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東京レター 1975年11月  (ART INTERNATIONAL November, 1975) 坪井みどり訳
Tokyo Letter

〔1〕神奈川県民ギャラリー:EXHIBISM展

 人気もあり又,進歩的な市長のもと,横浜からうす汚れてかさついたウォーターフロートと工業都市のイメージを払拭しようという一連の動きの中で,最新の試みは神奈川県民ホールの建設だ。ここにはあらゆるタイプの演劇やコンサートに対応する劇場と広々とした2階分の展示スペースができた。展示スペースのうち一つの小さな部屋はアマチュアの美術家が入れかわり立ちかわり自由に開く展覧会に使われている。もう一つは大きなホールとそれより下に隣接するふたつの部屋からなっていて,グループ展用だ。この5月,若い前衛的なアーティストのグループが協力して『エキビズム展』を開いたが,無監査,無賞の同展にはこの近辺から種々のプロセス=コンセプチュアル系の典型的な作品が並んだ。そのほとんどはあまり価値がなかったといってよい。というのも写真やビデオのインスタレーション,日常使われるオブジェを集めて展示したコンセプトはすりきれて退屈してしまったからだ。だが二人のアーティストが他に秀でて面白い作品を展示していた。八田淳は科学博物館にあるガラスケースに造形的または写象主義的な見地から興味深いオブジェを組み合わせて入れた。45度の角度に切られた太い4本の木材がひとつのケースの端につめこまれていて,規則的な模様に鋲打ちされている。別のケースは太くて白いロープで飾られている。垂直に立てられ布で覆いがされたものがあり,他のものには折り畳まれたボール紙と自然石が対比的に入れられている,といった具合である。いうなればこれは大工仕事付きの新しい自然史で,大いにイマジネーションを喚起するエキセントリックな作品だ。鑑賞者はこれほどに「透けて見える」世界とは一体何だろうと不思議に思うのだ。

 もう一つの面白い作品は,高山登が制作を続けている『遊殺』と題されたシリーズの一作品だった。彼はこのところずっと,クレオソートを染み込ませた鉄道の枕木や,黒いゴムシート,ロープ等の一揃いを使っているが,今回もピンと張られたロープがひとつの梁にかけられ,又他の梁を制するというようにフォルマリズム風に配されていた。すべての要素は,明確な形と力を持った横浜の工業風景をそのまま映し出すかのようだった。彼はこの7月田村画廊の限られた空間を巧みに使って同じような工業ジャングルの様相を作り出したが,余分な要素が多すぎて彼の本来の目的が薄れてしまっていた。残念なことにこれらの作品はすぐに解体されて消えていく。高山は,実質上,単にテクスチュアを操作するプロセス・アーティストではなく,もっと正統的な彫刻にひそむ複雑な形式上の問題を扱える唯一の作家だと言ってよい。

〔2〕第11回毎日新聞現代日本美術展

 現代日本美術展は長年にわたって穏健な前衛的主義の絵画や彫刻の最良部分を展示する場となってきた。ただし同展には,日本美術界の多数派を代表する多くの他種の作品も出品されていて,これらのレベルの低い作品がもっと価値ある作家のものを妨げているのが実状だ。 今年は近々新しい場所に移転する現在の東京都美術館での最後の年だったが,展覧会の質は最悪だった。万人向けに格好がついているだけのデザイン,ソフト・タッチのポルノまがいの作品,流行作家をまねた作品,いわゆる画壇系の愛らしい牡丹花の絵,しっかりと伝統に根ざしてはいるが三流の作品,などが顔を並べていた。

 凡庸な作品群の中できわだち,対照的だったのが二人の彫刻家だ。清水九兵衛の『アフィニティII』はあまりに小さいので鑑賞者のために円柱の台にのせられていた。これは一連の鏡のイメージのシリーズの一部で,わずかに形のちがう一対の彫刻が向き合って縦に重ねられている。磨かれたアルミニウムに内包された穏やかなリズム感は単なるなめらかさに終わることなく,彼の最も良い作品を失敗作から区別するアニミスティックな感触を備えている。一方篠田守男の巨大な三つの作品は彼が本来の調子を取り戻したことを雄弁に物語っていた。これら『緊張と圧縮』をテーマにした作品は,ギュスターヴ・ドレ版の宇宙船とでも呼びたいように作られていて,展示スペースの広い会場では余計にその感が強かった。不思議だが気味悪くはなく,彼の初期の作品を色づけていた文学からの救済感は払拭されていた。彼のアイディア実現には大きさが必要であるからこそ,このように三つの最大規模作品にふさわしい空間が与えられたことは大いに歓迎される。

