チャイコフスキー

序曲「1812年」
 1812年、ヨーロッパの国々を次々と征服してきたナポレオンは、60万人の軍隊を率いてロシアの主都モスクワへ攻め入ってきました。どこの国の軍隊にも負け知らずだったナポレオン軍もロシアの冬の寒さには勝てませんでした。さらに食糧不足とロシア軍の反撃にあって、完全に敗退したのです。この闘いで破壊されたモスクワの大聖堂が、70年後の1882年に再建され、そのお祝いの祭が催されました。このとき大聖堂の前の広場で初演されたのがこの曲です。
 最初にチェロとビオラで清らかなキリスト教の聖歌が演奏されますが、おしよせるナポレオン軍に対する緊張が高まります。やがて遠くから軍隊の行進が近付き、始まった戦闘が荒々しいリズムと音階によって描かれます。フランス国家の「ラ・マルセイエーズ」が至るところで鳴り響いてナポレオン軍を表わしますが、それに対するロシアは民謡調の美しいメロディーと素朴な舞曲です。ナポレオン軍撃退の立役者が郷土の自然だったことへの、チャイコフスキーのなんとも粋な表現ではありませんか。
 最後には歓びに満ちた行進曲とともにロシア国歌が高らかに鳴り響いて曲を終わります。初演のときにはオーケストラに軍楽隊が加わり、本物の大砲が使われたそうです。私のあたった資料には記されてはいませんでしたが、喜びに打ち鳴らされる鐘の音は、再建された大聖堂の鐘だったことは想像に難くはありません。
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幻想序曲「ロメオとジュリエット」
 チャイコフスキーの作品の中には、「ロメオとジュリエット」「テンペスト」「ハムレット」の3つのシェイクスピア作品による幻想序曲があります。「ロメオとジュリエット」はその最初の曲で、いまだ20代の若いチャイコフスキーが「ロシア五人組」のリーダー的存在のバラキレフの熱心な勧めによって作曲しました。
 序曲とはいうものの、歌劇などの最初に演奏される曲ではなく、独立した曲でちゃんとソナタ形式で書かれています。ソナタ形式では第一主題、第二主題の対照的な2つの主題を中心に作曲されますが、この曲の第一主題はモンタギュー家とキャピュレット家の対立を表す激しいもの、第二主題はロメオとジュリエットの純愛を表す美しい旋律と、みごとなコントラストを示しています。また、最初に出てくるメロディーは、重要な人物であるローレンス神父の宗教的な雰囲気をよく表しています。
 ところでチャイコフスキーの作品といえば(「白鳥の湖」を筆頭とする三大バレエ音楽を思い出していただきましょう)何と言っても「曲の美しさ」ですね。イングリッシュホルンとビオラが演奏する第二主題を、リムスキー・コルサコフはロシア音楽で最も美しい旋律と評したそうです。また旋律だけではなく、オーケストラの楽器の使い方による「音」の美しさもあります。イングリッシュホルンやハープといった楽器自体の音もありますが、たとえ全く同じ編制のオーケストラでも例えばベートーベンとチャイコフスキーとでは音が全く違います。チャイコフスキーの音の特色を考えれば、フルート(ピッコロも含む)とホルンではないかと思います。フルートはもともとメロディーを担当することが多いのですが、フルートの重奏が美しいと感じることがよくあります。その一番の例は「胡桃割り人形」の葦笛の踊りでしょうか。その反対に、もともと和音を担当していたホルンが美しい旋律を演奏することもよくあります。「ロメオとジュリエット」でも2回目に第二主題が全合奏で出てくるところのホルンの対旋律はとてもきれいです。(ここはシベリウスの第2交響曲の4楽章そっくりです。フィンランドもロシアも北国だからかな?)
