晴れ雨のち好き
214 :晴れ雨のち好き :04/11/09 22:39
11月9日

事実、田中れいなは焦っていた。

誕生日まであと二日。
だが朝の食卓では、まだ「た」の時も聞こえない。
早起きをして、久しぶりに朝食を取っていると言うのに。
NHKのニュースの声と、父が新聞をめくる音。
そして母の誰のものへかわから無い相槌。
いつも通りの時間が今日も過ぎていく。

「お兄ちゃんは?」
素っ気なく母親に聞く。
「まだ起きてこないみたいねえ。
 これじゃ会社に遅刻しちゃうわ。」
慌てる気などさらさら無い返事。
その証拠に、母は兄のお茶碗に
大盛りのご飯をよそっている。

215 :晴れ雨のち好き :04/11/09 22:40
はぁ。
れいなのため息は誰に聞こえるでもなく消えていった。
兄は最近、仕事で忙しい。
毎朝バタバタと出て行き、夜遅くに帰って来てすぐ寝てしまう。
でも・・・・・・。
だからと言って、可愛い妹の誕生日を忘れるなんて
絶対に許すことは出来ない。

年の離れた兄はれいなのちょっとした自慢だった。
そんなに格好の良いほうではないが
真面目で誰にでも優しかった。
誕生日はそんな兄に存分に甘えることの出来る
特別な日だった。
だが・・・・・・。

216 :晴れ雨のち好き :04/11/09 22:40
バタバタバタバタ・・・・・・
けたたましい音が二階から聞こえてきた。
「母さん、朝飯!!」
よれたワイシャツに袖を通しながら、
兄が食卓に駆け込んできた。

無精ひげが少し伸びたあご。
起きたばかりですと言わんばかりの髪の毛。
ちょっとした自慢だった兄は、
最近はこんな姿を見せることが多い。
正直、もう少し身だしなみに気をつかって欲しい。

217 :晴れ雨のち好き :04/11/09 22:41
「れいな」
突然の呼びかけ。
「ん?」
不意の呼びかけに、胸の期待を隠すこともなく
笑顔で兄の顔を見てしまう。

「髪はねてるぞ。
 そんなんじゃ彼氏に笑われっぞ。」
デリカシーもなくそんな事を言うと、
兄は味噌汁を一気に飲み干した。

「・・・・・・。」
「ん?どうした?」
兄は立ったまま、目玉焼きを口に押し込んでいる。
本当になにも、気付いていないらしい。
「余計なお世話たい!!」
怒りに震え、食卓に向かう。
もう兄のほうなど見ない。見るものか。

218 :晴れ雨のち好き :04/11/09 22:42
「そんなに怒るなって。
 それじゃ行ってきます。」
笑いながらそう言うと、
兄は玄関を出て自転車に飛び乗った。

「あらあら、もう少しゆっくりすれば良いのに。」
母の声だけがのん気な朝の食卓。
「・・・天気は明日から下り坂に向かうでしょう。
 以上、今朝の天気の時間でした。」
天候すら、れいなの誕生日を祝う気はないらしい。

はぁ。
小さなため息とともに、れいなは目玉焼きの黄身を潰した。

248 :晴れ雨のち好き :04/11/10 23:52
11月10日

「れいな、明日の誕生日どうする?」
そんなさりげない一言に
れいなは思わず泣きそうになってしまった。
「さゆ・・・ありがと。」
「ありがとじゃなくて、どこに行くか決めようよ。
 そうだ、絵里も誘おうよ。」
道重さゆみはあくまでマイペースだ。

曇った窓からは雨の校庭が見える。
11月の空気は肌寒いが、雪に変わるほどの温度ではない。
「でも実力テストも近いけん・・・・・・。」
れいなもさゆみも中学3年生。
受験直前のこの時期、毎月のようにテストがある。