 宇佐美圭司は最近の個展からとった二つの作品を出品していた。これは断片化された顔の形を通して人間が世界や他の人々を視覚的,知性的にいかに認識するかという探究から生まれた作品だという。結局のところ我々のもとには一連のプロセスが残るだけで何も知覚できないというのが結論だ。これはある意味でクールベのリアリズムに始まりスーラの科学的知覚理論を経てきた道の最終段階である。それは,表面的な装飾や,非常に格言的なシステムの世界での外の存在からの隔絶的な孤独である。だがしかし宇佐美の作品においてこのプロセスは実に優雅に成し遂げられているのである。

〔3〕ジャパン・アート・フェスティバル 1975

 政府後援のグループ展JAFがオーストラリアでの巡回展に先駆けて東京で開かれた。出品されたのは主にJAF展になじみの作家たちの新作と何人かの新顔作家たちのものだ。似たりよったりの二人組,ミオ・コウゾウと森ヒデオとは低俗なポップ系アカデミズムの作品即ち巨大ですべすべした青と白のシャンプー広告をたずさえて戻ってきた。ほとんどの招待作家の質を見渡すかぎり,セールスマン精神が作家選別の鍵だったのではないかと疑いたくなる。

 鑑賞に値する作品のうち大賞を射止めた畔地タクジの作品は非常に興味深い。二枚の大きな白黒の風景写真が分厚い木のパネルに貼られていて,サンドペーパーを回転させることで出来るこげ模様が明確に限定された部分についている。こげた茶色の部分はまるで耕された畑か海辺の岩のようだ。ここには木と写真のイメージの間の微妙な対比が見える。私が最近目にした作品の中で,いわゆるプロセス・アートの手法と明解な絵画的イメージを感受性豊かに結びつけた数少ない作品の一つだ。今回の作品は昨年佐藤画廊で発表した作品が発展したものだろう。同画廊でも,ベニヤ板,透明のアクリル,金属という三種の大きな板にサンドペーパー製の車輪をのせ,「加工済」のシート,「加工前」のシート,そして加工によって生じた屑を壁に立てかけたり床においたシートの間に山とつみあげたりした。素材同士の対比によって優美な展示内容であったが,プロセス以外何もはっきりしておらず一時性を伝えるにとどまった。今回は素材を扱うプロセスとイマジネーションの目的との反響が増幅し,結果的に「永続性」がより満足させられたといえる。

 一方,ハイパー・リアリズムも健在だ。この分野にはいる作家が少なくとも三人は出品している。「リアリティ」ではなく写真イメージの探究の先っぽがそこには確かにあるが,今のところ幅広く流行しているものへの突然の興味を正当化してはいない。ある作家は,自分の作品は細かく記述するのに大きすぎると思ったか,作品を白黒写真に撮り,それを出品していた。別の作家は,やはり巨大なヌード写真をベルベット生地に焼き付けた。すべてこれらの作品は,必然性とは何かということを考えさせてくれる。

〔4〕福島秀子展:南天子画廊

 この5月,福島秀子が10年ぶりに南天子画廊で個展を開いた。以前の彼女の作品は,白い大カンヴァスに灰色がかった黒一色で図形を描くものだった。主には大きな円形や放射線で,それらが厳格な秩序のもとで自由に浮遊する世界を形成していた。今回の個展は紙に青いグウァシュで描いた抽象画のふたつのシリーズから成っており,「INTO BLUE」と名付けられた1974年のシリーズは,白いフィールドに柔らかく流れるような形が浮かんでいる。「FROM BLUE」と題された1975年のシリーズはもっと抑制がきいていて,イメージの形も鋭く,画面を均一におおうオール・オーヴァーな効果を醸し出している。色面の端がそのまま画面の端を定義し,最も良い作品は不規則な多面体を成してまるで紙から切り取ったコラージュのように見える。これらの作品を通して,福島は青の使用で陥りがちなセンチメンタリズムの問題をうまく回避しているが,それは画面全体の堅牢で鋭利な端と対照的に白地に出入りする青色を柔軟にシフトさせる手法が成功しているからだ。彼女の空間は複雑なあいまいさを身につけ,それが,絵画的な紙の小作品という形式に見事に調和している。

