モーツァルト

クラリネット協奏曲
 モーツァルトの時代のオーケストラでは、管楽器といえばまずオーボエとホルンであり、低音弦楽器と同じパートを演奏するファゴット、それから1本のフルート、さらに大きな編成になればトランペットとティンパニが加わるといった工合でした。クラリネットは当時まだ新興の楽器で、オーケストラ内に定席をもってはいませんでした。
 少々立ち入ったことを書くと、普通木管楽器はほとんど同じ指使いでオクターブ上の音を出すことができます。ですから、木の管にドからシの7つの音が出るように穴をあけて、それを指で開けたり閉めたりできれば連続した何オクターブもの音階を出せるのです。人間の指は10本ですから、7つの穴を塞ぐことは可能で、残った指で楽器を支えることもできました。しかし、クラリネットは同じ指使いでオクターブ上の音が出ないのです。例えばドの指使いで高い音を出そうとすると1オクターブ高いドよりもっと高いソの音がでてしまいます。そうなると、その間にドレミファソラシドレミファと11の音があることになり、つまり、11個の穴を開けないと連続した音階が出せないことになります。10本の指で11個の穴を塞ぐのですから、単純な計算でまともな方法では不可能なのは明白ですね。これを解決するためには何らかの機械的手段、つまり、指で直接穴を塞ぐのではなく、キーによっていつもは穴を塞いでおき、必要に応じてその穴を開放するとか、1本の指で2つ以上の穴を塞げるような装置を取り付けるとかしなければならなかったわけです。
 そんなわけで、クラリネットは比較的遅くなるまで登場しなかったのですが、モーツァルトの時代にはクラリネットの仲間でバセットホルンというクラリネットより少し音域の低い楽器が使われていて、モーツァルトはこの楽器を好んで使っていました。さらにモーツァルトにはウィーン宮廷楽団のクラリネット奏者シュタートラーという友人がいたので、彼のためにこの協奏曲と「クラリネット五重奏曲」を作曲したのでした。
 曲は協奏曲の通常の形式の3楽章形式で、ソナタ形式でアレグロの第1楽章、独奏楽器が美しい旋律を奏でるゆっくりとした第2楽章、軽やかなロンドの第3楽章とでなっています。
(454)


フルート協奏曲 第2番
 モーツァルトは、21才のときザルツブルクから新しい職を求めてマンハイムへ旅行しました。マンハイムには、とても優秀な宮廷楽団があったのです。職こそ得られなかったものの、その訪問はモーツァルトにとって得るところが大きいものでした。
 優れた演奏家との交友で楽器に対する理解が深まったのも、モーツァルトが得たものの一つです。モーツァルトはフルートがあまり好きではなかったというのは有名な説ですが、マンハイムにはヴェンドリングというフルートの名手がいたのです。また、そのフルーティストの紹介によって、あるフルート愛好家から高額の報酬でフルートのための四重奏曲と協奏曲の作曲も依頼されました。
 こうして、モーツァルトの作品目録に3曲のフルート四重奏曲と2曲のフルート協奏曲が加わりました。1777年のことです。それから百数十年たち、20世紀に入ってからモーツァルトのオーボエ協奏曲の楽譜が発見されました。これがなんとフルート協奏曲の第2番とほとんど同じもので、フルート協奏曲が当時のフルートの調性であるニ長調であり、発見されたオーボエ協奏曲がオーボエの調性であるハ長調であるというのがその違いの主なものでした。結局、依頼されたフルート協奏曲のうちの一曲は、以前に作曲したオーボエ協奏曲をフルート用に移調しただけのものだということがわかりました。
 とはいえ、百年以上もフルート協奏曲として演奏されてきた曲ですし、ソロのパートは全く同じではなく、フルートのために手直しされていますので、現在でもフルート協奏曲として愛好されています。そして、なによりも「モーツァルトの」フルート協奏曲として、フルートやフルート奏者にとっての宝のひとつとなっているのです。
 楽屋話としては、原曲がオーボエ用なので、独奏パートにフルート特有の高音域の音が出てこないとか、移調されて一音上がっているので弦楽器の最低音が出てこないとかいろいろあるのですが、オーケストラの管楽器パートに面白い明暗があります。この曲では管楽器としてオーボエとホルンが使われています。ホルンは曲の調によっていろいろな調性で楽譜が書かれるため、ハ長調のオーボエ版とニ長調のフルート版では各楽章の最初に「in C」と書いてあるか「in D」と書いてあるかだけしか違いがありません。ところがオーボエにとっては大違い。もともと高い音が多いパート譜だったのがさらに一音上がってしまい、最高音域の連続となってしまいました。なにしろ独奏フルートよりも高い音をしょっちゅう出すのですから。
(458)


