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 菅原道真の祖父にあたる菅原清公(きよきみ)が唐からの帰国にさいし嵐にあってしまい、吉祥天に航海の無事を祈ったところ難を逃れたと言う。
以来、菅原家は吉祥天信仰を伝統とした。

九世紀の中ごろ清公の子是善(これよし)が邸中に仏寺として吉祥院を建立し氏寺とした。

延喜三年(903)に道真は没するが、その怨霊鎮魂と折からの天神信仰のたかまりの中で吉祥院においても、承平四年(934)朱雀天皇が自ら道真の像を刻みこの地に社伝を築き道真の霊を祀ったのが、吉祥院天満宮の始まりと伝えられている。
境内には道真が参朝の時顔を写したと言われる「鑑の井」や「菅公胞衣塚」など道真ゆかりの遺跡が残っている。

またこの地は古くから六斎念仏が盛んに行われていたところで、今も吉祥院六斎念仏踊りとして継承されており国の無形文化財に指定されている。毎年四月二十五日の春祭りと八月二十五日の夏祭りには境内の舞楽殿でこの伝統芸能が奉納されている。

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菅原道真のへその緒が納めてある胞衣塚(えなづか)

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初宮詣りには、本殿参拝後此塚の前にて小児の鼻をつまみ元気声を上げさせ無事成長を祈るならわしになっています。此塚の玉石を喰い初め石としてお宮参りで授与いたしており百日あるいは百二十日で祝う喰い初めの儀において軽く小児の口に添えると丈夫な歯が生えるとされています。

(胞衣塚説明板より)

この胞衣塚は当宮御祭神菅原道真公(八四五〜九〇三)が此地にてご誕生なられたときのへその緒が納められている処で中心にへそを象徴した丸い石が据えられています。六月二十五日の菅公御誕辰祭には安産御祈祷を特別奉修いたしております。

胞衣塚説明板より)

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  吉祥院の子供たちにとってお祭りと言えばこれである。
年に2回、とくに八月二十五日のお祭りは夏休みの終盤にさしかかっていることもあり、なつかしい大勢の友達と顔を合わすことの出来る最大のイベントとなる。
 転校していった同級生や、中学生になって私学に進学してしまった同級生が顔を出すこともあり、さながらミニ同窓会が開かれるのもこの「天神さん」の楽しみの一つでもあった。
 境内には50あまりの夜店がたち並び、あめりんご、チョコバナナや的あてなど、今も昔も様相は少しも変わっていない。
「あてもん」の景品がブリキのおもちゃからゲームボーイに変わったくらいであろうか。
 そして、この祭りのクライマックスが左の写真の「獅子と土蜘蛛」である。
物語も最後に近づくとこの蜘蛛の巣(せい)撒きは客席にもサービスされ、子供たちは我先にと舞台に近づき蜘蛛の糸の洗礼を受けそれを戦利品として持ち帰るのである。

 そして、この祭りが終われば子供たちは最後の夏休みの宿題の追い込みにかかり、長いようで短かった夏休みは終わりを告げる。

 最近、お祭りのあと近所の公園で中高生が夜遅くまでたむろし、風紀上少し問題になっているのが気にかかる。

 

 史料が存在しないにも関わらず、吉祥院村でぜひ触れておかねばならないのが、(四月二十五日と)八月二十五日に行われる吉祥院六斎念仏である。かつては京都における芸能としての六斎念仏の中心的位置をしめて、盛大にもよおされたが、発祥は明らかでない。
吉祥院で戦死を遂げた明智光秀の残党をとむらったのがその起源だと伝えるが、それを証するものはなにもない

(平凡社発行 史料京都の歴史13 より)

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