〔5〕5人の韓国人作家:東京画廊

 5月,東京画廊で『5つの白』展(韓国・五人の作家 五つのヒンセク〈白〉)が開かれたが,ここに出品した5人の韓国人画家はいずれも微妙に変化をつけた白色を専ら使って作品を作ってきた。彼らの使う白は李朝の白磁を思わせる。空に浮かぶ雲の背後に莫と広がる,青みがかった緑のイリュージョンを起こすような半透明の釉薬がかかった白磁のイメージだ。権寧_(Kwon Yung-Woo)は木製パネルを柔らかい白い紙でおおい,紙がまだぬれているうちに指を押しつけて偶発的な模様を作り出す。陰影を持ったこれらの模様は空間の象徴に似てはいるものの厳密には「空間」とは言い切れない微妙な背景に溶け込んでいる。___(Park Seo-Bo)の作品はカンヴァスに乳白色で描いた油彩画で,表面がかわききる前に鉛筆で二種のリズムを彫り込んでいる。ひとつは鉛筆の筆致そのもの。もうひとつは鉛筆の線と,線のない絵具だけの表面とが織りなすリズムだ。鉛筆の線の運びは限られているがのびやかで,余白が多く残されている作品ほど良い。

 年上の作家が偶然性を尊重するのに対し,27才の李東_(Lee Dong-Youb)の作品は入念な手仕事と言える。「リアリスト」の彼は動くトルソやコップにはいった水といったオブジェをその色のみでわずかに見分けられる程度にまで切り詰める。彼の描くオブジェの外観はついにはその不完全な輪郭の影と化し,あたかもオブジェが無から明確さに向かって多様に動くときに影が凍りつくかのようである。徐承元(Suh Seung-Won)は硬質な幾何学形を描いた。中にははっきりと形の見えるものもあるが,白い背景と色が酷似しているためほとんどおぼろげなる残影のようにしか見えないものもある。

 白という「ブランド色」に荷を負わせ過ぎている感もあるが,同展には今日の韓国美術をよく示す純粋な色彩と純粋な絵画への探究が見てとれる。興味は象徴とか形態,空間にあるのではない。むしろ,作家の作る平面的なモノがシンボルそのものとなり(それが可能な場合),従って各々の触感的なできごとが,その他の抽象様式に比べてひとつひとつ重みを持っているのである。

〔6〕アンソニー・グリーン展:西村画廊

 3月に西村画廊で開かれたアンソニー・グリーン展を見て最初に受けた印象は,極端に親密なリアリズム的風景,三角形あるいはもっと不規則な形に画面を切り取る奇妙な手法,そして描かれた場面を俯瞰する不思議な視点だ。これらは全てきわめて私的な空間観から生まれ出たものだ。彼が好むヨーロッパのロマネスク絵画やゴシック絵画,イランの細密画はみな心的象徴空間に支配されており,変化を拒む世界である。それはイコン的ヴィジョンの対象であり,その外観を超えた機能を備えている。彼はこのヴィジョンを身の回りや自分の家族を取り囲む私的な世界に取りこみ,家庭生活に奇妙な普遍性を付与した。出来上がった彼の亡父の肖像画は,ロンドン風の居間の中央に直立し,その左側には出窓,右には暖炉,頭上にシャンデリアを配した新しい家族のPantocratorである。象徴的な要素も描きつくされている。学校のネクタイ,ボート用の帽子,折り襟から下がったメダル,そして毅然とした印象の顔つきだ。さらにカップやトロフィーといった「象徴」はテーブルの上に置かれている。魚眼を用いて空間を歪める手法はどこかFlemalle Masterの生まれる前の絵画に似ている。

 グリーンはオブジェの物質性と触知性に興味を抱き,そうした特質を絵画的イリュージョンの中で融合させようとした。そのためには遠近法の論理の多くといわゆる「絵画の窓」の構成を犠牲にすることも辞さず,もっと古い時代の装飾的平面性を取りいれた。感性や意味を積み重ねていく彼の作品に私が抱く興味は,英国の中流家庭生活から生まれ続ける物語,象徴的なイコン,そして何百年にも渡って集積されてきた絵画の歴史に根差し,形式上の諸問題をふまえた複雑な産物,である。

〔7〕吉原治良回顧展:東京画廊

 この春,東京画廊では故吉原治良の回顧展が四つの部分にわかれて開かれた。まず,時期毎にわけられた作品展,次いで一連のデッサン展という構成だ。彼の最良の作品は50年代に制作されたことが益々はっきりとしてきたが,吉原のアンフォルメル様式はこの時代のヨーロッパやアメリカでの運動というよりもむしろ,ドローイング作品に示されるように,絶え間ない書道の探究から発している。好奇心からかもしれないが,彼はドローイングを描き始める前に,しばしば自分の,あるいは50年代の数多くの作品を生み出す起点となった活動グループである具体グループのサインをした。

