Remember me
477 :Remember me :04/07/03 04:05
ずっとずっとずっと、こんな毎日で。
違う日なんて来ないと思っていた。
フツーにガッコ行って、テキトーに授業受けて。
お昼休みにはママの作ってくれたお弁当。
体に良いのよっていつも梅干が入ってた。
放課後は友達と遊んで、プリクラ撮ったり雑貨屋さんのぞいたり。
帰りにいちご大福買って来てってパパのメール、友達に見られて超恥ずかしくって、
家帰ってから大喧嘩した。思いっきり「パパなんか大嫌い!」と叫んだ。
ふてくされて晩御飯ボイコットして部屋にこもっていたら、
美貴姉がこっそりおにぎり持って来てくれた。
「ごめんね、れいな」
「どうして美貴姉が謝るの」
「パパのご機嫌悪かったの、私のせいなんだわ」
「は?」
「私、結婚するの。来月、パパとママと、彼のご両親と6人で会うんだ」
付き合っている人がいることすら初耳だった。息を呑んで美貴姉を見つめた。
今までに見たこともないようなほど晴れやかな表情で、美貴姉は微笑んでいた。
もう、ずっとずっと昔の話みたいだ。ほんの一月前なのに。
あの時は、たしかに安心の中にいた。
どうして、こんなことになっちゃったんだろう。
*******

478 :Remember me :04/07/03 04:06
兄の結婚が決まったのは、先月のことだった。
どこをどう間違ったのか、えらい美人の婚約者で、
俺も両親もあっけにとられたもんだった。
ちょっと口は悪いけど、まっすぐでさっぱりした、キップのいい女性で、
両親は美貴さんをべた褒めだった。
俺は、兄が結婚するとなれば気楽な実家暮らしを追い出されることになるわけで、
ちょっとした兄へのやっかみもあって、兄の結婚の話題からは距離を置いていた。
祝う気持ちはあったが、兄や両親へのテレがあって言い出せなかっただけだ。
美貴さんの両親と対面し、具体的な話を進めると言って、
兄と両親は出かけていった。ひとりで晩酌の缶ビールを飲みながら考えた。
来年か再来年には、甥か姪だってできるかもしれない。
父も母ももうでれでれだろう。姪だったら、一番でれでれなのは兄だ。
そうなったら俺も叔父さんか。まだ若いのに。
ありふれた家族の転機だった。すべてがあたりまえだった。
どうして、こんなことになったのか。

あの真夜中の一本の電話が、人生を暗転させた。

565 :Remember me :04/07/03 23:00
病院の床は、冷たい蛍光灯の光を照り返して、
いやらしいほどテラテラと光っていた。
妙に冷えたまなざしで、あまりの事態に呆然とする自分を
頭の奥のほうで観察しているみたいな自分がいた。
目にするもの、目にするもの、全てが信じられなかった。
血に染まった兄のシャツ。土気色の父の指。
消毒液の匂いに混じった、鉄くさくすえた匂い。
すすにまみれた母の結婚指環の、裏側の字の凹凸。
霊安室。
静かに閉めた扉の上でうそ寒いゴチックの文字が、視界に躍った。

566 :Remember me :04/07/03 23:00
「間違いありません」
自分のものとは思われないほどかすれた低い声が耳朶によみがえる。
誰もいない待合室で、ベンチに体を投げ出すようにして座った。
タバコを吸おうとしてポケットを探り、ふと思い出して舌打ちした。
病院内は、禁煙だ。
どのくらい、そうして座っていたろうか。院内は呆れるほど静かだった。
……お兄さんが運転席に、美貴さんが助手席に。あなたのご両親は真中のシート、
……美貴さんのご両親は後部シートに座っていました。
……あの辺は、週末になると暴走行為を繰り返す地元のチンピラが…
……カーブで暴走車と正面衝突して…
……チンピラにあおられてチェイスしていたダンプが突っ込んで…
……最後まで息のあった美貴さんも先ほど…
脳裏に蘇る言葉の一つ一つは、突き刺さるほど鮮明だった。
ただ、どうにも実感が湧かなかった。
ぱたりぱたりとスリッパを鳴らす足音が近づくのを聞いて顔をあげた。
さきほど、遺体の確認の際に立ち会ってくれた警官が
中学生くらいの少女を伴なって向こうから歩いてくるのが見えた。

567 :Remember me :04/07/03 23:01
「ああ、お待たせしました。れいなさん、こちらです」
警官の言葉の後半は、傍らの少女に向けられていた。
ウサギのように真っ赤に目を泣きはらした、小柄で華奢な少女だった。
俺が立ち上がると、少女はあたりまえのように俺の袖をつかんで
俺の後ろに身を隠すようにした。
「このたびは、ご愁傷様でした」
警官はあらためて深く頭を下げた。まだ若い。同い年くらいか。
「今日はもう遅いですし、明日あらためていくつか事情を伺わせてください」
署に行く旨を伝えると、彼は安心したようにうなずいて、
今日のところはお引き取りください、と言うときびすを返した。
まだ仕事があるのだそうだ。

568 :Remember me :04/07/03 23:03
ともあれ帰ろうと歩き出しかけて、袖に抵抗感を感じた。
振り返ると、先ほどの少女だった。忘れていた。
やっぱり相当動転している自分に気がついた。あの若い警官もそうなのだろうか。
何の説明もなく、置いていってしまった。
「ええと…、君は」
しゃくりあげるような声で、「れいな」と返ってきた。
その名前で思い出した。美貴さんの妹だ。
もっとも、会うのはこれが初めてだった。
……そうか。この子は、俺と同じなのか。
あのあまりにも理不尽な電話で、ここにいるのだ。
言葉を発したことで、少女のなかのたがが外れたようだった。
彼女はくちびるを白くなるほどぎゅっとかんだ。
ふっと潤んだ目元を、ぱちぱちとさせている。
俺の胸の奥のどこかが、かっと熱を取り戻した。
「家に誰かいる?」
彼女は首を横に振った。たしか4人家族だったはずだ。
「親戚とかは?」
また、首を横に振った。
「じゃあとにかく送っていくよ」
そういうと、また首を横に振った。どういうことだ。
眉根を寄せると、れいなはかすれた声を絞り出した。
「やだ……ひとりでおうちに帰るのいや」
「じゃあどうするの」
口にしてから、後悔した。この憔悴しきった中学生に聞く言葉ではなかった。
しかし、彼女は案外しっかりした瞳で見上げてきた。
「お兄さんに預かってもらうって警察の人が言ってた」
…あの警官も相当動転していたらしい。まだ新米なのだろうか。

