遠き明日〜第二部〜
209 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/02 02:04

決まった時間に眼が覚める。相変わらず、あの夢は続いている。
叫び声を上げる事は無くなったが、体が汗にまみれている。
消したくとも消せない記憶・・・そして過去の事実・・・・・

カーテンを開け、外を眺める。
穏やかな天気。今日も、一日が始まる。
俺は思う。こうして毎日を過ごす資格が俺にあるのだろうか?
生きている価値などあるのだろうか?答えは見つかりはしない。
自問自答の日々は、塀の中でも何年も続けてきたことだ。

俺は、台所に行き、薬缶に湯を沸かす準備をした。
ちょうど湯が沸く頃に、れいなが隣の部屋から起きてきた。
「おはよう」
俺は頷き返した。
れいなの朝も早い。二人でとる朝食。俺にしてみれば、不思議な感覚だ。
こんな朝を迎えるようになり、2週間が経っていた。
「まだ2週間・・・もう2週間・・・」呟いていた。
「ん?何て?」
「いや・・・」
「へんなの。独り言が癖になったみたいだね」
れいなが笑う。

れいなの自然な笑顔。
一瞬、昔のれいなの仏頂面を思い出した。
何気ない事で、多くの時間が過ぎたことを感じる。
朝食が終わると、れいなは慌しく出かけていく。
「今日も遅いと思うから、夕飯は先にすませてて。じゃあ、行って来るね!」
軽く手を振り、部屋を飛び出していく。
俺は、玄関前の通路から、れいなの姿が見えなくなるまで眺める。

煙草に火をつけ、考える。
今日をどうやって過ごそうか。職安にでも行ってみるか。
リハビリ期間は終わりだ。自分に声をかけた。

210 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/02 02:18

1LDKのアパート。れいなの家。俺はあの日から、そこで暮らしている。
住み込みの仕事があれば一番いいのだが・・・
れいなは、それを聞いたら怒るだろう。
俺を迎えるため、それまでの住み込みから、わざわざ部屋を借りてくれていたのだ。
ちょっと奮発しちゃった。嬉しそうに笑ったれいな。

けれど、俺の中には、どうしてもれいなの気持ちを受けてはいけない、という思いがあった。
感謝もしている。
現に、れいなが迎えてくれなければ、今頃は宿無し・金無しの身だ。
いきつくとこは想像がつく。
でも、同じ世界に生きるわけにはいかない・・・そんな気持ちと現状の狭間で、俺はモヤモヤしたままだった。
俺は、軽く頭をふって、職安へとむかった。

れいなは開店の準備に追われながらも、心が躍っていた。
この2週間、今までと違い、何もかもが幸せに感じられた。
ずっと、あの7年前の事件から、この日だけを待ち続けて生きてきた。
いつか、何かが報われると信じて、負けるなよ、その言葉だけを胸にがむしゃらに進んだ。

美容室の住み込みとして働いてきた。
事件の関係者ということがばれて、追い出されたこともある。
暗い・無愛想・うざい・ガキ・生意気・・・・・
ありとあらゆる嫌がらせも先輩達からされたし、散々苛められもした。
耐えることには慣れていた。
幼い頃の傷に比べたら、何とも思わなかった。
それに・・・いつか○○が出所した時に、成長した自分を見せたい。
そして、いつかのお礼をしたい。その思いがあったから、苛めなど苦にならなかった。

211 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/02 02:29

感謝の気持ちが憧れになり、れいなにとっての初めての恋になるのには、そう時間はかからなかった。
その日の為に、時間をおしんで働き、勉強した。一日でも早く、仕事を身につけ、少しでも稼げるようになりたかった。

ようやくその努力が実を結び始めていた。
初めて感じる本当の幸せ。
自然と、心が躍る。
「頑張らないと・・・ね・・・」
れいなは自分に言い聞かせた。

職安には、多くの人が仕事を求めて来ていた。
急に、不安感が襲ってきた。
この俺を受け入れてくれる会社や仕事場などあるのだろうか・・・・・
しばらくはリハビリ期間だと思ってのんびりしないと。大丈夫。
○○一人くらい、私が食べさせてあげるから、ね!体をこの社会に馴染ませないと・・・・・
そんなれいなの言葉が頭に浮かんだ。
「ヒモじゃねーか・・・元受刑者のヒモ男・・・か・・・」

俺は、掲示板を端から見ていくことにした。
どうしても確かめなくてはならないこともある。
これは願いでもあり、俺にとっては、しなくてはならないけじめだ。
彼女の笑顔が浮かぶ・・・あの日のままの姿。
今はきっと、すっかり女になっているだろう。笑顔は取り戻しただろうか・・・・・

「・・・・・愛・・・・・」
やはり独り言が癖になったようだった・・・・・

24 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/03 01:23

職安に通う毎日。朝一番に行き、片っ端から仕事を探す。
目ぼしいものがあれば、業種は問わない。
とにかく、次々と電話をしてみる。
情けないことに、この公衆電話代もれいなに貰ってる金から出している。
携帯電話は持ってない。
かける知人もいないし、かかってくる用件も無い。
だから必要ない。

仕事は、思うように見つからない。
不況。いつの間にか、それが当たり前になっているようだ。
こんな時にも、過ぎてしまった時間を感じる。
「・・・分かりました。はい、どうもすみませんでした」
電話の向こうの担当者は、早く電話をきりたがっているようだった。
俺は、電話ボックスをあとにした。
空を見上げる。暑さが、体に、心に染みこんで来る。

れいなは、髪をカットしながら、ふと思った。
そうだ、○○の髪もカットしてあげよう。
鋏を動かす手も、自然とリズミカルになる。
この7年耐えてきたことを苦労とは思わない。
ただ、○○と暮らせたら、してみたいこと、やりたいこと、沢山あった。
些細なことだ。
一緒に買い物に行きたい。二人で食事したい。街を歩きたい・・・・・

どんなことでもよかった。
○○にも、自分にも、同じ世代が当たり前のようにしているであろう事が、この7年、いや、ずっと昔から欠けていると思う。
贅沢はしなくていい。平凡な事を、一度でいいからしてみたい。
そんな事を思っていた。
「お客様、シャンプー入ります!」
声にも、ハリが出た。
そして、笑顔も自然と出ていた。

25 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/03 01:36

「れいな、最近きれいになったんじゃない?誰かいい人できた?」
店長から、店じまいの作業をしていると、そう声をかけられた。
「そんなのじゃないですよ〜」
「ほんとにー?あやしいなぁ。ま、プライベートだから立ち入らないでおくか。昔みたく、睨まれたら怖いしな」
店長は笑う。
れいなも、照れくさくて笑った。

こんな風に、他の人と接せるようになるとは思いもしなかった。
冬の寒さに耐え続け、ひたすら春の日を待ち続けた小さな花の蕾。
幸せ、という名の花の蕾。それが、ようやく花を開きかけていた。
この花を、枯れさせたらいけない。
もしもその花が枯れてしまったら、きっとわたしは・・・・・れいなは、そんな事を感じた。

