ヨハン・シュトラウス2世

「こうもり」序曲
 年末の第九ラッシュは日本特有のものですが、シュトラウスの作品を演奏するウィーンフィルのニューイヤーコンサートは、全世界に中継される世界共通の新年行事になりました。というわけで、横響でも今年は、ワルツ王ヨハン・シュトラウス2世の作品で始めます。
 最初は喜歌劇「こうもり」の序曲です。この喜歌劇は、主人公アイゼンシュタインのいたずらで、友人のファルケ博士がこうもりの扮装のまま酔い潰れて街中においてきぼりにされたため、こうもり博士とあだ名をつけられてしまったという設定から、この名がついています。
 ファルケは仕返しのために、友人をひっかけるいたずらを計画しました。役人に暴行をはたらいた罪で1週間刑務所に入らなければならなくなったアイゼンシュタインを、舞踏会に誘って笑い物にしようというのです。舞踏会には、さまざまな変装をしていたずらに加担する、アイゼンシュタイン夫人、アイゼンシュタイン家の女中、舞踏会を中座して入ることになっている刑務所の所長などがうじゃうじゃ。ほかにもアイゼンシュタインに間違われて刑務所にいれられた奥さんの昔の恋人や、酔っ払いの刑務所の看守も、観客を爆笑させます。
 序曲は、舞踏会で踊られるワルツを始めとして、劇中の旋律が次々に現われる楽しく美しい曲です。
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ワルツ「ウィーン気質」
 さて、2曲目はワルツ王のワルツ、しかもシュトラウス円熟期のワルツです。
 19世紀は「踊る世紀」と言われるくらいに舞踏がはやった時代でした。ヨーロッパはもちろん、アメリカでも、そして東の果て文明開花の日本でも、夜な夜なポルカやワルツが踊られていたのです。
 もともと舞踏会の目的は踊りです(と一応言っておきます。現代日本のディスコと呼ばれる舞踏会場では、自らは踊らずにお立ち台で踊る女性を鑑賞するだけの人々も多いと聞きますが、人間の性質などそう変わらないはずですから、19世紀ヨーロッパでも似たようなものでしょう)から、音楽は脇役です。それも男女の社交の場(こういう言い方をすれば高尚に聞こえますねえ)の。しかし、俳句に松尾芭蕉が、グループサウンズにビートルズが現われたように、ヨハン・シュトラウスは踊りのバックミュージックを芸術の域まで高めたのでした。
 シュトラウスのワルツは、序奏・数曲の小ワルツ・コーダという構成で、初期にはだいたい5曲だった小ワルツが、序奏とコーダが充実してくると4曲とか3曲に減っていきました。序奏は、例えば「ウィーンの森の物語」のチターによる美しい旋律や、「皇帝円舞曲」のマーチ等、それぞれに特徴あるものになっています。まあ、踊りが始まってしまえば人々の耳もお留守になりがちですが、序奏はそうもいきませんからね。「ウィーン気質」の序奏は優雅な旋律が弦楽器で演奏されます。小ワルツは4曲です。第1ワルツの旋律が特に美しい。コーダは、小ワルツの旋律を回顧しながら盛り上がって終わる、定石どおりのものです。
 余談ですが、この「ウィーン気質」が発表された年、ウィーンでは万国博覧会が開催されたのですが、オーストリア・ハンガリー帝国はこの大イベントに耐えきれず経済が破綻し、株式暴落、銀行・会社の倒産、大量失業という事態に陥ってしまったのだそうです。この時、人々がくちずさんだヒット曲が、ファールバッハの「破産ポルカ」(これはやけになって)と、この「ウィーン気質」(こちらは本来のウィーン気質を思い出して)だったそうです。
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ポルカ「観光列車」
 人気作曲家のヨハン・シュトラウスは、いろいろな所から、さまざまなイベントのために、作曲を依頼されました。そのため、後世の私達が、なんだこりゃと思うような題名の曲がたくさんあるのです。 法律家協会用「法律家の踊り」「論証」。医師会・医科大学用「高血圧」「発作」「心臓の鼓動」。新聞社用「朝刊」「電信」「ジャーナリスト」。工科大学用「加速度」「電磁気ポルカ」。等々。