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「エウゲニ・オネーギン」より ワルツ ポロネーズ
 チャイコフスキーは、パリでビゼーの「カルメン」を聴いて共感し、自分も神話や寓話や時代劇ではなく、身近で現実的な人間を扱った題材を使って歌劇を作曲しようと考えました。そして、プーシキンの「エウゲニ・オネーギン」をオペラ化することになりました。
 原作の主人公オネーギンは、自身の存在を無意義に感じている悲劇的な人物ですが、チャイコフスキーは、オネーギンに思いを寄せる領主の娘タチアナを中心にして劇を作っています。
 ワルツは、第2幕の冒頭の音楽です。序奏部分が間奏曲にあたり、ワルツで幕があくと、そこはタチアナの家の客間。彼女の命名日のお祝いで、客人が次々に訪れます。
 ポロネーズは、第3幕の冒頭に演奏されます。
舞台はペテルブルク(ペテルブルクの街は後にレニングラードと名前が変わりましたが、ソ連の崩壊にともなって、再び元の名前にもどりました。サンクトペテルスブルク、聖ペテロの町。社会主義下では容認できない名前だったわけで、英雄レーニンの町に変わったのでした。そしてソ連の崩壊で、逆にレーニンの名前が許されざるものになった、というわけです。日本でも、大きいところでは江戸が東京と名前を変えましたし、開発によって新しい市町村名が数多く誕生しています。しかし、人名が使われることはないので、人物評価の変化によっての改名などという混乱はおこりそうにはありません。よかったよかった。)の社交会場の大広間。第3幕の幕開けの音楽として、また、オペラにつきもののバレエの場面として作られています。
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ロココ風の主題による変奏曲
 題名の「ロココ風」というのは、17世紀から18世紀にかけて、フランス・ブルボン王朝のルイ14世・ルイ15世の時代の建築や家具の装飾様式のことで、曲線的で優美・豪華なものです。音楽では特にロココ風という様式はないので、この建築や家具と同様に宮廷的で優美な雰囲気の、という意味でしょう。
 チャイコフスキーは、モスクワ音楽院の教授をしていましたが、その時の同僚に、世界的に活躍していたフィッツェンハーゲンというチェロ奏者がいました。この曲はその人に捧げられています。名曲と呼ばれる協奏曲は、作曲者の近くに天才的な演奏者がいて、その人のために作られることが多いのです。もちろん、作曲者自身が天才的奏者である場合も多いですが。この曲も、フィッツェンハーゲンがいたからこそ作られたと言ってもいいでしょう。
 オーケストラの序奏に続いて、独奏チェロがまず主題を演奏します。16小節の主題を、8小節ずつそれぞれ繰り返して、オーケストラの後奏へ続きます。第1、第2変奏は速度・拍子はそのままで、独奏チェロが装飾的な音形を奏します。第3変奏では拍子がゆっくりとした3拍子にかわって、チェロが歌うように奏でます。第4変奏では再び2拍子に戻り、第5変奏では速度も速くなります。そして、無伴奏で独奏チェロのカデンツァとなります。第6変奏は短調になり、瞑想的なもの。最後の第7変奏とコーダは、速度もアレグロと速くなり、技巧をつくして華麗におわります。
 演奏時間も比較的短く、変奏曲ではありますが、チェロの演奏技巧を十二分に発揮できる曲として、並みの協奏曲以上に聴き応えがあります。
(490)


交響曲第4番
 この交響曲を作曲した時期のチャイコフスキーは、いろいろと身辺に変化がありました。文通をとおしてのパトロンであるフォン・メック夫人から援助を得て、作曲に没頭できるようになったことと、チャイコフスキーの芸術をまったく理解できない妻と結婚してしまったことです。この悪妻から逃れるために自殺未遂までしたチャイコフスキーは、この第4交響曲を静養のために行ったイタリアのサン・レモのホテルで完成させました。
 フォン・メック夫人にこの曲を説明した手紙には、この交響曲は標題性をもっていると書かれています。その手紙によって、作曲者自身に解説してもらうことにします。