「じゃあ、私はお先に」店長が言う。
「あ、はい、お疲れ様でした!!」
れいなはお辞儀した。
「れいな、来月から、サブチーフになってもらうから。よろしく頼むわよ。じゃ、おつかれ!」
店長は、軽く手を上げ、帰っていった。

ほうきを持ったまま、れいなはしばらく立っていた。
自分が、サブチーフ・・・
嬉しさがじわじわとこみ上げてくる。何かが、確実に少しずつ報われている。
「やった・・・やったやった・・・」
今日は、ケーキでも買って帰ろう。○○と一緒に、お祝いしたい。
れいなの心が弾んだ。

幸せの花・・・・・れいなは何度も呟きながら、ほうきをかけ続けた。

26 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/03 01:51

夏が終わろうとしている。
猛烈な暑さが続いた日々も、最近では、秋の匂いが漂うようになってきていた。
相変わらず、職安に通う日々が続いている。
何度か面接までいった所もあった。けれど・・・・・

空白の7年間は、あまりにも大きな壁だった。
そして、中には、俺が受刑者だったということが分かると、玄関先に塩を撒いた会社もあった。
そうだ、あそこの会社は、ほとんど採用が決まりかけてたんだっけ・・・・・

だんだんと、居場所がなくなっていく気がしていた。
そして、相変わらずの夢に起こされる毎日。
心のどこかが、少しずつ崩れていく感じがした。
もともと、7年前のあの日に壊れてしまってはいるのに、それでもなお壊れる感じがした。

今日も何も見つからず、俺は公園のベンチに座り、なんとなく煙草をふかしていた。
れいなは、サブチーフになり、今まで以上に忙しくなった。そして、張り切っていた。
何かに燃えている人の輝きを見た気がした。
それは素敵な輝きで、眩しいくらいで、俺は、そんなれいなを見るのが嬉しかった。
でも、同時に、俺だけが世界の誰からも、何処からも、ただ一人、置いていかれた気になったりもした。

親父さん、源さん、バトゥ、そして愛。
次々と顔が浮かんでは消えていく。
皆、どこかでこの夏の終わりを感じているのだろうか?
孤独に怯えてはいないだろうか?
居場所を見つけてるんだろうか?
俺は、そんなことを思いながら、日が落ちても、ベンチを動くことができなかった。
そして、初秋の風を感じたんだ。

43 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/03 18:36

バトゥが目の前にいる。
元気だったか?夢だった両親への家のプレゼントは叶ったか?
「アナタノセイネ。ゼンブアナタガワルイ!ボクノユメヲカエシテヨ!カエセ!」
俺にバトゥが唾を吐きかけた。返す言葉も無い。
源さんは何も言わない。ただ、俺を一瞥しただけで、去っていった。
源さん!お願いだ、何でもいい、何か言ってくれよ!
源さんは、気だるそうに手を振り、振り返ることも無く去った。

親父さん・・・俺は言葉が出ない。
親父さんは、お前がみなの人生を踏みにじった。
そう呟いただけだった。頭を、鈍器で殴られたような感じだった。
愛が俺を見ている。
愛、俺は・・・・・
私の人生を返してよ!私達の暮らしを返してよ!!
あんたなんか、生きてる価値も無いわ。・・・・・
あんたが死ねばよかったのに・・・・・

愛の憎悪に満ちた視線が俺を貫いた。
俺は、言葉も出ず、どうすることもできず、ひたすら罵声をあび続けていた。
ショックで、体が動かない。
愛が言った。一生あなたを許さないから・・・・・冷え切った氷のように冷たい口調。
俺の心を砕いた。・・・・・何かが散った・・・・・

そして、冷たく、重く、どこまでも暗い漆黒の闇が、俺の全身を包み込んでいった。
俺は、ただひたすら、その闇の中に堕ちていった・・・・・

48 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/03 23:20

激しく体が揺さぶられる。
闇に堕ちる感覚。愛の声が響き渡る・・・・・

「うわぁぁぁぁぁっ!!!」
飛び起きていた。呼吸が荒い。
「○○!?○○!?」
眼の前にはれいなの心配そうな顔。いつもの見慣れた部屋。
「・・・くそっ・・・あぁっ!くそっ!!・・・・・」
「大丈夫?随分ひどくうなされてたから、心配で・・・」
「あぁ・・・悪かったな、起こしちゃって・・・ちょっと、風呂で汗流してくる」
俺は、重い体を起こし、風呂場に向かった。

れいなは、風呂場に向かう○○の後姿を見つめた。
最近、以前よりもひどくうなされる事が多くなったように思う。心配だった。
○○がリビング、れいなは隣の部屋で寝ている。
その自分の所にまで、声は聞こえてくる。
それよりも、今、れいなの心の中に一つの不安が残った。

「・・・愛・・・愛・・・」
確かに、○○はそう呟いていた。夢の中で、苦しそうに。
○○の昔の気持ちには気づいていたが、もう過去のものだと思いたかった。
忘れられないのだろうか・・・・・今でも本当は愛のことが・・・・・
れいなの心に一つの影が差し込んだ。そんな影を振り払いたかった。
仕事が見つかって落ち着いたら、きっと変わる。新しい生活が本当に始まる筈。
その時こそ、自分の事を振り向いてくれるのではないか?
いや、振り向かせてみせる。

「頑張らないと・・・負けたら幸せは逃げちゃうもんね・・・」
れいなは、ゆっくりとカーテンを開けた。
まだ、夜はあけていない。

49 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/03 23:32

れいなの久々の休日。俺は、以前から頼みごとをしていた。
源さんの家に案内してもらう。
れいなに、源さんの事を聞いたとき、随分会ってないが、家は知っていると言われた。
あの事件の後、源さんがれいなの事を何かと気遣い、助けてくれたのだと聞いた。
せめて一言、謝りたかった。

「たしかこの近くなんだけど・・・」
れいなの後ろをついていく。
れいなは、きょろきょろと周囲を見回している。
「あ、あそこ!あのアパートがそう。引っ越してはいない筈なんだけど・・・」

木造のかなりくたびれた感じのアパート。
昔は外見には似合わない小洒落た所に暮らしていたのだが・・・・・
アパートは二階建てで、源の家は一階の一番奥。
表札を確かめる。
確かに、源さんの名前のプレートだ。
「ノックするよ、いい?」俺は頷き返した。

少しすると、中から返事が聞こえた。
間違いなく、源さんの声だ。
一瞬にして、緊張や不安や、様々な感情が押し寄せた。
そんな俺の手を、れいながそっと握ってきた。
「大丈夫だよ・・・しっかり」れいなが小声で呟いた。

ゆっくりとドアが開く。そして・・・・・
かなり老け込んだが、源さんが出てきた。俺を見て、驚きの表情を隠せないでいる。
でも、俺も源さんの姿を見て、驚きを隠せなかった。
れいなも呆然としている。
「○○・・・・・」源さんの声が、ようやく耳に聞こえてきた。

50 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/03 23:48

「・・・げ、源・・・さん・・・・・」
言いたい事、言わなければならない言葉は沢山あった。
でも、胸がつかえてしまい、言葉が口から出てこなかった。
俺は、ただその場で深々と頭を下げることしかできなかった。

