随想コラム「球憩室」

The NAGASHIMA

球憩室 2000.12.20

 I know that, if he was not the best the game ever saw, he was certainly the most loved(私見によれば彼は史上最優秀ではなかったにせよ最も愛された野球選手ではあった).西岡久壽彌先生から拝借した Maury Allen Memories of the Mick の最終章はこの一文で結ばれている.Mickey Mantle の背番号7は 1950-60 年代の米國野球少年達の憧れの的だった.

 翻って日本にも the Mick のような選手がいた.The Nagashima である.王貞治や野村克也に比べれば長嶋茂雄の成績は明らかに見劣りしている.しかし野球少年が憧れたのは長島だった.背番号3をつけてサードを守りたい.出来れば名前もナガシマに改名したい.ヘルメットを振り落とすほどの豪快な三振をしてみたい.少年サンデーの折込グラビアページを切り取って壁に貼った.それはナガシマの打撃フォームの連続写真だった.バットを手にしてその前に立ちスウィングを真似た.切れ切れにしか聞こえてこない短波放送の野球中継にもかじりついた.試合後のインタビューで初めて耳にするナガシマの声は異様に甲高かった.実物を初めて見たのは 1960 年頃の夏休み,8 20 日前後の広島市民球場.三塁線上のライナーにナガシマが飛びつき捕球した.胸が熱くなった.中学では野球部に入った.胸の裡にナガシマがいたからシゴキにも耐えられた.運よく二年の夏にサードの定位置を獲得した.三年の秋,野球部を卒業し高校進学のことを考えねばならなくなった.それまでは隣町の高校の野球部に「進学」するものとばかり思っていた.しかし野球を離れたらナガシマも次第に遠ざかって行った.補習授業をサボって入った書店で手にした「素粒子の世界(猪木某著)?」が進路を変えた.県庁所在地の「進学校」に進学し,3年後「天下の東大」に進学した.

 そして今,肝臓畑にいる.何故か?大學でも野球部に入ったからである.オダビンの「肝臓内科」にいたヤクザな野球部先輩達が「成績の悪い奴は第一内科に来い.俺達が面倒見てやる」と云ってくれたからである.そして市田隆文萬年野球少年と必然的な再会を果たし,今年,日本肝臓學會に野球部を創設することになった.

 学童期に於けるナガシマへの憧れから,こんなことになってしまった.

 

黄金バット

球憩室 2000.12.25

 

 銀座の或るバアのママから葉書到来.先日は御来店有難う.Y.O.先生に宜しく.今度来る時はM.M.先生を連れて来てね.と書いてある.彼女は M.M.先生が好きなのだ.しかし M.M.先生は一人でそのような場所に行く人ではない.憧れの人に接近するためにロクサーヌにはシラノが必要だった.しかし,そっちがロクサーヌ気取りでもこっちはシラノなんかぢゃ断じてない.などどつい独り言を云わせてしまうような葉書の文面だった.今度来る時は一人で來てね.そう書いてあれば 100 點だったのに.

 しかし総合的には彼女の葉書は合格點だった.切手に含蓄があったからである.

 送られて来た葉書を裏返す(表返す?)と黄金バットの切手が貼ってある.Golden Bat を喫ったことはあるが黄金バットの紙芝居など見たことはない.あっ,彼女はそんな歳だったのか.”Google の検索に黄金バットと入力してみた.「黄金バット摩天楼の怪人」(制作新映画社;東京映画配給;1950.12.238 1927 m;白黒;監督志村敏夫;脚本永松健夫;撮影山崎一雄;出演川路竜子/美空ひばり/上田竜児/杉寛)が出てきた。彼女はきっとこの映画を観たのだろう.赤道鈴之助世代とは少なくとも 5 年の開きがある.きっと彼女は川上哲治の赤バットの世代で、…… ん?、「バット」のスペルはコウモリ(=bat)も野球とクリケットの打棒(=bat)も同じである.何故なのだろう?

 辞書を開いてみてもその共通性の理由は判然としない.しかし一つ面白い用例を見つけた.“bat around には「あちこち歩き回る」という意味がある.これはコウモリがバタバタと飛び回る様から来ているのだろう.野球用語で bat around は「打者一巡する」という意味だそうである.こっちは bat=hit から来ている.ということは,これはカケコトバに使える.あっ、そうか!問いが間違っていた.蝙蝠=bat=野球棒の why をではなく,彼女が何故この切手を貼ってよこしたのか,その理由の方を問わねばならなかったのだ.

 その答は簡単.先日その店へ行った時に野球のことを熱っぽく語ったのを記憶している.しかし彼女が野球中年に期待しているのは「ネオン街の蝙蝠」として銀座の夜を bat around してくれることだったのだ.昨今銀座のバアは何處も火の車である.