第1楽章。序奏はこの交響曲全体の中核、精髄、主想です。これは「運命」です。すなわち幸福への追求が目的をつらぬくことを妨げ、平和と慰安が全うされないことや、空にはいつも雲があることを、嫉妬深く主張している宿命的な力です。……。この力は圧倒的で不敗のものです。ですからこれに服従して、ひそかに不運をかこつよりしかたがありません。
(第1主題)絶望は激しくなります。逃避して夢に浸るのがよいでしょう。(第2主題)なんという嬉しさでしょう。甘いやわらかい夢が私を抱きます。明るい世界が私を呼びます。魂は夢の中にひたって憂愁と不快は忘れられます。これが幸福です。しかし夢でしかありません。運命はわれわれを残酷に呼びさまします。(楽章の最後で再び運命の動機が戻ってきます)
第2楽章は悲哀の他の一面を示します。ここに表されるのは、仕事に疲れ果てた者が、夜半ただひとり家の中に座っているとき彼を包む憂鬱な感情です。読もうと思って持ち出した本は彼の手からすべり落ちて、多くの思い出が湧いてきます。こんなにも多くのいろいろなことが、みんな過ぎてしまった、去ってしまったというのは、なんという悲しさでしょう。それでも昔を思うのは楽しいことです。私たちは過去を嘆き懐かしみますが、新しい生き方を始めるだけの勇気も意思もありません。私たちは生活に疲れ果てたのです。
第3楽章には、これといってはっきりした情緒も確定的な表出もありません。ここにあるのは気紛れな唐草模様です。われわれが酒を飲んでいささか酩酊したときに脳裏にすべりこんでくるぼんやりした姿です。その気分は陽気になったり悲嘆に満ちたりくるくると変わります。別にとりとめて何のことも考えているのではなく、空想を勝手気ままに走らせると、すばらしい線の交錯による画面が楽しめます。たちまちこの空想のなかに、酔っ払いの農民と泥臭い歌との画面が飛び込んできます。遠くから軍楽隊の奏楽して通る響きが聞こえます。これらはみんな、眠る人の頭の中を行き交うばらばらな絵なのです。現実とはなんの関係もありません。それらは訳のわからぬ混乱したデタラメです。
第4楽章。あなたが自分自身のなかに歓喜を見出せなかったら、あたりを見回すがよい。人々の中に入って行くがよい。人々がどんなに生を楽しみ、歓楽に身を打ち込むかを見るがよい。民衆の祭の日の描写。人々の幸福の姿を見て、己れを忘れるか忘れないかのとき、不敗の運命は再びわれわれの前に現われてその存在を思い起こさせる。人の子らは、われわれに関心を持たない。彼らはわれわれを顧みもせず、またわれわれがさびしく悲しいのを見るために足を止めようともしない。なんと彼らは愉快そうで嬉しそうであることか。彼らは無邪気で単純なのだ。それでもあなたは「世は悲哀に沈んでいる」と言うだろうか。幸福は、単純素朴な幸福は、なお、存在する。人々の幸福を喜びなさい。そうすればあなたはなお生きて行かれる。
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交響曲 第5番
 チャイコフスキーの6曲の交響曲のうち、前半の3曲は、民族的な色彩の強いもので、第1番は「冬の日の幻想」、第2番は「小ロシア」、第3番は「ポーランド」と呼ばれています。後半の3曲は、民族色が払拭されて、西欧風な雰囲気、というよりもチャイコフスキー的な、つまり、チャイコフスキー独自のスタイルが確立された曲となっています。後半3曲の最後、第6番は最も有名な交響曲の一つに数えられる「悲愴」ですから、言うまでもないことですが、第4番と第5番も大変個性的で、しかも美しく、また交響曲に対する褒め言葉としてはあまり適当なものではないかも知れませんが、とても抒情性に富んだ、それでいて迫力のある名曲です。
 第4番も第5番も「運命の旋律」と呼ばれるメロディーで始まります。第4番のほうは金管楽器の強奏によるもので、第1楽章だけでなく、終楽章にも登場します。ベートーベンの「運命の動機」に似てインパクトの強い、聞くものがショックを受けるような、ドキドキするような旋律です。「運命の瞬間」といった言葉によく合うと言えば良いでしょうか。これに対して第5番のほうはというと、「瞬間」的では全然ありません。人生における「運命」といった雰囲気ですね。こちらのほうは全部の楽章に形を変えて現れます。第1楽章ではクラリネットによる暗い雰囲気で、第2楽章は金管楽器の突然の咆哮、第3楽章ではクラリネットとファゴットがクールに、そして終楽章では短調から長調に変わり、全合奏によって朗朗と。