「○○・・・よく辛抱したな・・・・・せっかく来てくれたんだ、上がってけや」
源さんは、部屋の中に俺達をうながした。
玄関にある車椅子。そして、家の中を杖を使って歩く源さん。
8畳くらいのワンルーム。小さな台所。たまっている食器や弁当の空箱。
部屋に吊るされた洗濯物。

「源さん、俺は・・・・・」
「○○、よく来てくれたな、れいなも。ふたりとも、よく耐えた。
辛かったろ。よく耐えた・・・・・あぁ、何も言うな。いいんだよ、○○」
源さんの声は、とても静かで、そして、温かく聞こえた。
「一年前に、現場で事故にあってな。このザマだ。左足が全く動かなくなっちまった。
おかげで仕事もできなくてな。まあ、会社から保険やら何やら、頂くもんはしっかり頂戴したけどな」
源さんは煙草に火をつけながら、豪快に笑った。
昔と何ら変わらない笑顔と笑い方だった。

「○○・・・れいなを幸せにしてやれ。それが男のけじめってやつよ。
まあ、俺が言っても説得力はねえけどな。でもな、お前のいない間、れいなは・・・・・」
「源さん、もういいから。それより、そんなことになってるなら、なんで一言・・・」
「へへっ、情けなくて言えるか、こんなこと。俺はもう老いぼれてくだけだ。
お前らは明日がある。二人で、しっかり明日を掴め。人は誰だって幸せになる権利がある」

源さんの笑顔。動かない左足。言葉。部屋の風景。横に座るれいなの姿。
何故か、涙がこぼれそうになり、俺は、相槌をうちつつ、必死にこらえてたんだ。

45 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/09 01:35

三人でとる夕食。そこで味わった時間は、随分昔に味わった感覚だった。
なんでもない会話が嬉しくて、俺は、久しぶりにあれほど喋った気がした。

帰り道、俺は、玄関先でずっと立っていてくれた源さんの姿を、何度も何度も思い返していた。
源さんは穏やかな表情で、嬉しそうにいつまでも手を振ってくれてた。
会えて良かった・・・・・本当にそう思った。

「源さん、これから平気かな?」
れいなが聞いてくる。
「あの人なら、心配ないさ。昔っから何も変わってないさ。また、今度来よう」
「うん。そうだね!次はもっと色んな料理作るから」
「あぁ。源さんも喜ぶさ。れいなのこと、娘みたいに思ってるからな」
れいなが嬉しそうに微笑んだ。
かつて、源さんをキレさせた事が、今では笑い話になるかのようだ。

すっかり暗くなった夜道を、れいなと歩く。
れいなが俺に次々と仕事場の話をしてくる。
その時俺は、次は親父さん・・・そして愛・・・そんな事を思ってた。
バトゥはあの事件の後、源さんもどうしているのか知らないという。
今頃は、故郷で家族と幸せに暮らしてるだろうか・・・・・
家族への送金だけを生き甲斐にしてたバトゥ。
彼の故郷は、今何時だろう?
良い夢を見てる時間だろうか・・・そんな事を思った。
そして、行き着く思考はいつも同じ。
皆の夢や大切なものを壊した、自分自身の罪の深さ・・・・・

れいなが俺の手を握ってくるまで、頭の中は、そんな事でいっぱいだった。
そしてすぐに、現実と罪の深さが、俺の前へやって来るんだ。

46 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/09 02:11

秋も深まり、街を行き交う人々の装いも変わった。
俺は、ガードレールに座り、そんな風に街を眺めてた。

その日の仕事には何度かありついた。
今日はあぶれたが、仕事をする感覚は、とても心地良かった。
俺は、徹底的に体を苛めた。
そうすれば、その時だけは余計な事を考えなくてすむから。
れいなは、多忙な日々を過ごしている。店に泊り込むことも多くなった。
でも、献身的なまでに俺を支えてくれている。尽くされれば尽くされるほど、俺は苦しい思いをしていた。

れいなの気持ちは充分わかっている。
けど、俺には受ける資格が無い。
どうしてやりようもない。
はっきりさせなくては。そう思いつつも、日々の流れの中に、俺は流されてもいた。

立ち上がり、再び街をぶらつく。
仕事にあぶれた日は、こうして時間を潰す。
無駄に金は使えないから、店には入らない。それを惨めと思うことは許されない。
そう思っていい立場、そして人間ではないから・・・・・
公園に入る。噴水の周りでは、サラリーマンやOLが昼食をとっている。
その風景を、なんとなく眺めていた。

瞬間、鼻を突くすえた臭いで我に返った。
隣りを見ると、ボロボロの服、擦り切れた靴、壊れそうなバッグ、そんな男が立っていた。
男は、ろれつがまわらない口調で、100円くれよ、と何度も呟いていた。
真っ黒に汚れた顔。視点は定まってない。
俺は、小銭をポケットから出した。
何故か、そこに自分を見た気がしたから・・・・・

49 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/09 02:32

「れいな、最近どう?彼とはうまくいってる?」
休憩中のスタッフルーム。れいなは店長に声をかけられた。
厳しい人だが、れいなは店長を信頼している。
この人がいるから、この店に腰を落ち着けられたと言ってもいい。

「彼じゃないですってば」
「なに照れてるのよ。いいかげん、自分の気持ち伝えないと。話聞いてると、どうやら○○さんは女心に鈍いわね」
「はぁ・・・」
「今のままじゃ、ある日突然いなくなっちゃう!なーんて事もなきにしもあらずよ。・・・たぶん、彼だって色々苦しいと思うよ・・・」
れいなは、うまく言葉を返せなかった。
「ごめん、変な意味にとらないで。・・・とにかく、素直にぶつかったらいいじゃない。
れいな、きれいになったよ。女の私が見ても、凄く輝いてる。頑張れ!ね」
店長は、手を上げると部屋を出た。

れいなは、何度も店長の言葉を思った。
○○は・・・これからの事、どう思ってるのかな・・・・・
わたし・・・わたしたち・・・幸せになれるかな・・・・・
れいなは、○○と自分の何年か先の姿を思い浮かべた。

スタッフが自分を呼ぶ声が聞こえた。
幸せに・・・なれるよね。呟いて、れいなは席をたった。

64 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/10 00:03

男は、同じ言葉をぶつぶつ繰り返しながら、俺の差し出した小銭を受け取り、視点の定まらないまま、俺の方を向いていた。
「いいよ、それ、どうぞ。何か食えるでしょ、それで」
男は何も言わず、手のひらに小銭を乗せたまま、こっちを向いている。

改めて、男の顔を見る。
すっかり汚れが顔中にこびりついていて、まるで、その汚れ自体が皮膚のようだ。
顔には無数の皺があり、どこかその男のこれまでの苦労を語っているかのようだった。
男とそのまま向き合っているのがどこか辛くなり、俺はその場を立ち去ろうとした。
その時だった。
何故か、胸騒ぎみたいなものが強くなり、もう一度だけ男の顔をしっかりと見た。

