紙ひこうき
01

冬の雨
急に降りだしたそれを浴びながら、覚束ない足取りで歩く。
自分の存在がわからない。
なんでここにいるのかわからない。
あたしは一体なんなのだろう…
答えは出ない。

駅のギャラリーをただ歩いていた。
聴こえてきた音楽につられて…
綺麗だったとか好みだったとかそういうのではなく、ただ何ともなしに足が向いた。
繰り返される同じような音の羅列。
わからない、あたしには、全部、同じ音に聴こえる。
ストリートミュージシャン
あたしには理解が出来ない範疇の人たち
なんで、歌えるんだろう。
なんの、恥じらいもなく。
なんで?どうして?

その人たちに対面する壁に寄りかかる。
聞くわけでもなく、ただなんとなく居るだけ。
ぼんやりと足元に視線を落とす。
やはり聴こえてくる同調の音階。
それにつられるように集まってくる足音。
僅かにあげた視線から、女子高生の姿が見えた。
……わからない
一体、何がいいのだろう。
立ち止まってまで、しゃがみこんでまで聞く意味はあるのだろうか…

リクエスト
『bird cannot fly』 『It sings with dawn』 『tonight』 『law not dying』

心に響かないメロディー
目に映らない歌手の姿
群れてきた大勢の人の山
逃げ出したくても足が動かなかった
座り込んでしまいたかった
泣き出してしまいたかった

「……ん……りん………凛!!」
「…………?」
「大丈夫か?」

いつの間にかなくなった人だかり。その中心にいたはずの人物が今目の前にいる。
私はどうしたのだろう…確か…
思い出そうとしても、記憶は曖昧なものだった。

「お前さ、体調悪いなら来るなよ。焦るだろ?」
「…………うん」
「?…凛?」

空返事を返すと、心配そうに声をかけてきた彼、武藤更夜の手が頬に触れた。
真っ直ぐに見つめてくるその双眸が、無性に怖いものに映って手を振り払うように顔を背ける。
そんな態度に届いた苦笑。申し訳なさに視線はどうしても下に落ちてしまう。

パサッ

―――?

不意に頭に落ちた重みに驚き顔をあげた。
体をすっぽり覆うかのようなコートがかけられたことに気がつく。

「片付け、もう少しで終わっからちょっと待ってろ」
「………うん」

躊躇いながらこくんと頷く。
その姿に軽く息を吐き出し安堵したかのように、更夜はてきぱきと動いていた。

 

02

真っ白なキャンバスに絵の具を塗りたくった。
青い青い色を重ねて、どこまでも続く空を描き殴った。
絵の具箱の住人で、真っ先になくなるのがこの色で…今日も今日とて凡てを使い切ってしまう。
凛が描くスカイブルー
そこに唯一存在が赦されるものがある。
パレットに取り出したオレンジ・橙色。
細い線が幾重にも重なって、描き出されたのは紙ひこうき。
飛ぶ方向はいつもばらばら。
でも、この世界にはそれしか存在できないかのように、舞うのはいつも紙ひこうき…

「また、描いてるのか?」
「…………うん」
「飽きないな」
「飽きないよ」
「……帰るぞ?」
「もうちょっと……」

返事はいつもこうだから期待はしない。
軽く溜息を吐けば、常と変わらず椅子を引いて腰掛ける。
生きている事に無頓着で、相手に合わせることしかしない凛が唯一時間(トキ)を忘れること。
それが描くことなのだ。
自分が歌うのときっと同じくらい…いや、それ以上に凛は絵にのめり込む。
他の存在なんかわからなくなるくらい。どうでもよくなってしまうくらい。
その世界が俺にはわからない。
凛が、俺の世界をわからないのと同じなんだ、まったくもって…
哀しい想い・辛い経験・その他凡てを、彼女は絵にぶつけている。俺が歌を歌うように…

「……や……らや………更夜?」
「…あ、悪い…終わったか?」
「うん、帰ろう」
「そうだな」

キャンバスに置かれた絵に何気なく目をやる。
いつもと同じ。鮮やかなスカイブルーにどこか頼りなさげに飛ぶ紙ひこうき。
寂しげな作風に目に付く色使い。
気づいて欲しい。そういう心境を表しているのだと、そう聞いたのは大分過去(ムカシ)
心の一部が欠けてしまった。それを埋めるための行動なのだ…と
俺には、所詮埋められない。

「また、遅くなったな」
「…………うん」
「凛」
「…大丈夫」
「そうか……」

ポン、と頭に手を乗せる。
求めているものは違っても、それしか俺には出来ないから…
軽く2,3度叩いてから、手をおろすと振り返らずに教室を出た。
後から彼女が続いてくるのがわかる。
この教室を一歩でたら…いや、筆をおいた瞬間から、彼女はまた普段の状態に戻る。
遣る瀬無くて、でも、何も出来なくて…
己の小ささに、普段どおりの憤りを感じてしまった。

 

