メンデルスゾーン

バイオリン協奏曲 ホ短調
 メンデルスゾーンは、ゲバントハウス管弦楽団の常任指揮者として活躍していましたが、そのコンサートマスターであり、またメンデルスゾーンの友人でもあった名手フェルディナント・ダヴィットのためにこの曲は作曲されました。演奏者としてのダヴィットの助言をききながら6年にわたって練り上げられた甲斐があり、華麗な技巧とメンデルスゾーン独特の柔らかく美しい旋律が全曲にわたって流れる名曲中の名曲です。
 古典的な協奏曲では、第1楽章ではまず管弦楽だけで第1主題、第2主題が演奏され、そのあと独奏者が変化をつけて繰り返すのですが、この曲は最初から独奏バイオリンが主題を演奏します。さらに、管弦楽が最初に演奏する第2主題の所でも、独奏が低音を持続させて伴奏をしたりもします。よく言えば十分に独奏バイオリンを堪能させてくれる。ちょっと悪く言うと、独奏が出ずっぱりなのです。つまり、バイオリン奏者にとっては、この曲は「疲れる」曲なのだそうです。
 普通、第1楽章終了間際にあるカデンツァは、再現部の直前に置かれています。もともとカデンツァの部分の楽譜は単にフェルマータがあるだけで、演奏者の自由にまかせられていたものなのです。楽章の終る寸前に、演奏者はその楽章の主題を使って自らの音楽性と技巧とを披露します。そしてカデンツァを終るときには長いトリルを弾いて、指揮者や管弦楽にバトンタッチの合図をする習慣でした。作曲者は、自分の曲に他人(つまり演奏者)の作曲する余地を残しておくのを嫌がって次第にカデンツァの部分も自分で作曲するようになっていきますが、バトンタッチのトリルに関しては習慣通りのことが多いのです。しかし、この曲はカデンツァ終りの分散和音がそのまま再現部を始める管弦楽の伴奏になってしまうのです。なかなかのアイディアと言えましょう。
 1楽章と2楽章の間はファゴットの音によって繋がっています。また、2楽章と3楽章の間も切らずに演奏します。実は次に演奏する交響曲「スコットランド」も、音こそ繋がってはいませんが、全ての楽章を続けて演奏するように指示されています。作曲者として楽章を続けて演奏したほうが効果的だ思ったのだと言われればそれまでですが、メンデルスゾーンが作曲家であると同時に指揮者であったことから、楽章が終る度に拍手が起こるのがいやだったからつづけて演奏するようにしたのだ、というのをどこかで読んだことがあります。
 第2楽章は抒情的で甘美な楽章です。途中、独奏バイオリンが重音で旋律と細かい伴奏音型を同時に演奏しますが、ここなどはまさに抒情と技巧の同居ですね。
 第3楽章は最初に序奏があります。ゆったりとして夢見心地の2楽章が終って、この序奏で目を覚まし、続く金管のファンファーレに答えて快活に動き始めるといった趣向になっています。
 独奏バイオリンの軽快な主題にからみつくフルートの音色の美しいこと。後半にはそこへさらにチェロやホルンの悠々とした対旋律加わって美しさの極致ともいえる瞬間が訪れます。(し、しまった。こんなこと書いちゃったら横響の演奏とのギャップが……)
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交響曲第3番「スコットランド」
 初めに演奏した「フィンガルの洞窟」の作曲のきっかけとなったスコットランド旅行で、メンデルスゾーンはスコットランドのかつての王城ホリルードの遺跡へも訪れました。
 1566年、時の女王メアリに取り入り、政治にも口をはさみはじめた宮廷音楽師リッツィオを、愛国的な貴族たちが殺害した場所を実際に見たメンデルスゾーンは、この交響曲の最初の部分の旋律を思いつきました。しかし、全曲の完成はずっと遅れ、既に第4番「イタリア」も第5番「宗教改革」も完成した後の13年後のことでした。従って、番号は若いものの、メンデルスゾーンの最後の交響曲ということになります。
 第1楽章は、スコットランドで得た幻想的な序奏で始まります。悲歌劇の情景のような悲しい美しさに満ちています。序奏が終ると、リズムに特徴のある優しい主部になります。2つの主題が静かに現れた後、さらにもうひとつとても美しい旋律(石川さゆりのうたう悲しい演歌のような、といったら怒られるでしょうか)が現れて聞くものを酔わせてくれます。
 楽章の終りには再び序奏部が戻ってきて第2楽章に続きます。
 第2楽章は通常の交響曲と違ってスケルツォ風の軽快な曲。スコットランド民謡を思わせる旋律です。
 第3楽章はゆっくりとした楽章です。それまでの優しい美しさとは違って、わびしさ、暗さのある楽章です。