 以上,文面より切手の方が雄弁な,稀な葉書の一例について報告した.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新春リレー放談

球憩室

2001.01.01

三代

「プロ球界は今ストウヴリーグの真只中で,新人選手獲得とかトレードとか契約更改とか,実戦以外の話題しかないので何か物足りない.でも話題にはことかかない訳で,我々としては羨しい限りです.我々は年間一試合しかやらないから 364 日がオフシーズン.この長いオフシーズンをどうやって過ごすか,これが大変重要な課題である訳です.一番簡単な机上の解決策は,試合数を増やすことによってオフシーズンの期間を出来るだけ短くする.これですけどね.しかし実際問題としてそれには限度がある.全員が集まる機会は春の総会と秋の大会しかない訳だから.

 よって,我々の野球というのは“イントロンの苦悩”なんだ.結局はスプライスされてしまう部分なのだが,それをば日々創造的に作って行かないと我々の野球は唯の“お祭り騒ぎ”で終わってしまう.草野選手の云った“たかが野球されど野球”の“されど”の中に我々の苦悩と希望が畳み込まれている.その“されど”の部分を大事にする(しかない)のが我々の野球なんです.ホームページもその為にある.フィジカルな野球(exon)とスピリチュアルな野球(intron)の連続的反復.その実験の場所がホームページです.Exon intron を繋いで行っても結局何も生まれないかもしれない.でも,“されど”なんです.何かがある.掘り起こさなければ出て来ない何かが我々の野球の中にある.大袈裟なことを云うようですが,我々は大変興味深い実験を既に始めてしまったような気がする.後悔しないためにも,もうあとには引けない,という感じですね.

 え?,酔っ払ってる,ですか?それはもう勿論です.新春に因んで大いに飲んで大いに放談をやりませうや.忘年会も新年会も一堂に会しては出来ないことになったのだから,せめてリレー放談をやってホームページに掲載しませう.このボール,先ず市田選手に向かって投げます」

市田

「(市田隆文がのどグロのシャブシャブと〆張鶴のぬる燗で身体を暖めながら独り言!)東京大学野球部医学科主将三代選手と日本肝臓学会演題選定委員会の席で、学会に合わせて野球大会でもやりたいですね、の一言でその場の宴席が盛り上がり(そうです、演題選定委員会では、開催教室の地元での慰労会があるんです。)、会長の辻孝夫教授がトップダウンで決定した。この事実は永遠に残る。その後の三代コミッショナー兼オーガナイザー兼現役捕手の活躍は御承知の通りで、さらに今回飲めば飲むほど文章に活が入り、アブサンの美文の後、一寸文学的表現に欠けますが、新春リレー対談として小生も参加しませう。

 さて、野球大会の写真が送付され、先ずもって打たれそうにないな。当分無失点記録が伸びるな。セーブポイントは付くのかな。なんて思っていて自分のピッチングフォームの写真を見て”あぜん”。何やこの投げ方は。腰は落ちて、胸の張りがない。投球しているイメージ(ワインドアップは国鉄の金田、胸の張りはジャイアンツのライト、身体の回転はジャイアンツの工藤、腕のしなりはヤクルトの松岡、フィニッシュは広島の池谷、力強さはヤンキースのレッドソックスから来たあの選手名前がでてこない、スピードはライアン、コントロールは長谷川)と少し異なりがっかりしてしまった。こうなったら、三代捕手と上下、アウトインコース、直球、カーブ、スライダー、スプリットフィンガー、ナックル、パーム、シュートの組み合わせ100通りのサインで攻めるしかないのか、次回は。本人がこれほど真剣に順列組み合わせでサインを考え投げているのに、チェンジアップが今日はいいですねなんて抜かす素人どもがうちの医局員に多い。目の前で変化している球種が見抜けない輩に投げるつらさを背負って時に練習、草野球、not草野野球をしています。当分、マウンドは譲らないし、絶対譲れない。

 ところで、日本脳神経外科学会が対抗野球のために福岡ドーム球場を借り切ってしまったために、日本シリーズが変速日程になったことは記憶に新しい。世論の口撃を交わすために、急遽野球大会を前倒しにして、その日はポスターセッションにしたとのこと。我が日本肝臓学会もこれくらいのことをしでかそうではありませんか。2001年は京都西京極球場(矢野先生)、2002年総会時に行うとすれば大阪ドーム球場(井上先生)。飯野先生、2001年春は東京ドームでやりたいな。ホテルを借り切って評議員、会員懇親会を行うくらいならば、ドーム球場を借り切って好プレー珍プレーを酒の肴に懇親するくらいの方が記憶に残る。そんな会長は居ませんかね。よく学び、よく遊びと言ったのは先輩諸氏、先人達だったと思いますが。

 長々と書いていますと、調子にのって久保田、鶴の友、そして寒梅の焼酎といきそうです。寒さ厳しき新潟から、秋の思い出を辿りつつ、三代先生に感謝しつつ、敵前逃亡風に腰がどうのこうといって打席に立たなかった溝上氏にバトンタッチといきますか。

皆様良いお年を!

