ハイドン

交響曲第94番「驚愕」
 ハイドンは長い間エステルハージ侯爵家の楽長として作曲・演奏していましたが、侯爵の死後、新侯爵がそれほど音楽に関心が無かったため楽団は解散、楽長の地位はそのままでしたが有名無実のものになってしまいました。そこに、ロンドンで演奏会を開催していたザロモンから12曲の交響曲の作曲と演奏を依頼されたので、ハイドンは93番から104番までの交響曲を作曲したのです。
 本日演奏する第94番はその中の1曲です。
 「びっくりシンフォニー」「驚愕」等の名前は、静かな第2楽章で突然の大音響が鳴り響く所から来ていますが、これはよく言われるように、眠っている聴衆をにがにがしく思ったハイドンがびっくりさせて起こそうとしたわけではないようです。まあ、びっくりさせようとは思っていたのは確かですが。
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交響曲104番「ロンドン」
 交響曲の父と呼ばれるハイドンの最後の交響曲です。ハイドンは長い間エステルハージ侯爵家の楽長という地位にありましたが、侯爵家の代替りで楽団が解散したためにその地位は有名無実になってしまいました。そこへ、ロンドンでザロモン・コンサートという定期演奏会を開催しているザロモンから、12曲の交響曲他の作曲と演奏会の指揮を依頼されました。引き受けたハイドンは、93番から104番までの12曲の交響曲を作曲し、ロンドンでの演奏会で、これらの曲の指揮もしたのです。そういうわけで、この最後の12曲の交響曲は、「ザロモン交響曲」と呼ばれています。104番交響曲がロンドンという名前で呼ばれはじめたのはずっとあとのことで、特にこの曲が他の11曲よりロンドンに関係が深いわけではないのですが、他にも名前が付いて有名な曲はありますが、やはり104番はハイドン最後の最高の曲として、この名が後世つけられたのでしょう。
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ヴァイオリン協奏曲第1番
 ハイドンは、長い間エステルハージ侯爵家に勤務する音楽家だったため、侯爵家の中での様々な機会のために、例えば、来週お客様を招いてパーティーをやるから交響曲を、とか、イタリアでの修業から戻ったヴァイオリニストのトマシーニ君の腕をききたいからヴァイオリン協奏曲を、などと、主人である侯爵の依頼によっていろいろと作曲していたわけです。そういうなかで、時には楽隊を引き連れての旅行からなかなか帰ろうとしない侯爵へのストライキとして「告別」交響曲を作曲したり、居眠りするパーティーの客に対するいたずらとして「驚愕」交響曲を作曲したり、といった逸話が生まれたわけですが。
 本日演奏する曲は、上記のように、侯爵家の楽団のヴァイオリニスト、ルイジ・トマシーニのために作曲されたものです。ちょうどバロック様式の協奏曲から古典派の協奏曲への発展途中の形式で作曲されています。
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チェロ協奏曲
 さて、数あるチェロ協奏曲を代表する、ハイドンのチェロ協奏曲です。ハイドンはベートーベンの先輩ですから、結構昔の人です。時代が下ってくると、協奏曲は技巧的にも難しくなりますし、楽器の特徴を十分発揮させるように作曲されますが、ハイドンあたりの時代ではその独奏楽器ならではの技巧や特徴よりも、楽曲自体の比重が大きかったようです。その証拠に楽器を変えて作曲しなおした(楽譜を書き直した?)協奏曲も多く存在します。モーツァルトが、以前に作曲したオーボエ協奏曲をフルート協奏曲として売ったのがいい例でしょう。
 何でこういう話をしたかというと、ものの本によるとこのチェロ協奏曲がハイドンの作品ではないのではないかと考えられていた時代があって、その有力な根拠が、ハイドンの時代にしては独奏パートが技巧的でありすぎるということだったらしいのです。ハイドンの後期の交響曲などを聴いていると、古典派とは思えないような新鮮な響きに驚かされることがあります。ハイドンという人は当時の前衛的な(言い過ぎなら「進歩的な」)作曲家だったのでしょうね。
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