今月のテストは11月12日。つまり今週末。
平成1年11月11日。
1が並ぶこの誕生日がれいなは大好きだった。
でも・・・・・・。
今年はあまり好きじゃない。
テスト前日。雨。すっかり忘れているお兄ちゃん。
全然好きじゃない。

249 :晴れ雨のち好き :04/11/10 23:52
「大丈夫!!どうせテストなんて出来ないし!」
さゆみの開き直りは、むしろ潔い。
確かにさゆみのテストの点は、
れいなに負けず劣らず酷いものだった。

「カラオケにでもいこ。
 それなら良いでしょ?」
その一言で明日の予定は決定した。
もうお兄ちゃんなんて知らない。
思い切り歌ってすっきりして、
暖かい紅茶を飲んでケーキでも食べよう。

きーんこーんかーんこーん・・・・・・
間延びしたチャイムが、二人の会話を打ち切った。
「いけない、そろそろ戻らなくっちゃ。
 それじゃまたあとでね、れいな!」
そう言うとさゆみはパタパタと教室に戻っていった。
さゆみが去ると、急に雨の音が気になり始めた。
空を見上げる。
暫くは止みそうに無い、限りなく黒に近い紺色だった。

250 :晴れ雨のち好き :04/11/10 23:53
今週は掃除当番。ついてない。
しかも北側の階段。滅茶苦茶冷える。
れいなは不機嫌な顔をしながら
リノリウムの床をせっせと掃いていた。
一刻も早く、この寒い牢獄から抜け出すために。

「あの・・・」
おずおずとした声。
「ん?なんか用?」
自然、答える声がきつくなってしまう。
自分でもそれに気付き、れいなは改めて返事をした。

「どうかしたと?佐藤君」
同じ班の佐藤君。
席がれいなの斜め後ろ。
掃除では一緒だけど、それだけの仲。
勉強は可もなく不可もなく。運動は不可に近い。
少なくともれいなの認識では、それだけだった。

251 :晴れ雨のち好き :04/11/10 23:53
「えっと・・・明日なんだけど・・・」
ドキン。心臓が高鳴るのを感じる。
「え?明日?」
「明日なんだけど・・・誕生日だよね?」
踊り場には二人の他には誰もいない。
さっきまであんなに広く感じていた踊り場が、
今は何故かとても狭く感じられた。

「うん、そうじゃけん・・・」
少し照れながら答えるれいな。
「そ、そう。おめでとう!」
1オクターブ高い声でこたえる佐藤。
どこか白々しい会話はすぐに沈黙に変わった。

252 :晴れ雨のち好き :04/11/10 23:53
「・・・それじゃあとは僕がやっとくよ」
沈黙を破ったのは佐藤だった。
早口でそう言うと、せっせと掃除を再開した。
「え、いいって。れいなもやるけん」

「ううん、良いから。誕生日プレゼント」
佐藤はちょっときざっぽく、
でも目を合わせずにこたえた。
「・・・・・・ありがと。それじゃ先に帰るけん」
れいはなその言葉に甘えることにした。

そう言えば今朝、ちゃんと寝癖直してきたっけ?
階段を上がる時になって、
そんなことが急に気になった。
気恥ずかしくなったれいなは駆け足で階段を上った。
乾いた上履きの音が湿った廊下に響いた。

273 :晴れ雨のち好き :04/11/11 21:58
11月11日

授業の終了を告げる鐘が鳴る。
「それじゃ、明日のテストは各自頑張るように!!」
担任の中澤はそう言い残すと意気揚々と教室を出て行った。
入れ替わるように、さゆみと絵里が教室に入ってくる。

「誕生日おめでと!」
見ている方まで幸せになるような、
満面の絵里の笑顔。
「うん、ありがと!」

そんなやり取りを待っていられないとばかりに
「二人とも、早くいこ!」
さゆみが絵里とれいなの手を引っ張った。
笑いながら教室を出て行くその背中に、
れいなは確かに視線を感じた。
視線の主はわかっていた。
でもれいなは振り返らなかった。