「・・・・・あ、あんた・・・・・おや・・・おやじ・・・さん?・・・」
まさかとは思った。そんな事があるはずもない、あってたまるかとも思った。
でも、しっかりと見れば見るほどに、すっかり汚れ、そして老けてしまっていたが親父さんの顔が、その奥にあった。
「親父さん、親父さんだろ!?俺です!○○です!ねえ、親父さんでしょ!?」
俺は思わず、男の両肩を掴み、揺さぶっていた。
周囲の人々が、何事か、という顔でこっちを見ていた。関係なかった。
「親父さん!親父さん!俺は・・・俺・・・」
俺は、ただひたすら、親父さんに呼びかけ続けた。

65 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/10 00:14

親父さんから反応はない。
ただ、されるがまま、そこに立っている。
「親父さん、何とか言って下さいよ!俺、ずっと謝りたかった。会って謝りたかった・・・とにかく、家に来てよ。親父さん!」
頭の中が混乱していた。
でも、この機会を逃すわけにはいかない。
そればかりが意識の中にあった。

「うぅぅ・・・あぁぁぁぁぁっっ・・あぅぃいいいっ・・・」
親父さんが声にならない声をあげ、激しく抵抗しはじめた。
「○○です!ねえ、どうしちゃったんです!?ねえ、親父さん!ねえっ!?」
「・・・・・!!!」
親父さんはその場にしゃがみこみ、狂ったように何かを呟き始めた。

勘弁してください・・・もう苛めないで下さい・・・・・
ろれつのまわらない頼りない言葉。
でも、親父さんは涙を流しながら、そればかりを呟き続けていた。
言葉が出なかった・・・そして、それ以上何もできなかった・・・・・
親父さんの、あの事件以来の人生を、その言葉の中に見た気がした。

何があったの?おい、何やってんだ、あいつら・・・・・
周囲のざわめきで、ようやく我に返った。
「・・・お・・・親父さん・・・・・」
ようやく搾り出した声に、親父さんは悲鳴をあげ、必死にはいずりまわり、そして逃げ去っていった・・・・・

俺は、周囲の冷たい視線を浴びながら、その場を動くことができなかった。
不思議と涙は出なかった。
流せたら、どれだけ楽だっただろうか・・・・・
秋風が俺の体を突き抜け、心のどこかを持ち去った感じがした。
ただただ、立ち尽くすことしかできなかったんだ・・・・・

66 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/10 00:41

「れいなさん、お電話入ってます」
「あ、はーい。お客様のセットお願いしまーす!」
れいなは、後輩にセットを任せ、電話を受けた。
「はい、お電話かわりました」

受話器の向こうから流れてくる言葉に、れいなの心臓の動きが早くなっていく。
「・・・はい・・・はい・・・あの、それで今は・・・」
受話器を持つ手、それに自分の声が段々と震えていくのが自分でも分かる。
でも、どうにも抑えることができなかった。
「・・・分かりました・・・はい、ご連絡ありがとうございました・・・」
電話を終えて、少しの間、そこから動くことができなかった。
こんなことが信じられるわけがない・・・現実の筈がない・・・・・
れいなは、唇を強く噛んだ。泣いてしまいそうだった。

「店長、ちょっとよろしいでしょうか?」
れいなは店長にうながされ、スタッフルームに入った。
「どうしたの、れいな。顔色が真っ青だけど・・・・・まさか・・・・・」
ここで泣いてはいけない。自分に言い聞かせたが、れいなはこらえることができなかった。
顔を両手で覆い、その場にしゃがみこんだ。
心配する店長の声が、何故かとても遠くに聞こえた。

78 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/11 00:04

「ふうっ・・・」
路地裏の狭いスペース。
そこで壁にもたれて、ようやく一息ついた。
深夜になると、風の冷たさが強くなる。
でも、こうして秋風に吹かれていると、何故か心が落ち着く。

ただ必死に毎日を駆け抜けてきた。
思い返しても、ただ生きることに必死だった記憶しかない。
今の暮らしに落ち着いて初めて、自分の過去を振り返ることができた気がする。

ゆっくりと夜空を見上げた。
こうして、いつもこの時間に夜空を見るのも、すっかり習慣になった。
空を見るなんて余裕さえ、かつては無かった。
あの人は、今も何処かで私と同じように、この夜空の下にいるだろうか・・・・・
星を見て、私のことを思い出したりしてくれる事もあるだろうか・・・・・

そんなことを、思う。
あの人のことは、一日だって忘れたことはなかった。
けれど、もうあの頃を取り戻すことはできない。何度も自分に語りかけた事だ。
「・・・・・○○さん・・・・・」
愛は一度だけ口に出して呟いた。

路地裏の灯が、愛の姿を照らしていた。

79 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/11 00:17

すっかり深夜になってしまった。
公園から出て、何処をどう歩いたのかも覚えていない。
飯も食わず、ひたすら歩き続けた。
足が棒のような感じだ。でも、立ち止まらずに歩いた。

親父さんの姿、言葉、何度思い返しても、胸がえぐられる思いになった。
俺は、自分の大切な人達の人生を、すっかり狂わせて、そしてぶち壊した。
それなのに、自分はれいなの厚意に甘え、そのくせ日々鬱々としている。
情けなさと、どうしようもないどす黒い感情が、胸の奥からこみ上げてくる。

「くそっ・・・」
電信柱のたて看板を、思いっきり蹴りつけた。
よけい不快な気分が増しただけだった。

愛の人生も、親父さんのような人生なんだろうか・・・・・
次々と嫌なイメージが頭に浮かぶ。
もう、俺なんかにどうこうできないところに、親父さんも愛も行ってしまったのか。
考えるほどに、深みにはまっていく。

気が狂いそうだった。
声の限り、叫びだしそうな衝動に襲われる。
心の中で、何度も何度も愛の名前を呼び続けた。
かつての、俺にとって見ているだけで幸せになれた愛の笑顔。
思い浮かべようとしても、霧がかかったかのように、顔の部分がぼやけている。
あなたが私達の人生を狂わせた・・・狂わせた・・・狂わせ・・・狂・・・
愛の声だけが、はっきりとしたイメージとして浮かんだ。

アパートの前にたどり着いた。
眠りの中に、逃げ込みたかった・・・・・

82 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/11 02:12

気だるい体を引きずり、家の中に入った。
玄関にれいなの靴がある。
今日は泊り込みの筈だったのに・・・
俺は、れいなの部屋をノックした。返事が無い。
ドアを開け、中に入る。

電気を消したままの真っ暗な部屋の中、部屋の隅にれいなが膝を抱え、うずくまっていた。
俺は電気をつけた。
「どうしたんだ?何かあったのか?」
正直言うと、今日はこれ以上のゴタゴタには関わりたくなかった。
一刻も早く、眠ってしまいたかった。
悪夢にうなされるのは分かっているが、意識があるよりはマシな気がする。

れいなが顔を上げた。
泣きはらした眼。ただ真っ直ぐに俺を見てくる。
「泣いてたのか?仕事先で嫌なことでもあった?」
れいなは強く唇を噛み、何かを必死にこらえているようだった。
「悪いけど、今日はもう寝かせてくれ・・・明日、必ず話は聞くから」
れいなには悪いと思ったが、これ以上喋るのも嫌だった。
今は、何もかもが鬱陶しく感じる。