708 :Remember me :04/07/05 02:04
結局、れいなをつれて誰もいない真っ暗な我が家に戻った。
リビングでは、青々とテレビだけが光っていた。消し忘れたのだ。
明かりをつけ、空虚な家をやかましく満たしていたTVを消した。
テーブルの上には、冷奴の皿とビールの缶が出しっぱなしだった。
「れいな…ちゃん、そこ座ってて」
「…れいなでよかよ」
帰ってくるタクシーの車中でもずっと黙りこくっていたので気づかなかった。
れいなには美貴さんからは聞いたことのない、西国の訛りがあった。博多弁だろうか。
「何か飲むか」
「いらん」
れいなは首を横に振った。俺も、飲みさしのビールを飲む気にはなれなかった。
俺が水を汲んできたのを見て、れいなは立ち上がった。
「れいなもやっぱりお水ほしい。…これかたづけてよか?」
冷奴とビール缶を手にとった。片付けるって、キッチンの場所も知らないだろう。
「いや、やるよ」
そういうとれいなは首を横に振った。
「何かしていたい気分やけんさせて」
結局、二人で片付けた。ついでにキッチンのものの場所、トイレなどを教えた。
洗面所を見せたときだった。
れいなは何気ない感じで一歩踏み込んだ。
「あ、これパパと同じトニック」
手にとって俺を振り返った。
ふわりと、父の香りがれいなの背後に立っていた俺の鼻までもくすぐった。
「パパと同じ……」
乾いた呟きだった。
「いやあぁぁぁ!」
細い体から絞り出すような絶叫をあげて、れいなはへたりこんだ。
がたがたと全身が震えていた。
瓶ごと、その薄い肩を抱きしめるように腕を回した。
そうしないと、ばらばらになって壊れてしまいそうだった。
俺の頬は熱いしずくで濡れていた。
れいなは、乾いた瞳で茫洋と宙を見つめていた。

830 :Remember me :04/07/05 23:38
****
忘れない、匂いがある。
幼い頃、遊びつかれた帰り道にパパの背中でかいだ、ヘアトニックの匂い。
記憶の底に、気づかずまかれていた種は、
偶然のきっかけで一瞬のうちに成長し、心を占領した。
ぽつり、ぽつりと花が咲くみたいに、たくさんの思い出が点で浮かんできた。
パパとケンカして怒鳴られて、すねて口をきかなかったこと。
ママに頼まれたお手伝いを忘れて遊びに行ってしまって、帰ってきた夕方、
疲れた顔をしたママが黙々と手を動かしているのを
声もかけられずに物陰からみつめたこと。
美貴姉と焼肉の最後の一切れを取り合って負けて、大泣きしたこと。
パパが再婚するって言った日、アルバムをこっそり繰って見つめた
れいなを生んでくれたお母さんの写真。
ママが美貴姉を連れて北海道から嫁いできた夏の日の、灼けつく陽射し。
思い出は、どしゃぶりの夕立がアスファルトの地面を染めるみたいに、
あっというまに心を真っ黒に染め上げた。
全部、夢だったみたいだ。ううん、むしろ、今が夢みたい。悪い悪い夢。
いても立ってもいられなくなって、必死で叫んだ。
めりめりと音を立てて育つ悲しみの木に、心が壊されてしまう。
切らなくちゃ。切らなくちゃ。
その後のことは、覚えていない。

855 :Remember me :04/07/06 02:13
*******
れいなを客間に寝かせ、寝付くのを待ってから自分の部屋に引き取ったのが
午前3時を回っていたろうか。
しかし翌朝6時にはもう目が覚めた。
昨夜のことが幻のように感じられる。
しかし、火の気のない台所、散らかったままのリビングが
俺に現実を思い知らせた。
歯を磨きながら、ふと思い立ってヘアトニックの小瓶を捨てた。
コーヒーを淹れて、すすりながら考えた。
昨夜、小瓶を見てパニックにおちいったれいなのことだ。
ただ一声絶叫しながら、、一粒も涙はこぼしていなかった。
そのあとは放心したようにぐったりとしていた。
寝かしつけるのも、抱えて移動した。
ほんの中学生の肩にのしかかるにはあまりにも残酷な現実だ。
あの、糸の切れたような、うつろな瞳が脳裏に蘇る。

856 :Remember me :04/07/06 02:14
きい、とドアの開く音がした。
振り返ると、昨日の服装のままのれいなが立っていた。
「なんだ、まだ6時半だぞ。もう少し寝てな」
れいなはゆるく首を振った。
ダイニングの俺の向かいに掛ける。兄の定位置だった。
「コーヒー飲むか」
軽くうなずくのを確認し、キッチンに立った。
れいなに背を向け、カップを出しながら何気なく尋ねた。
「ミルクどうする?」
返事がないので不審に思って振り返ったのと、
れいなが喉元を押さえてイスをけるように立ち上がるのとが
ほとんど同時だった。がたんと音を立ててイスが倒れた。
真っ青になって、肩を大きく上下させている。
「どうした!」
あわてて駆け寄ると、れいなは何かを訴えるように俺を見つめた。
必死で口を動かしている。
くりかえし、同じ口の動きをしている。
》《》…
「こ、え、でな、い?」
れいなはがくがくとうなずいた。取り乱している。

857 :Remember me :04/07/06 02:14
息はできているようだ。そう確認すると、俺は妙に落ち着いた。
「息はできてるよな?」
こくんとうなずくれいな。
「じゃ、まずは大丈夫だ、おちつけ。声出そうとしなくていいから。
 どこか痛いところはあるか?」
れいなは首を横に振った。とりあえず、起こしたイスに掛けさせた。
「コーヒーにミルクいれるか?」
今度は縦。冷たい牛乳を熱いコーヒーと半々に入れてみた。
熱いのは飲みにくかろう。
手渡されたカップを口に運んで、れいなはきょとんとした。
すこし微笑んでこっちをみる。
ぬ、る、い
「…レンジであっためるか?」
これでいい、というように首を軽く振った。
ようやく、表情がすこしほぐれたようだった。

858 :Remember me :04/07/06 02:15
何もしゃべらず、二人でむかいあってゆっくりとコーヒーを飲んだ。
朝の光の中でようやくまじまじと見ることのできたれいなの姿は、
美貴さんとはあまり似ていなかった。
美貴さんはくりっとした丸い目をしていたが、れいなは切れ長の目だ。
美貴さんはふっくりした花びらのような唇をしていたが、
れいなの唇はよく整った形をしているものの、小作りで薄い。
だが、小柄で華奢な体型や、意志の強そうなまなざしは良く似ていた。
ふいに、激しい愛おしさの感情が心を揺さぶった。
絶対に、この運命に翻弄されている少女を守ってやりたい。
しかし、言葉にしたらとたんに軽薄な響きになりそうで、言えなかった。
飲み終えたカップを、れいなは手早く洗って片付けた。
ふたりとも食欲はなく、朝食はこれで終わりだった。
ふたたび俺の向かいに座ったれいなに、俺はあえて尋ねた。
「おまえの家から、今日のうちに着替えや何か取ってくるか?
 それとも今日は家に帰るか?」
れいなはふっと顔を曇らせた。
立ち上がり、めざとくメモ用紙とペンを見つけて戻ってきた。
かえらない
クセのある、イマドキの女の子らしい字だった。
「着替えは?」
取りに行くの、ついてきてくれんね?
「くれんね?」
わからない。と、怪訝そうな気配を察したようにれいなはその4文字をぐるぐる線で消した。
くれない?
そういうことか。西国訛りだ。うなずいてやった。
「警察の帰りによるか。それでいいな?」

39 :Remember me :04/07/07 01:48
日々はめまぐるしく過ぎていった。
れいなと美貴さんの祖父母は、父方も母方も亡くなっていて、
親戚づきあいもしていないようだった。
れいなはまったくの天涯孤独になったらしい。
もっとも、れいなと筆談のやり取りでは、
連れ子同士の再婚らしいれいなの父親と美貴さんの母親の
それぞれの親族の細かい消息まではつかめなかった。
れいな自身も良く知らないようだった。
葬儀は、6人の合同葬となった。
家の親戚と、美貴さんの父親の会社の人がずいぶん助けてくれた。
れいなは通夜も葬儀も、支度から片づけまで一通りこなす間、
片時も俺のそばを離れなかった。