274 :晴れ雨のち好き :04/11/11 21:58
下駄箱の前では、雨を含んだ風が吹いていた。
さゆみと絵里のクラスの下駄箱は、隣の列だ。
二人と別れたれいなは、
いつものように靴を取り出そうと木の扉を開け、
そこに見慣れない小箱と手紙を見つけた。
箱はピンクの紙で綺麗にラッピングされていた。

胸に引っかかるものを感じながら、
れいなはそっと手紙を取り出した。
洒落たポストカードの端には「佐藤」の名前が書いてあった。
汚いが、丁寧な文字だった。

「れいな、なにやってるの?」
後ろから絵里に話しかけられ、
慌ててポストカードと小箱をかばんに放り込んだ。

「ううん、なんでもなか。早くいこ!」
靴を乱暴に取り出し、足を押し込むように履く。
かばんの中、包装が少し破れた小箱が見えた。
胸の奥がチクリと痛んだ。
その痛みを隠すように、れいなは思い切り傘を広げた。

275 :晴れ雨のち好き :04/11/11 21:59
「ただいま〜」
家に帰ったのは7時を過ぎていた。
結局あれから3時間もカラオケで歌い、
ケーキを平らげてから帰ってきた。
さゆみと絵里はプレゼントを持ってきてくれた。
可愛いハンカチと、良い香りのする入浴剤だった。

「おかえりなさい、ご馳走出来てるわよ」
「ありがと。もうれいな、おなかぺこぺこたい!」
そう言いながら、食卓を覗き込む。
テーブルでは大きなチキンと、
新聞を読んでいる父が食事の時間を待っていた。

「ごめんね、お兄ちゃん今日はちょっと・・・」
申し訳なさそうに母が説明する。
「お仕事大変だから、しょうがなか」
笑顔で答えたつもりだったが、
落胆を隠しきれた自信は無かった。
父はちらとれいなを横目で見て、
一つ咳払いをするとまた新聞に目を戻した。

「制服濡れちゃったけん、着替えてくると」
言い残し、れいなは自分の部屋に向かった。
「お兄ちゃんの馬鹿・・・」
誰もいない薄暗い二階の廊下、れいなは一人呟いた。

276 :晴れ雨のち好き :04/11/11 22:00
「ごちそうさま」
頃合を見て、れいなは席を立った。
「れいな、もういいの?」
「うん、ちょっと勉強もせんと。明日テストだし」
そう言うと、母は長くは引き止めなかった。
「れいな・・・頑張れよ」
「ありがと、父さん」
ほろ酔い気分の父に礼をし、
れいなは階段を上がった。

「お兄ちゃんの馬鹿・・・」
部屋の扉を閉じ、れいなは呟いた。
結局兄は帰ってこなかった。
時計の針は8時を優に回っている。
そろそろ付け焼刃でも勉強をしておかないと、
明日のテストがとんでもない事になってしまう。

かばんを開け、中身を取り出す。
絵里からのプレゼント、さゆみからのプレゼント、
そして・・・・・・佐藤からの手紙とプレゼント。
まだ封も開けていない小箱と手紙。
れいなはそれを机の上に並べた。

277 :晴れ雨のち好き :04/11/11 22:00
「お兄ちゃん、私のことなんてどうでもいいのかな・・・・・・」
箱を指先で突付きながら、兄の事を考える。
いくら忙しくっても、れいなの誕生日は祝ってくれた。
でも・・・・・・もうそんな年でもないのかな。
れいなも、お兄ちゃんも。

「彼氏に笑われっぞ」
一昨日の兄の言葉が急に思い出される。
「彼氏・・・か」
この箱には誕生日のプレゼントが入っているはずだ。
手紙の内容も、大体はわかる。

読みたくないという気持ちはどこから来るのだろう。
佐藤のことは好きでもない。
でも、好意を持ってもらえるなら素直に嬉しい。
そんなに悪い奴じゃないと思うし・・・
付き合ってもいいかもしれない。

