ケルビーニ

レクイエム
 レクイエムは、モーツァルトやフォーレをはじめとして、古今の多くの作曲家が作曲しています。というのも、レクイエムが死者を弔うためのミサ曲であり、偉大な人物の死によって時の大作曲家に作曲が依頼されたり、また、作曲家自身が尊敬する人物の死に際して自発的に作曲したりしたからです。
 本日演奏する曲の作曲者ケルビーニは、モーツァルトとベートーベンの間にイタリアで生まれ、フランスに移って後にパリ音楽院の院長となり、音楽院の改革でベルリオーズと対立したという、古典派時代からロマン派時代にわたって活躍した作曲家です。オペラを中心に作曲していましたが、後半生は主に教育者としての生涯を送りました。 このレクイエムは、フランス革命で断頭台に消えたルイ16世追悼のため、ルイ18世から命ぜられて作曲したものです。王妃マリー・アントワネットにも知偶を得ていたケルビーニは、心から冥福を祈りながら作曲したことでしょう。
 ケルビーニは晩年、もう1曲ニ短調のレクイエムを作曲していますが、両方とも合唱のみで独唱のパートがありません。普通は、合唱のほかに何人かの独唱者が使われるのですが、本来教会でミサのために歌う曲、しかもレクイエムは葬儀の時のものですから、オペラのような華麗で美しい独唱は音楽的には効果があっても、宗教的には逆効果となります。ケルビーニは宗教音楽においては厳格な態度で、声楽的な技巧を避け、真に宗教的な曲を作っています。その結果、現在ではモーツァルト、フォーレ、ベルディ、ベルリオーズなどにくらべ、注目されない曲となっていますが、ベートーベンはもし自分がレクイエムを作曲するなら手本はケルビーニであろうと言ったそうですし、また、ベートーベンの追悼ミサではモーツァルトのレクイエムとこの曲が使われたそうです。

第1曲
 「レクイエム エテルナム ドナ エイス ドミネ(主よ、永遠のやすらぎを彼らに与え給え)」と、レクイエムという曲名の由来の導入の文が歌われます。後半には「キリエ エレイソン(主よ、あわれみ給え)」とキリエの文も含まれていて、美しく歌われます。
第2曲
 第1曲と同じ句で始まりますが、「正しい人の思い出は永遠に生き続ける……」と変ります。
第3曲
 曲想は一転して劇的なものとなります。最後の審判の日を描写したもので、ラッパの音とともに審判者がやってくる日(怒りの日)の恐ろしさを表わします。
 一段落すると「我を救い給え(サルヴァ メ)」と美しい歌が表われます。
 再び裁きの火の恐ろしさを描写した後、曲はゆっくりと「その日こそ涙の日」と哀しく救いを求める文が歌われる。
第4曲
 前半は合唱によるイエス・キリストの賛美、管弦楽の地獄の描写に乗って合唱が救いを求める部分、そして夜明けの希望の歌、の3部分にわかれています。そして後半は壮大なフーガを前後に配し、中間部では犠牲と祈りを捧げる敬虔な奉納唱が歌われます。
第5曲
 「聖なるかな(サンクトゥス)」と、神の栄光への賛歌です。
第6曲
 主イエスに永遠のやすらぎを哀しげに願う歌です。
第7曲
 「世の罪を除き給う神の子羊よ、我らをあわれみ給え」と何度も訴えたあと、永遠の安息を願う静かな祈りが次第に弱くなりながら曲が終ります。
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