 第4楽章は3楽章に続いて演奏され、突然の激しさに驚かされます。闘いの音楽のように激しいリズムと荒々しい旋律です。第2主題は、第1楽章の序奏を思わせるもので、束の間の幻想といったところ。
 最後に、第1楽章の序奏に似た合唱のような高らかな歌が突然始まり、華やかに全曲が終ります。全楽章を続けて演奏し、しかも冒頭の旋律の雰囲気を各所に出現させることで、全曲の統一を図っています。
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序曲「フィンガルの洞窟」
 メンデルスゾーンは、20才の時に初めてイギリスへ演奏旅行に出かけました。イギリスには半年ほど滞在して、演奏に指揮に忙しい日々を送ったのですが、夏にスコットランドへ旅行をしました。スコットランドの西、ヘブリディス諸島のスタッファ島というところに、海水の浸食による巨大な洞窟があって名所となっていたので、メンデルスゾーンも見物に行きました。その時の印象をもとに作曲されたのがこの曲です。楽譜などには、「フィンガルの洞窟」という名と「ヘブリディス」という名の2つが書かれています。
 フィンガルというのは、伝説上の(というか伝説として書かれた文学作品上の)勇士の名で、洞窟の島に住んでいたとされていたため、洞窟の名前につけられていたのです。
 曲はソナタ形式で作られていますが、ワーグナーがこの曲を聞いてメンデルスゾーンのことを「第一級の風景画家」と評したように、第一級の標題音楽といえるでしょう。ヨーロッパは緯度のわりに暖かいとはいえ、ヘブリディス諸島は北緯57度付近で(北海道の最北端でも北緯45度よりちょっと北です)大西洋に面しています。そんな北の海に巨大な洞窟が口をあけている風景を想像しながらお聞き下さい。
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結婚行進曲
 この曲を本日演奏する理由は、皆さんのお考えの通りです。今年の冬の選曲会議で、もし團伊玖磨作曲「新祝典行進曲」の管弦楽版の楽譜が手に入ったらそちらを演奏しよう。でも、新祝典行進曲は吹奏楽のために作曲されているから、オーケストラの楽譜は手に入らないかもしれない。その時にはワーグナーかメンデルスゾーンの結婚行進曲を演奏しよう、と決めたのです。
 新祝典行進曲は、作曲者自身のオーケストラ編曲と指揮で、テレビの題名のない音楽会で演奏されていましたので、楽譜をお借りして演奏することもできたのかも知れませんが、時間的に余裕がなかったもので、本日は予定通り(?)メンデルスゾーンの曲を演奏します。
 「真夏の夜の夢」は、シェイクスピアの戯曲で、この喜劇を読んだ17才のメンデルスゾーンはまず序曲を作曲しました。これは後に戯曲の上演の開幕前に演奏されるようになりましたが、それから17年後、劇中の音楽12曲が作曲されました。その中の1曲が本日演奏する結婚行進曲というわけです。17才から17年後ということは34才ですが、團伊玖磨氏は、昭和34年、34才のときに「祝典行進曲」を作曲し、その34年後の今年、新祝典行進曲を作曲したのです。(と、CDの説明書に書いてありました)ほーら、きちんとつながったでしょ。
 さて、結婚の儀というと、平安王朝そのままの十二単衣が思い起こされますが、最近の大学の文学部では、源氏物語を読む際の重要な参考文献として、なんと大和和紀著「あさきゆめみし」というコミックが勧められているそうです。たしかにこれは一見の価値がある作品です。で、話はシェイクスピアの真夏の夜の夢に戻りますが、こちらも名作コミックがありますよ。美内すずえ著「ガラスの仮面」です。主人公北島マヤのいる劇団で野外の舞台でこの戯曲を上演するのです。ガラスの仮面は現在39巻まで発売されていますが、一度読み出したらとまらない。徹夜して全巻読破してしまった、とか、途中まで買って帰って読んだら次が読みたくてたまらない、次の日にそこらじゅうの本屋さんで探し回った、等、すさまじい話をよく耳にします。
「あさきゆめみし」「ガラスの仮面」の名作2つ、だまされたと思って読んでみませんか。
 あ、そうそう。本日舞台に乗っている演奏者のなかに、結婚記念日が6月9日で、今年は祝日として全国的にお祝いされてしまった人がひとりいる、ということもお知らせしておきましょう。
 いやこれはずいぶんひどい曲目解説かも知れないとは我ながら思っては居るのですが、この曲を聞いたことの無い人はたぶんいないと思いますので、まあ勘弁してください。
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MAN man@leaf.email.ne.jp