41 :Remember me :04/07/07 01:48
あいかわらず、れいなの声は出なかった。
医者にも見せたが、極度のストレスによる一時的なものだろう、と言い、
対処の方法も特になさそうだった。一通りの診察のあと、その精神科医は
不眠気味だった俺とれいなにごくごく軽い睡眠薬を処方してくれた。
なんとなく、れいなは俺が引き取ることで決着がつきそうな雰囲気だった。
俺はれいなのことが気にかかって仕方なかったので、
できれば手元に置いておきたかったし、れいなの家族の縁者はといえば、
口のきけなくなった、もう中3にもなる娘を引き取ろうというほどに
親しく付き合っている人はいないようだった。
彼らには、俺がかろうじて成人し、就職していたことで、気兼ねなく
押し付けることができて、内心安堵していたような向きもあった。
そのことを責めるつもりはまるでなかった。
ややこしいことにならずれいなといられそうで、感謝したくらいだ。

42 :Remember me :04/07/07 01:49
葬儀や事故の処理に伴なうもろもろの雑事をこなし、その合間に
何度か往復して、当面必要そうなれいなの荷物を運び出した。
着替え、教科書やノートの類、CD、本。
兄の使っていた部屋の荷物を、両親の寝室にとりあえず押し込んで、
れいなの部屋にした。
泊り込んで葬儀を手伝ってくれた親戚も、3日ほど前に帰っていった。
奇妙な共同生活は、奇妙なりに十日を経てなんとか形がつきつつあった。
俺の会社の方は、両親の死でおりた7日の忌引きと有給を組み合わせて
いままで十日休んだので精一杯だった。
明日の日曜日を暦どおりに休んで、月曜日からは出勤しなくてはならない。
しかし、れいなの学校はどうしたものか。
ここいらで一度話をしなくてはなるまい。

43 :Remember me :04/07/07 01:49
れいなが作ってくれた夕食のメニューは、焼肉サラダとそうめんだった。
そう手の込んだものを作るわけではないが、
れいなの料理の腕前はなかなかのものだった。
俺がそうめんを一口すすり、焼肉を口に運ぶのをれいなはじっと見つめていた。
すこしだけ首をかしげて、口を動かした。
う、ま、
「うま、…あ? なに?」
わからない。れいな口元をじっとみつめた。れいなは何度もくりかえした。
しばらくしてようやくわかった。
う、ま、か?
「うまいよ。うん」
大きくうなずいて請け合うと、れいなは目じりをくしゃっとさせた。
そうやって笑うと、猫みたいな顔になる。
「れいなも食えよ」
そういうと、れいなは俺と同じようにそうめんを一口すすって、焼肉を口に入れた。
ぱっと笑顔が広がる。
味わって何度も何度も噛み、ようやく飲み込んでまた口を動かした。
う、ま、か
今度は自分の頬にグーにした手を当てているから、質問じゃなくて感想らしい。
ままごとのような食事風景だな、とそうめんをすすりながら考えた。
しかし、何はともあれ、食の細かったれいなが、食事を美味しそうに食べていることだけで
涙が出るほど嬉しかった。実際に泣きはしなかったが。

212 :Remember me :04/07/08 02:30
食事を終え、食器を片付けて(これは俺の仕事だ)から、
リビングのソファにかけてCDを聞いているれいなの横に座った。
「れいな」
 首をかしげて見上げてくる。
「おまえ、学校どうする? 今のところを転校しないでは済みそうなんだけど」
 眉間とあごのあたりにしわを寄せるようにして思案顔をした。
「くしゃみ寸前の猫みたいな顔」
 正直にコメントすると、腹のあたりにぽす、と軽いパンチのお返しがきた。猫パンチ?
 れいなは、このごろ肌身はなさず持ち歩いているペンと紙を出した。
行かなきゃダメ?
「まあ義務教育だからいずれは。あと10ヶ月くらいだろ」
声出よらんし
「う…ん。ま、担任の先生に聞いたら、夏休みまであと2週間くらいを休んでも、出席日数には
問題がないらしい。先生も、ゆっくり休んで、夏休み明けからでどうか、って」
 れいなは俺を見上げてにこっと笑い、軽くガッツポーズをつくった。
「学校嫌いなのか?」
 余計なことを聞いてみた。
先生や友達は好いとうよ。勉強が嫌いやけん
…正直なお答えで。
「俺は月曜から出勤だから、ひとりで留守番になるぞ」
とたんに表情が曇った。ぐるぐると、メモ用紙に線を書きなぐっている。
「しょうがないだろ、そうそう休めないよ」
そういうと、ふいっと立ってどこかに行ってしまった。
階段をとんとんと上る音、ばたんと戸がしまる音。
寝ることにしたのか、そのまま降りてくる気配はなかった。
やれやれ、本当に猫みたいなお嬢さんだ。何を考えているのやら。
風呂を済ませ、自分も寝ようと、れいなの…兄の部屋の隣の自室に引き取った。
れいなの部屋の電気は消えていた。

350 :Remember me :04/07/09 03:00
会社に行き始めて、二週間がたった。
一人で待っているれいなが気にかかって、俺はきっかり定時に退社し、家に直行する毎日だった。
不眠で相談に乗ってくれていた精神科医が理解のある人で、俺自身の急性ストレス後症候群の診断と
残業制限の診断書を書いてくれたため、社内のとがめだてはなかった。
昇進コースからは外れたかもしれない。
しかし、昇進や収入の増加に全く興味がもてなくなっていたのも事実だった。
れいなはいつも、食事を作って食べずに待っていてくれた。
学校にも行かず、さりとて散歩などに出るわけでもなく、
家事をしたり、本をよんだりして一日家の中で過しているようだった。
俺は、すこしずつ事故の前の日常に戻りつつあった。
しかし、れいなは全くそうではない、ということは認識はしていても
十分に理解をしていたわけではなかったのかもしれない。

351 :Remember me :04/07/09 03:01
その日は異様に寝苦しい夜だった。蒸し暑く、息苦しい。
浅い眠りの底で、いろいろな夢を見ていた気がする。
なにか、とても悲しい夢を見て目が覚めた。
窓の外はまだ暗かった。
日付はもう土曜日だが、明け方にはまだかなり間がある時間だった。
水でも飲もうと思って部屋を出たとき、
れいなの部屋からうなされるような声が聞こえるのに気がついた。
「れいな?」
ドアをそっと開け、ちかづいた。額に脂汗が浮き、苦悶するような表情だ。
食いしばった歯のあいだから、うめきがもれている。
「れいな」
見ていられなくて、ゆすって起こした。
あ…
目が覚めたれいなはぼんやりとベッドに掛けている俺を見た。
「どうした。具合でも悪いのか?」
こ、わ、い、ゆ、め
その5文字を理解するのにかけた時間がまどろっこしいように、
れいなは枕もとのペンをつかんだ。
こわいユメみた
「どんな…」
わすれた。何回もおきた。そのたびに外がマックラで、夜が明けない気がしてこわい
「今日だけか? 今までもそうだった?」
いつもそう
「睡眠薬飲まなかったのか?」

