平太郎くんの視線

 泳ぎは苦手だ。
 小学生のころ、夏の体育の時間に初めてクロールだの平泳ぎだのを習ったと思うのだが、一向にうまくならない。プールで25メートルも泳ぐともう死にそう。
 そのくせ、スキューヴァ・ダイヴィングはやりたいな、などと夢を追っている。聞けば、スキューヴァ・ダイヴィングは泳ぎのうまいへたは関係ないとのこと。それなら、私だってというわけだ。
 一時期、毎年夏には伊豆七島のどこかしらへ行っていた。三宅島へ行ったときだったろうか、初めてシュノーケルというものを使ってみた。どうやら私の泳ぎ方の欠陥は、息つぎのときにへんな力が入ることにあるらしく、シュノーケルを使えば結構楽に泳げた。何より嬉しかったのは、海の中が見られることだ。そうは言っても、自分の泳ぎべたは十分知っているから、あまり沖へは行かない。海の底の岩や海草、ときどきすれちがう色も形も様々な魚たち。すべてあまりのきれいさに、うっとりと時間の経つのも忘れたものだ。スキューヴァ・ダイヴィングへの夢が芽生えたのはそのときだったろうか。
 だから、ラヴさんの「夜を泳ぐ」を訳したときはほんとうに楽しかった。
 平太郎くんが羨ましかった。
 自分の体の中から発する光を照明にして、息つぎの心配もなく、すいすいと泳ぎながら夜の海底の世界を見る---なんて素敵な発想だろうと思った。
 今年のお正月、夫と娘と一緒に二泊三日の沖縄旅行をした。一日目は、那覇市内とその近郊をレンタカーでまわり、二日目は少し足を伸ばして名護湾まで行った。拍子抜けするほど人はまばら。あまり天気がよくなかったせいかもしれない。
 船底がガラス張りになっているグラスボートに乗ったり、海底展望塔に入り水面のはるか下まで降りたりして、沖縄の海の種々様々な魚たちのシンフォニーを眺めた。平太郎くんがとても身近に感じられた。海の底の生命界を思う時、そこはいつも平太郎くんの視線がある。

松岡和子(ジョセフ・ラヴ専属翻訳家)

この文章は『LAF通信第4号』(1992年4月17日発行)のために書かれたものです。

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