「・・・・・」
背を向けた俺に、れいなの声がかかる。思わず、舌打ちしていた。
「なに!?悪いけど、頼むから明日にしてくれよ!」
語気が荒くなっていた。苛々がつのる。れいなのせいじゃないのに・・・・・

96 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/12 00:13

れいなの口から語られる言葉が、耳に突き刺さる感じだった。
同時に、体の力が抜けていくのが分かった。
人生の中で、こうも悪いことばかりが続く日というのは、どのくらいの確率になるのだろう・・・・・

源さんが死んだ。
不自由な足、階段を踏み外して転げ落ちた。
俺がちょうど、親父さんと出会ったくらいの時間だった。
源さんの財布の中にあった、昔、工場で皆で撮った写真。
そこに、この家と、れいなの勤め先の美容院の電話を、この前書いていた。
あの時、源さんは照れくさそうに、俺とれいなに写真を見せてくれた。

懐かしいなぁ・・・俺の人生にも、ちっとは華のある頃だったかなぁ・・・・・
源さんは、酔いに顔を赤くしながらも、しっかりした口調で、懐かしそうに言っていた。
その写真は、れいなはまだつまらなさそうにしている頃だが、
親父さんも、源さんも、バトゥも、俺も、そして愛も・・・誰もが楽しげな表情だった。
皆に、小さくとも幸せな明日がある頃だった。

源さんの顔・・・玄関先の姿・・・昔の源さん・・・次々と甦る。
仕事には厳しいが、俺には、感謝しきれないくらい良くしてくれた。
大好きだった。

「○○・・・・・源さん、穏やかな顔だったよ・・・源さん、これで楽になれるのかな?」
れいなの言葉を聞き、その場に崩れ落ちた・・・・・

98 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/12 00:28

源さん・・・呟いたが、声にはならなかった。
「私・・・もっといっぱい話したかった。ちゃんと、謝りたかった。こんな事になるなんて・・・・・」
れいながしゃくりあげながら喋り続ける。
喋っていないと、どうにかなってしまいそうな感じなのかもしれない。

「俺・・・今日・・・親父さんに会った・・・」
「えっ?お・・・親父・・・さん?」
「ああ。ちきしょう・・・今日は・・・現実なんか最低だ・・・最悪だ」
俺は、公園での出来事を説明した。
しばらく、俺達は無言だった。
部屋に、れいなのすすり泣く声だけがあった。

壁にもたれて、天井を、ただ見つめていた。
何もかも、鬱陶しく感じた。つくづく、自分自身が嫌になった。
俺のかつての行動が、全ての歯車を狂わせたんだと思う。
源さん・・・俺が死ねばよかったよね・・・でも、俺には死ぬ価値も無いか・・・

無気力な笑いが口からこぼれた。
同時に、涙が一滴こぼれた。
もう、駄目だな・・・心の中で抱えてきた何もかもが音を立てて崩れるのを感じた。
ただただ、今という時から逃げたかった。
「れいな・・・助けてくれ・・・・・もう・・・駄目だ・・・」
俺は、れいなにすがりついていた。
男のくせに、声まであげて泣いた。
「○○・・・私はずっと、何があってもあなたのこと守るから。○○のこと、愛してるから・・・」

れいなの腕に抱かれ、泣いた。温もりが、肌に伝わる。
そして、俺はれいなの体の中に溶けていった。
俺は、れいなと一つになった。

109 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/13 00:16

朝眼が覚めると、既にれいなは出かけた後だった。
夢にうなされずに眠ったのは、随分久しぶりのことだ。
体には、気だるさがあるが、悪い気だるさではない。
でも、心の中にあるモノは、どうにも耐えられないくらいに、重く、そして不快なモノだった。

れいなの温もりが残るシーツを指でなぞった。
「・・・・・」
朝なんか、あのままこなければよかった。
明日など、無くなってしまえばいい。
俺の明日と、親父さん、そして源さんにあるべきだった明日という日。
その重みと大切さ。あまりにも違いすぎるのではなかったか・・・・・
俺は、朝を迎えることが嫌いになった。

昼前になり、ようやく起き上がり、あてもなく家を出た。
勿論、この時間じゃ仕事にはありつけない。
何をするわけでもなく、何処に行くわけでもなく、ただ街を歩いた。
年輩の男を見るたびに、また、路上で生きる人々を見るたびに、
俺は、そこにいるのが親父さんや源さんのような気がして、思わず近寄っていた。

そして、当たり前だが、当人じゃないことを確認しては、打ちのめされた気分になり、どうしようもない孤独感を感じた。
寂しさに心が震えた・・・虚しさにおかしくなりそうになった・・・罪の深さに、あらためて絶望した。
俺は、道端に座り込み、どうするでもなく、じっと空を睨みつけていた・・・

110 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/13 00:28

「れいな、あんた、ついに○○と結ばれたんでしょ!?」
店長は、朝れいなの顔を見ると、すぐにそう声をかけてきた。
「なっ!?・・・」
「いいのよ、良かったじゃない!ようやく愛する人とそうなったんだから」
「あの・・・その・・・」
「いい。今の幸せを大切にするんだよ!守っていくんだよ。
ようやく、あなたの本当の幸せが始まるんだから・・・そう、今まで辛い思いした分、幸せを掴まなきゃ」

店長は、幼少時代のれいなの体験も知っている。
店長の言葉を聞き、れいなは、ようやく昨晩のことが実感できた。
けど、源さん、親父さんのことがあり、心底喜びを噛み締める事は、当分できそうになかった。

よかったじゃねえか!おまえもようやく一人前の女になったか!わけーってのは羨ましいもんだな!ハハッ!!!

瞬間、源さんの声を確かに聞いた。
「源さん!?」
「どうしたの?れいな」
店長は不思議そうな顔をしている。
「いえ・・・すみません」
「昨日のこともあるし、凄く辛いとは思う。でもね、こんな時だからこそ、しっかり生きてかなくちゃ。
二人で支え合って。亡くなられた方も、そうじゃなきゃ悲しむよ、きっと」
「はい。頑張ります」
れいなは言葉を噛み締めつつ言った。

源さん・・・いっぱい頑張って、二人で幸せになるよ。だから、見守ってて。
わたし・・・しっかり歩いていくから。源さん・・・・・
れいなは、心の中で呟き、仕事場に向かった。

111 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/13 00:41

秋も終わりの気配が漂い、季節は冬へと移り変わろうとしていた。
吐いた息が白い。
「ふーっ・・・」
もう一度、息を吐き出してみた。
白い息が、空中に消えていった。

愛は、警察からの連絡で、父の死を聞いた。
酒にまみれ、道端で亡くなっていたという。
誰にも看取られず、誰にも助けてもらえず、独り寂しく死んでいった父の気持ちを思った。
昔の自分なら、ただただ泣くしかできなかっただろう。
今はもう、涙さえ流れない。とうの昔に涙など枯れ果てた。
そんな気がする。