 この「観光列車」は、1865年のウィーン観光列車の開通式のために作られた曲で、蒸気機関車や汽笛、鐘、笛の音などが出てくる楽しい曲です。
 これも余談ですが、作曲の委嘱関連として。新年早々皇太子妃決定のおめでたいニュースがありましたが、この結婚式のために、現天皇・美智子皇后の時に続いて團伊玖磨氏に祝典行進曲の作曲が委嘱され、すでに完成しているそうですね。後世の音楽辞典には「昭和平成二代にわたって……」などと書かれるのでしょうか。というのは冗談としても、同じ神奈川県民としてうれしいことです。
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ワルツ「春の声」
 年末には「第九」演奏会を聞き、お正月にはウィーンのニューイヤーコンサートの衛星中継を見るというのが、最近のクラシック愛好家の正しい年末年始の過ごし方ですね。「新年にはワルツ」というのは「年末には第九」というのと同じようにつきものになっています。横響の演奏会でも、以前は、1月の演奏会は横浜市歌で始まり「越天楽」、ワルツ、交響曲という定番プログラムでした。
 ワルツといえば舞踏会です。それまで舞踏会で踊られていた踊りは男女が向かい合って踊るだけだったのが、ワルツではなんと「抱き合って」踊ることになったので大人気になったのだという話を聞いたことがあります。(うそかほんとか知りませんが……)ダンスによる社交場では、19世紀ヨーロッパにおいてはヨハン・シュトラウスを初めとする音楽家たちが自分の楽団を率いて活躍し、20世紀アメリカのダンスホールではグレン・ミラーを初めとするミュージッシャンが自分のバンドとともに活躍していました。現代ではディスコがその場所に該当するのでしょうが、そこで活躍しているのは演奏家よりもレコードを手で回したり、レコードの曲目を英語でしゃべる人たちが主なようです。しかし、ロックバンドのライブを演奏会ではなくダンスの場と考えれば、現代日本でもヨハン・シュトラウスの後輩たちがりっぱに活躍していると言えるでしょう。
 ヨハン・シュトラウス(2世)はワルツを百数十曲も作曲していて、「ワルツ王」と呼ばれていますが、これは別に数の多さで王様になったわけではありません。本来ダンスの伴奏音楽であったワルツに、演奏会での観賞に値する高い芸術性を与えたことに対する称号なのです。その証拠に有名な「美しく青きドナウ」や「ウィーンの森の物語」等の初演は舞踏会ではなく演奏会ですし、本日演奏する「春の声」も歌劇の幕間に初演されました。
 ヨハン・シュトラウスは、招かれたある晩餐会でリストと同席し、そこでリストが弾いた曲を即興でワルツに直して弾いて見せているうちに1曲のワルツの形にまとめてしまいました。そしてその曲に喜歌劇「こうもり」の脚本家でもあるジェネーが歌詞をつけて、歌劇の幕間に演奏したのが「春の声」の初演です。
 ウィンナ・ワルツの標準的な構成は、イントロダクションで始まり、数曲の小ワルツ(5曲が標準らしい)が続き、コーダでは小ワルツをざっとおさらいして終わり、というものです。ヨハン・シュトラウスのワルツの特徴はまずイントロダクションにあります。彼の後期の作品には美しくて大きなイントロダクションが数多くあります。代表はまず「ウィーンの森の物語」。有名なチターのメロディーを聞いているとワルツであることをすっかり忘れます。もう一つは「皇帝円舞曲」で、イントロダクションだけでりっぱな行進曲です。
 「春の声」は後期の作品ではありますが、即興的に作曲されたこともあり、イントロダクションは7小節しかありません。そのあとに3つの小ワルツが続き、コーダも最初の小ワルツのおさらいだけでコンパクトな曲になっています。
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