三代

「大兄の文章を読み始めるやいなや頭をゲンコツでガーンと殴られたような気分です。言葉の暴力だね。逮捕に値する。「のどグロのシャブシャブと〆張鶴のぬる燗」!!!!!!!!!!!!!!御願いだから今後このようなイントロは付けないで直ぐ本文に入って頂きたい。愚生の田舎でもノドグロは食べますがシャブシャブは未経験です。正月帰省の折に試してみたいと、今はもうそれしか頭になく .......

 ところで、大兄もそうだったんですねえ。愚生も「草野選手」と書く度に「草野球」という禁句が頭をもたげて来るので困っていたのです。あんなにガッツのあるいい選手をまさか除名する訳にはいかないから、改名して貰います。「ミツオー」でどうだらうか?

今愚生は酔ってはいませんよ。完全に素面です。しかし酔いたい。〆張鶴のぬる燗で酔いたい。大兄の文章を肴にして茶を飲んでは失礼だから、手許にある Bali Arak を茶碗に一杯だけ、瞑目し大兄に感謝し、運命のいたづらにも感謝し、透明な気持ちで飲み干そうと思います。乾杯」

追伸:書き忘れました。大兄がど忘れした投手の名前は「伊良部」

市田

「実に新潟に一軒だけのどグロをシャブシャブで食する、いや食べさせてくれる、いや食べさせていただく所があります。いやはや汚い店で、おやじもカンボジア人の風体、しかし佐渡の魚にこだわり、調子に載せるとあわびシャブ、くろだいシャブ松茸しゃぶと薬付けになりそうなところです。粋人いや酔人、是非とも来られたし。講演でも、プライベートでも来て下さい。実にうまい。柔らかい。口にはいると溶けるよう。

 書き直しておいて下さい。伊良部ではなくてクレメンスでした。病棟を歩いていて、ロシア人を診察中に思い出しました。」

三代

「溝上雅史學兄.さあ放談,放談!」

溝上

 

 

分心

球憩室 2001.01.05

 正月、家を空けている間に届いていた年賀状の束を、なんとなく浮わついた気分で解きほぐして行くうちに、一枚の「非年賀状」に辿り着き、手が止まってしまった。

 拝啓/木枯らしの吹く厳しい季節となりました。/突然、一陣の風に吹き上げられ、隔絶された世界に運ばれて、ふた夏が過ぎ、今、二度目の年越しを迎えんとしています。/大きな力に阻まれて、真実を貫く事の厳しさ、難しさ。/医師として、診療の場に立てない無念さ。諸々、矛盾を感じつつも現実を見据えて、少ない資料を前に勉強をしようと心を奮い立たせる日々を過ごしています。/日頃のご厚情に心より感謝しています。/お体大切に、よき新春をお迎えください。/敬具

 獄中にいる K.H. 先生からだった。「球憩室に取り上げるとはこの不届者め!」と、ほかならぬ K.H. 先生を含む多くの諸兄姉から御叱りを受けそうだが、これは後日彼から受けるかもしれぬもっと大きな御叱りを回避する為の、敢えての仕儀である。

 かかる私信の公表は「支援して頂きたい」からではない。獄中にあっても勉強を怠らないでいる彼と対等に戦える力を、娑婆の我々は能く涵養し得ているのだろうか、と自問させられたからである。肝臓学会の中に野球部を結成したぐらいでは到底足りない。彼が今出来ないでいるあれやこれやを脳裏に数え上げてみる。多々あるが筆頭は「遊び」だ。遊びは娑婆でしか出来ない。彼に笑われない遊びを我々は遊び得ているのだろうか?遊びだけで彼に対抗しようとするなら我々は徹底して遊ばなければならない。家財を失うところまで遊び尽くさねばならない。しかしそんなことが我々に出来る筈もない。だから結局彼に笑われる。では、仕事ならどうだろうか?ちょっと新しいウイルスを見つけたぐらいでは「だからどうした」と詰め寄られるのがオチである。慢性肝炎の治療法を工夫して若干の進歩が見られたぐらいではフンと鼻で笑われる。では、娑婆の我々は、獄中の彼の眼から見て、八方塞がりなのだろうか?

