ショスタコーヴィチ

祝典序曲
 この曲は、1954年の第37回革命記念日のために、旧ソビエトの党中央委員会から委嘱を受けて作曲された曲です。
 この曲は、オーケストラで演奏されるよりも、吹奏楽用の編曲のほうが圧倒的に演奏回数が多いのではないかと思います。CDを探してみても、吹奏楽での演奏はいろいろとあるのですが、オーケストラでの録音は数えるほどしか販売されていません。
 今年の夏、あるパソコン通信のクラシック音楽のフォーラムで企画された管楽器オフラインミーティングが名古屋で行われ、そのときもこの曲がとりあげられました。この会合は、楽譜を配って1回通して演奏したら即座に回収、次の楽譜を配る……という大初見大会で、合奏練習はもちろんなし、一度演奏を始めたら最後までとめない、という約束でした。用意された楽譜は吹奏楽のスタンダードなものでしたので、みな一度は演奏した経験があり、順調にいっていたのですが、唯一途中で止まった曲がこの祝典序曲でした。その日集まったホルン奏者は全員が吹奏楽の経験がほとんどないオーケストラの奏者だったため、この曲を演奏したことはもちろん、聞いたこともあまり無かったので、最初のゆっくりとした部分から速い部分にうつったとたん、ホルン全員揃ってリズムを半分の速さで吹きはじめたからでした。このために、その日1回だけ、曲を止めてやり直したのでした。ことほどさように、オーケストラではあまり演奏しないのです。
 曲は、ゆっくりした3拍子のトランペットのファンファーレで始まります。速い2拍子になると、軽快で速い旋律(森の歌でも使われている旋律です)と、ゆるやかで美しい旋律が交互に演奏されます。最初のファンファーレが再び力強く現われて、クライマックスとなり、最後はもう一度速くなって終わります。
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交響曲第5番
 ショスタコーヴィチは、19歳の時に作曲した第1交響曲が世界的に有名になり、「ソ連の生んだ最初の天才」と称されたにもかかわらず、その後社会的リアリズムという芸術政策に合わないということで批判されるようになりました。それに応えるという形で発表されたこの第5交響曲によって、ソ連社会での復権をとげたものの、第9交響曲では再び痛烈な批判を浴びせられることになります。後年、ショスタコーヴィチ自身の日記が出版されて、この、芸術家にとって最も不幸な時代に生きた作曲家とその作品について、再び世界中で議論が起こりましたが、ここではそれについては触れません。なぜなら、政治的イデオロギーを芸術に押しつけることが愚かなことであるのはもちろんですが、芸術作品に対して、作品自体だけでなく背景まで考えなくてはならないというのも愚かだと私は思うからです。しかも、この交響曲は音楽自体が背景など問題にしないほどの名曲なのですからなおさらです。
 第1楽章は最初から1音1音が厳しい。どこか不安定で不安な気分にさせられる旋律が多いのですが、一つ一つの音になおざりに出来ない存在感があります。第2楽章はスケルツォで、本来軽快な楽章なのですが、やはり聞くととっても身が詰まっている感じ。第3楽章は大変美しい。しかしその美しさはキーンと音が聞こえるような冷たい風景を感じさせます。ああ、北の国の作曲家だなと思い出します。第4楽章は、音符の奔流が押し寄せて来るような楽章です。
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