シューベルト

「ロザムンデ」序曲
 ロザムンデは、ヒェツィの書いた劇(歌劇ではない)の題名で、キプロスの女王の名前です。シューベルトはこの劇の音楽の作曲を依頼されて、間奏曲・合唱曲・バレエ音楽等を作曲しました。しかし、上演日までに序曲の作曲は間に合わず、別の歌劇のために作った序曲を流用しました。その後、なぜか、さらに別の「魔法の竪琴」という歌劇の序曲にロザムンデ序曲という名を付けて出版したため、現在は、劇とは全く関係ないその曲が「ロザムンデ序曲」となっています。もちろん、本日演奏するのも、この元「魔法の竪琴序曲」というわけです。
 ちなみに、劇「ロザムンデ」は現在ほとんど上演されていません。このヒェツィと言う劇作家は、ウェーバー作曲の歌劇「オイリアンテ」の脚本も作っているのですが、こちらも現在では序曲以外は忘れ去られています。結局、あまりいい脚本は書けない人だったようですね。
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交響曲第7(9)番「グレート」
 シューベルトの交響曲といえば、なんといっても「未完成」ということになります。映画まで作られたくらいですから。「未完成」がいかにもシューベルトらしい美しく清澄な旋律と和声に満ちているのに対し、この「グレート」はベートーベンの第7交響曲に似た、リズムを中心に据えた交響曲といえるでしょう。ベートーベンが9曲の交響曲で到達した大きさと高さにあこがれたシューベルトが、「大きな」交響曲を作曲したいと思って作ったのがこの曲なのです。残念ながら、ベートーベンの「第10」という称号はブラームスに与えられてしまいましたが、この曲を聞いているとどこかマーラーの交響曲に通じるものを感じ取ることができるのです。
 第1楽章は、ホルンの幅広いユニゾンのメロディーで始まります。ロマンティックな雰囲気が続いてこれが1楽章の主部であろうと思いこむころに、躍動するような主部に入るのです。ベートーベンの第7交響曲の序奏を思い起こさせます。アクセントの付いた第2主題とともに展開されていくうちに、トロンボーンが序奏部のメロディーの一部を奏し、70小節以上も続いた序奏部を主部と密接に結びつけています。この第1楽章は700小節に近い大きさをもっています。
 第2楽章はゆっくりとした楽章なのですが、はずんだ調子のメロディーやリズムによってベートーベンの第8交響曲の第2楽章のように軽快で可憐な感じになっています。冒頭のオーボエとクラリネットのメロディーなど、マーラーの交響曲のなかに出てきそうにおもいませんか。
 第3楽章はスケルツォとトリオですが、それぞれが数百小節に及ぶ巨大なものです。
 第4楽章はまさに巨大としかいいようがないほどで、ベートーベンの第9交響曲のあの長大で複雑な第4楽章でさえ940小節で終わっているのに、この楽章はなんと1000小節以上もあるのです。もちろん、1小節に費やす時間が短いので時間的にはこちらのほうが短いのですが、逆に一定の速度で1000小節以上も続けば変化が少ない分余計に長く感じられます。
 この曲は、あまりにも大き過ぎるために作曲されてから10年ほども演奏されずに埋れていたのですが、シューマンが譜面を発見して、メンデルスゾーンの指揮の下、「短縮して」初演されました。シューマンは、この曲に対する賛辞を雑誌に掲載しましたが、そのなかには「……そしてこの交響曲の神々しい長々しさ、それはたとえばジャン・パウルの四巻の長編小説のように、終わることを知らない。……」というくだりがあったそうです。
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交響曲 第8番「未完成」
 交響曲は、ハイドン、モーツァルト、ベートーベンという偉大な作曲家達によって古典的な形式・構成が完成されて、一つの最高峰としてベートーベンの第九交響曲があるわけですが、その後、時代はロマン派の時代となり、ワーグナーをはじめとする新しい理論が生まれ、新しい形式も誕生しました。しかし、新しい理論や形式がなくても、交響曲は確実に変わっていきます。もっともロマンティックな作曲家シューベルトが交響曲を作れば、抒情に富んだロマンティックな交響曲が生まれるのでした。この未完成交響曲は、ロマン派の交響曲の代表であり、古今のもっとも美しい、もっともロマンティックな交響曲なのです。
 御存知の通り、「未完成」というのは名前ではなく、単に曲が未完成だから未完成交響曲なのです。ほかにもブルックナーやマーラーにも有名な未完成の交響曲があります。いずれも作曲者の死によって未完となってしまったのですが、シューベルトの場合は事情が違います。なにしろこの曲のあとにも「大」交響曲を作曲しているのですから。今となってはなぜこの曲が未完のままになってしまったのか、真相を知ることはできません。
 第3楽章が途中まで作曲されているのですから、2楽章で完結した曲と考えていたわけではないようです。シューベルトは同じ年、他に大作をいくつも作曲しています。その忙しさの中で完成を断念したのでしょうか。この曲の楽譜は、シューベルトが名誉会員に推薦されたある音楽協会に、お礼の意味で未完のまま送られました。なぜ、未完のまま送ったのか? 2つの楽章があまりにも美しかったので後を続けることができなかったのでしょうか。逆に、気にいらなくて続けられなかったのでしょうか。または、なんらかの事情によってその時までに作曲が終わっていた分だけを急いで送ったのでしょうか。写しを取らずに送ってしまい、手元に楽譜がなくなったために単に忘れたというのも考えられないことではありません。それとも映画「未完成交響楽」で描かれたように、シューベルトの恋愛が関係しているのでしょうか。
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