 初期の彼は,ニコルソンやエルンストなど30年代の作家のような色を使った半レアリストで,うす黒い灰色や茶色が頭上の黒煙だらけの空とともに画面を占め,ドローイングのうまさはそれに充分に対応していた。カンディンスキーを類推させる手法で純粋かつ表現主義的な抽象を目指してはいたが,50年代から60年代初めにかけて制作された作品は,創造エネルギーが空前の爆発を起こした以外の何物でもない。ドローイングはヒントとして,油彩画に発展する前段階のすばやい点描の役割を果たしている。この頃から彼が興味を持った東洋的空間観は,もしかすると外国人の友人とのつきあいの中で,おそらくは彼らのルーツへの回帰という課題に触発された結果かもしれない。彼の空間を見て思い出すのは,19世紀末中国のPa Ta Shan Jen の作品だ。Pa Ta Shan Jenはきわめて偶然的ななぐり書きや幅広の書道風の筆致で岩山や海,生物を描き出したが,セザンヌの最晩年のサント・ヴィクトワール山に匹敵するほど本質のみを鮮明にとらえた様式だ。吉原はしばしば矛盾する目的を追求する。ある要素によって空間を暗示させたかと思うと,それに続く部分では相反する要素を加えるといった具合だ。彼はどちらかと言えば率直なリアリズムから出発して叙情的で象徴的な半抽象へと移行していったが,第二次世界大戦の終結が近づくにつれてほとんどの日本人油彩画家と同調した感がある。その後結局書道風の記号論を経て独自の様式を確立した。こうした道程は日本人画家の多くが通ったものであるが,50年代に成熟した様式に到達した吉原ほど自由闊達な書道的結果を残した作家は少ない。

〔8〕山口薫回顧展

 神奈川県立近代美術館では,戦後日本美術の小さな予言者,山口薫の作品を展示した。20才代初めの頃(1930年),彼はパリでドランの影響を受け,帰国と同時に彼の世代固有の段階や形式をくぐり抜けた。彼が本来の自分を取り戻したのは1959年で,アカデミックな半抽象,半リアリズムのいわゆる「詩的」な作風から何とか抜け出し,数年間は叙情的な抽象画を描いたがこれも長くは続かなかった。
彼の最良の作品には,50年代の日本の絵画の特質が顕著に現れている。色彩は光を生み出すのではなく,模糊とした画面上で光を覆う役割を果たす。灰色系に混ぜ合わされた色は,空間を形成すると同時に侵食していく。このように澄み切った色はどこにも見出されないのだが。現実の日本にも確かに澄んだ色はない。自然を見渡しても,くすんだ緑色と大地の色がかすむように広がるだけだし,そうした自然に根差した絵画も同様である。山口は詩の主題を扱って感傷的なノスタルジアやきれいな色を醸し出そうとするが,最も繊細な作品でさえそういった効果をのがれている。彼の文学傾向は,彼が最初に飛びついたパリのフォーヴィズムよりむしろせいぜい江戸時代の南画家のそれに似ているのではないだろうか。

 特に60年代初め,彼の使う色は白亜色その他が混ざり合った複雑な色で,西洋の古典絵画を特徴づけるような合理的空間にがんじがらめになることを拒んだ。彼の作品の頂点のひとつは1960年の『霧の沼』だ。日本の近代美術にありがちな画面全体を色彩で覆わなくてはという傾向を持たず,下塗りの灰色がかった白色だけを残すこともしばしばだ。その他の色はアクセントやヒントとして使われるがあくまで沈黙を守る。黄色はやや緑がかっており,赤は朱色っぽい。もし彼の作品タイトルのいくつかが示すようにこれらの色が歌うとしても,それはハスキーな声でささやくように,なのだ。

〔9〕保田春彦展:南画廊

 保田春彦はここしばらく古代宗教の形の世界を彷彿とさせるような象徴的で聖なる形式と取り組んでいる。すなわち大理石や花崗岩でできた巨大な立方体が開いて,埋葬室へ続く階段が現れる作品だ。イタリアのロマネスク式教会の床からとられた模様が対になった天井と床とにうつされ,垂直というより水平方向に並べられて,二枚貝の貝の開口部を形成している。これらの作品には造形的にどこか不器用なところがある。というのは立方体はずんぐりもっくりで階段はあまりに整然として飾り気がなく,正方形以外の図形は必ずといっていいほど八角形に到達しているからだが,この八角形はイタリアの洗礼堂のイメージから彼が取り入れたお気に入りの形だ。