352 :Remember me :04/07/09 03:02
れいなはふとペンを止めた。じっと俺を見上げる。
だって、クスリのむとユメが見られない
「?」
ユメでもいいから、美貴姉にあいたかったとよ
れいなの目じりから、すっと涙がこぼれた。
美貴姉、いつも厳しいけどあったかくて、れいなの太陽やったけん、
 美貴姉がいたけん、れいな笑っておれたんよ。
 夜目が覚めると、このまま太陽がのぼらん気がしてこわい

れいなの涙は、あとからあとから頬を滑り落ちた。出会って初めて見る涙だった。
どこに神様はおると? 何で美貴姉はおらんと?
れいなは声もなく泣いていた。
かける言葉も見つからなくて、そっと髪を撫でた。
と、れいなは俺を振り仰ぐようにしてみた。
い、や》口を動かす。
「なにが?}
朝、おにーさんが会社行くの、いや。わがままやけん言っちゃいかんってわかっとうよ。
 やけど、毎日毎日、今日は帰ってこないかもしれないって思うの、いや

思わず、抱きしめていた。
「どこにも行かない。帰ってくるよ、毎日。
 れいなを置いてなんか行くものか」
本心からの言葉だった。でも、その言葉の空しさも知っていた。
美貴さんだって、れいなの両親だって、兄だって、俺の両親だって、
誰も何も、置いていくつもりなんかなかったのだから。
れいなは軽くもがくようにして俺の腕を逃れた。
や、く、そ、く
動く唇はそうよめた。

353 :Remember me :04/07/09 03:03
次の瞬間、ほとんどぶつけるようにしてれいなは唇を重ねてきた。
長い、長いキスだった。
唇を離したあとも、ずっとひざに彼女を抱えていた。子猫のように軽かった。
すこしずつ、すこしずつ、表情が和らいでくるのがわかった。
どのくらいそうしていたろうか、ほんのり笑って彼女はもう一度ペンを取った。
れいな、おにーさんの彼女になる。おヨメさんはまだむりだけどさ》 
誰が拒めたろうか。十近い年の差、世間の目などは、まったく意味のないことに思えた。
「ああ。ずっと一緒にいような」
今日、土曜日でしょ、デートしよ
「どこがいい?」
どこでも。ちゃんと約束して、デートもして、彼女になったら、
 お家で一人でも待てる気がする

それは、彼女の精一杯の強がりだったのだろう。
そして、強がってでも、生きていくしかなかったのだ。

700 :Remember me :04/07/11 00:35
アイスクリームのワゴンを指差して、れいなは俺の袖を引っ張った。
は、や、く
家から車で小一時間の、小さな遊園地に来ていた。
寝不足の身には、照りつける陽射しがこたえる。
しかし、れいなは呆れるほど元気いっぱいに走り回っていた。若さって奴か。
「わかった、わかったからひっぱるな」
そういうと、れいなはぱっと袖を離してかけだした。
振り向いて手を振ったのは、《先行ってるね》の意味だろう。
汗を拭き拭き追いついて、彼女の肩越しにワゴンを覗き込んだ。
「どれ?」
俺を見上げたれいなはぷるぷると首を振る。頬に指を当てて首をかしげた。
「俺はチョコミントにするけど」
れいなは、ショーケースのイチゴとチョコマーブルを交互に指差した。
もう一度首をかしげてこっちを見る。
「決めらんないのか。とろいなぁ」
グーにした手の腹ではたかれた。ますますもって猫パンチだ。
業を煮やして、注文してしまった。
「シングルのチョコミントと、ダブルのイチゴとチョコマーブル」
こっちを振り仰いだれいなの顔がぱっと明るくなった。

701 :Remember me :04/07/11 00:35
木陰のベンチでアイスを食べながら園内図を広げた。 
「あと乗ってないのどれだ?」
れいなの細い指が、俺のひざの上に広げた薄い多色刷りの紙の上をすべる。
トロッココースター、メリーゴーランド、観覧車。
「メリーゴーランドは一人で乗れよ」
どうして、というようにれいなは口を尖らせた。
「お馬さんがかわいそうだろうが、こんな大の男が乗ったんじゃ」
鞄の中に、飲み会で使って数枚フィルムの残っている使い捨てカメラがあるのを思い出した。
「代わりに写真撮ってやるよ」
たった今納得した。世の中のお父さんは、メリーゴーランドの白と金で塗りたくられた馬にまたがって
衆目の中くるくる回るという恥辱を避けるために、遊園地にことさらにカメラを持ってくるのだな。
案の定、メリーゴーランドの前に行ってみると、周りはカメラを構えたお父さんでいっぱいで、
列に並んでいるのはほとんど母親と子ども連れだった。
すこし不服そうにしていたれいなも、番が来て馬にまたがると、
顔中をほころばせてこっちに手を振った。
もちろんその瞬間は逃さなかった。
ゆっくりした一周を終えたれいなが駆け寄ってきた。
と、れ、た?
「ばっちり」
次に乗ったトロッココースターは、れいなのお気に入りになった。
なにせ、3回も乗せられたのだ。尋常ではない。
幼い頃、両親に連れてこられた思い出のある遊園地だった。れいなには言っていなかったが。
一つだけ、あの頃と違う発見をした。
幼稚園児だった俺が乗せられて大泣きしたコースターは、
もうあの頃の迫力と危険に満ちた魅力を持ってはいなかった。
ただ懐かしく、優しい乗り物になっていた。

702 :Remember me :04/07/11 00:36
20枚綴りのチケットをきっちり2枚だけ残して、れいなは俺の袖を引っ張って
観覧車の前まできた。列はさほど長くなく、すぐに乗る順番になった。
もぎりのおばさんは、れいなが差し出した二人分のチケットをちらっとみて言った。
「小学生は子ども券でいいんだよ」
「いえ、大人券なんです」
慌てて俺が言うと、れいなはふりかえってにぱっと笑った。
中学生なんですとは言ってやりたくなかった。”大人”券、なのだ。
おばさんはそれ以上追及せず、ゴンドラの扉を開けてくれた。
何年ぶりだろう。ゴンドラは、ずいぶん狭くなった気がした。
夏の長い日もようやく傾きかかって、よく晴れた空に浮かんだ雲を
わずかにオレンジに染めはじめていた。
れいなははしゃいで窓にへばりつき、小さくなっていく地上を見ている。
た、か、か、ね
こっちを振り向いたれいなにうなずいた。

703 :Remember me :04/07/11 00:37
ふいに、れいなはバッグからペンとメモを取り出した。
高かけど、雲はもっと高かね。きっと、天国はもっともっと高かね
「れいな…」
もう、ありがとうも通じんところにいってしまったとね
れいなはなおも書きつづけた。
そんだけ高かったら、きっと、れいなが地球のどこにいても、美貴姉はわかるたい
ぽたん、とメモにしずくが落ちた。
美貴姉も、パパもママも、れいなのこと、見とーと?
「きっと、見てるよ」
できるだけ力強く、うなずいた。
そんなら、
次の言葉を見て瞠目した。
おにーさんのパパもママも、お兄さんも、きっと見とうね、おにーさんのこと
ぼたぼたと手の甲にしずくが落ちて、自分が涙を流しているのに気がついた。
トロッココースターに家族4人で乗った日の歓声を、はっきり思い出した。
地上に戻るまで、十分だけは二人っきりたい。おにーさんも、泣いたらよか
れいなは最初の一滴しか涙を流さなかった。
かわりに柔らかい笑いを浮かべて、彼方の雲をじっと見つめていた。
ありがとうの代わりに、ずっと見ていてもらうたい、れいなが幸せになるのを