バイオリン協奏曲第5番
 モーツァルトは多くの協奏曲を作曲しましたが、バイオリンのための協奏曲はあまり多くなく、10曲にもたりません。
 代表的な、第1番から今日演奏する第5番までの5つのバイオリン協奏曲は、モーツァルトが19歳のときに演奏旅行から故郷のザルツブルグに戻ったときにまとめて作曲されました。演奏旅行で知ったフランスの華やかな音楽やイタリアのバイオリン技法など、旅行の成果が十分に取り入れられていると同時に、なつかしい故郷の雰囲気も感じられる曲です。
 第5番は、第3楽章が普通の協奏曲のようにロンド形式ではなく、メヌエットになっています。メヌエットはモーツァルトの時代としては古い形式なのですが、トリオにあたる部分はアレグロになっていてトルコ風の活発なリズムやメロディーがあらわれ、また編成こそ小さいものの管楽器が重用されるなど、新鮮な曲になっています。
(463)


ファゴット協奏曲
 モーツァルトはピアノをはじめとして多くの協奏曲を作曲しています。管楽器のための協奏曲も、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、そしてホルンのために作曲していて、それぞれが名曲です。(もっとも、フルートの第2協奏曲は、あまり好きではないフルートのための協奏曲の作曲をせかされたため、以前に作ったオーボエ協奏曲を移調してちょっと手直ししただけのものですが。)
 ファゴット協奏曲は、1774年、モーツァルト18歳の時、ちょうどザルツブルグで宮廷音楽家として生活を始めた時の作品です。
 第1、第2楽章は伝統的な構成ですが、第3楽章が3拍子のメヌエット風のロンドとして作曲されているのが、モーツァルトがザルツブルグへ移ったあとに取り入れたギャラント様式風なところです。
(502)


ピアノ協奏曲 K.466
 モーツァルトは、短調の交響曲を2曲(25番と40番)しか作曲していないことは有名ですが、協奏曲でもやはり短調のものは2曲しか作曲していません。本日演奏するK.466と、やはりピアノ協奏曲のK.491の2曲です。
 モーツァルトのピアノ協奏曲は、天才ピアニストでもあったモーツァルト自身が独奏するために書かれたもので、この曲も、1976年にウィーンで行われた予約演奏会で初演されました。自分が独奏するために作られた協奏曲の場合、なかには自分だけが目立つような曲を作曲してしまう演奏家兼作曲家も結構います。しかし、この曲は交響曲としても通用するくらい交響曲的で、また独奏ピアノとオーケストラとの関係も複雑にからみあい、正に「協奏」曲といえる曲になっています。
 現在でこそモーツァルトの全作品が全集の形で楽譜や録音を手にいれることができますが、モーツァルトの死後に継続的に演奏されてきたピアノ協奏曲はほんの一部だけだったそうです。このK.466の協奏曲は、その数少ない曲のひとつで、ベートーヴェンやブラームスも自分でカデンツァを作曲して演奏しています。
(493)


ピアノ協奏曲第23番
 モーツァルト(1756〜1791)は、死後200年たった現代では最も有名な作曲家のひとりですが、同時代の人々にとっては作曲家であると同時に人気ピアニストでもありました。自作の曲を自身で演奏する予約演奏会が、ウィーンにおけるモーツァルトの収入源のひとつだったのです。
 ものの本によると、モーツァルトはピアノ協奏曲を作曲する時、ピアノのパートをスケッチ風に書いて、後から仕上げるのが普通だったのだが、この曲に関しては最初から完全な形で細部まで書かれている。なにしろカデンツァまできちんと書かれている。ということだそうです。自分でピアノ独奏するために作曲するのですから、極言すればピアノ独奏の譜面は頭のなかにありさえすれば演奏はできますし、カデンツァはもとより普通の部分でさえ即興演奏するのはモーツァルトの得意技だったのですから、この曲のように最初から全てを書き記した曲は大変高い密度をもっているはずです。即興演奏の入る余地がある程度の楽譜なら、実際の演奏時に反故になることはモーツァルト自身が一番よく知っていたはずですから。
 この曲では、管楽器にオーボエが入っていません。管楽器はフルート、クラリネット、ファゴット、ホルンです。そのため、曲全体がとても柔らかい雰囲気になっています。
(474)