278 :晴れ雨のち好き :04/11/11 22:00
理屈でそう考えても、
やっぱり封を開けられない。
頭に浮かんでくるのは・・・・・・。
いや、もう悩むのはやめよう。
れいなは教科書とノートを広げた。
そう、今は悩んでいる時間は無い。

ノートにペンを走らせる。
でも、頭の中は忙しく他の事を考えている。
お兄ちゃんのバカ。
バカバカ。
バカバカバカバカ・・・
・・・・・・

279 :晴れ雨のち好き :04/11/11 22:01
雨が窓を叩く音に目を覚ました。
時計を見る。もう12時直前だ。
勉強を始めてすぐに寝てしまったらしい。

まだぼんやりとしている頭に、
自転車のブレーキの音が響いた。
続いて、家の門が開けられる音。
かなり急いでいる様子だ。

ドアが開き、静まった家に聞きなれた声が響いた。
「母さん、れいなは?」
お兄ちゃんだ。息がリズミカルに弾んでいる。
「部屋よ。まだ勉強してるんじゃないかしら?」
母ののんびりとした返事を待たず、
兄は階段を小走りで上がってきた。
れいなは慌てて小箱と手紙を胸に抱え、
そのまま寝たフリをした。

ドアが静かにノックされる。
「れいな・・・?」
兄の声。返事は無い。
もう一度静かにノックされたあと、
ドアは静かにゆっくりと開いた。

280 :晴れ雨のち好き :04/11/11 22:02
「・・・風邪ひくぞ」
囁くような声で話しかけてくる兄。
目を瞑ったまま、れいなは答えなかった。
なんと言えば良いかわからなかった。
それに、何か喋ったら泣き出してしまいそうだった。

背中に暖かい半纏がかけられた。
「ごめんな、誕生日なのに遅れちゃって」
わかってる。
今日に間に合うように、全力で帰ってきてくれたんだ。
「これ・・・似合わないかもしれないけど」
れいなの首に、一瞬冷たい手が触れ、
そして暖かいマフラーが巻かれた。
雨の中走ってきたにもかかわらず、
マフラーは少しも濡れていなかった。

「それじゃ・・・誕生日、おめでとう」
部屋をそっと出て行く兄。
「お兄ちゃん・・・・・・」
呟くような声に驚いたのはれいなだった。
「ん?」
少しの沈黙が続く。
嬉しくて、それ以上は言葉にならなかった。

「・・・おやすみ、れいな」
兄はそんな様子に気付いたのか気付かなかったのか。
れいなにはわからなかった。

300 :晴れ雨のち好き :04/11/12 09:51
11月12日

事実、道重さゆみは焦っていた。

昨日は遊び過ぎた。
3人で3時間も歌ったにもかかわらず、
まだまだ歌い足りなかった。
お姉ちゃんとカラオケに再び遊びにいき、
帰った時には夜の10時を過ぎていた。

早起きして勉強しようという目論見は
睡魔の前に見事に失敗した。
今日も遅刻ギリギリの時間に起き、
いつもの通学路をバタバタと駆けている。

幸い今日は快晴だ。
雨の中走るよりは幾分マシな朝のマラソンだった。

301 :晴れ雨のち好き :04/11/12 09:52
「あ、れいなおはよ!!」
見慣れた背中を見つけ、ポンと叩く。
「さゆ、おはよ!」
なにか良いことがあったのだろうか。
れいなはてひひと笑っている。

「・・・わかった!そのマフラーだ!」
さゆみが指差すと、
れいなは嬉しそうに赤いマフラーを振った。
「ねえ、これ可愛くない?」
「可愛い可愛い。どうしたのそれ?」

興味津々で尋ねるさゆみ。
「ひょっとしてそれ・・・」
「てひひひひ・・・秘密ったい!!」
そう答えると、れいなは走り出した。
「ちょっと待ってよ〜」

二人の笑い声が秋の空に消えていった。

おわり



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