729 :Remember me :04/07/11 03:35
家へと向かう車中ずっと、れいなは、帰り際に遊園地の売店で買ってやった、
ガラス球のおもちゃを飽きもせず眺めていた。
観覧車の模型と、白くややきめの粗い粉が仕込んであって、
重みのある液体の中で、揺すると雪が舞うように粉が踊るのだ。
れいなは、自分の小遣いで、俺にブリキのホイッスルを買ってくれた。
首に下げていたそれを、助手席からつついて、渋滞待ちの俺にメモを見せた。
安物ではずかしか
「関係ないよ。れいながくれたんじゃないか」
本当は、おにーさんにこれ、と思ってたのに
ガラス球を揺すって見せた。
売店で、魅入られたように手にとって、立ち去れなくなっていたのだ。
たしかに、中学生のお小遣いにはすこし高いだろう。
記念に、と思って包んでもらうことにしたのだが。
「れいながもってたら、いつでも見られるだろ、一緒に住んでるんだから」
それもそうか
れいなはなおもガラス球を揺すったり、もてあそんだりしてためつすがめつしていたが、
そのうちくたびれたのか寝入ってしまった。
夕暮れの町を、もくもくと運転しながら、俺は静かに幸せな気分をかみ締めていた。
あんな出来事のたかだか三週間後で、こんな気分になれるなんて、思っても見なかった。

730 :Remember me :04/07/11 03:35
家に着いて、車庫入れしようとしたとき、ガレージの入り口をふさぐようにして
みなれない外車が止まっているのに気がついた。
誰だ。
軽くクラクションを鳴らそうとハンドルから手を離した瞬間に、こつこつと窓を叩く者がいた。
窓をおろすと、そのキャリアっぽい服装の女性はいきなり関西弁でまくし立てた。
「いや〜えらいすんませんね、いま車どけますし。このおうちの方ですやろ?」
助手席に目を留めた女性は、喜色のにじんだ声で続けた。
「れいな! やっと会えたわ、無事でよかった…」
「れいなの知り合いですか?」
怪訝そうな僕に、彼女はひらひらと片手を振って答えた。
「話せば長いんですわ。できればお宅に入れていただいてゆっくり」

942 :Remember me :04/07/12 02:10
女性は、中澤裕子と名乗った。手渡された名刺には弁護士とあった。
「うちのダンナの姉が、れいなの生みの親なんですわ」
マダムしゃべりなのではない。京都弁なのだ。
リビングのソファに向かい合って座った彼女は、第一印象よりもすこし若く見えた。
30代前半だろうか。
「はあ。…で?」
俺は身構えていた。ということは、れいなの叔父一家の代表としてこの人はきたわけだ。
「れいなぁ、ゆーこ姉ちゃんおぼえてるぅ?」
れいなは中澤さんの猫なで声に身を固くして、ソファの端に身を寄せた。
ふるふると首を横に振っている。
「無理もないわぁ、れいな赤ちゃんやったもんねぇ。
 みてみ、写真あるんやで」
中澤さんは手帳に挟んでいた一枚の古い写真を取り出した。
病院のベッドで、赤ん坊を抱いて微笑んでいる女性、
その両脇に関西系の派手な装いに身を包んだ若い男女が顔中を笑みでいっぱいにして写っている。
女性のほうはどうやら中澤さんで、ということはこの上沼恵美子似の男性が
れいなの母親の弟になるのだろう。
ベッドの背後の壁には、<命名:田中れいな>とかかれた半紙が貼ってある。
生まれた直後の写真らしい。
「ゼロか月の新生児に何を覚えていろというんですか」
おもわず突っ込んでしまった。
「このころはまだうちとつんくさんは婚約者同士でねぇ。きゃー懐かしいわぁ」
聞いちゃいない。
れいなを見やると、こくりとうなずいた。
このベッドの上の女性が、れいなの母親なのだ。

943 :Remember me :04/07/12 02:12
「うちが弁護士ってこともあって、田中さん…れいなのお父さんが再婚しはってからも
 法律関係の相談はうちが受けてたんよ。
 美貴ちゃんと新しいお母さんに遠慮してもっぱら外で会うてたし、れいなは知らんやろうけど。
 こんどのことはほんまに急で、れいなには本当につらい思いをさしてしまったなぁ」
中澤さんはしんみりと語りだした。
「田中さんの実家は福岡で、れいなもしばらく博多に住んでたやんな。
 いまの東京のおうちは借家やさかい明け渡さなあかんし、もう少ししたら荷物を整理して、
 博多の持ち家に送らんとあかんねやんか。寂しいけどなぁ。
 れいなまだ中学生やし、東京でも博多でも一人暮らしなんてもってのほかやけど、
 こうしていつまでも人様のうちにお世話になるわけにもいかんし、
 一番近い親戚のうちに来たらええ思うて、つんくさんもそう言うてくれてんねやんか。
 れいなが荷物の整理できたらいいんやけど、つらいこともあるやろうし、
 まずは相談しようと思ってきてみたんよ。
 …れいな、荷物、どうしたい?」
しんみりしているわりに、イヤに現実的な内容を口を挟む余地もなくまくし立てるあたり、
関西のオバちゃん…失礼、関西のお姉ちゃんらしさをぷんぷんさせている。
そして、俺の最も恐れていた内容が、そこには含まれていた。…れいなを、連れて行く?
れいなは絶句した。絶句したと言うか、まあいまだにしゃべれないわけなのだが。

944 :Remember me :04/07/12 02:12
俺はすこし身を乗り出した。
「中澤さん、れいながここにいること、誰からどういう風に聞いてますか?」
「事故の担当やった刑事に聞いたんよ。あの若いの。
 身よりもないし、家族無くした同士ってことで、あんたさんに引き取られたいうて」
刑事は肝心なことを伝えていなかったらしい。
「れいなは、事故のショックで、いま、しゃべることができないんです。
 医者は心理的な問題だろうって言ってます。体の問題は何もないと。
 安定した、落ち着ける環境、周囲の支えてやれる体制が必要なんだと言われました。
 どこにも行き場のなかったこいつが、今まででようやく、ここでの生活に慣れて、
 落ち着いてきたところなんです。この三週間で。
 それを急に引き取るとか、それがこいつにどういう意味を持つのか分かってやってもらえませんか」
中澤さんは瞠目してれいなを見た。
「れいな…いまあんたしゃべれへんの」
れいなは、ソファの隅っこに身を固くしてうずくまったまま、中澤さんを上目遣いに睨むようにして
こくりとうなずいた。メモを取り出し、大きな字で殴るように書き付けた。
どこにもいかない! ここにいるの
そのままぱたぱたと階段を駆け上り、部屋にこもってしまった。