交響曲第31番「パリ」
 モーツァルトの35年の短い生涯のなかで、交響曲は10才にもならないうちの最初のものから死の3年前の「ジュピター」まで、20年以上の期間にわたって作曲されましたが、その期間のだいたい真ん中当りに3年余りの空白期間があります。このころのモーツァルトの作風が美しさや優美さに重点をおいたものだったので、構成を重んじる交響曲には向いていなかったのです。それに、たぶん「オーケストラという楽器」の機能に対してもモーツァルトはなんらかの限界を感じていたのではないかと思います。交響曲を書かなかった時期にも協奏曲やソナタは作曲していたのですから。
 しかし、この沈黙はマンハイムとパリへの旅行で破られました。当時のマンハイムとパリには大きくて上手なオーケストラがあったのです。そしてそのオーケストラのために、作曲家たちは新しい作曲技法、新しい様式、新しい表現法を生み出していました。このことに大きな影響を受けたモーツァルトは、パリで久しぶりの交響曲を作曲しました。それがモーツァルト後半期の第1作で、今日演奏する第31番です。モーツァルトは自分のパリデビューを成功させようと、マンハイムで手に入れた技法、パリの聴衆の気に入るようなパッセージ、第39番以降の3大交響曲よりも大きな編制、そしてモーツァルトにしては珍しいほど重ねた推敲、など、たいそう熱の入った作曲振りでした。そのかいがあって初演は大成功でしたが、2楽章に関してはあまりいい評価が得られず、また曲の依頼主からも書き直してくれるようたのまれたので、後日第2楽章だけ作曲しなおしています。しかし、現在では普通、オリジナルの方の2楽章のほうが演奏されます。
 当時のパリでは協奏交響曲が盛んでした。これは3楽章形式でしたので、この曲も3つの楽章でできています。
(451)


交響曲第38番「プラハ」
 歌劇「フィガロの結婚」は、初演されたウィーンよりもプラハでの人気が非常に高く、作曲者のモーツァルトはその人気ぶりを見に来るようにとプラハに招かれました。モーツァルトはそこで自ら「フィガロの結婚」の指揮をして観客を喜ばせたのはもちろんですが、新しい交響曲も披露しました。それが本日演奏する交響曲です。副題の「プラハ」という名前は、初演されたのがプラハだったからです。
 第1楽章は、ゆっくりとした序奏ではじまります。テンポが速くなったところが第1主題、主題自体がどことなく「魔笛」序曲に似ています。また、「フィガロの結婚」の中の曲のようなホルンとファゴットの合いの手がでてきます。しばらくして、流れるようなとてもきれいな旋律が始まると、それが第2主題です。
 第2楽章は、8分の6拍子のゆっくりとした楽章。なめらかに始まる旋律は、後半が半音階になって少し朦朧とした感じ。美しい旋律と半音階のうにょうにょ、そしてスタッカートの効いた旋律のカノンとが、入れ替わり立ち替わり出てきます。
 第3楽章は、普通は3拍子の舞曲であるメヌエットなのですが、この曲にはそれがありません。つまり、普通の交響曲は4つの楽章でできているのですが、この曲は3楽章までしかないのです。
 というわけでこの曲の第3楽章は、普通は第4楽章にあたる終曲です。ひたすら快調に快速に進み、華々しく終わります。この楽章の主題も、「フィガロの結婚」の中の曲に似ています。
(泉10)


交響曲第39番
 この39番と40番、41番の交響曲は、モーツァルトの三大交響曲と呼ばれています。モーツァルトの常として、この曲も数日の間に書き上げられていますが、内容は最高のものとなっています。
 この曲の特徴のひとつめは、楽器編成です。ほとんど常に使用されていたオーボエがありません。モーツァルトがオーケストラの曲を書くときの最小の編成として木管楽器はオーボエとファゴットが定席をもっていましたが、この曲ではフルート1本、クラリネット2本、ファゴット2本という編成で書かれています。
 次の40番ト短調交響曲は最初フルート、オーボエ、ファゴットの編成で作曲され、後にクラリネットが付け加えられたので、2種類の版があります。モーツァルト自身が何か不足を感じたからこそ付け加えられたのですが、聞き比べると、なるほどクラリネットの入っている方が響きが豊かで表現に幅がありますが、なんとなく宗教音楽にサクソフォーンが入っているかのような、絶対音楽のきびしさとかくっきりとした輪郭とかの面で失われた部分が感じられます。
 この曲にはきびしさのあるオーボエがなく、まろさのクラリネットが木管の中心として活躍しているので、とても明るく、また歌のような豊かな表現性があるわけです。  もうひとつの特徴は、第1楽章の序奏部です。40番、41番をはじめとして、モーツァルトの交響曲は冒頭から主題が始められる交響曲が多いのですが、この曲は25小節のゆっくりとした序奏が付いています。
 普通、第1楽章は早いテンポで器楽的な主題を持っているため、序奏で重々しく旋律的な部分を出しておいてその後の主部の軽快さを際立たせるのです。しかしこの曲の主題はアレグロではあるものの歌うような美しいものなので、この序奏は逆にリズムと和声を中心とした器楽的なものとなっています。こんなところも天才モーツァルトらしいといえるでしょう。
(456)


