いつか死ぬ日の僕のために

人というものはいつか死ぬものだ。
早いか遅いかなんて、人が決めるものではないのだ。
天啓を聞けないのは人だけだと聞く。
救いの声が届かないのは人だけだと聞く。
けれど、それすらもまた決まっていて、
だから、最期は自分自身で決めようと思っていたんだ。

「100%が存在するものって、何?」
「死」
「え…」
「死は誰にも、何ににも平等だろう?早いか遅いかは別にして、生あるものは抗うことが出来ない」
「…………」
「どんなに偉かろうと死ぬもんは死ぬだろう?
 それを必死に延ばそうとしてるバカみたいな連中がうちの両親たちってわけだ」
適当なことをそのまま続けていたら黙ってしまった彼女。
自分からネタ振っといて黙りこまれるときほどムカつくことは無いわけで…
「どうせ死ぬんだったら、こんなところで研究材料になってないで自由に外に行きたいよ」
そう僕は吐き台詞を捨てて部屋を出た。
僕の足は車椅子。もう二度と動かないことは知っていた。
僕の命もあと僅か。そんなの自分が一番よくわかってる。
神様っていう奴がいるんならお目にかかってみたいもんだ。
不幸には不幸の連鎖が幾つも幾つも連なっているもの。  くだらない…
蜻蛉のように儚いものではない。蝉のように儚いものではない。
それに比べたら、僕は随分生かされたと思わないか?
なのに、それを捻じ曲げて生かそうとしている研究者である僕の両親。
この息の詰まるような場所に閉じ込められて、朝から晩まで体中を弄られて…何がしたいんだ?
死は凡てに平等だ。生存するものには100%死が待っている。
それがほんのちょっと早かっただけで、そこまでする意味があるのか、僕にはわからない。
つまらない。
生きているのであれば、その間に好きなことをさせてほしい。
後ろ向きだって言われても構わない。僕はいつか確実に死ぬ。
いつか死ぬ日の僕のために、僕は好きなことをさせてあげたかった。
こんなところに縛られているのではなく…

気が向くと僕は大抵屋上にいる。
こうなった後の僕が知ってる唯一の外が此処。
自分の足で立って、走って、そんなことをしてたときより空は近いけど、なんだか遠い。
黄昏るように、何処か諦めたように、フェンスのすぐ傍まで来ると僕は空を仰ぐ。
顔を上げるとそっと瞼を下ろした。
冷たい風。
静けさ。
その感傷に涙が出そうになったのを足音が遠ざけてくれた。
何度ここに来ても必ず現れるその人に、僕はうんざりしながら顔を戻して目を開いた。
数秒後、ギィと言う重たそうな音と共に、誰かがここへとやってきた。
「今日は、何の用ですか?」

「いつも思うのよね。呪文でも間違えたのかしら」
「呪文て…」
「だってあの子…」
「心配するのは勝手だが、拱いててもそのままだ。ひらけごまで開くのは宝の詰まった洞窟だろう?
 人の心を開けるのはそんな簡単なことじゃない」
「そんなこと…知ってるわよ」
「でも、確かに大人になりすぎたな。アイツ…可哀想だよ、まったく」

「相変わらず、冷たいな」
「何の用かと聞いただけです」
「そんなに俺が嫌いか?」
「用が無いなら何処かへ行ってください」
「質問に答えてな…」 「嫌いです」
彼の言葉が終わる前にきっぱりと言い放ってやった。
僕は彼がとても嫌いだ。何故かは判らない。何かをされたわけでもない。
けれど、生理的に受け付けない。
「やっぱり、冷たいじゃねぇかよ」
苦笑を零しながらもこの人はここから立ち去ろうとしない。いつものことだ…
僕が一人でいればそれを見越してやってくる。実に、タイミングよく。
(絶対、計ってるよな…この人)
一度小さな溜息を吐き出すと、僕はフェンス越しに外の景色を見下ろす。
緑は赤や黄に姿を変える少し前のこの期間。木々はとても複雑な色をする。
僕はこの色があまり好きではなかった。
「なぁ、いいもんやるよ」
顔を背けようとしたときに目の前に出されたもの。小さなクリスタルの欠片
「これが、いいもの…ですか?」
「まぁ、そう言うな。どれ、こうすんだよ」
頬を掻き困ったように笑いながら、彼は僕の掌のそれを指で転がしていく。
「あ……」
掌に虹が浮かんだのは一瞬だった。これ知ってる。確か…
「プリズムだ。教材が余ったからな、お前にやる」
用件はそれだけだと言えば手をひらひら振ってその場を後にしていった。
やはり、意味不明だ。何がしたいのかさっぱりわからない。
溜息しか出てこないこの状況と、吹いてきた秋風に背を押されるように、僕も車椅子を動かした。
もう、部屋に戻ろう。

西の丘は楽土。豊かな人々が集う場所と聞く。
南の野は砂漠。干からびた人の肉を鳥が突くと聞く。
東の原は水都。讃えた恵みを大事にしていると聞く。
北の森は黄泉。今日も8人召されたと聞く。

あるところでは豊かに暮らし。あるところでは貧困に喘ぐ。
この差は、一体なんなのだろうか。
神がいないことの証明?人々は平等ではないとの教え?
手を差し伸べてくれることを待っている人は死ぬしかないと言っているの?
そんな世界で、生きていけと…残酷で甘美な言葉を振りまくだけ振りまいて、神は何も出来やしない。