かつて金を借りに来た父。
その時の住所を、大事そうに持っていたようだ。
あの時、自分がもうちょっと救いの手を差し伸べていたら・・・・・
後悔が襲ってくる。けれど、後悔なんて、あの日以来の人生全てが後悔ばかりだ。
自分の明日ばど、何処にも見えない・・・・・何も無い・・・・・

生きることで精一杯だった。
自分が生きる事を選び、そのせいで父は死んだ。
そう思い、それを背負い生きていく。愛は強く心に刻んだ。
もう一度、空に息を吐いた。自分も、あの空に消えていけたらいいのに。
そう思った。父の思い出が、次々と空に浮かんでは消えた・・・・・
132 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/14 00:26

冬の寒さが体だけでなく、心まで芯から冷えさせる。
俺は、ただひたすら、れいなの体に溺れていた。
そうすることで、ほんの束の間、不安とか苦しみとか、後悔とか・・・
そういうものから解放される気がしたから。

れいなは俺を責める訳でもなく、拒むわけでもなく、ただ黙って俺の全てを受けいれてくれていた。
その気持ちに、俺は甘えた・・・
けれど、時にふと、そんなれいなの気持ちさえ、鬱陶しく感じる事が、近頃たまにあるようになった。
自分自身、残っていたつもりの心の中の大切な気持ちさえ、失ってしまった気が、そんな時は襲ってくる。

「じゃあ、仕事行って来るから。頑張ってね」
笑顔でれいなは言う。
何故か、そんな言葉が癇にさわった。
「何を頑張れっていうんだ!?悪かったな、ろくに仕事にありつけなくて。
これじゃあ、単なるヒモだよな。あー頑張るさ、ヒモはヒモなりにな!」
「そ、そんなつもりじゃないよ・・・気にさわったなら謝るから・・・」
「さっさと行けよ!」
俺は頭から布団を被った。
「○○・・・・・」
悲しそうな、細い声。
そして、足音が遠ざかり、ドアの開閉の音だけが部屋に響いた。

ただのどうしようもないガキだな、これじゃあ。
後悔と、余計に苛立ちが募る。
堕ちていく感覚・・・あれ以上堕ちる事など無いと思ってたのに、今、その感覚を恐ろしいくらいに感じていた。
れいなの気持ちを思ったが、そんな思いも泡のように弾けた・・・・・

142 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/14 00:55

酔いの中に逃げるようにもなった。
まどろんだ意識の中、俺は、昔の記憶を手繰り寄せ、そこで束の間の安らぎを感じた。
親父さんも、源さんも、そして愛も・・・皆が楽しそうに笑顔を浮かべている。
俺は、皆の輪の中に入って、とりとめのない話をして、バカやって、心の底から笑った。

「○○さん!今度、いつお買い物連れてってくれる?あ、これってデートの誘いになっちゃうのかな?」
いたずらな感じに微笑む愛を見て、俺は照れくさそうにして、顔を赤くしてる。
そうだ・・・たしかに、そんな時も俺の人生の中にあったんだよな・・・・・
酔いから眠りに落ちる瞬間、決まって、俺はそんなことを思う。

眠りから覚め、酔いも抜けて起きた時、俺は眠りの最中に泣いていることに何度も気づいたんだ。
そして、その度にはっきりと感じるんだ。
俺は、今でも・・・今でも愛の事を思ってるんだって・・・・・
れいなの体に溺れ、れいなの支えで日々を過ごしてるくせに、
心の一番奥の部分では、未だにあの時と変わらず、愛のことを思い続けてるんだって・・・・・

すっかり暗くなり、電気もつけてないままの部屋の中。
声に出して呟いてみた。
「・・・愛・・・」
たまらなく会いたかった。
今更会ってどうなるものでもないけど、せめてただ一度、会いたいって思った。
もう一度だけ、愛の名を呼んでみた。

闇と、静寂だけが、俺の側にあった。

149 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/14 23:46

「おつかれー」
同僚の挨拶に、愛は手をあげて答えた。
一日の疲れが、体にたまっている。
その疲れは、今日一日のものなんかではなく、ずっと積み重ねてきた日々の疲れだと思う。

若いくせに、随分大人っぽいんだねー。
どちらかと言えば、皮肉な意味でそう言った人は、そんな蓄積された疲れや心を見透かしたのだろうか・・・
そんなにまで自分はくたびれた表情をしているのだろうか・・・・・

狭いロッカールームにある、鏡を覗き込んだ。
毎日鏡を通して見る自分の顔。
「君はくたびれてますか?生きることに失望してますか?」
問いかけてみた。
「いいえ、まだまだ元気ですよ!楽しく毎日生きてます!・・・」
鏡の中の自分を睨み付けた。鏡の中の自分も睨み返してくる。
「人生薔薇色ですよっ!」
そう話しかけてみた。虚しさだけが募った。

「・・・バカみたい・・・あ〜あ・・・ほんとバカみたい・・・」
愛は、さっさと着替えをすませ、外へ出た。
すっかり深夜になっていた。寒さが厳しい。
俯いたまま、愛は足早に帰路へとついた。

150 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/15 00:00

連日、飲み歩くようになった。
仕事なんか、探しもしなくなった。
これじゃいけない、今踏ん張らないと、取り返しがつかなくなる。
そう思う気持ちとうらはらに、思えば思うだけ、酒にのめり込んだ。
酔いだけが、俺の救いだって信じるようになってきていた。

れいなが泣くことが増えた。口論にはならない。
れいなが俺を励まそうとして、一方的に俺が当り散らす。
そして、れいなが泣く。
小さなアパートの部屋から、俺とれいなの笑顔が消えた。
あるのは、重くて陰鬱な感情だけだ。

簡単なもんだ。踏み外すのは簡単なもんだ。
踏ん張ることがどれだけ難しく、大変なことかが分かった。
時々、酔いの醒めないまま思い浮かべることがある。
今みたいな小さなアパートの部屋。そこにいる家族。
金は無いけど、家族には幸せが溢れてる。
小さな子供。男と女だ。そして優しい母親。
その姿が愛に見えてくる。
俺は、夕方仕事から帰る。子供が飛びついてくる。
愛が笑顔で出迎える。楽しい夕食の団欒。皆に笑顔が溢れる。
俺は、幸せを噛み締める・・・・・愛と、子供達と幸せを噛み締める・・・・・

そんな思いは、酔いが醒めるのと一緒に、消えていく。
何度思い返そうとしても、家族の中に俺の姿だけが現れない。
手を伸ばせば伸ばすだけ、愛と子供達は遠くへといってしまう・・・・・
「くそったれが・・・・・」
呟きながら、俺はネオン輝く街を歩き続けた。

177 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/16 01:29

れいなの声が耳にこびりついていた。
このままじゃ、戻れなくなっちゃうよ・・・
れいなの、すがるような、そして深く沈んだ表情が、頭にこびりついていた。
俺は、そんなれいなを振り払い、家を出てきた。
なのに、頭からそんな事が離れない・・・

煙草を咥え、火をつけた。こんな時は、煙草もうまくない。
たぶん、今日もこれからとことん酔いつぶれるだろう・・・そして、またボロボロになって家に戻る。
れいなが泣く。れいなはただ耐える。
そんな繰り返しになる。
どこまでも続く真っ暗な道。そこをやみくもに歩き続けてる。
れいなが明かりをともしてくれてるのに、そちらとは逆の方向に歩いてる。