交響曲第39番変ホ長調K.543
 この39番と40番、41番の交響曲は、モーツァルトの最後の三大交響曲と呼ばれています。ギリシャの最高神ジュピターの名にふさわしい41番、数少ない短調の交響曲で哀しみを含んだ美しさが比類のない40番、そして39番は……。ちょっと知名度が落ちるようですね。でもそれは単に他の2曲ほど際だった特徴がないからで、正統的な古典交響曲の神髄を極めた傑作といえるでしょう。
 とはいえ、特徴がないわけではありません。この曲には、オーボエが使われていません。オーボエはモーツァルトの管弦楽曲ではほとんど常に使われているのですが、この曲では代わりにクラリネットが使われています。貴族や宮廷に雇われている時代ならば、そこのお抱え楽団の編成に合わせる必要もありましたが、この頃のモーツァルトは自作の曲を演奏する予約演奏会を開催していたので、楽器編成は自由に決められたはず。従って、選択された楽器編成は、まさにモーツァルトがその曲に最適と考えたものなわけです。華やかではあるけれど鋭角的な音のオーボエではなく、柔らかな音のクラリネット。つまりこの曲はそういう曲なのです。
 第1楽章は、モーツァルトの交響曲としては珍しく、ゆっくりとした序奏付きです。序奏にしては厳しい雰囲気が高まり、どんなテーマが出てくるかと手に汗を握っていると、ほんわかとした美しい旋律が。もう一つのテーマ・第2主題も木管楽器の柔らかな音色で美しく奏でられます。
 第2楽章は、なだらかな前半とリズミカルな後半がコンパクトにまとまった旋律が中心になっていて、それが微妙に変化して現れます。派手さはありませんが、じっくり聴いていると、やはり天才だなあ、としみじみ感じてしまいます。
 第3楽章はメヌエット、というのがこの時代のお約束。中くらいの速さの3拍子の舞曲ですが、正直言って交響曲の中では一番退屈で、まもなくベートーヴェンがスケルツォという速い楽章で置き換えてしまいました。しかし、この曲のメヌエットは端正であまり退屈しません。さすがです。中間部のトリオでは2本のクラリネットが旋律と伴奏で活躍します。
 第4楽章は、古典交響曲の終楽章はかくあるべし、と思わせる完璧な楽章ではないでしょうか。芝居は泣かせるより笑わせるほうが難しいといいますが、こんなに楽しく美しくワクワクさせてくれる第4楽章はそうありません。しかも、天才モーツァルトはそれだけでは終わらない。いや、終わるんですがその終わり方が……。
(E"A"T 4)


交響曲第40番ト短調
 モーツァルトは最後の3つの交響曲を1月半ほどのあいだに書いていて、「最後の3大交響曲」と呼ばれています。この40番はその中の1曲であり、またモーツァルトの数少ない短調の交響曲2曲のうちの1曲でもあります。(短調のもう1曲はやはりト短調の25番です。)
 この曲は簡潔に言ってしまえば「どうしようもなく暗い曲。でも美しい曲」ということになるでしょうか。とにかくめちゃくちゃ暗く悲しい。しかし、涙なくして聞くことができないという悲しさではなく、それに流されない美しさがある。暗いのに美しいから、なおさら悲しい。陰影がその美を妖しくきわだたせる。そんなわけで、この曲は古くから多くの人の注目を集めていて、いろいろな評論が書かれてきました。日本にも小林秀夫の『モオツアルト』という名評論があります。
 どれくらい暗いかというと。
 トランペットとティンパニがありません。
 短調の交響曲といえば第1楽章が短調なわけで、たいてい長調の楽章があります。特に第4楽章は長調になることが多いのです。しかし、この曲は4つの楽章全てが短調です。
 ソナタ形式では、第1主題が短調なら第2主題は長調になります。この曲も第1、第4楽章がソナタ形式で、第2主題は長調で出てはくるのですが、再現部でもう一度現われる時には短調に変わってしまいます。
 暗い暗いとばっかり書きましたが、でもとても美しい、まさにモーツァルトの最後の交響曲群のひとつにふさわしい名曲です。


