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平太郎くんの視線  松岡和子

『LAF通信第4号』(1992年4月17日発行)


 泳ぎは苦手だ。

 小学生のころ,夏の体育の時間に初めてクロールだの平泳ぎだのを習ったと思うのだが,一向にうまくならない。プールで25メートルも泳ぐともう死にそう。

 そのくせ,スキューヴァ・ダイヴィングはやりたいな,などと夢を追っている。聞けば,スキューヴァ・ダイヴィングは泳ぎのうまいへたは関係ないとのこと。それなら,私だってというわけだ。

 一時期,毎年夏には伊豆七島のどこかしらへ行っていた。三宅島へ行ったときだったろうか,初めてシュノーケルというものを使ってみた。どうやら私の泳ぎ方の欠陥は,息つぎのときにへんな力が入ることにあるらしく,シュノーケルを使えば結構楽に泳げた。何より嬉しかったのは,海の中が見られることだ。そうは言っても,自分の泳ぎべたは十分知っているから,あまり沖へは行かない。海の底の岩や海草,ときどきすれちがう色も形も様々な魚たち。すべてあまりのきれいさに,うっとりと時間の経つのも忘れたものだ。スキューヴァ・ダイヴィングへの夢が芽生えたのはそのときだったろうか。

 だから,ラヴさんの「夜を泳ぐ」を訳したときはほんとうに楽しかった。

 平太郎くんが羨ましかった。

 自分の体の中から発する光を照明にして,息つぎの心配もなく,すいすいと泳ぎながら夜の海底の世界を見る---なんて素敵な発想だろうと思った。

 今年のお正月,夫と娘と一緒に二泊三日の沖縄旅行をした。一日目は,那覇市内とその近郊をレンタカーでまわり,二日目は少し足を伸ばして名護湾まで行った。拍子抜けするほど人はまばら。あまり天気がよくなかったせいかもしれない。

 船底がガラス張りになっているグラスボートに乗ったり,海底展望塔に入り水面のはるか下まで降りたりして,沖縄の海の種々様々な魚たちのシンフォニーを眺めた。平太郎くんがとても身近に感じられた。海の底の生命界を思う時,そこはいつも平太郎くんの視線がある。


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