81 :Remember me :04/07/12 20:06
ばん、というドアを閉める音に、階上を振り仰いでから、中澤さんは苦笑してこちらを見た。
「おこらしてしもたんやねぇ…そんなつもりやなかったんです。
 事情も知らんと、失礼しました」
「急なので、びっくりしただけだと思います。
 ただ、あんなふうですし、すぐに引き取るというのは…」
中澤さんは、やや薄い唇をきりっと結んでうなずいた。
「あの子の一番つらいときについててやっていただいたわけですから、
 こちらをれいなが本当に信頼して、居心地がいい場所だと思っているのがよく分かります。
 事故から三週間以上も、いえ、あの子にとっては十何年もほったらかして、
 急に親戚やなんて、びっくりしても不思議はないですし。
 あの子を見てよく分かりました。これからどうするかはゆっくり考えるにしても、
 当面はこちらにいさせてもらうように、主人にもうちから話して見ます」
俺は、中澤さんに気づかれないように細いため息を漏らした。
れいなを失うというのは、想像しただけで最悪の事態だった。
あいつなしでどうやって生きていったらいいのか分からないくらい、
れいなは俺の人生にしっかり根をおろしていた。悲しいほどはっきり思い知らされた。
中澤さんはまっすぐに俺を見た。
「それに、何よりもまず、せんならんことをうちは忘れてましたわ。
 ご両親とお兄さんに、お線香をあげさせてください」

82 :Remember me :04/07/12 20:07
案内した仏壇に焼香し、静かに手を合わせている中澤さんの横顔を見て、
この女性の別の一面を見た気がした。現実的に物事をまくし立てるばかりではないのだ。
実は、ささいなことにも心をくだく、かなり繊細な女性なのかもしれない。
リビングに戻って、コーヒーを挟んで再び向かい合った時には、なんとなく打ち解けた気分になっていた。
「ただ、れいなの家の荷物は、実のところ早く片付けんとあかんらしいんですわ。
 色々ある物件でして、うちもかけあったんやけど…」
中澤さんは再び現実的な話に戻った。
「あいつの荷物は、ある程度こっちに持ってきています。当面生活するには困らないはずです。
 ただ、その荷物の運び出しのときも、俺がついていったんですが、かなりつらそうでした。
 一時間といられないんです。いろいろ思い出すんだと思います」
俺が見ている前では、めったに泣かない娘だ。涙こそ見せなかったが、
できるだけ手早く作業しようとしていながら、ふと手が止まり、唇をかみしめる様子が痛々しかった。
「そしたら、まずやるかやらないかはあの子に決めさせます。やらんって言うようなら、
 家具なんかの大物は処分するにしても、形見になるような価値のあるものや、
 記念のものは、博多の持ち家に送ることにしようかと思います。
 それは、れいなにさせる場合でも、もとからうちがついててやるつもりでしたし、
 うちがしますわ」
たしかに、家族のものの処分だ。やはり、れいな自身の決断抜きには進められない話だろう。
「れいながいないと、話が進みませんね、呼んできます」

83 :Remember me :04/07/12 20:07
れいなの部屋は、日暮れたというのに明かりもつけず薄暗かった。
軽くノックした。
「れいな、入るぞ」
返事はなかったが、そっとドアを開けた。
れいなは、うなだれてベッドに掛けていた。
その隣に、なるべく静かに腰をおろした。ティッシュが散らかっている。
…泣いていたのか。
れいながそっとメモを差し出した。
メモは、何度も書きかけて消したかのように、ページが乱暴に破り取られたり
ぐるぐると塗りつぶされたりした跡があった。
おにーさん、れいなをあの人のうちにやっちゃうと?
首を横に振って、れいなの薄い肩をそっと抱き寄せた。
「れいなはここにいたらいいんだ。中澤さんもそう言ってくれてるよ」
れいなはぱっと顔をあげた。
薄暗がりに、花でも咲いたようにほのじろく顔が浮かんだ。
ほんと?
「ほんとだから。俺を置いて、どこにも行かないでくれよ」
わざと冗談めかして言うと、れいなは俺の腕にぎゅっとしがみついてうなずいた。
「れいなの今の家のことで、中澤さんがどうしても話したいことがあるって言うんだ。
 降りて来れるか?」
れいなは唇をかんですこし考えるようにしていたが、力強くうなずいて、立ち上がった。

84 :Remember me :04/07/12 20:08
れいなの家の片付けは、やはり中澤さんに任せることになった。
何にもいらんけん、捨ててしまって
「れいな…大事な思い出やないの」
思い出はここにあるけん
れいなは自分のタンクトップの薄い胸を指差した。
見ると悲しかよ。強く生きてく気持ちが折れるけん、見たくない
中澤さんはすこし微笑んでうなずいた。
「それやったら、私が判断して処分するわ。判断できひんものは、博多の家においとくし、
 れいなが十分大人になってから決めたらええし」
ごメイワクをかけますが、よろしくおねがいします。
 代わりに、ほかのお手伝いは何でもするけん

「そんな他人行儀なこといわんとって。これからも、うちはれいなの叔母さんなんやから」
れいなは関係ない、という風に首を振った。
人に迷惑をかけるかとか、そういうところはすごくしっかりした娘なのだ。
中澤さんも苦笑した。
「それやったらな、うちのお願い、一つだけ聞いてくれへん?」
れいなは何? というように首をかしげた。
「荷物の片づけの間、家を留守にせんならんやんか。
 うちにな、小学生の子が二人おんねん。二人っきりで留守番させるのは心配やし、
 れいなも夏休みやろ? ベビーシッターをしてほしいねん。
 バイト代はちゃんと出すし」
俺は慌てて口を挟んだ。
「関西ですか? れいなをひとりでやるのは…」
「ちがいます、今は東京に住んでるんですわ」
れいなはこくりとうなずいた。それでは足りないと思ったのか、丁寧な字で書いた。
バイト、したい。おねがいします

244 :Remember me :04/07/13 23:47
週が明けた月曜日から、れいなは中澤さんの家に通うようになった。
中学生が一人で電車に乗って通うことを考慮して、中澤さんはどんなに遅くても
5時までにはれいなが帰れるようにしてくれた。
小学生の子守りをするのは、れいなにはよい気分転換になっているようだった。
土日は休みにしてくれていたのだが、一週間、五日も通うと、ずいぶん表情が生き生きしてきた。
夕食後の雑談の話題は、もっぱら中澤さんの家でのことになった。
それでね、あいりちゃんもみやびちゃんも、いつもしっかりしてるのに、ケーキ作ってて
 レンジの中でモコモコ〜ってふくらんでくるのがすごくってびっくりしちゃって
 きゃーってなって〜

「みやびちゃんいくつだっけ」
小6?かなー? あいりちゃんが小4
れいなはせっせと二人の宿題のコピーを解きながら、筆談の手も忙しい。
「宿題どうしてれいながやるの?」
わかんないところだけ教えてあげるたい
すっかりお姉さんぶっている。美貴さんと二人姉妹だったから、妹ができたみたいで嬉しいのだろう。
毎日毎日、れいなが楽しそうにしているのは、嬉しかった。
しかし、心の隅には、どす黒いわだかまりができ始めていた。見ないように、見ないようにしていた。
俺以外の人間が、れいなをこんな風に楽しそうにさせている。
俺は、あの暗闇かられいなだけを頼りにして戻ってきたのに、れいなは俺のいないところでこんな風に笑っている。
そのことにどうしようもなく嫉妬し、寂しさと焦りを感じ、しかしその感情のあまりの身勝手さに呆れて
できるだけ表に出さないようにしていた。