交響曲第41番「ジュピター」
 モーツァルト最後の交響曲です。美しい39番、短調の40番のあと、まるでこれが自分の、そして古典交響曲の総決算とでもいうように、調性の基本であるハ長調の交響曲を作曲したのです。もちろんまだ20代後半のモーツァルトはこれが最後とは思ってはいなかったはずですが。
(494)


戴冠ミサ
 モーツァルトの時代、彼の生まれ育ったザルツブルクは大司教が統治する都市でした。その宮廷音楽家だったモーツァルトは当然教会音楽の作曲も職務のひとつだったわけです。そういうわけで、ミサ曲も20曲以上作曲してます。
 何か特別な機会のためのものを除けば、ミサ曲は毎週日曜に演奏されていたわけで、そのために大編成のオーケストラを使うわけにもいきません。通常はヴァイオリン2部と低音部というトリオの編成で、これに合唱の補助としてトロンボーンが加わります。「戴冠ミサ」は、これにオーボエ、ホルン、トランペット、ティンパニが追加された大編成ですが、基本編成にないヴィオラはそのまま追加されなかったため、この曲はお休みです。
 前回の定期で演奏したピアノ協奏曲第26番「戴冠式」と同様、作曲から10年ほど後の1790年、レオポルト二世の戴冠式の記念ミサに演奏されたためにこの名前がつきました。本来は、復活祭のために書かれたのだろうとされています。それならば、今年の復活祭は先週の日曜でしたからちょうどいい時期ということになります。
(479)


歌劇「劇場支配人」序曲
 歌劇の序曲というのは、歌劇の一番最初にオーケストラだけで演奏する曲ですが、必ずしも歌劇と密接な内容の曲とは限りません。もちろん歌劇の内容を暗示したり、歌劇の中で使われる旋律や主題を使った序曲が多いのはいうまでもありません。時代は少し下りますがワーグナーの歌劇や楽劇の序曲・前奏曲などは、その代表的な例です。しかし、逆の例、つまり歌劇の内容と直接関係のない序曲として有名な例では、ロッシーニの「セヴィリヤの理髪師」の序曲があります。現在「セヴィリヤの理髪師」序曲として有名な曲は、じつはすでにいくつもの歌劇の序曲として演奏されていたものなのです。こうなってくると本編と序曲の関係以前の問題でもありますが。
 モーツァルトが作曲した歌劇の序曲は、「後宮からの誘拐」のように劇中で使われる旋律が出てくるものから、「フィガロの結婚」のように直接の関係がないものまでありますが、今回演奏する「劇場支配人」序曲は、関係がないほうで、交響曲のように厳格なソナタ形式の曲です。この「劇場支配人」は、実は全体でも30分ほどのもので、全十場のうち音楽がついているのは4場だけの「音楽つき喜劇」で、登場人物の半分以上は歌を歌いません。また、この序曲は4分以上かかりますから、序曲が全体に占める割合も不釣り合いなほど大きいのです。ですから、ロッシーニではありませんが、もしこの序曲を第1楽章とした交響曲が作られていれば、たぶん現在では「交響曲第○○番」第1楽章として演奏され、愛好されていたとしても不思議ではないでしょう。
(454)