 そうではないと思う。獄中の彼に出来ないことは何か、という問いからスタートしたのでこうなった。獄中の彼は「心を奮い立たせる日々を過ごして」いる。彼は娑婆にいた時もそうだった。戦闘的だった。挑戦的だった。我々凡人の到底真似し得ない奮闘努力の日々を送っていた。奮い立つ彼のこの「心」を少し分けて貰いたいと時に思うほどにそうだった。そして、今こそその時ではないだろうか。分けて貰ったその奮闘心を何に使おうがあとは自由である。遊びであれ学問であれ、心の踊っている様が見えるならば彼も文句は云わないだろう。

 筆者自身は既に、彼の心を少しだけ分けて貰っているような気がする。

 

妙なメイル

球憩室 2001.01.10

 昨日妙なメイルが舞い込んで来ました。感想は後日「球憩室」に載せることとして、先ずは本文を御紹介しませう。野球とは全く無縁の話ですが、「無縁」だからこそ、かかる事件が起こってしまうのだ、と思いませんか?

From: Stephen Feinstone

To: (Many)

Subject: Paper Retraction

Date: Mon, 08 Jan 2001 16:21:12 -0500

Dear Colleague,

It is with profound regret that I must inform you that in a few weeks a retraction of a paper (see attachment) of which I am a co-author will appear In PNAS. At least some of the data in the article (Prophylactic DNA vaccine for hepatitis C virus (HCV) infection: HCV-specific cytotoxic T lymphocyte induction and protection from HCV-recombinant vaccinia infection in an HLA-A2.1 transgenic mouse model, by T. Arichi et al., published in Proceedings of the National Academy of Sciences 97: 297-302, January 4, 2000) was fabricated by Dr. Arichi, the first author.

The basis of the paper was that we could vaccinate mice that were transgenic for human HLA-A2.1 with a DNA vaccine expressing HCV core and that these mice would make CTL responses to HLA-A2.1 restricted epitopes in the HCV core protein that we and others have previously identified. We had previously shown CTL responses to core in Balb/c mice and to three A2 epitopes in the A2 transgenic mice vaccinated with peptides representing those epitopes. In the paper in question, we did indeed show CTL responses to those three epitopes. In addition, we challenged these mice with a recombinant vaccinia virus expressing HCV core and found that the vaccinated mice were highly protected from this challenge, a kind of surrogate for HCV. In addition, we found that the protective effect could be blocked by treating the mice with anti-CD8 a few days prior to the challenge.

After Dr. Arichi left the lab, Marian Major and I together with our collaborator, Jay Berzofsky, tried to extend these studies to an enhanced epitope that we had previously described in order to determine if vaccination with this altered core A2 restricted CTL epitope would result in a stronger response. In the first experiments, we found that on challenge with the vaccinia/core we could recover no virus at all from any of the infected mice regardless of if they had been vaccinated. We spent months trying to understand what the problem was and finally realized that the strain of vaccinia that we had made the core recombinant in was NYVAC, a vaccine strain that is completely attenuated for mice. Typically, one would use the WR strain of vaccinia for such experiments as it is mouse adapted. We used the NYVAC virus because we already had the construct made and had not known at the time that it would not replicate in mice. When we contacted Dr. Arichi about his data, he defended it and referred us to his viral titration plates which he had saved. Indeed, he had plates that perfectly matched the titrations that were reported in the paper. As we knew absolutely that NYVAC simply does not replicate in mice, my conclusion at that time was that he had somehow falsified the data. No one, including the developers, have been able to infect mice with NYVAC. We ultimately brought Dr. Arichi back to the lab to "show" us how he could infect mice with NYVAC. We set up experiments under code and he did the work under our observation. When the experiments were concluded and the code broken, we found that no mouse inoculated with NYVAC had recoverable virus while we did obtain reasonable growth in mice inoculated with a WR/core recombinant. At this point, Dr. Arichi confessed that he had fabricated his data by adding stock virus to the ovary homogenates in order to produce the titration plates to match the data. At this time, we do not know if the CTL data reported in the paper was also fabricated. He told us that when he could not get virus growth in mice, he assumed that he was doing something wrong and as his time left at NIH was short, he wanted positive data to publish.

As a follow-up, we have now reproduced the basic protection data in mice vaccinated with the HCV core DNA vaccine. At one month after the third shot of DNA, we have observed a 4 to 5 log reduction in the titer of the recombinant WR vaccinia/core in the ovaries. We will be repeating the CTL work as well. Therefore, it appears that these experiments would work though not to the rather spectacular levels that we reported. If Dr. Arichi had simply told us of his problem in growing the vaccinia out of the mice, we could have solved the problem easily. I have found this experience to be humbling as well as humiliating and embarrassing. In retrospect, I think that there were signs that should have been recognized. The saddest part of this experience is that the overwhelming number of fellows that we have in our labs who would be repulsed by such behavior are the ones who will suffer as everyone comes under a type of heightened suspicion. I sincerely wish to apologize to any of my colleagues who may have tried to use our publication in their own work and not been able to obtain results similar to those we published.

Please feel free to pass this information on to any colleagues whom I may have missed.

Sincerely,

Stephen Feinstone

Chief, Laboratory of Hepatitis Viruses

CBER/FDA