フィルム・ノアール

只、本当になにも言うことがなかった
自分という存在が曖昧で、意識とか心とか、何もかも無視の状態で
何を言っても何にもならないと思ってしまうことがしばしば
なんで、言葉はこれほど無力で意味がなく…なのに惹かれてしまうんだろう
なんで、自分はここまで考えて考えて考えぬいて間違った選択を選んでしまうのだろう

絶望していることを忘れていたことを思い出したというか
絶望していることを忘れようとしていたことを思い出したというか
世界の中心は確実に自分の全く知らないところで回っているということを知ったというか
私の知るところ以外の所でしか解決出来ないことがあるということを知ったというか

誰かが言った。

「この世界が嫌なら降りてしまえばいい 受け入れた時点でお前の責任なのだ 」

自分でいつも忘れないようにしていることで、相手に対してもいつも思っていることだ
自分が降りないことで発生する問題を他人の所為にして人を傷つける人や
歪んでいることを気にもしない人と関わるのは嫌だと

しかし、そう思った時点で自分も汚れて歪んでいるということに気づいてしまった
絶対的な慈愛は持ち合わせていない
絶対的な怨恨も持ち合わせていない
存在価値と問われて答えることが自分に出来るはずもないが
私自身は今降りる気はまったくもってないということは確かなこと
それは只最低レベルでの生存に関して生物的本能で踏みとどまっている状態だと思うけどそれでも
もし、ただ一人でも私を肯定してくれるのなら降りる理由なんてないのだと思う

己の直中にいる歪んだものの正体を見よ
それは何かと見極めずに人と接触を図れば、それが他人を食い尽くす
そういう曖昧さが極端さが罪になるなら、人というものは罪の固まりの様なもので
そういうことが少なからず己の、自分の中にあるということは間違いない
鏡を一度目にすればそれが自然と浮き上がって思わず叩き割ってしまうことすらあるだろう?

今更人間らしい考え方など持たないほうが倖せだと、何度も何度も繰り返し
そして、不幸のどん底へと自らが自らを引き入れながら絶対に後悔していくのだ
一筋の光すら見つからないでもがいているのに
実はそれを然程興味もなさげに通り過ぎていく自分というものが簡単に想像できる

それが自分であって、自分の確かな所以であって…そして否定したい大部分の要因でもあって

「この世界が嫌なら降りてしまえばいい 受け入れた時点でお前の責任なのだ 」

欲望の直中にいる時歪んだ己の顔を見よ
欲望以上というものを感じたいのであれば只己を両手を掲げて見よ

答えはそこにあり、また、そこにしかないのだから


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