 このように曲全体が運命に支配されていて、それではこの曲が暗澹たる曲かというと、決してそうではないのは、随所に現れるえも言われぬ美しい旋律のせいなのです。例えば1楽章の第2主題であり、3楽章のワルツであり、そしてとりわけ2楽章のホルンとオーボエのメロディーです。(興がのりすぎて個人的な好みで申し訳ありませんが、筆者は2楽章のホルンの旋律は何と言ってもレニングラードフィルの、あの金管楽器であることを全く放棄したとしかいいようのない、まるで布でできている楽器かとも思いたくなるような音をだすホルン奏者が忘れられません。)
 チャイコフスキーといえばバレエ音楽、就中、ワルツです。史的に見れば交響曲の3楽章はメヌエットであり、ベートーベン以降はスケルツォが置かれるようになりました。この曲の3楽章も中間部はスケルツォ風ですが、前後のワルツはやはりチャイコフスキーならではの端正さですね。
(450)


交響曲第6番「悲愴」
 チャイコフスキーの突然の死の直前に初演された最後の交響曲です。6曲のうちの後半3曲はいずれもが傑作で、以前(の日本で)は標題がついていて特徴のある楽章構成のために、「悲愴」だけが突出した有名状態だったのですが、現在では3曲とも順当な評価がなされているようです。
 チャイコフスキーは交響曲を作曲するにあたって特に楽譜には書き込むことはしなかったものの、絶対音楽としてではなく、何らかのプログラムを元に作曲していたようです。チャイコフスキーの弟のモデストが書いた兄の伝記には、この第6交響曲に名前がついた時の話があって有名です。標題をつけずに出版するのを躊躇していた兄に、「悲愴」という名前を提案したら喜んで賛成してくれ、その場でスコアに書き込んだ、と。実際には楽譜を出版社に送るときには既に作曲者本人は死亡したあとであり、弟が楽譜を持っていたのですから、この話の真偽は既にわかりません。まあ、楽譜に印刷された題名はどうであっても、チャイコフスキーが考えていたことは曲自体に十二分に表現されていて、それが悲愴という題名にマッチしていることは明らかです。
 第1楽章は、第1主題がラシドーシという短調のもの(序奏ではファゴットが、主部ではヴィオラが最初に演奏します)、第2主題はミレドラソミソドーラソーという長調のもの(最初はヴァイオリンで、次いでクラリネット独奏で演奏します)なのですが、どうも昔の日本ではこの第2楽章をいかに悲劇的に演奏するかにいろいろ工夫をこらしたのだという話を聞いたことがあります。しかし、所詮、長調の旋律なわけで、確かに非常に美しくはありますがここで悲壮感を出そうとするのは無理があり、現在では笑い話になっています。まあ、その当時はこの曲を聞いて世をはかなんで自殺した人もいたそうですから、笑うに笑えない話ではありますが。
 第2楽章は、普通の交響曲ではゆっくりとした楽章がくるところなのですが、5拍子の舞曲風の楽章です。もともとハイドン・モーツァルトの時代の交響曲では第3楽章がメヌエットという舞曲なのが普通でしたが、ベートーヴェンはそれを速いスケルツォに置き換えました。チャイコフスキーが得意な舞曲といえばいわずと知れたワルツで、これは第5交響曲の第3楽章で使われています。舞曲風の楽章が第2楽章にずれるのは、ベートーヴェンの第九を筆頭に多くの例があります。
 前後の部分はまさに舞曲なのですが、中間部ではティンパニ等の単調なリズムにのって、ため息をついているような旋律がそこはかとない悲愴感を醸し出します。
 第3楽章は、交響曲本来の第3楽章であるスケルツォ的なものと、本来のフィナーレに相当するものが混ざった構成になっています。実際、第3楽章の圧倒的な終わり方に思わず拍手が起こり、第4楽章を始めるチャンスを失ってしまう演奏会もときどきあります。
 細かい3連符のスケルツォ的な主題のあと、行進曲の主題が最初は断片的に色々な楽器で分担されながら、そして次第に堂々としたものへと盛り上がっていきます。
 第4楽章は、ゆっくりとした、まさに悲愴感のただよう楽章です。本来は第2楽章の位置にあってしかるべき楽章なのですが、チャイコフスキーの考えたプログラムではこれが終楽章に来なければならなかったのですね。
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