245 :Remember me :04/07/13 23:48
れいなはなおも楽しげに宿題を解きつづけ、終わるとたっていってアイスティーを淹れてくれた。
来週の火曜日で、片づけが大体終わりそうやけん、
 バイトはそれまでやってゆーこさんが言っとったと

れいなはグラスを両手で挟むようにしてストローをくわえた。そのしぐさが妙に色っぽかった。
「そうしたら、ゆっくりできるな」
でもちょっとさみしか。
 おにーさんも会ってみてよ、二人ともとってもいい子。つんくさんゆーこさんも優しいし。
 ほんに楽しかよ。ずっと居たいくらい

その一言で、カチリ、と音を立てて心の奥底で何かが外れた。

246 :Remember me :04/07/13 23:49
「れいな…!」
ほとんどさらうようにして乱暴に抱き寄せた。
れいながテーブルに置きかけていたアイスティーのグラスが倒れ、床に静かに非定型の水溜りを広げた。
れいなは驚いたように目を見開き、床を指差して口を開けた。
構わず、その唇を唇でふさいだ。むさぼるようなキスだった。
離して、細い体をぎゅっとだきしめて耳元でささやいた。
「どこにも行かないでくれ、れいな、好きだ。好きなんだ」
れいなはいやいやをするように首を振った。
それから慌てて、困ったように俺の顔を見て、何度もうなずいた。
れいなが何を考えていて、どうしたいのか、さっぱり分からなくなっていた。
それが不安で、不安で仕方なかった。
れいなの全てが欲しかった。奪い取ってでも。
細い腕で力なく抗うのにかまわず、ソファに押し倒した。
深く口づけながら、白いブラウスの胸元をそっと撫でた。
れいなは首を振って、口づけを逃れた。
ブラウスのボタンに手をかけたとき、れいなの口から、叫びが漏れた。
「いや、おにーさん、いや!」
一月ぶりに聞くれいなの声だった。
その紅潮した切れ長の目じりから、すっと涙がこぼれた。
その瞬間、俺をどうしようもなく重い自己嫌悪が襲った。
あの夜以来のれいなの一言目を、こんな悲しい言葉にしてしまった。
それはまぎれもなく俺の罪だった。
「…ごめん」
顔を合わせていることができなかった。
「…おにーさん!」
れいなの声を背中に聞きながら、逃げるように俺は階段を駆け上がり、自室にこもった。

399 :Remember me :04/07/15 19:23
眠ることもできなくて、電気もつけないまま窓の外をぼんやり眺めていた。
何時間もそうしていた。
いろいろなイメージが頭をよぎった。
幼い日に父に連れられて歩いた河川敷の、真っ白く陽射しを照り返す舗道。
母が丹精こめていた庭の沈丁花が食卓に飾られた朝の強い香り。
兄が美貴さんを家に連れてきた日。
はじめて会ったれいなの、泣きはらした真っ赤な目。
刑事の前では一粒の涙もこぼさず、トイレにこもって泣いたのだそうだ。
れいなが作ってくれた数々のごはん。母とは違う、甘い目の味付け。
ソファの上に髪を乱して、涙を流しながら俺を見上げていたれいなの、
すがるような、おびえたようなまなざし。
後悔ばかりが押し寄せた。

400 :Remember me :04/07/15 19:24
言ってやれなかった言葉、おぼえていられなかった朧げな映像、
耳の底に柔らかな調子しか残っていない優しい声の語る内容。
大事なものはいつも、しっかり捕まえる前にこの腕から離れてしまう。
兄の笑顔も、母の笑い声も、父のクセだった人の頭に手を置く、その感触も、
なにもかも幻のようにまぶたの裏に浮かんで、しかし捉えようとすると
ゆらゆら壊れてしまった。
なぜ、あの一瞬、この一瞬、全てを大事に生きられないのか。
全てを記憶にとどめて、大事に抱えていられれば、
今日こんな風に抱えきれない不安をあのいたいけな少女にぶつけて、
なによりも無くしたくない信頼を壊してしまうこともなかった。
れいなは離れていかないと思っていた。根拠のない安心で、
あの事故以来、心に巣食った寄る辺ない気持ち、不確かな信じられなさを
覆い隠して、忘れて、見ないようにしていたのだ。
れいなを支えるなんてかっこつけて、
自分のことをごまかし、ごまかし生きてきたのだ。
こんな惨めな自分を、あの白い半月もわらっているのだろうか。
ひとりぼっちのれいなについていてやったなんて嘘だ。
俺が、俺自身が、どうしようもない孤独感をれいなに救われていた。
思考はイメージと自己嫌悪を反復した。
その往復運動の中で、しだいに、れいなに向かって心は収束していった。
れいなは泣き、笑い、怒り、振り返って手を振り、手を合わせて祈っていた。
やり直せるなら、取り戻せるなら、かなうなら。れいな。
れいなのことだけは、謝って、やり直したかった。
失ったものを取り戻したかった。

501 :Remember me :04/07/16 00:21
こつ…こん。
静かなノックの音におどろいて、時計を見た。午前二時を回っていた。
ドアを開けると、パジャマ姿のれいなが、本のようなものを抱えて立っていた。
謝る言葉をいくつもいくつも考えていた。なのに、本人を前にするとおかしいほど出てこなかった。
俺はうろたえて立ち尽くした。
れいなはそんな俺に構わず、腕の下をくぐるようにして室内に入り、本を床に置くと、
背中から俺の腰に腕を回した。
「おにーさん、れいな、しゃべれるようになったと!」
「れいな…その、さっきは…」
ごめん、という月並みな言葉しかどうしても浮かばなかった。
「怒ってないよ。おにーさんやけん。びっくりしただけ」
優しい、優しい言葉だった。
れいなの腕を捕らえて、できるだけそっと体を動かしてれいなと向き合った。
「れいな、ごめん。本当に。俺が悪かった。びっくりさせて、ごめん」
一度口にのぼると、言葉は次々とあふれた。
「違う。あやまらんで」
れいなは背伸びして、俺の口を自分の唇でふさいだ。
俺の首に腕を絡ませて、唇を離してささやいた。
「れいな、おにーさんのこと、好き。好きって言ってくれてうれしかったとよ」
俺はれいなの勢いに押されるようにして二歩ほど下がり、
ベッドに足があたってへたりと座り込んでしまった。
れいなはすかさず俺のひざに上がり込んだ。
「彼女なのに…れいなの方こそ、ごめん、かもしれんたい」
「おまえが謝ることなんかないよ」
俺が慌てて言うと、れいなはいたずらっぽくわらって俺の唇に指を当てた。
「じゃあこの話はもうなしたい」

502 :Remember me :04/07/16 00:22
俺の胴に腕を回して、しがみつくようにしてれいなは続けた。
「さっき、ぎゅってしてもらって、生きてるって初めて実感できたと。
 幸せになるはずだった美貴姉と、パパママだけ先に行かせて、
 一人だけ生き残ってる自分が、ずっと、ずっとつらかったと。
 それが、ああ、生きてる、生きてていいんだ、幸せになりたい!って
 心の底から思えたんよ。
 でも、おにーさんの目がつらそうで、ちゃんと伝えなきゃって思って、
 そんで、こうやって来たと」
れいなは相変わらず、子猫のように軽かった。
いとおしくて、それを伝えたくて、抱きかかえる腕にそっと力をいれた。
「人間らしく感じて、生きていたいけん、…」
語尾はささやくように小さくて、しかも衝撃的だった。
…おにーさんが欲しい。
「れいな、おまえ、それ…」
「わかっとうよ。れいな、子どもじゃない。わかっとうけん、そうしたい」
「だめだ、だって…まだ、ちゅ」
「子どもやないけん。
 …人間に、なりたいよ、私。人らしく感じて生きたい!
 ここを通らなくちゃ、どこにもいけん…」
れいなの決意は固かった。俺は、弱い人間なのかもしれない。
けれど、気持ちに嘘をつくことはできなかった。
れいなと、ほかならぬこの少女と、そうしたかったのだ。