歌劇「後宮よりの逃走」序曲
 モーツァルトの時代のオペラは主にイタリア語で作られていて、オペラ・セリエと呼ばれる真面目な歌劇とオペラ・ブッファと呼ばれる喜劇がありました。もともとオペラ・ブッファは、オペラ・セリエの幕間に演じていたといいますから、ちょうど日本の能と狂言と同じ関係にあたるわけです。(日本が真似したなどとは思わないように。能・狂言が成立したのはイタリアルネッサンスの遥か以前です。)
 モーツァルトもイタリア語のオペラを作っていますが、有名なものはほとんどオペラ・ブッファにあたります。しかし、有名な「魔笛」や、この「後宮からの逃走」はドイツ語で演奏されるもので、ジングシュピールと呼ばれるドイツの歌芝居の系統のものです。  劇はトルコの太守に売られてしまった恋人を宮殿から取り返そうとする話で、舞台がトルコのため、トルコ風の音楽が使われています。したがって、序曲もトルコ風になっています。後の時代には、「蝶々夫人」に代表されるように日本もヨーロッパの人々の異国情緒の対象の的になりますが、モーツァルトの時代ではトルコが東方の異国としてさかんに取り上げられていました。本日演奏する「第九交響曲」の四楽章にもやはりピッコロ、トライアングル、シンバル、大太鼓によるトルコ風の部分がありますね。
 序曲は、中間に第一幕の最初に主人公ベルモンテの歌うアリアの旋律を使ったゆっくりとした部分をはさんで、前後に軽快な部分があるものです。本当は続いて第一幕が始まるために後半部は途中で終わっているのですが、序曲だけを演奏するときのため、後になって結尾部がヨハン・アンドレによって作られています。
(460)


「ドン・ジョバンニ」序曲
 歌劇「フィガロの結婚」がプラハで大ヒットしたため、モーツァルトはプラハ劇場の支配人から招待されました。(ちなみに、交響曲第38番が「プラハ」と呼ばれているのは、この時に作曲されたからです)そのときに依頼されて作曲されたた歌劇が、「ドン・ジョバンニ」でした。当然、初演はプラハ劇場で行なわれました。
 ドン・ジョバンニとは、プレイボーイの代名詞ともなっているスペインの伝説的人物ドン・ファンのイタリア語読みです。この歌劇の中で従者レポレロが歌う有名なアリア「カタログの歌」の次のような詞を見れば、ドン・ジョバンニがどれほどの人物かわかるでしょう。
「…旦那の恋の名簿を読み上げましょう。イタリアでは640人、ドイツでは231人、フランスでは100人、トルコでは91人、スペインではなんと1003人を数えます。田舎娘、小間使、町の女、伯爵夫人、男爵夫人、公爵夫人等、あらゆる階級、あらゆるスタイル、あらゆる年令の女性を網羅しております。…」
 さて序曲です。主要な部分はオペラ本編とは関連のない旋律によるソナタ形式の曲ですが、ゆっくりとした序奏の部分には劇中の旋律が使われています。また、本来の序曲は切れ目なく第1幕につながるのですが、モーツァルト自身によって演奏会用のコーダが作られています。
 この序曲の作曲については有名な逸話があります。プラハでの初演の2日前の夜から作曲を始めたものの、居眠りのために全くはかどらず、しかたなく1時間だけ眠ることにしたのですが、妻コンスタンツェはあんまりよく眠っているので起こすことができず、結局起こしたのが初演前日の早朝5時。ところがその2時間後の7時に楽譜を受け取りに来た写譜係は完成した楽譜を受け取ったということです。
 先日、日曜朝の「題名のない音楽会」でオーケストラの難曲を紹介していたそうです。私は見られませんでしたが、聞くところによるとファゴットの難曲として「フィガロの結婚」序曲をやったそうな。あの曲は最初から速い旋律を吹きまくり、チェロと一緒にタタタタタタタタと細かい音を延々と「目立たぬように」吹かなくてはならない難曲です。しかし、「ドン・ジョバンニ」序曲に較べたら、あんなのたいしたことはありません。なにしろあっちは何とか演奏できるんだもん……。
(479)

「フィガロの結婚」序曲
 まずはおわびです。チケットの曲目で、「序曲」という文字が抜けていました。申し訳ありません。もう飛ぶまいぞこの蝶々等のアリアを期待してらした方、演奏時間を計算して寝袋やハミガキセットを持ってらした方…まさかいらっしゃいませんよね。
 なんて横道にそれている暇はありません。はい、ページをちょっとめくってください。ご覧いただけましたか? 今回は、五洋建設横浜支店から広告を出していただけました。つねづね、この解説を書いている筆者は、なんとかして解説文をひねりだす量を少なくしようと日夜努力しているわけですが、丸々1ページも少なくなるとうれしすぎてパニックです。……と言いながらもこんな調子で書いているのはなぜかと言いますと、クラシック、それもオペラというとすごく高尚で近づきがたいとお思いの方が多いと思いますが、実際に1回でも聴いて見てみると、とっても面白いのですよ。このフィガロの結婚ははっきり言ってドタバタ喜劇です。だからニコニコしながら聴いてください。たとえオーケストラがあまりの難しさに青くなっていても……。
(484)


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MAN man@leaf.email.ne.jp