く握った。先輩がこうして来てくれた事が、なにより嬉しかった。
俺にも、俺の過去にも、一人、こうして俺を思ってくれてた人がいた・・・・・
店の入り口に臨時休業の札をさげた。
気を使わないでくださいね。その女性はそう言ったが、そうはいかない。
なにより久々の再会を楽しみたかった。
マメ先輩は、今や人気女優となった憧れであった美貴先輩のマネージャーとなっていた。
今は主演映画の撮影で、この土地にロケに来ている。
俺は、この店を出したとき、先輩にだけは葉書をだした。
そして先輩は来てくれた。
コーヒーを出した。
「一応ね、売りにしてるつもりなんです。女優さんほどの方のお口に合うか心配ですが」
美貴さんは一口飲むと、笑顔で頷いてくれた。
相変わらず先輩は、延々とかき混ぜている。癖は変わってないようだ。
そんなことが、たまらなく懐かしく思えた。
- 914 :鳥籠 :04/06/28 21:24
- 楽しい時間はあっという間だ。
先輩の携帯が鳴り、ロケ再開となった知らせが入った。
慌ててタクシーを呼び、それを迎えるため、俺と先輩は外に出た。
雨はやんでいた。少しずつ、曇り空から晴れ間が覗いてきている。
「安心した。うん、安心したよ、○○。君は、立ち直ったんだね。
「いやぁ。必死に走ってきただけですよ。ただ進むしかなかったから」
「いい店だね。雰囲気があったかいよ。喫茶店って聞いて、最初は驚いた」
「ええ。あの出来事の時にね、凄い素敵な夫婦がいた店があって。その時にね、ああ
いいなーって。羨ましかったんですよ、支え合って生きてる姿が」
俺はそう言って笑った。
先輩も微笑んだ。
「あ、来ましたよ」
先輩が、店内の美貴さんを呼び、タクシーが店の前に停車した。
「先輩、ありがとう。また!」多くの言葉はいらないって思った。
先輩も、大きく頷き、俺の手を握った。
その力強さに、俺はとても安心した。先輩も、新しい道を歩いている。
「○○、大切にね。○○のこと、よろしく」
先輩は俺の隣を見てそう言い、二人を乗せたタクシーが走り出した。
俺は、そのタクシーが見えなくなるまで見送った。
そんな俺の手を、君がしっかりと握ってくれた。
「さて、営業再開しようか」
「うん」
君が微笑む。
- 915 :鳥籠 :04/06/28 21:24
- 俺は、空をもう一度見上げた。
すっかり雲はなくなり、澄んだ青空が見えた。
「あ、鳥」
君が空を指差した。
空に、二羽の鳥が羽ばたいていた。
寄り添うように、互いを守りあうように、大きく、力強く羽ばたいていた。
俺達は、もう鳥籠の中にはいない。
何も二人を縛るものはない。
どんなことも、君となら手を取り合って、支え合って越えていけるだろう。
あの日からの今までも、そしてこれから先の長い長い道も。
二人で、どこまでも羽ばたいていこう。
俺は、君を見つめて、心で呟いた。
君が、頷いた。
「さ、札を外して再開といこう。な、れいな!」
あの夏の日、君と始まった物語。それは終わらない。ずっと続いていく。
澄んだ空が、美しかった。そして、れいなの笑顔が側にあった。
〜「鳥籠」 完 〜
从*´ ヮ`)<モドル