グラズノフ

バイオリン協奏曲
 作曲者のグラズノフは、ロシア国民楽派5人組の後輩にあたり、リムスキー=コルサコフに対位法や管弦楽法を学ぶなど、国民楽派の人々と近しい人でした。しかし、グラズノフの作風は国民楽派よりもチャイコフスキーに似て西洋風であり、歌劇や歌曲よりも交響曲や協奏曲、室内楽曲を多く作曲しました。後にはペテルブルク音楽院の院長となって多くの音楽家を育てましたが、そのうちの一人がショスタコービッチだったということです。
 このバイオリン協奏曲は、グラズノフの円熟期の作品ですが、作曲には苦労したようで、師であるリムスキー=コルサコフに「毎日バイオリン協奏曲に取り組んでいるが、すこしずつしか進まない。……大変な苦労だがなんとか完成させるつもりだ」という内容の手紙を書いているそうです。
 曲は2楽章からできていて、通常の構成より楽章がひとつ少なくなっています。第1楽章は4拍子で、中庸の速さですが、ちょうど真ん中あたりで、中間部として3拍子に変わり速さもゆっくりとした部分があります。雰囲気も変わっていて、どうも通常の2楽章にあたる部分と考えてよさそうです。
 第2楽章は、トランペットの軽快な舞曲ふうのメロディーで始まり、だんだんとスピードを増していき、独奏バイオリンの技巧的なパッセージをちりばめながら華やかに終わります。
 なお、余談ですが、この曲はグラズノフのペテルブルグ音楽院での同僚であるバイオリニストのレオポルト・アウアーの協力のもとに作曲され、初演もアウアーの独奏でした。このアウアーは、チャイコフスキーが自分のバイオリン協奏曲の初演を依頼し、また曲を献呈しようとしたバイオリニストなのですが、譜面を見て「演奏不可能だ」としてつっぱねてしまいました。おかげで、現在では3大バイオリン協奏曲のひとつとされている曲の初演の権利と献呈の栄誉を受けそこねたのです。
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