2004年10月12日
原文:イズベスチヤ(記事

2週間の間にロシアの北の首都では、2つのアイスショーが行われた。最初に観客にそのショーを披露したのは、ソリストとしてアレクセイ・ヤグディンを迎えた、2度のオリンピックチャンピオン、アルトゥール・ドミトリエフ、その後2日間に渡るチャリティーショーを行ったのは、エフゲニー・プルシェンコだ。

ソルトレイクシティーオリンピックの金メダリストと銀メダリストの相関関係を考えると、アイスパレスにおけるこれらの公演には、一種独特な水面下の意味がある。比較するのは、まして現代フィギュアスケートの2つの非凡な技術を衝突させるのは無思慮ではある。その技術は見とれられ、感嘆される価値がある。

だがどんなに険しくても、比較無しに済ますことはできない。ドミトリエフの「アイス・オリンポス」は、質のよいアメリカンショー形式で上演された。アルトゥール自身は、有名なトム・コリンズが、彼と多くのアイディアや、ロシアのリンクに合うようにしたものを分かち合っていることを隠してはいない。ドミトリエフショーのスターとなったのは、既にフィギュア界の伝説となっているイーゴリ・ボブリン、ナタリヤ・ベステミヤノバ&アンドレイ・ブキン、エカテリーナ・ゴルデーエバ、ビクトル・ペトレンコ、フィリップ・キャンデローロ、そしてアレクセイ・ヤグディンだ。

チャリティーショーの主催者、プルシェンコは現役選手を招いたーイリーナ・スルツカヤ、イリア・クリムキン、マリア・ペトロバ&アレクセイ・ティホノフ、タチアナ・ナフカ&ロマン・コストマロフ、それから例外がアレクセイ・ウルマノフだ。いくつかのショーナンバーを共通のシナリオに書き加えるのは、極めて難しかったのだが、プロデューサーのレフ・ロビンソンと、特に振付師のエドバルド・スミルノフは、ペテルブルグの観客に人気の「役者」イーゴリ・コルネリュクと、ミハイル・バヤルスキーを引き入れることによって、この課題に打ち克つことに成功した。

より感銘深い見方に関して論争することができる:オリンピックで有名になった「ウィンター」を含む、ヤグディンの3回の出演、2晩連続で各6回出演したプルシェンコ。ペテルブルグのフィギュアスケーターは、その2年前のエキシビションナンバー、「セックスボム」と「ハファナナ」、今シーズン用に準備した「月光ソナタ」を含む3つのショートプログラム、サンクト・ペテルブルグ300周年に捧げられたナンバーを滑った。当然、全部が簡易バージョンではあったものの、4回転ジャンプや最高難度のコンビネーションジャンプは、ショーでは誰も要求したりはしない。

ロシアフィギュアスケート連盟の会長が、プルシェンコのチャリティーショーには出席し、ほとんどこれ見よがしにヤグディンの祝賀に欠席した件に関する、慎重さを必要とする、だがかなり極端な、注目からくる質問を避けて通るわけにはいかない。「もし『アイス・オリンポス』で、手ぶらでマイクの方へ出て行かなくてはならなかったら、どう思われたかね?」出し抜けに「イズベスチヤ」の記者に口にされた非難を、ロシアフィギュアスケート連盟会長、バレンチン・ピセーエフはかわした。「確かに、サンクト・ペテルブルグでの公演の何日か前には、タチアナ・アナトリエブナ・タラソワ、ヤグディンのコーチがうちの事務室にいたよ。彼女はその祝賀会のことや、私にそれに出席して欲しいと思っているなんて一言も言わなかった。そのことについても、アルトゥール・ドミトリエフから送られた招待状についても、一言もなかったんだよ」

ペテルブルグの観客は、どのスケーターもあたたかく迎えた。だがもちろん、プルシェンコは「自分たちの」スケーターとして、こう言ってよければ、北の首都のシンボルとして、受け入れられている。その全てのインタビューで、外国で暮らしたい、そこで不動産関係のビジネスをやり、ロシア人スケーターのライバルを育てたいと強調しているヤグディンに対しては、態度は全く違う。プルシェンコのチャリティーショーでは、両日とも図らずして満員だった。それはペテルブルグの観衆とヤグディンとのお別れにと、「アイス・オリンポス」の主催者側がいくら望んでも確保できなかったものだ。

もっとも、何故お別れ?プルシェンコとヤグディンが、さらにビクトル・ペトレンコやアレクセイ・ウルマノフも出演するスーパーショーを組織できるプロデューサーが、ロシアで見つかる可能性だってあるのに。こういうイベントなら、サンクト・ペテルブルグのアイスパレスは一週間だって満員になるだろう。だがこんな案は幻想のように思える。「アイス・オリンポス」とプルシェンコのショーの両方に出演した唯一のスケーターである、エレーナ・ベレジュナヤとアントン・シハルリジェのチャリティーショーも、どうやらもうすぐあるらしい。サンクト・ペテルブルグフィギュアスケート連盟の会長、オレグ・ニロフは、既にこのような祝宴組織計画を明らかにした。ペテルブルグでそういったことがあれば、満員になるのは疑うべくもない。ショービジネスのジャンルとしてのアイスショーは、その将来性を証明したのだ。

(文:ボリス・ホドロフスキー、サンクト・ペテルブルグ/ロシア語翻訳:ズズ)