周囲を見渡すと、待ち合わせの人々。
携帯片手に話す人。メールする人。
楽しげな友人同士。幸せそうな恋人同士。
そんな姿ばかりが目に付いた。
俺には、電話をかける人も、かかってくる電話も無い。メールも無い。
そうだ、れいなしかいないんだよな・・・それなのに・・・・・

ここにいることが、ひどく場違いな気がして、それと、ひどく寂しい気がして、俺は足早にどこを立ち去った。
早く、酔ってしまいたかった。そこの中では、俺は孤独じゃない。
俺には幸せな家族がいる・・・・・

俺は、どこかおかしくなってしまったんだろうか・・・・・
妄想に狂ってしまったんだろうか・・・・・
不安が湧くが、すぐに、そんなこともどうでもよくなったんだ。

178 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/16 01:43

愛は、時間が空いたとき、よく舞台の本を眺めている。
そこには、様々な人生があり、様々な夢や愛や、そういうものがある。
束の間、自分の人生をそれらの登場人物におきかえ、夢見心地に浸る。
こんな時間が、今の自分の生活の中での大きな楽しみであり、いつか生でそれらの舞台を観てみたいと思っている。

「愛ちゃーん、そろそろよろしくでーす!」
「あ、はーい。今行きます」
愛は、本を閉じた。
少しだけ、舞台の本番にのぞむ役者の気分になった。
そんな華やかで素敵な世界とはあまりにかけ離れているが、
そう思うことで、ほんの少しだけ、苦痛も和らぐような気がしたから。

頑張れ・・・頑張れ!さ、幕があがるよっ!
愛は心の中で、開演のベルを鳴らした。
カーテンを開け、一歩を踏み出した・・・・・


夜。流れ行く人の波。輝くネオン。俺は、酔いの中にいた。
心地良さが体を包んでくれている。そして、心の中に、安らぎがある。
足取りも軽い。
もう一軒、どこかで飲むか・・・なんとなく思った。
家に帰るのが苦痛でもあった。
今の気分を、壊されたくない・・・勝手な理由だ・・・自嘲の笑みが口元にこぼれてくる。

店を探しながら、繁華街を歩く。
そうしてしばらく歩いた頃、一人の客引きが俺に話しかけてきた。
俺は軽く手で振り払ったが、客引きは諦めない。
源さんくらいの歳だろうか・・・なんとなく話を聞いてもいいかな・・・
そんな風に思った。
源さんが俺に話を始めた気がしたんだ。

200 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/19 01:09

「いやーお兄さんラッキーだよ!ちょうどね、お勧めのいい娘いるから!
ね、遊んでってよ!料金は一万五千!ね!どうよどうよ!?」
早口で客引きの親父は言った。
笑った顔の皺が深い。
それが、この親父の人生を物語ってる気がした。
そして、そんな親父に、俺は親近感を覚えた。
アホらしいかもしれないが、俺はそんな気持ちだった。

別に、万が一があっても、もうどうでもいいさ・・・
そんな自棄気味の気持ちもあった。
ボロボロになるなら、とことんなればいいさ。
そんな風に思うことさえ、今は心地良くもあった。

「いいよ。親父さんに任せるよ。どうせ酒に消える金だしさ」
「任せとけって!あぁ・・・やばい店と思ってるね?お兄さん。大丈夫。
ほら、俺はこの店の店員だから。うちは店の前でしか客引きしてないんだ」
相変わらずの早口だ。
源さんと出会った頃、聞き取るのに苦労したな。
俺は思わず笑みをこぼした。

「そうこなくっちゃ!若いんだからさ、辛気臭い顔してないで、すっきりして笑ってちょーだいよ。ささ、入った入った」
親父に案内され、店内に入った。
カウンターで金を払い、親父に個室に案内された。
「じゃあ、中で待っててね。すぐに女の子来るから」
俺は個室に入り、親父のほうを見た。
「頑張ってちょーだいね!ほんといい娘だから。お兄さんラッキーよ!」
親父は、満面の笑みでそう言って、ドアを閉めていった。

201 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/19 01:20

俺は、ベッドに座り、煙草に火をつけた。
ベッドと、シャワーがある、広くも狭くもない部屋。
別にどんな女が来てもかまわない。
ほんの束の間、現実から眼をそらせられればいい。それだけだ。

別に、あの親父と話してるだけでもいい。
そう思った時、俺はいかに心の中にポッカリと開いた穴が大きいものなのかを感じたように思った。
吐き出した煙が、ゆらゆらと揺れている・・・そして消えた。
俺も、このまま揺れ続けて、ある日パッと消えることができるのか・・・
揺れ続けて、消えることさえできないのだろうか・・・・・

そんな事を思っていると、ドアがノックされ、開いた。
「失礼します」
柔らかい響きが聞こえた。
「あぁ、どうぞ」
俺は煙草を揉み消した。
して、ドアの方を向いた。

「!?」
声が出なかった。
もし出ていたとしても、それは言葉にならない叫び声にしかならなかったかもしれない。
体が一瞬にして震えだしたのが分かった。
女の方も、動けなくなったかのように、ただその場に立ち尽くし、俺を見ていた。

「・・・・・あ・・・・・愛・・・・・」
ようやく声に出せたのは、どれくらいしてからだっただろう。
実際は1分も過ぎていないだろう。
でも、それまでの時間が、とてつもなく長い時間に思えたんだ。

209 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/20 02:14

愛が、とっさに逃げようとした。
「ま、待ってくれ!待ってくれよ!」
その言葉に、愛はしばらくその場に立ち竦んでいたが、やがて部屋に入り、ドアを閉めた。
重い沈黙だけが、部屋の中にあった。

「座ったら?・・・・・」
耐え切れなくなり、そんな言葉をかけた。
愛は、俺とは違う方向を向いたまま、ベッドの端に座った。
キャミソール姿、手には小さなポーチ。
化粧を施した顔が、沈鬱な表情をしている。
愛が化粧をしているのは初めて見た気がした。
大人っぽくなった・・・そんなことを思った。

「わたし・・・」
愛が口を開いた。その声が震えている。
「いいよ・・・何も言わなくていい・・・俺・・・ずっと謝りたかった・・・
愛や親父さんや、皆の人生壊しちゃったこと・・・謝りたかった・・・今更どうなるわけじゃないのは分かってるけど・・・」

愛がようやく俺の方を向いた。
視線が交わったが、俺のほうが耐えられなくなり、視線をそらした。
「すまなかった・・・こんなことしか言えないけど・・・
すまなかった・・・許してくれとは言えない・・・一生背負って生きてく・・・」
愛は無言のままだ。
俺は源さんの事、そして今の暮らしを全て話した。
喋るのをやめたら、気がおかしくなりそうな気分だった。

「いいよ・・・もう・・・○○さんだって・・・ずっと苦しんだんでしょ?
もう・・・じゅうぶんじゃない・・・いいから・・・もう・・・」
愛の言葉に、俺はようやく喋るのを止めることができた。