 3月の南画廊での 展覧会で保田は一連の新作を発表した。そのうち最も印象的な作品は『大河に沿って・埋もれていた祭壇』と題された一対の洗礼盤で,一つはステンレススチール,もう一つは灰色の花崗岩でできている。この作品によって彼はついに過去数年間に渡って悩み続けてきた,イメージと造形とを融和させる問題を解決した。ここに見られるスケール感覚はよくある「大作品のための模型」−−完成した作品のサイズを考える前に,その傍らに置いておくことが必要なミニチュア作品−−ではない。この作品はすでにそれ自身の崇高な空間,精神的な次元を備えているから,これ以上大きくする必要がない。彼のもっと大きな作品は戸外に展示すると飲み込まれてしまっていたが,今回,ついに俯瞰に必要な人間的な触れ合いが確立できる展示状況を見出した。現実の大きさとみかけ上のスケールとの溝を橋渡しするイマジネーションが鋭く呼び起こされたのである。

〔10〕菅木志雄展:かねこアートギャラリー

 菅木志雄はほとんど解読不可能な作品を作る作家だ。彼の「シチュエーション」を作るのは生のままの自然材または工業用材であり,秩序を求めてそれらを組み合わせていく。だが,彼の目指す秩序は私が知る「静」的コンセプトからも遠くはずれ,かといって「動」と呼べるものでもない不可思議な秩序であることが多い。大抵彼の作品は,ひとつの部屋全体を包み込む形式なのだが,5月に,かねこアートギャラリーで,いくつか見事な作品を含んだ紙の「ドローイング」作品のセレクションを出品した。
この種のプロセス・アート(折る,裂く,切る,印をつける等のプロセスから成る)の基本的な問題は,プロセスのみでは正当化されない点にある。作家は,象徴的,空間的,あるいは無言のまま自己表出する何かしらのイメージを持たなければならない。作品が生きてくるためには,イメージと,プロセス顕示との間に力の均衡が必要だ。だから今回の作品でも,不快な手触りの紙とインクによってしまらなくなってしまった作品では,イメージとその意味とが不透明だった。また,イメージはうまく表現されてはいるものの必然的なプロセス顕示が明らかでない作品もあった。幸いなことに膨大な習作から選び抜かれた作品の中には,厳格な修練によってそうしたバランスがうまくとれている秀作も数多くあった。展覧会の最高潮においては,きわめて知的な意図が厳格な物質性の中に体現されていたと言ってよい。今回の作品や,もっと環境的な彼の作品において鑑賞者は人格から全く切り離される体験をする。彼の素材がどんなに風変りな組み合わせであろうと決して表現主義的な感覚ではない。それだからこそ,理解できずとも興味をそそられるのだ。

〔11〕堂本尚郎展:南画廊

 南画廊で開かれた堂本尚郎のアクリル画とグウァシュの展覧会は,自分の原点に帰ろうとする両義性を暗示していた。最も初期の堂本はアンフォルメル様式を取り入れることで,先祖代々受けつがれてきた装飾画の伝統を脱却しようとしていた。彼の油彩画に見られる泡立てたような色彩の波や飛沫は,言うなれば,ザウォーキーやポロックの京都版であった。こうしたロココ風の軽やかさから『連続の溶解』シリーズが生まれたわけだが,これは画面を二重の層で覆う手法で,ひとつの層が画面を横切って規則的な模様を成す途中で動きを止められ,背後にあるもうひとつの層と結ばれる。初めは帯状や円形が多く登場したが,最近では円形に集約されている。彼は,中期においては冷たい,どちらかと言えば無表情な色を選んで,知的作業に没頭していたが,今になって,若い頃の叙情的な色や莫とした雰囲気が戻ってきて,いわゆる「ジャパネスク」絵画とほとんど見分けがつかなくなってきた。

 ここに両義性,つまり二つの色使いをみる。ひとつは叙情性や微妙な装飾性に富んだ京都風の優雅な色彩である。彼が表面をこすったり,「しみ」をつけたりしてアクセントをつけた色使いから脱したとき,反復する円はすべて「文様」と化したが,全文様的形式は画面全体に従属することを拒むことが多い。ただし,長方形におさまった正方形という手段をとった場合を除いて。円の組み合わせによる形は,歌うような色における興味を支え続けることはできない。むしろ,彼の色が喚起する力は,形というレベルの真摯な表明によって初めてバランスがとれるように私には思われる。

 もっと大きく薄暗いアクリル画の作品に比べると,彼の繊細で透明なグウァシュは,あいまいで叙情的という複雑な色をよりうまく使いこなすには,装飾された表面の方に彼が傾倒していることを示している。これらの作品は,彼の描くもっと分析的で知的な大作品をしばっている円の形式からは解放されている。



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