リヒャルト・シュトラウス

ホルン協奏曲第1番
 リヒャルト・シュトラウスは、ホルン協奏曲を2曲作曲しています。本日演奏する第1番が18才の時、第2番は78才の時に作曲されたもので、何と60年もの間があいています。つまり第1番は最初期の作品で、第2番は最後期の作品なわけで、その間に彼の様々な代表的な作品が作られたのです。したがって、第1協奏曲には普通にシュトラウスの作風と考えられている複雑さや巨大さはなく、古典派・ロマン派に素直に続く作風で、若々しいものです。
 リヒャルトの父、フランツ・シュトラウスは、ミュンヘンの宮廷管弦楽団の首席ホルン奏者であったため、リヒャルトは幼いころから父の演奏や練習を聞いて育ったのでした。その父親の60才を記念してこの第1協奏曲が書かれたのです。
 曲は3つの楽章から出来ていますが、全て続けて演奏され、また各楽章の主題や伴奏の形にも楽章を越えた統一性を持っています。この辺りは19世紀末という時代、つまりロマン派の多くの作曲家がいろいろやりつくしていて、若い作曲家が当然のようにその手法を使うという時代が感じられます。
 余談ですが、第2楽章は変イ短調です。フラット7つ、つまり、ドからシの全てにフラットがついています。第1楽章の変ホ長調との関係は確かに納得できるのですが、10代にしてすでに、後の奏者泣かせの作品を書く素質は十分あったようですね。
(486)


4つの最後の歌
 リヒャルト・シュトラウスは85歳という長寿の作曲家でしたが、「夕映えに」の詩が現在の自分の老境にぴったりと考えて、死の前年に約20年ぶりに歌曲の作曲を始めました。そこにヘッセの詩集を贈られて、そちらの詩にも作曲を始め、3曲が完成しました。彼の死後に出版されたこの4曲の歌は、(曲名ではなく)本当に彼の4つの最後の歌なのです。
春(ヘルマン・ヘッセ)
薄暗いほら穴の中で
私は長い間夢見ていた
お前の木々と青い空を
お前の香りと小鳥の泣き声を
いまお前は姿を現して
輝きと装いにつつまれている
光をふりそそがれて
ひとつの奇跡ののように私の前にいる
お前はふたたび私を知る
お前は私を優しく誘う
私は全身をふち震わせる
お前がそこにいるという無上の喜びゆえに
九月(ヘルマン・ヘッセ)
庭園は悲しんでいる
冷たく花々の間に沈むのは雨
夏がおののいている
静かにその終わりに向かって
金色の葉が一枚一枚しずくのように
高いアカシアの木から落ちてくる
夏は驚いてほほえみ、そして力を失う
死にゆく庭園の夢の中へと
なお暫くバラのもとに
夏はとどまり、やすらぎを求めている
ゆっくりと夏は(大きな)
疲れた目を閉じる
眠りにつくとき(ヘルマン・ヘッセ)
いまや一日が私を疲れさせた
私の慕い求めるものは
星の輝く夜を喜びつつ
疲れた子供のように受け入れること
手よ、すべての行いをやめよ
額よ、すべての考えを忘れよ
私の感覚は今やすべて
まどろみの中に沈みこもうとしている
そして魂は見張りから解かれ
自由の翼で浮かび上がるのだ
夜の魔法の世界に
深く千倍にも生きるために
夕映えに(ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ)
私たちは苦しみも喜びも
手に手をとって歩んできた
さすらいをやめて私たち(ふたり)は安らう
いまこの静かな丘の上で
私たちのまわりで谷々が低くなってゆく
空はもう暗くなりはじめた
二羽のひばりだけがなお宙に舞い上がる
夢を追いつつもやの中へ
さあ来ないか、ひばりたちは飛び回らせておくがいい
もうすぐ眠りの時間が来る
私たちは互いに迷うことがないようにしよう
ここには私たちしかいないのだから
おお広大で静かな平安!
かくも深く夕映えの中に
私たちはなんとさすらいに疲れたことだろう――
これがあるいは死なのだろうか?
(494)


トップへ   曲目解説目次のページへ  

MAN man@leaf.email.ne.jp