210 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/20 02:23

親父さんの事を聞いた。
あの日の親父さんの姿が頭に浮かび、胸が苦しくなった。
また一人、俺は大切な人を失った・・・・・
何故、俺の大切な人は、皆消えていってしまうのか・・・
そして、生きる資格の無い俺が、まだここにいる。

愛のあの日以来の生き方を聞く事はできなかった。
何度、聞こうと思ったことか。
でも、そんな大事なことを聞くことがどうしてもできなかった。
喉まであがってくる言葉を、吐き出せなかった。

愛が話し終えると、再び沈黙だけが残った。
俺の頭の中には、昔の楽しかった思い出だけが、次々と甦っては消えていった。
胸の苦しさだけが、強くなるばかりだった。

そして、5分前を知らせるタイマーが鳴り響いた。
愛がタイマーを止めて俺の方を向いた。
「時間・・・きちゃったね・・・
そう言って、俯いた。
どうしようもない寂しい気持ちと、胸をえぐられるような気持ちが、一気にこみあげてきた。
俺は、天井を見つめた。
何か言うことはないのか?そればかり思った・・・

211 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/20 02:33

「俺は・・・」
愛がゆっくりと首を横に振った。
それ以上のどんな言葉をも拒絶するかのように。
「こうして・・・こんな形だけど・・・会えてよかった・・・嘘じゃないよ。
たった一度でいいから、○○さんの顔見たかった・・・こんな風になっちゃったけど、一度だけ会いたかった・・・」
そう言って、愛が静かに微笑んだ。
寂しさや、悲しさや、生きる辛さや・・・そういうものが全て詰まったかのような微笑みだった。
それでも愛は、俺に微笑んでみせた。

手を伸ばせば触れられる所に愛はいる。
この店に来れば、愛はいる。
今、住んでるとこを聞けば、これからまた、会う事ができるだろう・・・でも、でも・・・・・
俺は、どれもすることができない。
愛が汚れたとかそういうのじゃない。
理由なんか自分でも分からない。

ただ・・・愛の今の微笑みの中に、愛の答えを見た気がしたんだ。
それだけ。
そう、それだけなんだ。
聞くことはできなかった。
俺は立ち上がった。
「じゃあ、帰るよ・・・」
「うん・・・」
「愛・・・俺さ・・・」
「○○!!!」
「えっ?」
「一度ね、呼び捨てにしてみたかったの。
さん付けだと、いつまでも妹みたいでしょ?彼女みたいに、呼び捨てで名前言ってみたかった」
そう言って、愛は笑った。無理してるのがよくわかった・・・

212 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/20 02:52

「れいなちゃんのこと、幸せにしなくちゃ駄目だよ!ね?約束!
これからは、○○自身の人生を生きるんだよ!これも約束!」
愛が小指を出してきた。俺は小指を絡めた。
「はい!指きりげんまんね!」
そして、俺は部屋を出た。
ドアを閉める時、さよなら・・・。そんな愛の言葉を聞いた。

店を出て、夜の繁華街を歩いた。
さよなら・・・愛の声と、最後に見せた精一杯の笑顔が、頭にこびりついていた。
歩きながら煙草を咥えた。うまく火をつけられなかった。手が震えてた。
そして、ようやく煙を吐き出しながら、自分が泣いてることに気づいた。
すれ違う人が、俺を見ていく。
どうだっていい・・・・・

涙がとめどなく流れてくる。
愛とは、もう二度と会うことはないだろう。
そして・・・俺の長い長い大切な恋が、今終わったのを感じた。
人気の無い路地に入り、俺は声をあげて泣いた。泣き崩れた。
自分の人生、愛の人生、れいなの人生・・・皆の人生・・・・・
膝を抱えたまま、俺はその場で泣き続けた。

頭の中にあった幸せな家庭・・・そんな妄想も弾けて消えた。
現実だけが、今、俺の中に、周りに残った・・・・・
「・・・・・さよなら・・・・愛・・・・・」
気が狂うかと思うほどに、俺は涙を流し続けたんだ。
そして、夜の風が、俺を包み込んだ。
さよなら・・・・・愛・・・・・

227 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/21 02:25

夏の日差しが輝いている。青空が広がっている。
穏やかな気候。そして、穏やかな気持ち。
こんなに晴れ晴れした気持ちで夏を迎えるのは、いつ以来だろうか。

俺は煙草に火をつけ、一口喫って、その煙草を供えた。
そして、ワンカップの酒。
「ようやく、ちゃんと休んでもらえることができるね・・・源さん」
俺は、小さいながらも真新しい源さんの墓に、そう声をかけた。

すまねえなー、ヘッヘッ。

照れくさそうな源さんの声が聞こえた。

あれから4年の月日が過ぎた。
俺は、あの日の出来事以来、転がりながら、無様な姿をさらしながらも、どうにか這いつくばって生きてきた。
そうすることで、少しでもあの痛みを癒せるなら。
そんな風に思ったから。

「源さん・・・俺さ・・・この俺が親父になるんだってさ・・・どうなんだろうね?そんな資格・・・あったのかな?」
れいなは、あの日ボロボロになって帰宅した俺を、何も言わず、ただ黙って朝まで抱きしめてくれた。
そして、俺は、そんなれいなを幸せにしなくては、本当にただのゴミクズになってしまう・・・そう感じた。

この4年。二人で支え合い、どうにかやってきた。
れいなは、支店を任され、今は店長としてやっている。
俺も、どうにか腰を落ち着けられる所が見つかり、汗にまみれ、体を動かしながら働いている。
ようやく、新しい道が始まった気がしている。
全てを背負って、少しでも日の光に向き合うことをいつか許してもらえるように、今は進むだけだって思う。

228 :遠き明日〜第二部〜 :04/05/21 02:39

愛とは・・・あの日以来会っていない。
あの時の店は、今じゃすっかり別の店になっている。
今でも、愛のことを考えない日は無い。
でも、それは、愛に幸せな明日がやってくることを願う意味なんだ。
きっと、この澄んだ空の下、愛も必死に今日を生きて、幸せな明日を願っているって思う。
だから願う。だから祈る。

「源さん・・・明日は遠いよね・・・でもさ・・・そこに向かって歩くしかないんだよね?俺、間違ってるかな?」
夏の匂いを乗せた風が、優しく吹いていった。
俺は、自然と笑みがこぼれた。
「子供が生まれたら、れいなと3人で来るから」

俺は、ゆっくりと立ち上がった。
「生きてくよ・・・何がどうあっても、今日を生きてくから。
遠い明日にしっかり向かってさ。だから・・・俺達も・・・愛も・・・見ててよね」

俺はゆっくり歩き出した。
随分と遠回りをしてきた気もする。後悔なんか無い。
大切な人たちを傷つけた。それは変えられない。だから、もう遠回りはしない。
しっかりと歩くことしか許されない。

家に帰ったら、源さんと話したことを、れいなにも教えてあげようって思った。
そして、少しおおきくなってきたお腹を、そっとさすってみようって思った。
ほんの少しだけど、明日という日の匂いを感じた気がした。

夏がやってくる。

           〜第二部 終〜

           〜「遠き明日」 終〜


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