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「Teresa Teng Memorial Page」開設にあたって


 それは突然の、本当に悲しい出来事でした。

 1995年5月9日(火)の晩、帰宅後何気なくTVのニュースに目をやると、アナウンサーが『8日タイのチェンマイでテレサ・テンさんが亡くなったという情報が入りました。』と言っているではありませんか!最初は半信半疑で、またデマ(以前にも死亡説が流れた)なのではと思っていたのですが、間もなく追い討ちをかけるかのように『テレサ・テンさんの死亡がタイの病院で確認されました。テレサ・テンさん亡くなりました。』と報じられたのです。思わず「まだ早い!」と叫んでしまいました。続いて『ケ麗君小姐』と書かれた花輪の映像などが次々と映し出されるにつれて、いちるの望みが絶望感へと変わっていったのでした。「本当に亡くなってしまったんだ。」翌朝のワイドショーでは遺体の映像まで出る始末。死因についても様々なことが取りざたされ、ファンとしてはやりきれない思いで一杯でした。その後放映されたいくつかの追悼番組は涙なくして見ることができず、しばらくはCDやカセットを聴きあさる日々が続きました…

 テレサ・テンさんの歌を聴き始めたのは、彼女がちょうど日本での活動を停止していた頃でした。学生時代、先輩が台湾のお土産にもらったという1本のテープを私に見せ、「テレサ・テン、むこうでは人気あるんですよね!」と言ったのがきっかけ。試しに中華街のレコード店でテープを買って聴いてみたところ、中華料理店などで流れていたあの「中国語で歌われた日本の歌謡曲」の声の主が彼女であったことが判明したのです。もちろん彼女のことはデビュー当初からバラエティー番組等を通じて知ってはいたのですが、中国語圏ではすでに大スターであったことなどは知る由もなく、まだ子供だった私は、欧陽菲菲やアグネス・チャンに続く顔の丸い人ぐらいにしか思っていなかったのです。今考えると本当に残念なことで、当時からのファンの方々が羨ましい限りです。

 日本の歌謡曲のカヴァーや「何日君再来」、「夜来香」を代表とする中国語曲を聴くに連れ、その美しい歌声と発音(まるでお手本のよう)に魅了されて行ったのでした。何を言っているのか歌詞の意味はわからないとしても「耳ざわりがよい・心地よい」と言った感じで何とも言えない味があるのです。木目の細やかさも声の甘さも程良く、情感も豊かでまさに絶品としか言いようがありませんでした。

 社会人になってカラオケの楽しさを知った頃、彼女は再び日本で歌うようになっていました。「つぐない」「愛人」、「時の流れに身をまかせ」、「別れの予感」などつぎつぎとヒットを飛ばし、数々の賞を受けたことは皆様ご周知のことと思います。また、持歌以外の日本の曲についても外国人であるということを忘れてしまうほどのきれいな発音でたくさんのレコーディングが残されています。カラオケの世界ではメドレーを含め20曲(多いところでは30曲)近くの歌が入っていて、今でも多くの人から親しまれています。

 晩年はパリに住んで、あまり日本へ来ることもなくなっていましたが、まだこの先活動の場を広げ、いつか彼女が北京で歌う日が来ることを信じていたのです。彼女の新しい歌はもう二度と聴くことはできません。しかし、残された莫大な数の録音あるいは録画を通してこれまで気づかなかった彼女の未知の世界を知ることはできると思うのです。

 今回パソコン購入を機に、忘れてはならない人、すばらしい歌手、そんな「テレサ・テンの世界」をいつまでも大切にして行きたいという願いをこめてこのページを作りました。一個人が始めたことで大きな力はありませんが、今後も工夫をかさねできる限り続けて行きたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。 最後になりましたが、ページ開設にあたり、何もわからない初心者の私に色々とご指導、アドバイス下さった方々に心から感謝申しあげます。

                             

1998.1.2


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Lily