03

まだ夢を持っていた。
夢の中で生きていた。

ただ生きていた。
生かされていたのではなく、生きていた。

そんな二人を、周りは赦してはくれなかった。
押し付けられた現実はあまりにもつまらなくて、平凡で…
息苦しいこの空間から抜けれると思ったら結局雁字搦めに捕えられて…
巧に張り巡らされた蜘蛛の巣に捕えられ、蝶は身動きが取れないまま。
助けられる術を持っていなかった…持っていても、使えなかった。
望んでいないから…

青い空に飛ぶのはオレンジ色した紙ひこうき。
鮮やかなその姿が綺麗でたまらなくて…ずっと記憶に留まっていた。
白い指から空へと飛び立つ橙が、本当に綺麗で、どうしようもなかった。

幼い記憶の片隅

 

04

冬晴れの空がそろそろ翳りだし、日を落とす時刻。
いつものギャラリーロードに、いつものようにいるストリートミュージシャン。
客はまだ来ていないようで、向かい合わせの場所で凛は壁に寄り掛かって腰を下ろす。
聴こえてくるのはいつもと同じ似たような音階ばかり。
虚ろな視線を持ち上げるもの億劫なのか、ずっと俯いてばかりいた。

次第に集まってくる観客。
近づいては立ち止まる足音の群れ。
音に紛れて聞こえてくる雑音に、思わず耳を塞いでしまった。

なんでここにいるんだろう…

そればかりが頭の中を支配していく。
動きたくても、どうしても体が言うことを聞いてくれない。
逃げ出したいのに、此処に縛られてしまっている…?
いや、違う。あたしは自分からここにきている。
救ってくれる人がいる。そう信じているから…
弱いあたし
やっぱり誰かに縋って、縋りついて、寄生虫のようにして生きていくしか術を持っていない。

リクエスト
『no more color』 『goodbye angel』 『play on words』

普段となんら変わり無い日常の断片。
いっそ壊れてしまったらいいと思ったことが何度あっただろう。
そんな勇気すらなかったけれど、それでも…

? 曲が、止まった……

絶えず聴こえていた音楽が止まる。
終わったわけではないことは、ギャラリーの数でわかる。
俯いていた視線を上に向けると、見えないはずのボーカリストと目が合った。

(何か、言ってるの?)
(        )
(わからないよ)
(        )
(…………なに?なに言ってるの?)
(ちゃんと聞けよ?)

口の動きがやっと読み取れた。
何を、聞くの?

不思議そうに首を傾げた凛の姿が見えた。
きっと口の動きが読み取れたのだろう、そう判断した。
俺には歌うことしか出来ないから、それで救われるだなんて思っちゃいないけど、だけど…
今、出来ることをしてみたかったのだ。

新曲
『recollections when young』

Only one paper airplane which flies to a blue sky.
Orange floated a pair of vivid color, and was merely impressed.
Where have I put the feeling at that time?
That time it was young.
The word "crime" was not known.
Therefore, although it should be learning, you have stopped the pace.
You are not bad.
I who was not able to pull your hand am bad.
It does not say "Allow."

However, I begin to want you to walk once again in how.
I do not think that it can save by this powerless hand.
However, I begin to want you to walk once again in how.

Don't you take my hand?

溢れてきたのは涙だった。
同じように聴こえていた曲が、命を得て泳ぎだした。
聞こうとしなかった耳が動き出した。
やっぱり救ってくれたと、感謝した。
たった一曲。
短いそのフレーズで、こんなに救われるだなんて…

歌い切った直後、彼女に視線をやる。
泣いている姿が見えた。
いつ以来だろう、凛の泣き顔なんて…
そんなことをぼんやりと思いながらも、体は自然と彼女の元へと向かっていた。
差し伸べた手。
どうか拒絶しないでくれ…
その気持ちが通じたのか否か、凛はしっかりと手を握り返してくれた。

 

05

帰り道。
繋いだ手は離されてもまた繋がる。
彼が歌ったのは幼いときの思い出。
彼女が描いたのは幼いときの記憶。
同じところで繋がって、同じところで躓いて、だからこそ一緒に歩けた。
夜空に散る星のささやきに、ふと凛が視線をあげる。

「星座、わかる?」
「まぁ、大体は。な…」
「じゃぁ、今度教えてね」
「覚えるのか?」
「んー…星空も、たまには描いてみたい」
「へぇ……」
「なに?」
「いや、別に」

思っても見なかった言葉に感嘆の声を上げると、不思議そうに視線を向けてくる。
なんでもないと言葉を紡ぎ、手を握る力を僅かに強め、家路へと辿る。

泣いた目は少し赤くはなっていたが、しばらく冷やしていれば腫れることは無いだろう。
腫れたとしても、生きていくための授業料だと思っておけばいい。


まだ夢を持っていた。
夢の中で生きていた。

ただ生きていた。
生かされていたのではなく、生きていた。

夢を持って、それを糧に生きていけることを知った。

星空に似合う紙ひこうきの色はどんなだろう。
次のキャンバスの図案が見つかった。

FIN


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