変な、夢を見た。
その通りだと思ったけれど、どこかに感じる引っ掛かりの正体を、僕は最後まで知らなかった。
体を起こす。今日はまだ起こせるらしい。いつの日かこれすらも困難になる。
くだらない…
今日も今日とて研究材料だ。体中に管をつけられて、痣になるほど針を刺されて、
助けたいのはきっと僕じゃない。
頭の中をくるくる思考が巡る、朝の恒例行事。風が吹けば回る風車のようにくるくると
それでも答えはいつも同じで、それが終えるころには僕は研究者達の生贄になるんだ。

人は平等じゃない。
その言葉ばかりが、今僕の中に駆け巡っている。

「よぉ」
「………なんですか?」
「そんな、あからさまに嫌そうな顔すんなって」
うんざりとする試験を終わって部屋に戻ればあの人がいた。
今の僕は虫の居所が悪い。返事をしただけでもありがたいと思ってもらいたいものだ。
「用がないなら帰って下さい。僕は疲れているんです」
「ああ、だろうと思って気分転換にと思ってな…」
「はい?」
話が繋がっているような繋がっていないような、こんな会話が僕は嫌い。
「外、行ってみたくないか?」
「え……?」

嘘ではなかった。
いつのまにか許可を取っていたその人は、散々僕に厚着をさせた後ゆっくりと車椅子を押していった。
外と言っても病院の敷地内は必須。それを条件にもぎ取ったのだと彼は言った。
それでも久しぶりの地上に僕は降りることが出来たのは確かだ。
中から外へ。久しぶりだ。
正面玄関の向こうに見える、更に外界へと続く門。
先の歩行者用の信号機が点滅しているのが目に入った。
後にそれが赤へと移行すれば車がちらりほらりと走る。
普段見ている何気ない風景であっても、僕にはすごく久しぶりだった。
「僕は、まだ生きてはいるんですね」
「ああ、まだお迎えには早すぎる」
「そうでも、ないですよ」
その言葉に彼は何も言わずに僕の髪を撫でた。
大きな手がわしわしと無造作に髪を乱すので眉を寄せる。
こういう行為も、僕はあまり好きではないのだ。
それを知ってか知らずか、一通り撫で終わると手を離す。
ほっと肩を撫で下ろしていたら、頬の横を風が通り抜けた。
「え……」
「知らなかっただろう?」
「………はい」
外に出られなかったのだから仕方がない。ましてやここは屋上からは死角。
一面に広がる秋の風景。
風に靡き慕うように、ススキが嫋やかにその身を揺らしていた。
「なぁ」
「口説くわけじゃないけれど、君は笑っているほうがいい」
「………軽いセクハラですね」
「そういうな…」
冗談まじりな普通の会話は久しぶりだった。
生きていると実感できる、外の世界も久しぶりだった。
これが僕の、最期の景色となる。

「生きたいんじゃ、ないですか?」
「そうだろうね。まだ若いのだから」
「治す術は、ないんですね」
「残念ながら今の医学ではとても無理だ」
「まだ、16に満たないだろうに…神は残酷だな」
「………はい」

あの一度の外出から、僕はベッドから起きられなくなった。
最期とわかっていたから、連れ出してくれたのかどうかも今となっては謎のまま
彼はそれからもしょっちゅう病室にやってきては色々なものを退屈しのぎだと置いていった。
どれもこれも、僕の心には響きやしない。
あの日、あの景色がまだ自分の中にある分、今は何もいらなかった。
遠い遠い、もう見れないであろう景色。それに、僕一人なら涙していたかもしれない。
「…笑ってやれよ。そしたら、救われるから」
「誰が?」
「わからないか?」
「ええ、ちっとも…」
不意に言われたことに驚いて彼へと目を向けると、困ったように微苦笑を浮かべていた。
そして無言のまま、今日の品を渡される。
それは、一冊の写真集だった。
春の陽光。夏の日射。秋の焦燥。冬の静寂。
一冊に詰まったそれに、はじめて興味が向かった。
パラパラと僕が捲りだしたのを確認すると、彼は一度僕に優しく微笑むようにしてから部屋を出て行く。
それにも気づかず、ただ、惹かせていくその世界へ誘われ…
裏表紙を閉じたところで、世界は急激に揺れ始めた。

生きたいと、願うことが、そんなにも、いけないことなのか?
僕が、僕で、あるために…いつか、死ぬ日の、僕のために…
何かを僕は、したかったのかも、知れない

駆け足が響く。往来する沢山の人々を感じる。
眸は開かない。
腕も動かない。
何も出来ない。
ああ、もう駄目なんだなぁ、と悟ったとき…さっきの写真集が頭を巡りだす。
そう、走馬灯のように鮮明に映し出す。

霞光。霜葉。雪花。
凡て見ることが叶わないのであるのなら、知らないほうがいいんだ。
暁闇。晃耀。
それを見る機会すら、今の僕には与えられない幻。
生きているなら、どうしてさせてくれない。
死ぬ直前でさえ、僕の体は僕のものではないようで…
生きたいと、生きたいと心から叫んだって…僕は生きられやしないのに。
どうして心を乱したりする?
「生きたいよ」
やっと、一寸だけ動いた口端から漏れた言葉。
出来ることなら生き抜いて、精一杯生き抜いて僕が僕であるためにすべきことを全部成し遂げたい。
真剣に、真っ直ぐに、いつか死ぬ日の僕のために…生きることが叶わないのならせめて
静かに送って、くれませんか?僕は還るだけなのだから。
帰巣本能とでも言うべきだろうか。元いた闇へと僕は帰還する。

『笑ってやれよ。そしたら、救われるから』

誰が? 誰が救われるんだ?
遠退く意識を懸命に巡らせ、ぼやける顔を見渡す。
ああ、そういうことか…僕以外が、救われるのか…

僕は消えていく意識を手放しつつ、ゆっくりと薄い微笑みを浮かべた。

fin.


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