できるかぎり優しくしようと努めたが、ときおりれいなは苦悶の表情を浮かべた。
俺が動きを止め、いたわると、れいなはきまって言った。
「痛いのも、生きてるって感じやけん、ぜんぶ、あじわいたい…」
命のおきを掻きたてるような、短く激しい時間だった。

505 :Remember me :04/07/16 00:22
汗ばんだ腕に、れいなの頭を載せて、行為の余韻にたゆたうように
よりそって寝転がっていた。
「おにーさん、すき」
こっちを向いたれいなが微笑んだ。
「好きだよ、れいな」
笑顔を返した。ほんのりと目のふちを染めた彼女は、たしかに女の顔をしていた。
「おにーさんに見せたいものがあるとよ」
れいなは起き上がってパジャマの上だけを身につけ、先ほど床に置いていた
本のようなものを取り上げた。
ベッドのふちに腰掛けたれいなを、後ろから抱きかかえるようにして肩越しに覗き込んだ。
2冊のアルバムだった。
「それ…」
れいなは硬い厚紙の表紙をいとおしそうに撫でた。
「思い出なんていらんと思っとったと。でも、昨日、中澤さんに渡されて、
 あの日以来初めて見たとよ。こんなに大事なものだったなんて、初めて知った。
 れいなは何もわかっとらんかったたい」

506 :Remember me :04/07/16 00:23
「こっちは、中澤さんが家から持ってきてくれたれいなの。
 こっちは、おにーさんのパパとママの部屋で見つけたおにーさんのたい」
れいなは、それぞれの一番最初のページを開いた。
登場人物や背景はすべて違うのに、判で押したようにそっくりな写真が貼ってあった。
赤ん坊のアップの写真。真っ赤な顔にしわを寄せて、泣いている。
そして、別の写真では、病院のベッドで赤ん坊を抱えた女性が微笑んでいる。
周囲にいる家族や親戚らしい人々も皆微笑んでいた。
れいなの写真のうち、一枚だけは見覚えがあった。中澤さんが初めて会った時見せてくれたものと同じだ。
「このページ、おにーさんのも、れいなのも、そっくりたい。
 こんなにみんな、生まれてきたことだけで、嬉しいって思ってくれたとね。
 それなのに、赤ちゃんは泣いとったとよ。
 きっと、今もそう。
 れいなも、おにーさんも、悲しくて、寂しくて、いっぱいつらい日を過ごしたけど、
 きっとパパもママも、おにーさんのパパとママも、美貴姉とお兄さんも、
 れいなとおにーさんが生きているだけで嬉しいって思ってくれてるはずたい。
 こんな風に、生まれてきたっちゃね。
 こんな風に、愛されとったちゃね。
 それはずっと、かわらないことたい」
「れいな…」
その言葉は、かわいた大地に雨が降るように、俺のひび割れた心にしみとおった。
ずっと、種のまま冬眠していた、心の一部分が、れいなの言葉の雨で
芽を噴き、確かに根をはって、ぐんぐんと育って、花開こうとしていた。
「離れても、かわらないよね? ずっとずっと、いつだって見ていてくれるから、
 ありがとうのかわりに、幸せになりたい」
「ああ、かわらない。離れても、変わらないよ。ずっと、れいなのことを愛してるんだ。みんなそうだ」
俺のことも、離れてもかわらずに、思っていてくれているのだろう。みんな、そうなのだ。

508 :Remember me :04/07/16 00:26
「れいなね、やっぱり、中澤さんのところに行こうと思う」
「どうして?」
驚くほど冷静にその言葉を聞けた。
「おにーさんとずっと一緒にいたいよ。だけど、いま、れいなはまだ一人前やないたい。
 おにーさんと対等にいたいの。そうでなきゃ、ずっと一緒にはいられないと思う。
 つんくさんとゆーこさんは、れいなのパパとママのかわりに、
 きちんとれいなを一人前にしてくれると思う。厳しくてあったかい人たちやけん。
 一人前になって、おにーさんのこと支えられるようになったら、
 れいな、そのときにもう一度、おにーさんに出会いたいの」
「決めたのか?」
れいなは、唇をきっとかみしめて、前方の闇を見据えた。
意思のある、ひとりの人間の目だった。
「ほんとはね、遊園地でスノーボール買ってもらったときから考えてた。
 一人前にならなくちゃ、一緒にはいられないって。
 このままいたら、甘えて何もできなくなる。
 れいながおにーさんにあげたい物を、自分の力でつかみ取れるようになりたい。
 おにーさんのそばにいて、おにーさんに笑えるようにしてもらうんじゃなくて、
 れいなからおにーさんに最高の笑顔をあげたいの。
 …でも、離れるのがこわくて、今日まで言えんかった。
 れいな、育ちたいとよ。焦って、ダメにしたくないけん」

509 :Remember me :04/07/16 00:26
なんて聡明な子だろうか。改めて、俺は自分の不明を恥じた。
「れいなが決めたことだ。れいなの思うとおりにすればいいよ。
 ただ、忘れないでくれ。俺はずっと、ずっとれいなが好きだ。
 戻ってきたれいなを支えられるように、俺も頑張るよ。
 だから、きっと、戻ってきて欲しい」
れいなは俺を振り返って微笑んだ。
「うん。離れるの、実は、すごく寂しかよ。
 恋人同士だもん、週末には時々会おうね。
 そうやって、ゆっくり、ゆっくり、大事なものを重ねていきたいっちゃ」
「そうだ」
俺はデスクの引出しから写真屋の紙袋を引っ張り出した。忘れていた。
「れいなのやつにはっとけよ」
メリーゴーランドの白馬の上で、微笑んで手を振るれいなの写真だった。

510 :Remember me :04/07/16 00:29
あの嵐のような日々から、5年がすぎた。

いらいらと腕時計の盤面を叩く俺を、雅ちゃんがくすくす笑ってからかった。
「逃げちゃったらどうします?」
「いや、それはないね」
自信たっぷりに言い返すと、雅ちゃんははじけるように笑い声を上げた。
ポケットの中で、さびかけたブリキのホイッスルを握り締めた。
「もう少しって、さっきパパが電話してきましたから」
とりなすように言うのは、しっかりものの愛理ちゃんだ。
ほどなくして、ばたん、とドアが開いた。
「ごめん、美容院で時間かかったけん、ぎりぎりになって…」
肩を上下させ、普段はしないアップスタイルの髪に白い花を飾ったれいなだ。
俺は立ち上がって人生最高の笑顔でウエディングドレス姿のれいなを迎え、その肩を抱いた。
「れいな、きれいだよ。…さあ、皆に、幸せを見せに行こう」
愛理ちゃんが、手に持っていたカメラを俺たちにむけた。
「れいなお姉さん、笑って! いいお顔はだーれ?」





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